14 兄上の目標
皿の上に鎮座まします桃のタルトを一口大に切って、頂きます。
おお、これは……!
「美味しい!」
思わず口をついて出た言葉に、兄上が穏やかに微笑んだ。
「だろう? ここのタルトは、絶対アリアに食べてもらわないとと思っていたんだ」
「ありがとう、兄上!」
「喜んで貰えて嬉しいよ、アリア」
にこにこと笑いあう兄妹二人。
「いやあ、本当美味いよな、ここのケーキは」
そこに笑顔がもう一つ加わった。兄上の隣に座る、ブラッドだ。
「――どうしてお前までここにいるんだ」
兄上が、笑顔を引っ込めて不機嫌にブラッドを睨みつけたけれど、彼は全然堪えなかった。
「固いこというなよ、フェリックス。この店を教えたのは俺だろ」
「……それは……」
「そうなんですか? ありがとうございます、ブラッド様」
警戒心がなくなったわけじゃないけど、美味しいタルトを食べられたのが彼のおかげなら、お礼をいうにやぶさかではない。
……餌付けされたわけではない、ええ、断じて。
「ああ、いいよアリアちゃん、ブラッドで。俺は貴族じゃないからな。様、なんて柄じゃねえ」
貴族じゃないということは、市民出身。市民出身で入学が許可されたのなら、相当な実力者ということだ。
……やっぱり、警戒はしておくべきかと考えつつ、呼び方を探す。
「……じゃあ、ブラッドお兄さん?」
「お、いいねえ……じゃなくて。ごめんなー、アリアちゃん。それで決定されると、俺の命がなくなっちまいそうだから、他のにしてくれるか」
お兄さん、と呼んだら嬉しそうに笑ったくせに、すぐに冷や汗たらして愛想笑い。
……どうやら、テーブルの下で短い攻防が繰り広げられたらしい。
「……ええと、じゃあ、ブラッドさん?」
「……おう、そのあたりかな。ほらフェリックス。兄貴はお前だけの特権にしておいてやるから」
「…………」
ブラッド……ブラッドさんが兄上の肩をぽんぽんと叩けば、兄上は一つ息を吐いた後、無言で紅茶のカップを手に持った。
兄上のプレッシャーから解放されたブラッドさんは、緊張で強張っていた身体から力を抜いて、片肘つく。
「……ったく。本当にシスコンだな。学園のファンが見たら幻滅するぜ」
「周りが静かになって有難いな」
「学園のファン?」
思わず聞き返せば、ブラッドさんがテーブル越しに軽く身を乗り出してきた。
「ああ。こいつ、このルックスだろ? それに成績優秀だからな。多少愛想悪くても、クールでカッコいい! っていうのが多くてさ。モテるんだぜ」
「わあ、流石兄上!」
「アリア……」
私がぱちぱちと拍手すれば、兄上は嬉しいような、でも困ったような笑顔を見せた。
照れてるのかな? でも嬉しそうでもあるので、私は突っ込んで聞いてみることにする。
「兄上、兄上は、どなたか好きな方はいないの?」
「……アリア? どうしてそんなことを?」
兄上が笑顔を引っ込めて眉根を寄せた。
あれ、妹が聞くのは不自然だったかな? それとも、九歳児が気にするのはまだ早い話題だった?
内心冷や汗かきつつ、誤魔化しを試みる。
「――だって、学園は、恋人を見つける場所なのでしょう?」
「……誰が、そんなことをいったんだい?」
兄上の声が低くなった。
顔は笑っているけれど、貼り付けたような笑みだ。
……随分とご立腹のご様子……やばい、どこで間違えた……?
「……え、えと、母上が、父上とそんなお話をしていたの。兄上に、どなたかいい人が見つかるといいのにって」
これは本当。
食事の席で何度か出た話題を正直に伝えれば、兄上はがっくりと項垂れた。
「……父上……ライラ母上……」
「わかる。わかるぞ、ご両親のその気持ち。いい加減妹離れしてくれってことだぜ、きっと」
項垂れた兄上の肩を、ブラッドさんがぽんぽんと叩く。
「余計なお世話だ!」
ブラッドさんの手を邪険に払いのけて、兄上が私を見つめた。
「アリア。確かに、そういう目的で学園に通っている人たちも多い。だが、俺の目的はそこにはないんだ。恋人なんて、作りたいとも思っていないよ」
「……そうなの?」
「ああ」
首を傾げて確認すれば、兄上は力強く頷いた。
……なんだ、本当に気になる人は居ないのか。兄上に好きな人が出来たんなら、応援しようと思ったのに。
あ、勿論、兄上が不幸になりそうな相手だったら、断固阻止するけれど。
けど、兄上は今のところ、恋愛には興味なし、か……。
「……それじゃあ、兄上の目的って、何?」
「そうだなあ……強いて言うなら……優秀な結果を残すこと、かな」
腕組みをして、少し考えてから答えた兄上に、ブラッドさんが目を丸くした。
「なんだ、お前、三年間主席を狙ってるのか?」
「ああ」
「……兄上、そんなにお勉強好きだった?」
家では家庭教師に勉強を教わっていたけれど、別段、勉強に熱心だったとは思わない。
課題はきちんとやっていたし、勉強から脱走したこともないけれど、勉強漬けだったわけじゃないし。
むしろ、最低限の予習復習以外は、全力で私と遊んでいた気がする。
「知識を得ることは嫌いではないよ。強くなれるしね」
「強く……?」
考えてみれば、兄上の目標? を聞くのはこれが初めてだ。
まさか、兄上が強くなりたいと願っていたなんて。
うわあ、兄上の願いも知らずに、兄上を幸せにするんだなんて、よくも言えたものだわ、私! これは、しっかり確認しておかないと!
「兄上は強くなりたいの? どうして?」
「勿論、俺の大切な人を守りぬくためだよ。力が足りなくて守れなかったというのは、絶対に嫌だから」
兄上は、私を真っ直ぐに見つめてそう言った。
「…………」
兄上が守りたいと思っているのは、私……ってことだよね?
でも、これまでの人生で、兄上の力が足りなかったことなんて無いはずだ。私が泉に落ちたのは、兄上の力不足のせいじゃないし。
――なら、兄上にそう思わせているのは……きっと、前世で刻まれた魂の記憶。
兄上のその思いは、前世で、私を失ったから……?
いや、私じゃなくて、私が関っていない人生での経験かもしれないけど、でも、もし原因が私だったら――兄上に辛い思いをさせているのは、私、なんだ……。
「……アリア?」
思わず俯き、テーブルの下で強く手を握り合わせていたら、兄上の心配げな声がかけられた。
私は、恐る恐る顔を上げて、尋ねる。
「……兄上。兄上は――学園、楽しい?」
「……アリアに会えないのはとても寂しいから、断言は出来ないけれど……有意義ではあると、思っているよ」
その言葉だけでは判断に苦しむけれど、兄上は微笑んでいる。
兄上は、今の状況に、それなりの満足を見出しているみたいだ。
「……そっか……」
心が、少しだけ軽くなった。
「――アリア、紅茶が冷めるよ」
「あ、うん」
私の不審な態度に、兄上も思うところはあったはずだけれど、そこには触れてこなかった。
私は兄上の気遣いに感謝しつつ、促されるままカップを手に取った。
「……馬車の時間まで、まだあるな。アリアは、どこか行ってみたい場所はあるかい?」
「あ、ええと……」
不意に問われて、慌てて考える。
王都の観光スポットといえば、城、教会、有名な公園とか美術館とか色々あるけど、どうしても今! という場所ではないし……。
「そういえばアリアちゃん。事故の多い交差点っていうのに興味があるんだって? それ、ここの近くなんだぜ。行ってみるか? 俺、案内するぜ」
「え、本当? 行ってみたいと思っていたの、ありがとう、ブラッドさん!」
私はブラッドさんの提案に飛びついた。
そうそう、事故の多い交差点は絶対チェックしないとって思っていたのを忘れてました!
本当に有難かったので笑顔でお礼をいったら、ブラッドさんはちょっと得意げに胸を張った。
「いやいや。どういたしまして……って、痛い痛い痛い、フェリックス、ギブギブ!」
「……お前は、どこまでついてくるつもりなんだ……!」
兄上にヘッドロックされて苦しむブラッドさん。
……うーん、本当に、兄上とブラッドさんは仲の良い友人なんだなあ……。
この様子なら、前世の因縁なんて気にしないで良さそう、と思いつつ、私はタルトと紅茶の攻略にかかった。
――その後確認したところ、事故の多い交差点は、封印石のせいではなく、普通に不思議に事故が多発するだけの場所でした。