第3話
「なんだてめえ、常連気取りか?」
先頭に立っていた柄の悪い男が、俺を見下ろして鼻で笑った。
手には使い込まれた金属製のバットが握られている。その後ろには、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべる二人の男が控えていた。
彼らの身なりは、どこにでもいるようなチンピラそのものだ。だが、その身のこなしには、わずかに探索者特有の癖が見え隠れしている。重心の置き方、視線の配り方。ただの素人ではない。
俺は男の挑発には乗らず、淡々と事実だけを告げた。
「あんたたちの事情はどうでもいい。だが、この店の飯は美味かった」
十年間、復讐のためだけに生きてきた俺にとって、食事はただの栄養補給でしかなかった。
味など感じたこともない。カロリーとタンパク質を効率よく摂取できれば、それでよかった。美味しいものを食べて笑顔になるなんて、俺には許されない贅沢だと思っていた。
だが、さっき食べた生姜焼きは違った。
温かくて、優しくて、俺の空っぽになった胃袋と心を同時に満たしてくれた。
「はっ、頭のイカれた野郎だ。痛い目見ねえと分かんねえらしいな!」
男が金属バットを振り上げる。
狭い店内だ。大きく動けば、アリスが大切に磨き上げているテーブルや椅子を壊してしまう。俺は周囲の備品を巻き込まないよう、立ち位置を微調整した。
俺は小さく息を吐き、極限まで力を抑え込んだ。
深層の覇者を粉砕する力の、ほんの数パーセント。いや、それ以下で十分だ。
振り下ろされるバットの軌道が、止まって見えるほど遅い。
俺は半歩だけ前に出ると、男の手首を軽く叩いた。
「がっ……!?」
それだけでバットは男の手からすっぽ抜け、床に落ちる前に俺が左手で受け取った。
同時に、右手で男の鳩尾を軽く突く。
衝撃を体内に浸透させるだけの、殺傷力のない一撃。男は白目を剥き、声も出さずにその場に崩れ落ちた。
「な、なんだと……?」
後ろに控えていた二人の男が、信じられないものを見るように後ずさる。
「帰れ。二度と来るな」
俺がバットを床に放り投げると、男たちは悲鳴を上げて仲間を引きずり起こし、逃げるように店から転がり出ていった。
嵐が去ったような静寂が、店内に戻る。
逃げていく男たちの背中から、やはりあの妙な魔力の残滓を感じた。
浅層の探索者崩れだろうか。いや、それにしては質が違う。
標的の会社を吹き飛ばした不自然な事故。その影が、こんな場末の定食屋にまで伸びている気がしてならない。
「……怪我はないか」
俺は思考を振り払い、へたり込んでいたアリスに声をかけた。
「あ、はい。ありがとうございます、お客さん」
アリスは震える膝を押さえながら、気丈に立ち上がった。
「すごいですね……探索者の方、ですか?」
「ああ。一応な」
俺は倒れた椅子を元に戻しながら答えた。
復讐のために身につけた力。目的を失い、ただのオーバースペックになったと思っていた。
だが、今、この力で守れたものがある。
「あんたの飯、本当に美味かった。明日も食いたい」
俺がそう言うと、アリスは目を丸くし、やがてふわりと笑った。
「ふふっ、ありがとうございます。でも、明日の仕込み、できるかな……」
その言葉の語尾が、少しだけ沈んでいた。
「どういうことだ」
「実は、さっきの人たちの言う通り、うち、結構ギリギリでして」
アリスは少し目を逸らし、エプロンの裾を弄りながら口を開いた。
「料理には自信があるんですけど、その……計算とか、そういうのがちょっと」
要するに、どんぶり勘定で赤字を垂れ流しているらしい。
食材には妥協せず、客には腹いっぱい食べさせる。経営センスがないと言われればそれまでだが、その心意気が俺には眩しかった。
「借金があるのか」
「はい。祖父の代からのものが少し。それに、最近は食材の値段も上がっていて……」
アリスは申し訳なさそうに肩を落とした。
このままでは、借金のカタに店を奪われるのも時間の問題だ。
俺は少しだけ考え、一つの結論を出した。
「俺が用心棒になる。それと、食材の調達も手伝おう」
「えっ? でも、そんなの悪いですよ。お客さんにそこまでしてもらう理由なんて……」
「俺が食いたいだけだ。気にするな」
俺は短く切り捨てた。
復讐という過去の目的は、もうない。
なら、これからは自分のために生きよう。この美味しいご飯と、平穏な日常を守るために。
「食材の調達って、どうするんですか?」
「心当たりがある。少し出かけてくる」
俺は店を出て、見慣れた空を見上げた。
向かう先はダンジョンだ。
深層でしか手に入らないような高級食材なら、高く売れるし、美味い飯にもなるだろう。
俺の規格外の力があれば、調達など造作もない。
◆ーーーー◆
数時間後。
俺は久しぶりに、ダンジョンの入り口に立っていた。
現代社会において、ダンジョンは経済活動と密接に結びついている。
未知の資源や魔力結晶は莫大な利益を生むため、入り口付近には常に多くの探索者や商人が群がっている。
だが、俺が向かうのは彼らが立ち入ることのない、死と絶望が支配する深層だ。
湿った空気が頬を撫でる。十年間、毎日のように嗅いでいた血と泥の匂い。
だが、足を踏み入れた瞬間、俺は微かな違和感を覚えた。
以前とは違う空気が流れている。
俺が復讐のために深層のボスモンスターを狩り尽くしたせいか、ダンジョン内の生態系バランスが崩れているような気がした。
浅層にいるはずのない、強力な魔物の気配。
そして、あの地上げ屋から感じたのと同じ、不自然な魔力の残滓が、ダンジョンの奥底から漂ってきている。
俺は腰の剣を抜き放ち、残滓が漂ってくる奥の通路へと視線を向けた。
だが、足元にまとわりつくような不穏な気配が、俺の警鐘を鳴らしている。
俺はどんな食材を持ち帰ることになるのか。
いや、それ以上に、このダンジョンで今、何が起きているのか。
暗闇の奥から、生臭い風が吹いてきた。




