信仰と信頼と 3
夜の校庭。本来は静けさの漂うその場所で、化物と信徒の追走劇が繰り広げられていた。
「いつまで逃げ回るつもりかしら。化物が下等生物である人間から逃げて、プライドは無いのかしら。」
先輩は逃げ回る僕に向かって、銀球を振り下ろす。僕は負傷した肩を抑えて、何とか彼女の攻撃を避け続けていた。
「そんなものは、持っていません。」
先輩の言葉に対し、僕は食い気味に言い返す。つい昨日吸血になったばかりなのに、プライドなど持っている訳が無い。身体能力が向上した事による驕りの様なものだって、多分持っていない。
プライドなんかより、今は先輩が振り回す銀球を避けるだけで精一杯だ。彼女の狙いは正確であり、僕の頭を目掛けて一直線に振り下ろされてくる。踏み込んで大きく距離を取れれば良いのだが、先輩はそんな暇を与えてくれない。そもそも、吸血鬼の力の程度も僕はまだ、理解できていないのだ。
「先輩。一度、一度話を聞いて下さい。その手を止めて下さい。」
「駄目。貴方が起き上がれなくなるまで続けるわよ。」
僕の必死の訴えは、先輩の冷たい言葉に跳ね除けられた。昼間はあんなに和気藹々としていたのに、この態度の変わりようはなんだ。僕は、先輩に何か粗相をしたのだろうか。
「嘘、吐いたじゃない。」
「嘘?」
訳が分からずオウム返しする僕に、先輩が冷たく放つ。
「昼休み。私言ったよね。何かあったら相談してねって。黒井君、何て言っていたか覚えているかしら。」
「あ、ええと……。」
「そんな事があったら、相談するって言ったのよ。身元まで明かしたのに、そんなに私が信用ならないかしら。」
「……。」
返す言葉も見当たらない。確かに先輩の言う通り、僕が裏切る様な事をしてしまったのだろう。
正直に話せば、少し痛い思いをするだけで先輩は許してくれるかも知れない。しかし、それは妓詠の存在を先輩に明かす事になる。静かな生活を望む彼女に対する裏切りと言っても、過言ではないだろう。
協力すると言った手前、そんなことは出来ない。
であればどうする。この場で先輩を叩き伏せるか。吸血鬼の瞬発力と腕力があれば、恐らく可能だろう。しかし、先輩には何度も世話になっている。時には勉強を教わり、時にはお茶とお菓子を御馳走になった。その恩を仇で返すのは、どうにも気が引ける。
心まで、化物になったつもりは無いのだ。
ひょっとすると、この追走劇は朝まで続くのではなかろうか。そうすれば僕の身体能力は弱まり、あっと言う間に捕まってしまうだろう。しかし、吸血鬼の証明が出来なくなれば、もしかすると見逃して貰えるかもしれない。
いや、そもそも先輩の体力が尽きるのが先か。まだ夜は長い。逃げ回っていれば光明が見えてくるかも知れない。まぁ種族柄、光は苦手なのだが。
暫く逃げ続けていると、だんだん銀球の軌道にも慣れてきた。格闘技などの経験は無いので、最低限の動きで避けるなんてことは出来ないのだが、避ける動作を小さくすることは出来た。これも、吸血鬼になった影響だろうか。
先輩の様子を見ると、徐々に息が上がってききたようだ。もう少し粘れば、話を聞いて貰えるだろうか。
「先輩、話を聞いて下さい。」
「い、いやよ。はぁ、はぁ……。」
僕の訴えに対し、先輩はやはり否定する。息も絶え絶えで、それ以上の言葉は聞くことが出来なかった。
このまま逃げ回っていても、先輩は攻撃を続けるばかりだろう。疲労が限界に達して、その場に倒れこむことになろうとも。彼女は這い蹲ってでも、僕を殺そう凶器を振るう。どちらかの、もしくは双方の命が果てるまで。
そんな結末は、僕の望むところではない。何とかして、先輩と話をする場を作らなければ。しかし考えれば考える程、僕の両足が潰されでもしない限り、そんな状況は起こりえない。もしくは、僕が先輩を抑え込むか。疲れている様子なので、力に訴える事は可能かも知れない。しかし、彼女の胸元に見える十字架が、僕の足を踏みとどまらせる。
ならばどうする。行くか引くか。否、一度立ち止まってみることも、人生だろう。
僕は足を止めて、両手を広げる。そして、先輩の顔を真っ直ぐに見つめた。
「なんのつもりかしら。」
先輩は振り回していた銀球を地面に下ろし、冷たい口調で言い放つ。
「なにも有りませんよ。ただ、逃げ回っていたんじゃあ話を聞いてくれないと思ったんです。僕はここから動きません。どうするかは、先輩にお任せします。」
「そう。なら殺すわ。」
吐き捨てる様に言葉を発し、先輩は凶器を大きく振りかぶった。
「言っておくけど、吸血鬼の再生能力をアテにしているのなら大間違いよ。再生が遅れている内に、身体の奥まで叩きつぶしてあげるから。」
図星を突かれて、何も言い返せない。
正直どう転んでも即死は無いだろうと、高を括っていた。先輩の殺意は、僕が考えている以上に歪んでいるようだ。しかし、ここにきて逃げてしまえば先輩の信頼を著しく損なってしまうのは明白。
もう、後には退けない。
「えぇ、先輩の望むようにどうぞ。僕は逃げも隠れもしません。ですから、僕の話を聞いて下さい。」
「良い心掛けね。素直な子は、大好きよ。」
先輩は優しい口調で、呟く様にそう言った。追い掛けられ始めて、初めて見た表情だ。
「さようなら。」
月の光を浴び、銀色に輝く棘の付いた球体が僕を目掛けて振り下ろされた。




