翼とマラドンナ
そのとき、不意に翼の記憶からマラドンナのことが思い浮かんだ。
数か月前、翼はマラドンナと戦ったことがある。
何かが原因で翼はこの闘技場で戦うことになり、そして、勝ち続けた。
そこでマラドンナに目をつけられてしまった。
「あんたが巷で噂の女子ね。随分と勝ち続けてるらしいじゃない」
「あぁ? なんだよ」
「あまり怖い顔しないの。私はマラドンナ。ここの常連よ」
「マラドンナ? ……いや、あんたの顔、どこかで見たことが……あんた、ライト級八位の本井選手じゃねぇか!?」
「あら、私のこと知ってるのね。うれしいわぁ。とりあえずサインでも書いておく?」
「いや、いい」
「遠慮しないの。でも、服に書くのは悪いわね。ほっぺに書いてあげる。えっと、『私の名前はマラドンナ』……と」
止める間もなく油性ペンで書かれてしまった。
「いや、オレがマラドンナみたいになってるから! せめて本名で書いてくれ!」
「えー、マラドンナに比べたら本井なんて華がないでしょ」
「……デビュー以来、無傷で勝利してた本井選手に華がないって?」
その言葉にマラドンナの表情が苦しそうに歪んだ。
「……今の私はマラドンナよ」
「なんで引退したんだ?」
「乙女の秘密……と言いたいところだけど、私のこと知ってたからサービスで教えちゃう」
マラドンナが耳に顔を近づけてきた。
「ちょっと怪我でね」
そのあと、翼とマラドンナは戦って――。
翼が勝った。
ただなぜか記憶が曖昧だ。
勝ったという記憶しかない。
おそらく大した記憶ではないのだろう。
「シューズまでこだわるなんてかなり自信ありそうね」
「お姉さま。それではますますあの男には到底勝ち目がないように思えますが」
「そうね。実力差は歴然。でも、それが勝機でもあるわ」
「どういうことでしょうか?」
「見てればわかるわ」
先に動いたのはマラドンナのほうだ。
目線の高さまで拳を構える。
そこから最短の距離で左のジャブを放つ。
「いでぇ!」
義則はなすすべもなく打撃を食らう。
始まりの合図も何もない。
それがストリートファイトだ。
「良子ちゃんの尻揉んだときの本気ビンタくらい痛い!」
たとえがいまいちわからない。
「まだまだいくわよ」
ジャブの連打。
さながら速射砲だ。
初心者ではどうしようもないだろう。
「ほげげげげ!」
見事に全弾食らってる。
ほんの数十秒でぼろ雑巾の完成だ。
重傷者のほうがまだ元気に見える。
「……もうわかったでしょ。あなたと私では差がある」
義則は首を振る。
「もう勝負はつきました。これ以上は――」
「いいえ、これからよ」
「ですが」
「もしも、本気で義則を倒そうとするなら数十秒もかからない」
つまり、マラドンナは手加減してる。
だからといって勝ち目は――。
「さぁ、楽しみましょう」
お姉さまのほうを見ると、いつのまにかヘッドセットを装着していた。
い、いつの間に。




