第22話 最強の賢者は真実を曲げつくした 1
生物の中には、魔力を暴走させても強くならない、場合によっては弱くなる例外がある。
虫は外骨格の強度限界が低く、犬猫の大きさに近づけば重く鈍くなりすぎ、身動きをとれなくなる。
もうひとつはコウモリや鳥など、空を飛ぶ生物だった。
いびつな成長は飛行に適した肉体バランスを崩しやすく、飛べたとしても性能は大幅に落ちる。
特にハトは食肉に適しながら、魔物化してもキジやニワトリより危険性が低いため『平和の象徴』とも呼ばれ、大規模に養殖されていた。
ともあれ城壁内の市街でも虫、トカゲ、ネズミ、ハトなどが変異した魔物はしばしば発生するため、武器は家屋ごとに備わっている。
貧しい子供でも護身用の棍棒と投げやすい石くらいは身につけ、投石紐を使える者も多い。
特に帝都の王立孤児院は常駐する大人の職員が少ないため、子供でも扱える小型の弩弓や仕掛け罠が多く用意されていた。
上級神官クリアレイクは呆然とした顔で、それらの武器を礼拝堂の祭壇へ集めつつ、王城から釈放された『燎原勇士隊』の報告にうなずく。
勇士団の地下たてこもり発生からすでに半日が経ち、夕暮れも近い。
「恵太くんが、そんな大変なことに……私から教団役員のかたがたへ、はたらきかけてみましょう……恵太くんが……」
「いちおう、露葉の親分も残ってるからね?」
孤児院の子供たちはクリアレイクの意図がよくわからないまま、武器の点検と手入れを手伝う。
「若手神官のきなくさいあたりも背中を押して……こまめに寄付をくださるけど私の胸ばかり見ている貴族のかたたちにもお願いを……それでも、ただ呼びかけるだけでは間に合わないかもしれませんから……」
つぶやくクリアレイクは市街地図まで持ち出し、いくつかの地点へ目印の釘を置くと、どろりと暗くほほえむ。
「みんなも工作の時間は好きですよね?」
「うわ。院長先生が自分へ正直に生きはじめた……その目印のやつらをばれないように脅せばいい感じ?」
そのころ王城の一室では、騎士団長ウェイブライトが目を覚ましていた。
ベッドに拘束され、十数人の監視がついている。
「ここは……?」
音を聞かれにくい、高い独立塔の客室だった。
城内は粒燃料のランプがこまめに灯っているが、それでも薄暗く、刺繍されたカーテンの色彩も落ちて見える。
長身の若い男女が見下ろしていた。
「叔父上、報告は聞いております。騎士団長を襲撃した者へ、なぜ騎馬を用いなかったのです?」
男のほうは眉やくちびるの薄い色白顔で、淡いベージュの髪はゆるく波うつ。
騎士団の弓兵隊を率いる第一王子フェアパインである。
「元よりこちらは無茶を頼む立場だ。それなりの悪役は覚悟していたが、思った以上の豪胆に面食らい……予想外の古傷までえぐられてしまってな」
金毛のヒゲ中年は自嘲して頭をかき、腕につながった重い鎖がゴツゴツと鳴る。
フェアパイン王子は眉をひそめるが、女のほうは冷ややかにすましていた。
「常識はずれの『狂風勇士隊』はともかく、ほかの上級勇士やウェイストリーム様まで同調した結果を考えれば、全面衝突は避け、頭を冷やす時間を与えた判断は賢明かもしれませんね」
フェアパインと似た色白顔で、きっちりまとめた長い髪は薄いオレンジ。
まぶたやくちびるはひきしめるように鋭く塗り、大きな瞳とあいまって気の強そうな印象を与える。
名目上は勇士団の団長を務める第一王女カメリアである。
「さて、それはどうだろう? 私には『狂風』のほうがバカ息子に巻きこまれているようにも見えたが。水希どのと小鈴どのは堅実に分をわきまえ、勝海どのにしても……」
王族同士の会話へ、騎士団軍服の少年が不意に割りこんでくる。
「そのように不真面目な呼びかたはおやめください! 今や騎士団の者までケイタだのミチルだの……誰がヘイスケだ!?」
元『蒼天勇士隊』の平助ことフラットエイドである。
謎の気迫に圧され、あえて無礼をとがめる者もなく、ただ上司のフェアパイン王子だけがそっと手でなだめ、ウェイブライト将軍もうなずく。
「う、うむ。ともかく噂よりは思慮深く、機転もきくように見えた」
「内通した『流星勇士隊』や職員たちを無事に返す指示も彼ら『狂風』が出したようですが、なんらかの印象操作では?」
カメリア王女は建国祝賀祭でギブファットに恥をかかされたことを忘れていなかった。
「しかし狡知に長けた者たちにしては、計画性が乏しい。彼らのほうが暴走に引きずられているとすれば、むしろ勇士団全体に潜んでいた不満の根深さが……」
ウェイブライト将軍はカメリア王女に鋭い視線を向けられ、両手を上げて苦笑する。
「……いや、ここ三年やそこらの話ではなく」
「同じことです。騒動の理由がなんであれ、勇士団の今の責任者はこの私……せめて、病床の父上には解決してから報告したい不手際です」
フェアパイン王子も眉をひそめてうなずく。
「それまでは協力に専念しよう。このような状況で継承にからんだ足の引っぱり合いなど、みすみす神官長を喜ばせるだけだ。主導はカメリアへ任せようと思うが、異存はないな?」
ふりかえった背後には、でこぼこな男女がいた。
「私はそれよりも、ウェイストリーム様の立候補を危ぶみますが。事実であれば、叔父上の敗北さえも支持を集めるための『演出』と思われかねません」
背の低い少年は子供に近い年で、イエローアッシュの巻き毛。
第二王子バンブートゥは肩書きこそ衛兵部隊の一隊長に過ぎないが、口調には嫌味がこめられていた。
「リルプラム様は投降勧告の書状を用意しております」
その隣に立つ軍服姿の女性は、フェアパイン王子とさほど変わらない長身でぴしりとひきしまり、短い黒髪をオールバックでかっちりまとめている。
第二王女リルプラムに仕える護衛隊長トゥルクレインである。
「リルプラムはあいかわらず気長だな? これほどの緊急事態に名代をよこすとは……そこまで体調が悪いのか?」
フェアパイン王子は遠まわしに妹の仮病を疑いつつも、決定的な非難は避ける。
リルプラム王女は継承権第三位でありながら立候補の意志を示さず、その優れた研究実績から潜在的な人気も高いため、強力な推薦者になる可能性もあった。
「近ごろは顔すらほとんど見ておりませんね?」
カメリア王女も同席者の表情を見比べる。
姉として妹を心配する顔ではなく、誰かと手を組んでいる可能性を探っていた。
「リルプラムどのは継承に関して、私以上に距離をとり続けておる。この事態ではそれこそ、継承指名どころではないと心を痛めておるのでは?」
ウェイブライト将軍の苦笑でフェアパイン王子とバンブートゥ王子は気まずそうにうなずくが、カメリア王女は不満そうに妹の名代を盗み見る。
護衛隊長トゥルクレインは顔までかっちりと整い、事務的な無表情に変化はない。
ただ礼と同意を兼ね、ウェイブライト将軍へ静かに身をかがめるだけだった。
なお『狂風勇士隊』の杖術使いリルベルは隊長ギブファットの異変から連日の地下探索に引っぱり出されており、現在は地下迷宮に閉じ込められている。
「ウェイストリーム様の救出には失敗しましたが、次の手は打ってあります。毒には毒をもって。地上に残っている勇士団へ動員をかけ……」
カメリア王女の言葉の途中で、ばたばたとふたりの少女が駆け入ってくる。
「失礼っ、報告を……地上の勇士団へ、地下の噂が広がっております!」
そう伝えた褐色肌の銀髪少女は、ウェイストリームの誘拐に失敗したばかりの杖術使いローシーである。
「しかも占拠している建物などからすると、一部の貴族や神官まで協力している様子で、まだ直接の衝突は起きていませんが、このままでは……」
カメリア王女は切れ長の眉をきつくしかめていた。
「くっ、地上市街は……バンブートゥの衛兵隊に任せます。地下の首謀者を捕らえることが最優先です。私は引き続き迷宮内部の者と連携を図りますので、兄上は包囲網の指揮を……」
配置の調整を終えた王子たちがウェイブライト将軍の部屋を出ると、第二王女の護衛隊長トゥルクレインが最初に分かれて立ち去る。
カメリア王女はその背をにらみ続け、フェアパイン王子が呆れていた。
「なにをそんなに疑っている?」
「なぜウェイストリーム様の主張は、リルプラムの論説に近いのです?」
「どんな理由であれ、支持を広げられる内容ではあるまい? 人気はあくまで、リルプラムの人柄へ寄せられたものだ」
「それでも騒ぎが長引いてしまえば、ここにいる全員が王位の適性を疑われ、八方美人に努めた仲介役が注目されます。それに真鶴……いえトゥルクレインだって、昔はあんな風では……」
ローシーはおろおろとしながらも、さしでがましい発言は飲みこむ。
首をかしげているダブデミの口から余計な言葉が出そうなら、そっと杖をさしこむ準備だけしていた。
「彼女も職務の重さを感じているのだろう。繊細なリルプラムには胆力のある補佐が必要だ」
「繊細? 私にはあの子がいったい、なにを考えているのか……」
カメリア王女はそこで言葉をきり、リルプラム王女の学友でもあるローシーへ視線を向ける。
「同じ部隊だったフラットエイドさんとなら、連携もとりやすそうですね? ローシーさんと鳩亜さん……いえダブデミさんも、兄上の指揮下へ入ってください」
「そこは言い直さなくても……」
ダブデミは気まずい注目を察して口をつぐむ。
特にフラットエイドは頬がこけて目のくまも濃い顔を不穏にひきつらせていた。
つい『以前のギブファットみたいな迫力だね!』とも言いたくなったが、さすがに身の危険を感じる。
カメリア王女も去ると、フェアパイン王子は顔をゆるめて苦笑する。
「カメリアだって変わってしまっただろうに」
バンブートゥ王子は答えないが、暗くうつむいていた。
「そうですねー。以前はあれほど男性にガツガツした感じではなくて……」
ローシーはダブデミの口ではなく、後頭部から杖を刺しこみそうになって思いとどまる。皮一枚でぎりぎり。
「私にはカメリアこそ不自然に王位継承へこだわっているように見える。だからウェイストリームくんを巻きこむまいと、立候補を決めたのだよ」
その場にいた全員が驚き、フェアパイン王子の苦笑を確認した。
「以前は叔父上こそ継承にふさわしいと思っていたし、まともな政策方針であったなら、ウェイストリームくんの立候補も支えてやりたかった。だが……バンブートゥも大きくなり、もうすぐ経験も名声も十分になる」
フェアパイン王子はまだ自分の胸ほどしか背のない弟の巻き毛をくしゃくしゃとなでる。
「もちろん、年の若さであなどられるほど不甲斐ないようであれば、安易に支持へまわるわけにもいかない。だから信用しなくてもかまわないが……私も自分の器量くらいは、心得ているつもりだ」
バンブートゥ王子は困ったように顔をしかめて黙ったまま、かすかにうなずいて立ち去る。
ローシーとフラットエイドは、国政の重大事を聞かせたフェアパイン王子の意図が不可解だった。
ダブデミは手元の紙束へ『正松×竹行』という謎の暗号文を書きつけて口元をゆるめていた。
フェアパイン王子はひとりごとのようにつぶやく。
「ふん。まだ子供だが、成長できる器と信じたいものだ。私はウェイストリームくんを救い出すために、失脚も覚悟せねばならないのでね。カメリアも不始末の巻きぞえにできるならば一石二鳥……おっと、ローシーくんとダブデミくんはカメリアの手の者という噂も聞くが、少なくともウェイストリームくんの奪還までは協力してくれたまえよ? 私にとってもそれは最優先なのでね」
ローシーとフラットエイドは困惑を深めるが、フェアパイン王子は語りに熱中しはじめる。
「ウェイストリームくんは年下の従兄弟とはいえ、私はずっと尊敬していたのだ。もはや友人でいることすら心苦しいほどに、あの正義感を、誠実さを、純粋さを、笑顔を、艶やかな黄金の髪を……フラットエイドくん! 前線の指揮はウェイストリームくんを最もよく知り、誰よりも親しかった君に譲るしかあるまい。どうか私の……いや、我々のウェイストリームくんを奪還してくれ!」
フラットエイドは力強く両肩を握られ、赤面しながら何度もうなずく。
ダブデミは紙束へこそこそと記入を続けていたが、気がついたローシーに「なぜ『幻想奇書』の読者アンケートはがきなどを束で持ち歩いているのですか!?」と押し殺した声で罵倒されて「鎧の補強にちょうどいい材質だっただけで、リクエスト欄へ正松様と道流の名前をセットで記入しているのはあくまで任務遂行の願かけというか……」などと必死に小声で弁明する。
 




