閑話・願糸
夜になり、夕食を終えた隊はそれぞれ自由時間に入っていた。
焚き火の周囲では雑談や武器の手入れ、交代での見張りが静かに進んでいる。
女性たちの姿はなく、この時間帯は男たちだけの空間だ。
剣の刃を布で丁寧に拭きながら、一人の男がふと顔を上げて言った。
「なあ……さっき、女どもが恋バナしてんの、たまたま耳に入ってさ」
ざわ、と軽く周囲の空気が動く。皆の手が一瞬止まり、なんとなく耳を傾ける。
「なんかこう……気になる奴とかいるのかって話になってたっぽいんだけど。お前らどうなんだ?特にさ、人気トップのエルフの双子とか、カイとかレイとかよ」
何人かが笑いながら「出たよ」とでも言いたげに顔を見合わせるなか、エルフの双子アルセイルとリュシオンが一瞬だけ目を伏せた。
「……セレナ」
片方が小さく名前を呟き、もう片方も同じように沈んだ表情を見せる。空気がしんとする。
「お、おう、悪かった!思い出させるつもりじゃなくてな!」
と話を振った男が慌てて謝る。
空気を変えようと、今度はカイとレイに話を振り直した。
「じゃ、じゃあさ!カイ、レイ!お前らはどうなんだよ?好きなやつ、いるのか?」
「いない」
「今はそういうの、考えてない」
二人はほぼ同時に、あっさりと言った。
すると、別の男がわざとらしくため息をつきながら言った。
「はぁ~?さっさと彼女でも作ってくれよ!お前らが独り身だから、俺たちのモテ度がいつまでたっても上がらねぇんだよ!」
「そうだそうだ!お前らのせいで相対評価下がりっぱなしだぞ!」
「ていうか……もしかして、そっち同士でできてるとか……?」
ニヤニヤしながら誰かが冷やかすように言った瞬間、周囲から「おいおい!」と笑いが漏れる。だが、カイは真顔で頷きながら乗ってきた。
「実は……そうなんだ。な、レイ?」
唐突な振りに、レイがわずかに目を見開いてから、すぐに察して苦笑を浮かべる。
「そういうことにしておくか」
「マジかよ!?……いや、でも、俺、カイになら抱かれてもいいかも」
「バーカ」
そう言って、カイはその男の肩を軽く叩く。
笑いが弾け、戯れるように肩を組んだり小突き合ったりする男たち。
「へぇ~、カイとレイって、そういう関係だったんだ」
不意に背後から女の声がした。
その場の全員がビクッと肩を跳ねさせて振り返る。そこには、ミナとティアが焚き火の明かりに照らされて立っていた。
「お、お前ら!何しに来たんだよ!」
「今は男子トーク中!女人禁制だ、女人禁制!」
「立ち入り禁止って札立てとくべきだったな!」
男たちは一斉に照れ隠しのように口々に騒ぎ立てるが、ミナは涼しい顔で言い放った。
「……アホらし。あんたらのアホ面見に来たんじゃないわよ」
そしてティアはと言えば、完全に挙動不審だった。
「えっ、えっと……その……聞いちゃ、いけなかった……?」
何やら焦ったように視線を泳がせ、顔がどんどん赤くなる。妙に空気を読みすぎる彼女は、どうやら一番深刻に誤解してしまったようだった。
ミナはため息交じりに、小さな包みを差し出す。
「あたしたちは、これ渡しに来ただけだから」
一歩進み出たミナは、普段の勝ち気な態度とは打って変わった柔らかな笑みを浮かべ、恋人であるユウリの手に願糸のお守りをそっと握らせた。
「ちゃんと、無事でいなさいよ。あんたが怪我したら……私、泣くから」
その一言に、ユウリは「お、おぅ……」とどぎまぎしながらも、頬を緩めてそれを受け取る。
「見せつけてくれるねぇ」
と、冷やかしの声が飛び、誰かが指笛を鳴らす。
ティアはというと、両手で願糸のお守りを大事そうに抱え、焚き火の輪を見渡した。
「……みんなに、これ。願糸で作ったお守り。狩りとかで、怪我しないようにって……」
その慎ましやかな声に、先ほどまでふざけていた男たちも思わず静かになる。
笑いの名残を消すように、焚き火の火が、ぱち、と音を立てた。
ティアは一人ひとりに手渡していき、カイの前まで来たところで手を止めた。
カイはティアの手元を見下ろし、少し迷うような顔をした後、ぼそっと言った。
「……ティア。俺の槍に、つけてくれないか?」
ティアは一瞬、驚いたように瞬きをして、すぐに目を逸らしながら小さく頷いた。
「……わかった」
ティアがカイの槍に近づくと、それを囲むように男たちの視線が集まった。
「おいおいおいおい!」
「なんだその距離感!」
「カイ、今の流れ、完全に狙ってただろ!?」
「ずりぃぞ、カイ!ああー、俺たちのティアちゃんがー!」
「カイ、やるなぁ!」
からかいの声に、焚き火の輪がどっと沸いた。
男たちは肘でつつき合い、ニヤついた顔でカイを見つめる。
「ち、ちげぇって!頼んだだけだ!」
「そうですよっ、そういうんじゃないです!」
二人は慌てて否定するが、ティアの顔はますます赤くなる。
そして、結び終えたティアがぽつりと口にした。
「でも……レイとは、そういう関係なんでしょ?」
カイの顔が固まる。
「は?」
「大丈夫。他の人には、言わないから」
恥ずかしそうに、でも何かを気遣うようにそう言って、ティアはすぐに身を翻す。
「それじゃ、またねっ!」
言い逃げるように足早にその場を去っていった。
沈黙。
そして次の瞬間、焚き火の輪は爆笑の渦に包まれた。
「な、なに今の!ティア、完全に勘違いしてんぞ!」
「ティアの勘違いすげぇ!」
「レイとカイ!?マジで!?いやいやいやいや!」
「ティア、真面目な顔で“言わないから”って……!」
「あいつ、フォローのつもりが一番ぶちかましてんじゃねぇか!」
男たちは腹を抱えて笑い、カイは額に手を当ててうなだれた。
「……誤解したまま行きやがった……」
カイが頭を抱えると、ミナが苦笑してその肩をぽんと叩く。
「ドンマイ。あんた、ほんと不憫ね」
その瞬間、猫のような笑い声が夜の静けさを破った。
「ふふ……なにがそんなに面白いの?」
甘くとろけるような声が焚き火の輪に滑り込む。誰かが振り向き、「うわ」と素で声を漏らした。
そこには、金の髪を揺らしてゆったりと歩いてくるフィロメナの姿があった。焚き火の光を浴びて、その髪はほのかに赤みを帯び、胸元まで緩やかに開いた黒のワンピースが、夜風にそよいでいた。動くたびに肌がちらりと覗き、無自覚な色気が漂う。
「なんだか楽しそうな笑い声が聞こえてきたから、来てみたの」
その視線は、すでにカイとレイ、そして近くにいた双子のエルフに注がれている。
「なにしてるんですかぁ?男子だけで、内緒話かしら?」
とろけるような笑顔でそう言うと、フィロメナはひときわ柔らかい仕草でカイの方へと歩み寄った。周囲の男たちは静かにざわつき、喉を鳴らす者もいる。
「楽しそうだから、混ざりたくなっちゃった。ねぇ、いいでしょ?」
彼女はゆるりとカイのほうへ近づくと、視線を槍へ向け、すっと手を伸ばす。
「この装飾、可愛い~。女の子の手作りかしら?」
「……触るな」
カイの声は低く、いつになく冷ややかだった。彼は無造作に彼女の手首を掴み、動きを止めた。
「武器は、男の魂だ。勝手に触るな」
一瞬、空気が張りつめた。
「えー、ちょっと触るくらい、いいじゃない。ケチぃ」
むぅっとフィロメナは子どものように頬を膨らませる。だがその瞳の奥には、わずかに揺れる観察者の光があった。
周囲の男たちは固唾を呑んだり、あるいは面白がって囁き合った。
「……まーた始まったな」
「さっきのティアちゃんとは真逆だな、こりゃ」
焚き火の炎が、冗談と興味と、ちょっとした混乱を含んで、静かに揺れていた。




