#16 夫婦愛
目の前に、不愉快な物がいる。
「何や、施術師の姉ちゃんだがね。」
電動車椅子に乗り、宇宙港の街中を移動するのは、あの干物聖人、スピリドンだ。
クリュシュカヤ山から帰還して早2週間が経った。身体のあちこちを調べられたこの男からは、様々な事実が判明する。
この聖人が生き延びられた理由、それは身体が急速に乾燥したことだと考えられている。
クリュシュカヤ山の冷たく乾燥した風が、スピリドンの身体を一気に乾燥させた。それゆえ腐敗が進む前に、スピリドンの身体は「ミイラ化」した。
ミイラになると、どうやら魂の宿り場を失わないようだ。でなければ、これほどピンピン動けるわけがない。
また、あの場所は標高3000メートル以上、生物も少なく、腐敗の原因となる細菌類も繁殖しづらい環境であることも、ミイラ化が進んだ要因だと考えられる。
ともかくだ、これまで分かったことをまとめると、ゾンビ化した後に急いで干物にすれば、腐敗が進まず、かつ安全にそのゾンビを「不死化」できるかもしれない、ということだ。
もっとも、それを実際にやってみよう、という話にはならなかったようだ。何せあの事件のすぐ後でもある。安全性が保証されない限り、とても実行に移す勇気はない。
また、ゾンビを乾燥させる手段があまりに非人道的すぎる。やるとすれば、無菌、低温で乾燥した場所、すなわち巨大な冷蔵庫のような場所に何日間も放り込まなくてはならない。そのような場所に閉じ込められることを望む人もなかなかおるまい。
さらに、先の防腐処理を施したゾンビがなぜ、あのような暴走状態に陥るのか、その理由もよく分かってはいない。そんな状況でゾンビの不死化実験など、やれるわけもない。地球220の医師会らは結局、ゾンビの不死化の可能性についてまとめた報告書を作り、さらに継続的調査が必要との結論を出して終わった。
というわけで、この地上には未だ、不死化したゾンビは3人のみということになる。
そのうちの一体が、私の目の前にいる。
「……何をやってるんですか、聖人様。」
私は特に歩みを止めることなく、電動車椅子に乗っかるその干物に応える。
「決まっとるだらぁ、ショッピングモールまでお出かけやがね。」
まるで近所のおじさんのように応える聖人。だが、こいつはそんじょそこらのおじさんではない。370年もの間、自身の欲望を抑え続け、生きながらえてきたゾンビ。こんなやつをショッピングモールに放って、無事で済むはずがない。
早足で歩く私に並走する聖人。なぜ、こいつは私についてくるか。
「おい、なにゆえ私についてくるのですか?」
「は?誰もおみゃーさんについていっとりゃせんよ。ただショッピングモールはこっち側だからでにゃあか。」
……くそ、一刻も早く離れたい相手と同じ方角に歩くことになろうとは、不愉快極まりない。
「にしてもおみゃーさん、何を急いどるんがね?」
「施術の依頼があったんですよ。」
「施術?なんやあんた、この街でも、ゾンビを作っとるんかね。」
「依頼があれば。」
余計なことを話している暇はない。死後2時間以内が、ゾンビとして復活できるギリギリの時間だ。連絡を受けてすでに1時間。こんな変態ゾンビなどと、悠長に話をしている暇などない。
「ほな、わしはここで曲がるでぇ。」
「はい、お達者で。」
ようやくあの変態ゾンビと別れることができた。私は軽く応えると、すぐに目的の病院に急ぐ。
それは、ショッピングモールのすぐ脇にある病院だ。つい先ほど、患者が亡くなった。その患者の奥さんが私に、施術を頼みたいと連絡してきた。
病院に入ると、歳は6、70ほどの一人の女性が立っていた。この街に住む人だから、ルイスと同じ地球220出身の人のようだ。私はその女性に声をかける。
「私は、施術師のカチェリーナです。ご依頼者の方ですか?」
私の問いかけに、その老女は答える。
「は、はい、そうです。私がゾンビ化の依頼をした、ローザンと申します。夫への施術を、お願いいたします。」
深々と頭を下げるローザンという女性。私はうなずき、ローザンの後について病院の奥へと向かう。
「あんたが、施術師かね?」
病室には、ベッドの上で白い布を被せられた人物、そしてその傍に、医師がいる。その医師は、私をけげんそうな顔で見つめている。
「はい、施術師のカチェリーナと申します。」
「本当に、一度死んだ人間をゾンビなんぞにできるのかね?しかもつい先日、そのゾンビとやらが大暴れした事件があったばかりじゃないか。信用してもいいものかねぇ……」
どうやらこの医師は、施術師のことをあまり信用していないらしい。いや、それは帝都の人々とて同じだ。ましてや、ゾンビというものが存在しない星から来た人にとっては、なおさらだろう。
だが、ローザンという女性がその医師を説き伏せる。そして、その白い布をかぶった人物のそばに私を招き入れる。私は、傍にある小さな椅子に座る。
そして、その男性の手を握り、目を閉じる……
◇◇◇◇
明るすぎもなく、暗すぎるところでもない。ごく普通の生活を歩んだ人なのだろうと、この宿り場を見るだけでも分かる。
その宿り場の真ん中に、一人の男性が立っていた。私はその男性に、声をかける。
「あの、アシュトンさんですか?」
静かなこの魂の宿り場で突然声をかけられて、振り向くその男性。
「そうだ、私がアシュトンだが……あんたは、誰だ?」
「私は、施術師のカチェリーナと申します。あなたの奥様に依頼されて、ここに参りました。」
「いや、何を言っているのか、よく分からないのだが……私は確か、死んだはずだ。まだ生きている人物の依頼で、死者に逢いに来ることなど、可能なのか?」
「施術師とはすなわち、死の直後にまだ生死の境をさまっている魂と会話し、生き返らせることができる者なのです。」
「なんだって?生き返らせる?」
「はい、あなたが希望するなら、ゾンビとしてもう一度だけ生を得ることができるのです。」
「そ、そんなことができるなんて……もしかしてあんた、この地球882の者か?」
「はい。私はこの星の者です。この星には、施術と呼ばれる生き返りの技が存在しているのです。」
「そうなのか……」
「ゾンビとして生き返り、もう一度現世の人々と過ごすことができます。ただしそれは、長くて1週間の命です。」
「い、1週間の命……」
ゾンビとは、無限の命を持つわけではない。高々、1週間の延命に過ぎない。その事実は、きちんと伝えておかねばならない。
だが、そのわずか1週間の生を望む人も多い。別れの言葉を言えなかった者、財産の処理を済ませたい者、愛しい人との最後の時間を過ごしたい者、などなど。
ただしそれは、本人が望まなくては叶わない。だからこうして私は施術の際に、本人の魂に確認をしている。
あの奥さんと同い歳くらいと思われるこの男性は、しばらく考え込む。そして、私に言う。
「せっかくだが、生き返るのは止めることにするよ。」
それを聞いた私は、応える。
「なぜですか?奥様はわざわざあなたを一時でも蘇らせるために、私をお呼びになりました。その想いには、応えてあげないのですか?」
私の言葉を聞いたアシュトンさんは、しばらく考える。そして私に、こう語り始めた。
「ローザンとはね、幼なじみなんだ。」
「……はあ。」
「3歳の頃からずっと同じ幼稚園、同じ学校を過ごし、私が就職したと同時に結婚したんだよ。だからかれこれ70年近く、一緒に過ごしてきた仲なんだよ。」
突然、馴れ初めを語り始めたアシュトンさん。だが、なぜそんな話を今、私にするのか?そしてなぜ、そこまで長い付き合いの奥さんの願いを拒否するのか?
「……あの、ではなぜ、生き返ることを望まれないのですか?」
「ああ、それは簡単だ。生き返ったところで、せいぜい1週間の命なのだろう?」
「はい、そうですが……」
「それでは意味がない。ローザンは一度、私の死を悲しんだことだろう。そしてゾンビとして蘇れば、1週間後にはまた、私の死に接することになる。ローザンはもう一度、悲しみに襲われることになる。」
そしてアシュトンさんは、私の方を振り向いて尋ねる。
「なあ、施術師さん、死後の世界とはどういうところか、ご存知かな?」
「い、いえ、私には分かりません。ただ……この宿り場の奥にある黒い穴、その先にあるものとしか知りません。」
「そうか……」
しばらく考えたのちに、また私に尋ねる。
「ということはだ、あの黒い穴の向こうに消えていった人々を、あなたは何人も見てきたのかい?」
「はい。施術を望まれない方は皆、あの先に向かって歩いて行かれます。」
「ならば当然、ローザンもいつかは、あの穴を潜ることになるのだね?」
「そうです。それは間違いありません。」
私のこの言葉を聞いたアシュトンさんは、続けてこんなことを言い出す。
「ならば、ローザンに一つ、伝言をお願いできないか?」
「は、はあ……なんでしょうか。」
「私は、あの世の入り口で、いつまでも待っている。遠からずお前も、ここに来ることになるだろう。その時は一緒に、向こう側に行こう。そう伝えて欲しい。」
「……はい。分かりました。」
「ああそうだ、死に急ぐことはないとも伝えてくれ。変な死に方をすると、道が分かれてしまうかもしれない。だから必ず人生を全うし、満足な死を迎えて欲しい、と。なあに、これまで共に過ごした70年を思えば、5年や10年、いや20年待つことくらい、どうってことはないさ。」
アシュトンさんは私にそう告げると、あの黒い穴の方を振り向く。
「……どうやら、そろそろあそこに行かなきゃならない時が来てしまったようだ。では、銀色の施術師さん、妻への伝言、たのんだよ。」
そう言い残すと、アシュトンさんは奥の死出の旅路の入り口に向かって歩き始める。そして辺りは暗くなった……
◇◇◇◇
私は目を開ける。すぐ脇には、ローザンさんがいる。私が目覚めても動かないアシュトンさんの身体を見て、心配そうに私の方を見る。
「あ、あの……施術の方は、どうなったのですか?」
残された奥さんに、私はこの人の最後の言葉を伝えなければならない。一呼吸すると、私は話し始める。
「あの、アシュトンさんは死出の旅に出られてしまいました……ですが最後に、私は奥様への伝言を受けてまいりました。」
「そ、そんな……」
「まず、アシュトンさんはこう言われました。あなたに二度も死の悲しみをさせる訳にはいかない、と。そしてアシュトンさんは……」
私は、アシュトンさんから受け取った伝言を淡々と伝える。最初はショックを受けていた奥さんだったが、旅立った夫の言葉を聞いて、私にこう告げる。
「10年でも20年でも待つ、か……確かに、あの人が言いそうなことですね。そうですか、分かりました。」
するとローザンさんは、私の手を握る。そして私に、こう言った。
「ありがとうございます、施術師さん。」
「い、いえ、私は何も……」
「アシュトンのいう通り、しばらく一人の人生を謳歌してみます。あの人も驚くような土産話をたくさん持って、もう一度あの人に会いたいものですね。」
悲しげな表情は、完全には消えていない。が、その表情は少し、笑顔に変わっていた。
私は病院を出て、家路に向かう。この街では少し目立つ祭衣を着て歩いていると、道の向こう側からまたあれが現れた。
電動車椅子にまたがり、悠々と道のど真ん中を進むあの干物野郎。しかもさっきと違い、3人の人物を傍に侍らせている。
そのうちの一人は、あのサンドラ准尉だ。あとの2人は、その友人だろう。3人の女に囲まれて、えらく上機嫌なご様子の干物聖人。
「わっはっはっ!面白いだらぁ?そんでわし、大急ぎで逃げたんだがなぁ……」
「なにそれ!?ヤバすぎじゃないの!聖人様、それでよく生きてたわねぇ!」
「いやいや、それが元で死んだんだがね!けど、こうしてゾンビとして生き返ってな……」
何を楽しそうに話しているのだ?なるべく関わるのを避けようと、私はその集団と距離を置いて歩く。が、これだけ目立つ格好をしていれば、目についてしまう。
「あれぇ、カチェリーナちゃんじゃないの!?どうしたの、そんな格好で?」
サンドラ准尉に見つかってしまった。それを見た聖人も私の方を振り向き、こんなことを言いやがった。
「ああ、この施術師さん、そういやあさっき、施術に行くとか言っとったがね。」
「へぇ~、施術って、死人と手を繋いで死人を生き返らせるっていう、あれのこと?」
「うわぁ、勇気あるわねぇ!私、怖くてそんなこと、できなぁい!」
「何いうとるだが!ほれ、おみゃーさんが喋っとる相手も、このとおり死人じゃよ!」
「あはは、そうだったわ!聖人様、もう死んでるんだったんだよねぇ!」
まったく、なんて奴らだ……今までこの手の誹謗中傷は幾度も受けてきたが、こいつらには言われたくないと本気で思った。ムッとした顔で、私はこの3人を睨みつける。
と、その時だ。
突然、この宇宙港の街中に、けたたましいサイレン音が響き渡る。
そのサイレンの音を聞いた3人の顔色が変わる。
「た……大変!緊急招集よ!」
「本当だ……どうしよう。今からお化粧、取りに帰らなきゃ……」
「馬鹿!それどころじゃないわよ!すぐに、宇宙港へ行くわよ!」
3人はこの干物聖人を放り出して、宇宙港へと走っていく。それを見た聖人は狼狽する。
「な、なんじゃ!?何が起きたんだがね!?」
このサイレンの音を聞いたのは、もう何度目だろうか?これは敵艦隊、すなわち、連盟と呼ばれる連中が、この星目掛けて攻めてきた時の合図だ。それを受けて、今頃はルイスもおそらく、宇宙港へと向かっているはずだ。
と思っていたら、目の前からルイスが走ってくる。
「ルイス!」
「ああ、カチェリーナ。」
「今から、行くのか!?」
「緊急招集だ、すぐに行くよ。」
「ルイス……」
「大丈夫だ。またいつものように帰ってくるさ。それじゃ!」
私に手を振りながら、ルイスは宇宙港へと走っていく。私もルイスに向かって、手を振る。
だが、なんだろうか。今回に限って、私に不安が襲う。
悪い予感というやつだ。いや、サイレン音の度に感じている不安かもしれないが、とにかく言いようのない不安が、私の心の中に湧き起こる。
今度も絶対、無事に帰ってくる。そうに決まっている。しかし、一回の艦隊戦での駆逐艦の撃沈率は2パーセントと言われている。つまり、100隻の内、2隻は帰ってこない。戦闘に、絶対はない。
あっという間に見えなくなったルイスの姿の後を、私はじっと見つめていた。また数日後に、再びルイスと一緒に部屋に戻り、そしてまたあのハンモックの上で添い寝させられる……そんな未来が待っていると、信じるしかない。
そんな不安に襲われている私の横で、この聖人はこんなことを言い出す。
「うーん、この施術師も一応、女じゃしなぁ……しゃあない、相手するかね……」
これを聞いた私は、370年もの間、生き長らえてきたこの乾燥した身体を、今すぐ叩き壊したい衝動に駆られた。




