完 結 1
井伊家上屋敷でずっしり重いと感じた名刀も、持ち帰り振ってみると、非常にバランスが良く扱い易いモノだった、武士にとって刀は命と一緒、名刀を持つのは憧れであり、それにより自分を更なる高みに誘うモノでもあったのだ。
以前正宗を芸術品、村正を業物と区分したが、正確には間違いである。当時において、刀は実践的なものから芸術的なものに変化する時期にあった、元禄に芽吹いた華やかな意識感覚が、八代将軍の節約令により頭打ちとなり、その嗜好は隠れたところに求められるよう変化していったのである。
その一つが刀、とりわけ大名が好むのは、製作に手間をかけ地肌の贄、動乱”互の目”刃紋が際立つモノが最高級として密かに取引をされた、その代表が正宗であった、正に芸術品なのである。
しかし、翔馬が手にする正宗は、戦国の世、石田三成が所有した”石田正宗”の兄弟作であり、正真正銘の実践刀なのである。ではなぜそのようなモノがここにあるのかは、石田三成の居城佐和山の神社に奉納されていたモノであり、佐和山城拝領のおり、井伊家の持ち物となったのである。
先ほどから翔馬が剣を振る姿を三郎が見ていた、ウリを食べながらである。
「三郎、久しぶりにやるか!」
「とんでもない! もうおいらなんか相手じゃない剣捌きですよ」
「そのようなことはない、お前の素早い動きを見せてくれ」
「そうですか? 三郎としてなら、高市源蔵と思ってならイヤですよ?」
「ははは、お前を斬ったりはしない」
「当り前です!」
花火大会の前日にも翔馬は、井伊家上屋敷に呼ばれた、この日は平野忠次と早苗も一緒であった、藩主・井伊直惟と正室・泰子、主だった家臣数名が同席した。
平野が皆に向かって言う。
「方々、明日の花火見物は下屋敷にて、殿、奥方様ご見物の予定であったが、殿と奥方様には上屋敷にて控えていただくことに相成りました」
座がざわついた。
「花火見物を中止するわけにはいかないので殿の影武者として、この秋月翔馬、奥方様については平野早苗を立てるコトに致しまする」
集まった家臣が何ゆえにと平野を攻めるが、直惟が制した。
「皆の者、収まれ、この策はわしが許したもの、訳も明日になれば判明いたす、黙って従ってくれ、明日に不満が残れば腹を切るとまで平野が言うておる」
その一言で場が収まった。その神妙な空気の中で、急に早苗が立ち上がり、きりっとした声で直惟に直訴した。
「不束ではございます、お殿様と奥方様の名代ならば、わたくしと秋月さまとは仮の夫婦でございます」
平野忠次が慌てて遮った。
「早苗、控えぬか!」
「いいえ、最後まで話してみなさい!」
泰子が語気を強めて言った。忠次は低頭したが、早苗は怯まなかった。
「仮とは言え夫婦となるには、仮の祝言をさせていただきたく存じます」
周りがまた騒がしくなり、忠次も怒りは心頭に達していた。
「こりゃ早苗、殿の御前で何という戯言を! 早う謝れ!」
直惟がやおら立ち上がり口を開く寸前に。
「よろしい! 祝言をあげなさい、媒酌人は殿とわたくし!」
早苗の目には涙が光っていた、泰子は咄嗟に感付いたのである、これが早苗の覚悟、見てみたかった強い意志であると。
「ただしこれは仮ではない、二人に異存なければ本当の祝言と致すがいかに!」
殿様よりも殿様らしかった、将軍も一目を置くと言う、泰子の本分を目の当たりにして、意見が言える家臣など一人もいなかった。直惟がおもむろに言う。
「平野、いいのじゃな」
「は、ただし殿も許された大津の縁談が……」
「平野! わしが良いと思うことに異を唱えるか!」
「はは、仰せの通りに」
翔馬も驚いていたが、平野忠次に気を使った。
「殿、私は足軽大将の息子、禄も十分食んでおりませぬ、ご中老様の早苗殿とはつり合う者ではございませんので……」
「秋月、心配は無用です。先日殿は貴方を藩の中枢に置くと約束された、早苗を幸せにする覚悟さえあれば何も恥じることはないのです」
もう誰も何も言えなかった、平野忠次にしても奥方様にこれ程気に入られたのなら名誉でもあり受け入れるしかなかった。
「翔馬、早苗をたのむぞ」っと声を掛けるのが精一杯だった。
花火大会の当日、町衆は夕方から大川に繰り出すのだが、早いものは昼前から大川の辺に陣取り、気長く夜を待つのである。
渡し場の近くにも数人が蓆を敷き昼の弁当を食べていた。
「あれ? あそこに杭みたいなのがあるが、ありゃぁ杭だろ?」
「ああ、確かに杭だな、いつ出来たんだい」
「誰かあそこに舟つないで花火見ようって魂胆か?」
「花火の間は大川に入るのは禁止だろうが、そんなバカはいねえよ!」
「そうだな、ま、関係ないこった」
次第に酒も入り、この者たちにとって杭などどうでも良いコトだった。
西日が長くなったころ、井伊家下屋敷を見張っていた浪人者の一人が、彼らのたむろする長屋に駆け込んでいった。
「入った、入ったぞ!」
「直惟が入ったか」
「おう、大名籠が二挺と十名ほどの供の者、間違いない」
「よし、後は暗くなって騒動を待つだけじゃ、出入り二か所からなだれ込む、手はず通り抜かるでないぞ!」
「おおう!」
一方、井伊家下屋敷では、新井信治郎はじめ選りすぐりの手練れ十数名がこれも手はず通りの配置についていた。
やがて、花火大会を知らせる煙玉が乾いた音を夕空に響かせた。
渡し場近くの観客も昼間から飲んで、すっかり酔いが回ったようで、うたた寝などしていたが、花火が始まるとなると、また元気が出てきたようだ。
「お、始まったぜ。かぎや~!」
「バカ、まだ煙玉だよ!」
「なんだい、いやにデカい音だったじゃねえか?」
「また、いけねえ夢見ているからおったまげたんだろう? 情けないヤツだぜ」
「なんで分かるんでぃ、てめえのかかあといい所だったんだがなぁ~」
「このバカ野郎が! あの杭にくくりつけて…… あ?、ありゃ舟か?」
ドドドーン!
本格的に始まった、また杭のことなど、どうでもよくなった。
シューーーーッ、バァーーン!!
シューーーーッ、バァーーン!! バァーーン!!
「おお、二発連続だぁ! 彦根か? 近江屋か?」
「近江屋は最後だから違うよ、ありゃ、たまやじゃねえか?」
「おめえ、なんでも知ってるなぁ~、やっぱ字が読めるだけのことはあらあ!」
花火が始まって小一時、いよいよ最後の彦根・近江屋の順番が来た、大川には昨日の夜中、密かに打った四本の杭に、四方を縛った船の上で、弥助と三郎、あと二人の花火師が潜んでいた、弥助は打ち上げ筒の覆いをそーっと外した。
弥助が声を掛ける
「短い時間だ、他のコトは考えないでオレの合図に集中してくれ、気を抜くな!」
「へえ、大丈夫だ。練習した通りだろ」
「そうだ、やってきた通りにすれば間違いはないんだ、頼むぞ」
シューーーーッ、バァーーン! バァーーン!
普通の花火が続いていたが、最後に明らかに軌道の違う花火が打ち上がった。井伊家下屋敷に向かって飛んできたのである
「あれ? 飛んで行く角度が違うぞ、失敗か!?」
誰もが思った。
シューーーーッ
「いち、に、さん、今だ!」
待ち構えたように弥助が叫ぶ、花火師は待ってましたと導火線の無い筒にガンガンに焼けた炭を入れた。
シューーーーー! 勢いよく発射されたのである。
”ドオオン~!!”
弥助の花火は大川の真ん中で見事に迎撃に成功した、ものすごい爆発音で地響きがした、みなが首をすくめたのである。だが誰も迎撃とは思っていない、見事な花火だと歓声が上がったのである。
近江屋の打ったモノは花火でなく爆薬だったが、弥助の花火には鉄さびの濃度を変えた複数の星を仕込ませていたため、今まで見たことのない見事な花火となったのである。
「すげえ! こりゃすげえわ! もう一発見てえな」
っと言い終らない内に、同じ方向へもう一発打ち上がった。 弥助たちも一発で最後とは思っていなかったので備えはあった。
「いち、に、さん、今だ!」
”ドオオン~!!”
明日の瓦版のトップは決まりだ。