第28話 最強の神官はありえない悟りを開いた 1
第三階層の小さな補給所へ、ワラレアがぐったりとした足どりで入ってくる。
「あと少しに思えたのだが……」
「根本的な解決には遠そうじゃったが、あの場はあと一歩でごまかせそうじゃったのう?」
リルベルも残念そうに杖でポクポクと自分の頭をたたく。
「根本と言えば、せめて恵太だけでも正気がもどれば、道流をうまくだましこんでくれそうなのだが……」
そのギブファットは補給所の広場で勇士たちに囲まれてはしゃいでいた。
ワラレアが近づくと、奇妙な軍服姿を見せる。
「やっぱだめだこれ! 鎧を着られなくなるから……あ、わりい水希。俺が平助の相手をするとややこしくなりそうだから、任せきりになっちゃって……」
「それはかまわんが、それなら設営の手伝いでもしてくれ。遊んでいる場合などでは……それは『学ラン』という異世界の衣装か?」
「水希のぶんもあるんだぜ、ほら!」
突き出された衣服は『幻想奇書』の挿絵でも見かけた女子用制服で、一見して肩かけに見えたものは丈の短すぎるスカートだった。
「ば、ばかもの! 誰がこんなもの……!?」
「いい脚してるから似合うって! 新しい部室へ置いておくから……」
「待て。その衣服はどこから持ってきた?」
「熊吉が注文していた品を持ってきたんだよ」
ヒゲモジャ巨体の中年男が、衣服などの入ったカゴを持って立っていた。
いくらかやつれていたが、上級勇士を引退して間もない運転士ベアラックである。
「貴様、こんなところでなにを……どうやって入れたのだ?」
「いえ、自分は騒ぎが起きる前に、道流さんのお迎えに王城の前まで来たら、なじみの衛兵が中まで入れてくれたんで、補給所で待っていたら、こんなことに……」
「なぜ貴様はそこまで間が悪いのだ……もしもの場合に妻子へ伝えたいことがあるなら、聞いておいてやる」
ワラレアなりに同情したつもりだったが、ベアラックは生き埋めにされたような表情を見せた。
「そりゃ命は惜しいですが、専属運転士の自分が道流さんを置いて逃げたら、クビは確実でしょうし、再就職も絶望的に……」
ワラレアはデューリーフを呼びつけてベアラックのめんどうそうな泣き言を聞かせ、自分はほかの勇士たちの報告を集めに離れる。
「ん? 道流はどこへ行った? なぜ代表者どもは、ああも勝手にふらふらと……」
迷宮方向の鉄扉からは『砂塵勇士隊』が帰還してくる。
「もうしわけありません副部長。我々の巡回作業で、道流さんにあれこれ助けていただいてしまい……」
あとからウェイストリームも泥だらけで入ってくる。
「入り口付近の防柵を確認して、簡単な修繕をした程度だ。しかしやはり、あちこち設備が傷んできていたな?」
「この状況で体力の無駄づかいなど、貴様はろくに頭も使えないのか? いや、ほとんど使えないのはまちがいないが、限度くらいあるだろう?」
ワラレアは呆れて愚痴をこぼすが、ウェイストリームは爽やかな笑顔を返す。
「ははっ、水希さんは厳しいなあ! でもそんな風にしっかり者の委員長がいるのだから、ここはだいじょうぶだと思って!」
一斉にうなずく残党勇士たちの笑顔がワラレアには重苦しい。
「その私は、今さっき平助に殺されかけたのだ! もうどうしようもなく、溝を深めてしまった……何度も言うが、やつらのねらいは我々『狂風』だ! 貴様らは巻きこまれる前に、さっさと投降しろ!」
しかし残党勇士たちはかえって明るさを増す。
「こっちだって何度も言いますが、ここに残っている連中はみんな、どこまでも水希さんについていきますよ!」
「ここまで委員長に守られっぱなしの命です! もう委員長のために使い切って惜しくありません!」
言い切った『砂塵』隊長の笑顔に、ワラレアは思わず拳骨をめりこませる。
「貴様らの命など知ったことか! もう人質の役にも立たんから失せろと言っている!」
ワラレアを囲む者たちから、ようやく笑顔が消える。
そして起き上がった『砂塵』隊長と同じように、一歩もさがらずに見つめ続けた。
「人質にもなれないなら、捨て駒にしてほしいと言っているのです。委員長の指示がなくたって、自分たちでつっこみますけど。水希さんは、そんな指示を出せない人でしょうから……そんな人なら、俺を殴ってそこまで苦しそうな顔はしませんよ」
帝都一の『冷酷残忍』が怯えを隠しきれなくなる寸前、リルベルが割って入る。
「いやいや、捨て駒にしてよいなら、ちゃんと指示どおりにつっこんでくれんと困る。そしてそういった指図はわしの担当じゃ。一番むごたらしい打席の希望者は?」
茶化してなごませながら、ワラレアの背を押して遠ざける。
ワラレアは押された方向の、小さな食堂へ逃げこんだ。
給仕にきたデューリーフにも水だけ置かせて遠ざけ、隅の薄暗い席で、口もつけずにコップを見つめ続ける。
店の出入り口からは広場の笑い声が聞こえ、その中心となっている爽やかな激励がとりわけ耳ざわりだった。
ウェイストリームの無駄に前向きな精神を呪い、誰にも聞こえないようにつぶやく。
「そこまでおめでたいなら、ギブファットが正気の内に和解してくれたらよかったものを……」
しかしかつてのギブファットも極めて余計に後ろ向きな精神を持っていたため、ようやくこぎつけた和解のための屋台会合まで、闇討ちに変更されてしまった。
孤児院時代から行きつけにしていた気に入りの店で、当初は庶民の味による接待も、意外に順調だった。
しかし『蒼天』は無茶な注文を詰めこむように食べ、フラットエイドは味にまで文句をつけはじめ、ひがみやすいギブファットは身分の違いで見下されたものと思ってふてくされ、闇討ちの合図を出す。
「やつも貴族になりたいなら、少しは薄汚れた媚びへつらいを努力すべきだろうに……卑怯きわまりないくせに、変なところで意地が残っている男だったな」
ぼやいていたつもりが、かつてのギブファットの回想で顔がほころびかけ、頭をふって舌打ちする。
減っていないコップの水面をにらんだ。
「ろくに食べていないせいで、頭がにぶっているか? 無理矢理でもなにか入れておかねば……露葉、すまないがやはり、なにか簡単なものを頼む」
厨房の近くに座っていた赤毛のやせた子供はぴょんと立って、奥でガチャガチャとはじめる。
「姉御は甘いのだいじょうぶか? ……じゃあ、とっておきの桃缶だ。焼いたパンに木苺ジャムといっしょにはさむから……」
ほかに鳥の燻製と浅漬け野菜の皿も次々とならび、ワラレアは意識して消化吸収に集中する。
食堂の出入り口から、ギブファットの演説が聞こえていた。
「みんな先生の言いなりなんておかしいだろ!? えこひいきされる方法ばかり教えやがって! 学校は誰のためにあるんだよ!? 先生なら生徒みんなを大事にしろよ!」
ワラレアは手と口こそ止めないが、耳に届く熱弁と拍手で、みるみる眉をしかめる。
デューリーフは追加にゆで豆の鉢を置いてから広場をのぞき、首をひねった。
「やっぱ、よくわかんねえなあ? なんで兄貴は学校……というか国の連中を実の親みたいに頼ろうとするんだ? オレら下級勇士が見習い連中からカツアゲするみたいに、貴族は税金をカツアゲするために縄張り仕切ってるだけだろ?」
ワラレアは思わずデューリーフの手をにぎり、安堵の笑顔を見せる。
「そうだ。それこそが人の道。正しい国のありかただよな?」
「いや、そこまではわからねえけど」
「役人や神官であれば腐敗と自堕落にいそしむのが健全な本分だろうに、やつらはいったい、なにをとち狂っているのだ!?」
「姉御も少し休んだほうがよさそうな顔してるぜ?」




