悪意の風と銀の谷の護り
それはそろそろ秋も終わる、という季節のことでした。
ミーアが小さな鼻をひくひくと動かして、眉間に皺をぎゅっと寄せます。
「ミーア、どうしたんだい?可愛い顔が台無しだよ」
ミーアをモデルに絵を描いていた絵描きが声をかけます
「・・・悪い風が吹くわ」
しばらく黙っていたミーアは、ぼそりとそう呟くと
モデルをするために上がっていた切り株からひらりと降りました。
「その子とお逃げなさいな」
ぶわっと絵描きの肩で羽根を膨らませる三つ足のカラスに声をかけると、
ミーアは森の中へ急いで駆け込んでいきました
「悪い風って、なんだろう?」
絵描きは、絵の道具を片付けながら三つ足カラスに訪ねました
「悪い風、悪意の風、濁った風、いろいろな言い方をするけれど」
邪魔にならないよう近くの木の枝にとまったカラスが応えました
「大抵は、狂った風の精霊のことをそう呼ぶんだ」
「精霊が、狂う?」
「そう、精霊たちは契約を結ぶことがあるだろう。それで、長い間、自分の望まないことをさせられた精霊は、時々狂う」
ぶるり、と身を震わせながらカラスは語ります
「彼らは、もう分別がない。本当のことも、嘘のことも、話してはいけないことも、みんなが心に隠していて本人すら気付いていないことも、気まぐれに風にのせてしまう」
「それって・・・」
「だから、悪い風が吹く時には、風が入らないようぴったりと戸締まりをした部屋で過ごす」
「・・・」
絵描きは気まずそうな顔をして、カラスをじっと見つめました
精霊を呼び出して契約を結ぶ、そんな大それたことをする者は、大抵人間だったからです
「なにか、方法はないんですか」
「彼らの悲鳴を聞いてはダメだよ」
「でも、ミーアが」
「ミーアはけむり猫だ。けむりで音を緩和するんだと聞いたことがあるよ」
ミーアは悪い風が吹くといつも体をいっぱいまで膨らませて銀の谷を覆ってしまうのです
それでも風の声をすべて遮ることは出来ないのですけれど
「でも、それじゃあミーアはずっと彼らの悲鳴を聞き続けることになりませんか」
「・・・」
しばらく黙っていたカラスが応えます
「ミーアは、それを聞くのは自分には苦にならないからと言っていた」
「そんなわけ・・・」
「そんなわけはないよ。わかってる。でも、僕らではミーアの心を癒すことは出来ないんだ」
二人はそろって今はまだ白い、昼間の月を見つめました。
同じ人物の顔を思い浮かべ、
そうして、でも彼を呼んでも、ミーアは喜ばないだろうと思ってため息をつきます。
「ミーアは、どうしてミーアはそんなことをするんです」
「・・・僕たちを愛しているからだよ」
三つ足カラスの声は、これまで聞いたなかで一番、悲しそうでした。




