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花咲姫  作者: いちい千冬
余話
54/54

鬼の子供と姫君と

めちゃくちゃお久しぶりですが、書きかけの番外が残っていたので投稿してみました。





「ひい…………っ」



 聞かれることにこそ恐怖したような小さな悲鳴は、真っ青な顔で後ずさった姫のものだったのか。あるいはその場で腰を抜かした侍女のものだったのか。


「どうした?」


 心底不思議そうな顔つきで、少年は首をかしげる。


 子供から大人へと成長するその過渡期にある少年は、ここしばらくでぐんぐん背が伸び、肩幅が増し、顔立ちも甘さより精悍さが際立つようになった。


 しかしきょとんと瞬きした顔はあどけなく、ああこの方はまだ元服を迎えたばかりだったと思い出すにはじゅうぶんだった。


 だが、それだけに彼女たちの恐怖はつのる。


 どこか子供じみたあどけない表情とはあまりに不釣り合いな、彼がまとう鮮やかな赤に。

 同じ色に濡れた、手の内の刀に。


 そして紅の海に沈む―――。


「そ、それは……いったい、…」


 年かさの侍女がなんとか口に乗せた言葉に彼は指さされた足元を見、そして口の端を持ち上げた。


 彼は、笑ったのだ。


「ああ。おれが仕留めた」



 どこか誇らしげに宣言する少年の足元にあるのは、鹿でも猪でもない。




 朱に染まり、物言わぬ男の躯だった。






☆ ☆  ☆





 死体のそば、血だまりの中で笑う少年。


 いったいどこの怪談話だろうか。


 桜がはあ、とため息をつけば、砂原直亮は苦笑する。

 ため息だけで済んだことに内心で安堵しながら。


「あの馬鹿、自分を狙ってきた刺客を仕留めて褒めてもらえると思っていたんですよ。十四歳の自分より年下の、箱入りの姫君に」

 それこそ、狩りで鹿か猪を仕留めたかのように。


 桜が眉をひそめれば、直亮はいや、と続けた。


「青嶺だけじゃない。我々も、いつの間にかそんな風に育ってしまっていたんです」


 元服したてで初陣もまだの子供というのは、いずれ立たなければならない戦場とそこで挙げなければならない武功にあこがれるものだ。


 そして、身近なところに英雄がいた。


 それは宇佐の『鬼』と恐れられた猛将。

 青嶺の祖父・梶山保経(やすつね)である。


 風巻(しまき)へ追いやられる前であった祖父と彼に心酔する家臣たちは、孫と同世代の少年たちに領土を飛躍的に拡大させた自身の活躍譚を語って聞かせた。


 このとき狂ったように戦に明け暮れた彼のせいで財政は破綻しかかっていたのだが、ときに周囲が眉をひそめるほどに大げさかつ華やかに語られるそれは、大人とは形式ばかりの少年たちには何よりも心躍るものだった。


 問題は、それによって国を守ることではなく敵の命を奪い取ることこそが“英雄”なのだと思い込んでしまったことだった。


すでに、洗脳に近い。


 結果として、人を害することに何のためらいも感じなくなっていた。

 いや、他者に自分と同じ命が宿っているという概念すらなかった。


 他者とはその辺の塵芥と同じ。

 命を摘み取ることと、書き損じの料紙を握りつぶすことは同じ。

 自分はそれが許された者なのだと、呼吸をするように当然のこととして身について、いや浸食されてしまっていたのだ。


 将来宇佐を束ねる者が、自分を狙ってきた刺客に怯えているようでは話にならない。

 だからといって嬉々として人を殺めるようでは、人を良く治めることはできない。

 

 この事件に、青嶺の祖父は彼を褒め称え。


 だが青嶺の父は彼の将来に危機感を抱いた。


 梶山保経の身柄が風巻へと強制的に移されたのは、この一件からすぐのことである。


 両親と周囲がそれから最低限の倫理観を叩き込んだおかげで、宇佐の『青鬼』はどうにか人としての体裁を整えることだけはできた。


 ただしその後、戦に出るようになった青嶺は『青鬼』の異名をとるほどの活躍を見せて敵味方から恐れられ。

 相乗効果で面白おかしく盛大に脚色された噂が巷で飛び交うようになり。

 ついでに本人の誠意のない対応が決め手となって、残念ながら縁談がぱったり来なくなってしまったのだった。


「そのときの姫君、というのはつまり」


「はい。最初の婚約者です。奥方様……青嶺のご生母様と縁続きの方で、まあ、あまり血生臭いことには縁のない家柄の姫君でしたね」


 ご生母、ということは武士ではなく貴族の家柄の姫だったのだろう。

 しかし貴族の娘だろうが武士の娘だろうが関係ない。何の前触れもなくそんな悪夢のような光景を見せつけられたら、婚約だって破棄したくなろうというものだ。

 貴族であればなおさら、狩猟で得た獲物の血であっても厳しいだろう。殿上人なら男性であっても失神する。


「ああ、でもちゃんと生きておられますよ」


 何を危ぶんだのか、慌てて直亮が付け足す。


「伝手を頼って都にのぼり、たしか今は宮仕えをしているはずです」


 もちろん婚約はその後すぐに破棄である。

 青嶺を見ては錯乱し泣き出すようになったのだから、しょうがない。


 桜は何度目かわからないため息をついた。

 宮仕えなら、血生臭い事とは無縁でいられるだろう。


「お気の毒、としか言い様がありませんが」


「それは」


「もちろん婚約者であった姫君ですよ」


 青嶺のほうは自業自得だ。

 花咲の姫と呼ばれる娘は、そう言い切った。

 眉をひそめるその表情は、恐怖というよりは呆れ。嫌悪というよりは諦めが強い。

 まあ姫と揶揄されてはいても、庭師であった彼女はそこらの“姫”たちよりよほど心身ともに強くできているのだが。


 桜には、鬼の腹心である砂原直亮がこんな話をしてくる理由がわからない。

 しかも鬼の留守を狙ってである。

 さらに彼は「どう思いますか」と訊ねてくるのだ。


 いつもながらの飄々とした顔つき。

 しかしその裏にほんの少し、緊張感がにじんでいると思うのは気のせいだろうか。


「どう、と言われても……今さらでしょう」


「いまさら」


「お忘れかもしれませんが、わたしは花見の宴の最中に、萌葱の離宮から攫われ肩に担がれてここまで強行軍で連れて来られたんですよ。文字通り問答無用で」


「あ」


 忘れていたらしい。彼もその片棒を担いでいたはずなのに、ひどい話である。


 悪路で馬の背にがくがく揺さぶられて西峰にたどり着いてみれば、「花咲の“力”を試す」とかなんとか言われて病人であるさほと一緒に離れに閉じ込められ、食事が殺人的に不味ければ水がめまでが毒入りときた。


 鬼の手が、血に染まるのもこの目で見た。


 振り返れば、なんだかほんとうにろくな扱いを受けていないと思う。


「あのときは……失礼しました、青嶺が」


 飄々と頭を下げる直亮に、桜は苦笑をこぼす。

 もし桜が世間一般の“姫”のように繊細な心根の持主であれば。こんな風に薬草畑を眺めながら、青鬼第一 の側近と呼ばれる男とのんびりお茶をすすることもなかっただろう。


 最初の、その姫君がいたからこそ、『青鬼』が『殺人鬼』にならずに済んだのならば。


「わたしは、姫君に感謝しなければいけませんね」


 桜は、先ほどの直亮の問いにそう答えた。


 桜が出会ったとき、それでも宇佐の『青鬼』は最初から人であった。

 すくなくとも、桜にはそう思える。

 『花咲』である自分のことを、ただの娘として扱ってくれる。

 自らが血に塗れてでも、他者を助けてくれる。


「わたしがいま“生きて”いられるのは、その方のおかげでしょうから」


 彼女の口元に浮かぶのは、幸せの笑み。







読んで下さった方、ありがとうございました^^

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