#14 聖人
ああ、なんてことだ。赤目持ちが、赤目にやられるとは……いくら不意打ちとはいえ、情けない。
それにしても、この事件は謎が多い。そもそもなぜ、あの男は赤目持ちになったのか?いや、その前になぜ、ゾンビがゾンビを……今回の事件について、ルイスや軍関係者から聞いた話を、私なりにまとめてみた。
まずは、あの3日前の事件のその後だ。
私が気を失い、ルイスが天才的な射撃術を発揮してあの男を倒す。そして建物の外に出て、そこにやってきた陸戦隊と合流する。
彼らは最初、ルイスの言葉に半信半疑だった。だが、あの入り口から潜入し、実際に生き残りのゾンビ達と接触すると、彼らも事態の深刻さを把握した。
そこで中央病院は閉鎖され、そのすぐそばに併設されたテントにて対策会議が開かれる。あの中のゾンビ達を、どうするか?意識を取り戻した私も加わり、意見が交わされる。
が、私は具申する。一度正気を失った魂は、二度と元には戻らない。おそらくは頭部が腐敗するまでの1週間、あのまま奴らは暴れ続けるだけだろう、と。施術師の立場で語った私のこの発言が、決定打となった。
これを受けて軍はその日の夜、この病院内にいるゾンビを一掃することを決定する。
というのもこの時点では、施術師もなしにゾンビが増殖してしまった原因が分からなかった。もしかすると、暴走ゾンビとは伝染するものかもしれない。となれば、この病院の中をこのままにしておくわけにはいかない。外にまで広がる恐れがある。そこでこのゾンビ一掃作戦は、すぐに実行に移される。防護服に身を包んだ陸戦隊が突入し、全部で300体以上のゾンビの制圧に成功する。
その後、病院内のカメラ映像を取得し、この病院の人々がゾンビに変えられていく様子が判明する。
結論から言えば、あれは伝染病のようなものではない。やはりというか、ゾンビ化には「施術」が行われていた。
と言っても、施術を行ったのは、施術師ではない。今回、不死実験の第一号となった、あの商人だ。極めて異常なことだが、ゾンビがゾンビを生み出したと考えるしかない映像が登場する。それを受けて、ルイスも軍司令部も、あの商人のゾンビのことを「ゾンビマスター」と呼称している。
それは、あの事件の起きた日の前日、夜の10時ごろに起きた。
ある防犯カメラに、ゾンビマスターが映る。目の前には看護師が歩いている。その日の昼間までは、ただの陽気な商人だったそのゾンビは、その時点から豹変する。
ゾンビマスターを見た看護師は、その場で倒れる。おそらくあれは、私の意識も奪ったあの赤目の力だろう。そして倒れた看護師の身体に触れるゾンビマスター。そして、その看護師は起き上がり、ゆらゆらと歩き始める。
それはまさに、私とルイスが目撃したあのゾンビの挙動だ。ということはあの看護師はこの時点で、ゾンビに変えられたことになる。
つまりだ、気絶した人物にゾンビマスターが触れただけで、ゾンビに変わってしまう。施術を生業とする私からは、とても信じられない光景だった。
その後、次々と出会う人々を気絶させては、ゾンビに変えていくゾンビマスター。そしてゾンビに変えられた人々は、この病院内にいる入院患者や医師、看護師らにに襲いかかる。彼らは生きた人間を見つけてはその場で首を絞めては殺し、その後ゾンビマスターが巡回して触れて周り、次々にゾンビへと変えていく。私とルイスを呼び出したあの医師も、この時点でゾンビにされてしまった。
こうして一晩のうちに、病院内のすべての人々がゾンビに変わってしまった。
翌朝。病院内でそんな事態が起きているとは知らず、医師や職員らが出勤してくる。彼らが病院内に入ったのは、ルイスと私が病院に入る際に使ったあの出入り口。あそこは、医師や看護師、職員らの通用口だったのだ。
ところが、そんな彼らにもゾンビらは襲いかかる。当然、彼らもすぐにゾンビへと変えられてしまう。気づけばここは、ゾンビの巣窟と化していた。
そして夕方、私とルイスもその病院内に侵入した。そして無数のゾンビに囲まれ、襲われた。
宇宙港中央病院は、この街でも最大の病院施設だ。その中にいた345人もの人々が皆、ゾンビ化した。この異例の事態に、軍司令部は対応を迫られる。
しかし、だ。ここで大きな謎が残る。なぜゾンビが、ゾンビを生み出すことができたのか?
私も長いこと施術師をしているが、そんな話は聞いたことがない。私だけではなく、この星にいる多くの施術師も同様だ。今も昔も、ゾンビというものは施術師だけが生み出せる存在である。
だが、軍司令部は調査に乗り出す。そしてこの星で同様の事例がないか、情報を集め始めた。
そして彼らは、とある事実に突き当たる。
軍司令部が入手したのは、3年ほど前に帝都の郊外で行われた「不死実験」の報告書だった。この時もあの商人と同様に、死んだ人物に施術が施され、彼はゾンビとして生き返る。その後、彼の頭部をホルマリン漬けにして、防腐処理を行った。
この時も、最初の3日は特に問題もなく、順調に過ごす。が、4日目にして、そのゾンビに異変が起こる。
防腐処理を施したゾンビと接した人物が、次々に倒れる。そして倒れた人物が、次々にゾンビに変わっていく。ゾンビに変えられた人々は、周囲の人々を襲い始める。この辺りの話は、今回の件とよく似ている。
ただしその場所は今回の病院とは異なり、密閉空間というわけではなかった。難を逃れた人々が近くの駐屯地に駆け込み、その実験施設の惨状を伝える。すぐに軍隊が出動し、建物ごとゾンビを焼き尽くしてしまった……
その後、この話は報告書としてまとめられたが、なぜかこの話はその後、封印されてしまった。本来ならばこの話は、すぐに医学会にて発表される予定だったが、直後に始まった大戦により、それどころではなくなってしまった。そして今回、同様の実験が再び行われ、あの悲劇が繰り返されてしまった……
謎は依然、残っている。ゾンビがゾンビを生み出す理由、そしてそのゾンビ達が通常のゾンビとは異なり、理性を失うこと、そしてなぜかゾンビ達は団結して、生きた人間の身を襲うということ。だが、ここに一つの教訓だけが残る。
それは、ゾンビを延命しようとすると、なぜかゾンビが暴走し、暴走の連鎖を生み出す、ということだ。
さらなる調査が必要とされるものの、ともかくこれで再発防止は可能ということで、軍の調査委員会は調査を打ち切る。その先のことは全て、医学会に委ねられた。
「にしても、どうして不死実験なんてやろうと思ったんだろうね。」
まるで人ごとのように呟くのは、ルイスだ。
「なんだ、お前も不死の身体が得られるなら得たいと、つい先日も言っていたではないか?」
「ああ、いや、それは……あんな暴走状態になるのなら、不死なんて得たところで意味がないよ。せめて、のんびりした暮らしを楽しめるだけの理性がなきゃ、ね。」
その理性を失ったゾンビ達と戦った張本人だ。心底うんざりしていることだろう。しかし、私もあそこまで暴走するゾンビが生まれ、しかもかつて帝国でも同様のゾンビが生み出されていたという事実があったことなど、知る由もなかった。
「あーあ、やっぱり、人間が不死の身体を得ようなんて、畏れ多いことなんだよ。自身の持つ寿命を全うし、限りある命を楽しむ。それが一番自然で、一番正しい行いなのだろうな。」
何を達観したような口ぶりで話すか、この男は。ついこの間は、死なない身体を得て、そのまま木の根っこのような生活を続けても良いと言っていたばかりではないか。
「でもさ、あの実験が成功したところで、人が何百年もの間生き続けたら、精神的にどうなっちゃうんだろうね?やっぱり耐えられなくなって、いずれは暴走しちゃうんじゃないかなぁ。」
「そうとも限らない。長いこと生きていても、理性を保つことのできる人もいる。」
「……なんだよ。まるでそんな人物がいるかのように言っているけどさ。それは実際に何百年も生きてみないとわからないんじゃないの?」
「何を言うか。実際にいるぞ、そういう人物が。」
「えっ!?なにそれ、ほんと!?」
私のこの発言に、驚くルイス。
「『聖人』と呼ばれる存在だ。施術によりゾンビ化した後に、そのまま何百年も生き続けている人物のことだ。」
「はぁ!?何百年も生きている人なんているの!?」
「そうだ。この世界に、3人だけいると言われている。皆それぞれ、その奇跡の存在ゆえに、敬われている。」
「なにそれ?まさかカチェリーナも、その聖人って人に会ったことがあるの?」
「ああ、一度だけある。帝国の北の方にあるクリュシェカヤ山の教会に、その聖人がいる。」
「えっ!?帝国内にもいるの、その聖人が!?」
そういえばそんな人物の存在を、ルイスに話したことはなかったな。隠していたわけではないが、特に話す必要も感じなかったから話していなかっただけだが。
「いや、だけどさ。その人、本当に何百年も生きてるの?」
「それは会えば分かる。恐ろしく威圧感のあるお方だ。明らかに、我々とは違う存在だと、ルイスでもすぐに理解するであろう。」
「会えば分かるって……それほど特別な雰囲気を持つ人物なのかい?」
「確かにあれは何十年、何百年もの悠久の時を経て生きてきた人物であると、肌で感じられるだろう。とにかく、畏れ多いお方だ。」
私のこの言葉に、ぽかんとして聞き入るルイス。しかし、私の言っていることは事実だ。聖人と呼ばれる存在は確かに存在し、実際に何百年もの間、生きながらえている。
帝国にいるあの聖人は370年もの間、生きていると言われている。というのも、370年前にある施術師が書いた文献に、その人物の話が登場する。なんでも帝国の平和と安穏を祈り、クリュシェカヤ山の中腹にたどり着き、そこで修行の末に不死の身体を手に入れたという。私も正直、半信半疑だったが、その人物に実際に出会い、文献通りの人物だとすぐに理解した。
なればこそ、私は不死の身体など得たいとは思わない。以前ルイスにも言った通り、その身体はまさに木の根っこのようだ。あれを見ればルイスもきっと、同じことを思うだろう。
とはいえ、わざわざ聖人に会いに行く用事などない。あの山は険しく、およそ軽々しく行ける場所ではないからだ。私もまだ大戦直前に一度だけ、他の施術師らとともに巡礼と称して行ったことがあるが、大変な思いであの山の中腹にたどり着いた。もう二度と行きたいとは思わない場所だ。
だが、何気なくルイスに話したこの話はその後、思わぬ方向に向かう。
それは、聖人の話をした3日後のことだ。
「カチェリーナ!」
いつもより早く、ルイスが帰ってきた。珍しいな、まだ日の明るいうちに帰ってくるなんて。などと思っていたら、この男はとんでもないことを口走る。
「カチェリーナ!明日、行くことになったんだよ!」
「なんだ、帰って早々。どこに行くと言うのだ?」
「カチェリーナが教えてくれた、クリュシュカヤ山だよ。」
「は?クリュシェカヤ山?」
突然のことで、私は頭が追いつかない。何を言っているのか、この男は。
「なあ、ルイスよ。あの山は帝国の北にある、草木すらほとんど生えない、本当に何もない場所だぞ?なぜそんな場所に、わざわざ行くと言うのだ?」
「そりゃあ、聖人って人に会うためさ。」
「は?会うって、聖人様にか?」
「いやだって、カチェリーナの話によれば、370年も生きているって人なんでしょう?」
「ああ、そうだが。」
「でさ、その話を軍司令部でしたら、早速、医師会がその人物にぜひ会いたいと言うんだよ。」
「そ、そうなのか……しかしなぜ……」
「そりゃあ不死の身体だからだよ。先日の事件のこともある。ゾンビという存在を調べるには、通常のゾンビだけでなく、その人物のことを調べるのも良いというんだよ。ところが、それに先立ってまず、軍の人間が会いに行ったほうがいいと言うことになってね。つい先日の暴走ゾンビの話もあるし、本当に人が会っても問題ない人物かどうかを、見定めてからにしないと危ないだろうって。」
「あ、いや、そんなことはないぞ。それこそ相手は聖人様だ。370年もの間、人々のことを思いつつ生き長らえておられる、本当にありがたいお方だぞ。これまでもたくさんの巡礼者がそのお方のもとを訪れ、多くの説法を聞いている。無論、赤目で気絶させたり、相手をゾンビに変えたりする力など、あろうはずもない。」
とカチェリーナは言うが、やはり事前に軍人が確認のために会いに行き、その人物を見定めるという方針は変えられないという。
で、その軍人として、ルイスが指名されたと言うのだ。
「……なあ、だがなぜその役に、ルイスが選ばれるのだ?」
「ああ、何でも僕は、あの病院内で異常なゾンビの存在に気づき、対処できたと言う実績を持つから、だってさ。」
「別にお前がゾンビだと見抜いたわけではないではないか。」
「そうだよ。だから、カチェリーナも行くんだよ。」
「は?私も行くのか?」
「そうさ。早速明日、そのクリュシェカヤ山に行って……」
「おい!クリュシェカヤ山がどれほど険しいところか、知っているのか?」
「そうなの?でも、所詮は大気圏内にある山でしょう?」
「聖人のいる教会は、その山の中腹にある。とてもじゃないが、簡単に行ける場所ではないぞ。険しい崖を越えて、さらに細い山道を巡って、ようやくたどり着ける場所だ。そんな場所に、私とルイスだけが行くなどとは……」
「ああ、大丈夫だよ。哨戒機を使うから。」
……ああ、忘れていた。そういえばこやつらは、航空機というものを持っていたんだった。あれを使えば、険しい山の一つや二つ、簡単に飛び越えて行ける。
そして、その翌日。私とルイスは、宇宙港の片隅にある航空機発着場にいた。目の前には、白色の角ばった形の哨戒機と呼ばれる航空機がいる。ハッチが開き、私とルイスはその中に乗り込む。
こんなものが、本当に空を飛ぶのだろうか……いや、それを言ったら、岩の塊のような駆逐艦ですら、こやつらは浮かべてしまう技を持っているんだった。この程度のものを空に浮かすくらい、造作もないだろう。
前には操縦席があり、そこにはパイロットのブルーノ少尉が座る。その後ろの4人がけの座席には、私とルイス、それにどういうわけか主計科のサンドラ准尉がいる。しかしなぜ、サンドラ准尉なのか?
「おい、サンドラ。」
「なあに、カチェリーナちゃん?」
「……これは軍の任務で、聖人に会いに行く。その認識は、間違っておらんな?」
「ええ、そうよ。」
「ではその任務に、なぜお前がいるのだ?」
「そりゃあ、司令部からルイス中尉に同行するよう命じられたからなんだけど……」
「いやいや!どうしてお前が同行することになるのだ!?」
「それは……カチェリーナちゃんとは仲良いし、私コミュ力高めだから、その聖人とも上手く話せるかもしれない。だから、バックアップには最適だろうって、そういう理由で選ばれたんだよ。」
宇宙軍司令部というところは、もう少し客観的な判断の下せる組織だと思っていた。が、サンドラ准尉を見ていると、その考えは否定せざるを得ない。人選が適当過ぎる。何せ相手は、聖人様だぞ。こんな適当なやつを会わせて良いものか?
「では中尉、発進いたします。」
「うん、頼む。」
「6636号艦所属1番機より管制塔、これより、クリュシェカヤ山に向けて発進する。離陸許可を。」
『管制塔より6636号艦1番機へ。離陸許可、了承。高度3000まで上昇し、発進せよ。』
「了解、発進する。」
パイロットのブルーノ少尉が、哨戒機を発進させる。上昇する機体の窓から、外を眺める。
帝都が、眼下に広がっている。この街は白壁と赤レンガの建物が混在しており、空からは赤白のまだらな街並みがうかがえる。そんな街並みが、徐々に小さくなっていく。
高度3000メートルに達すると、この哨戒機はエンジンを目一杯噴かす。あっという間に加速し、帝都を抜けてすぐ隣の第2の都市、バルトグラードの上空に達する。が、それもすぐに通り過ぎてしまう。
街道沿いに飛行する哨戒機。その行手には、クリュシェカヤ山が見える。標高5500メートルほどのこの山の中腹に、目指す教会がある。
ものの20分ほどで、クリュシュカヤ山に到達する。ぐるりと山の中腹付近を回った後に、中腹にある教会の前に着陸する。
教会といっても、そこにあるのは、崩れかけた木の小屋だ。教会と呼ぶには申し訳ないほどの場所。どちらかと言えば、放棄された山小屋と呼ぶのがふさわしい。だが、この中にあの「聖人」はいる。
ルイスは、銃を取り、携帯バリヤと呼ばれる装置を腰に巻きつけている。先日のあの暴走ゾンビ事件の教訓から、こちらの「ゾンビ」にも警戒を怠らない。
「行くぞ。」
ルイスが合図すると、それまで浮かれ調子だったサンドラ准尉も厳しい表情に変わる。私はといえば、祭衣姿で地上に降り立つ。というのも一応、ここは帝国正教の教会ということになっているからだ。
警戒しつつ、山小屋、いや、教会に接近する3人。哨戒機のハッチは開けっ放し、いざという時にはここに逃げ込み、離脱するためだ。そして3人は、教会の前に立つ。
私がここにくるのは、2度目だ。大戦前に訪れた時は、長い長い旅路の果て、険しい山道を抜けてようやくたどり着いた。それがついさっきまで帝都におり、まるでショッピングモールにでもやってきたかのような感覚で今、ここに立っている。
ルイスは意を決して、扉を開く。腰に手を当てたまま、前に進むルイス。小さく、薄暗いこの教会の中に、人の形をした何かが見える。
それはまるで、木を削り出して作った偶像のような姿をしている。どう見ても、生きているとは思えないその人型の何か。だがあれは370年もの間、この地にて生き続けるゾンビ、すなわち、聖人様である。
「……誰かね、わしの眠りを、妨げるやつは……」
生きているとは到底思えないそれは、3人に向かって口を開く。そして、ゆっくりと顔を上げ、こちらを睨む。
そう、これこそが帝国唯一の聖人、スピリドン様と呼ばれるゾンビであった。




