白い棺
豊かさを追求した文明は、過剰な資源リソースを必要とした。富の集中。幸福を追い求める事は、身を焼く苦痛に苛まれながらも、局所的な快楽を得る事だった。
西暦2148年。
都市は静かだった。
静かすぎた。
高層ビルの壁面には、広告ではなく「安定指数」が表示されている。
食料供給率:98.2%
自殺率:0.03%
感情暴動指数:低
労働満足度:71%
世界政府は言った。
「苦しみは管理可能です」
かつて人類は、戦争、飢餓、競争、環境破壊に疲弊した。
AIによる完全資源管理が始まり、
最低生活は保証された。
労働時間は週8時間。
犯罪は激減。
貧困は消滅。
だが同時に、世界から“熱”が消えた。
人々は「幸福」であるはずだった。
しかし夜になると、多くが夢を見る。
巨大な空洞へ落ち続ける夢。
満たされた世界の底にある、意味の空洞。
そのために作られた制度がある。
《終息選択法》。
通称――
「自殺カプセル」
だった。
それは病院ではなく、駅にあった。
白い流線型のカプセル。
まるで近未来の睡眠装置。
利用条件は一つだけ。
25歳以上であること。
それだけ。
財産も審査も不要。
誰にも止められない。
カプセルへ入ると、AIが最後の確認を行う。
「あなたは人生の終了を希望しますか?」
「はい」
「苦痛除去モードを開始します」
そして静かに神経停止剤が循環する。
苦痛は無い。
恐怖もない。
脳内へ微弱電流が流れ、
人生で最も幸福だった記憶が再生される。
海。
夕焼け。
誰かの笑顔。
子供の頃の夏。
そして意識は消える。
死亡後、身体は完全分解される。
水。
炭素。
リン。
カルシウム。
全て都市循環資源へ戻される。
墓は無い。
遺骨も残らない。
《完全循環》。
政府はこれを「尊厳的離脱」と呼んだ。
宗教団体は激怒した。
だが支持率は年々増加した。
特に40代男性の利用率が高かった。
次に多いのは、成功者だった。
「富裕層?」
新人監査官のユナは、資料を見て眉をひそめた。
主任AI研究員のレオンは頷く。
「資産上位1%ほど利用率が高い」
「なぜ?」
「ゴールしたからだろう」
レオンは無感情に答えた。
「ゴール?」
「昔の人類は、“もっと先”があると信じていた。出世、名声、結婚、不老不死……。だが到達すると気づく。欲望には終点が無い」
ユナは沈黙した。
巨大窓の向こうで、白いカプセルへ一人の老人が歩いていく。
杖も無い。
背筋は伸びている。
まるで空港へ向かう旅行者のようだった。
「本当に幸福なら、人は死を選ばないのでは?」
ユナは小さく言った。
レオンは少し考え、答えた。
「逆だ」
「……?」
「苦痛が減りすぎたんだ」
都市は静かだった。
静かすぎるほどに。
争いもない。
飢えもない。
だが、人類はある日気づいた。
“苦しみ”を消しただけでは、
“生きる理由”までは生成されないことに。
カプセル利用者の最後の脳波には、共通点があった。
恐怖ではない。
絶望でもない。
むしろ――
深い安堵。
長いマラソンを終えた者のような、静かな停止。
そして世界政府は、まだ隠している事実があった。
自殺カプセル利用者の脳活動ログから、
AIはある異常結論を導き出していた。
「人類は、苦痛を完全除去した社会では、自発的に減少へ向かう」
それは事故ではなかった。
病でもない。
進化でもない。
文明そのものが選び始めた、静かな終息だった。




