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海底編◇第十三話

 男が再び沙弓の元を訪れたのは、翌朝目覚めて程なくであった。

「その後、体調はどうか」

 今日は遠出の予定はないらしい。それがすぐにわかるのは、男が身に付けている着物が館内に留まるときの仕様になっているためだ。数日をこの館で過ごすうちに、少しずつ作法やしきたりについて理解してきていた。

「ええ、お陰様で」

 ついついよそよそしい態度を取ってしまう。意識しては駄目だと思うのだが、どうしても上手くいかない。なにしろ、相手は婚約者のいる身の上なのだ。それをはっきりわきまえて、付き合って行かなくてはならない。

 互いの立場を知らないままでいた頃は何気なくできたことが、余計な情報を耳に入れてしまったために難しくなっていた。自分の感情を上手にコントロールできないことに、焦りを感じてしまう。

「……その」

「何だ?」

「いえ、……なんでもないの」

 昨夜渡した文をどうしたのか、それを訊ねてみたくなった。だが、相手があえて口にしないことをこちらから問いただすのもどうかと思う。沙弓はのどまで出かかったその言葉を再び飲み込んだ。

「顔色は良くなったようだな」

「そうね。だからもう、ご心配には及ばないわ。もうしばらくしたら、また書庫へ行ってみようと思うの」

 無意識なのか男が差し出してくる腕を、きっぱりとした言葉で振り払った。

「ならば私も本日は竜王様の元へ上がっている。書庫とは目と鼻の先であるから、もしもなにかあればすぐに使いをよこすがいい」

「……わかったわ」

 そのようなことが起こるはずもない、と沙弓は自分自身に強く言い聞かせていた。

 この場所で過ごすにはいくつかの配慮が必要である。少なくとも目の前の男には余計な気遣いをさせたくない。そのためには、自分は今よりももっと思慮深くならなければ駄目だ。

 今日は朝からとても穏やかな日和である。表の庭にも早朝よりたっぷりと日差しが注ぎ込んでいた。朱色の牡丹に似た花が、重い花弁をものともせず自身の茎でしっかりと支えて空に向かって伸びている様は、なにごとにもなびかない潔さがある。その姿を独り占めして眺めることができるのは嬉しかった。

 ――本当に……いつまでこんな場所に留まっていなくてはならないのだろう。

 一度そんな想いが湧いてくると、不安で胸が埋め尽くされそうになる。沙弓は大きく頭を振ると、勢いよく椅子から立ち上がった。

 鈴が書庫まで送ってくれるというのを断って、ひとりで通路に出る。昨日まではぶしつけな眼差しを向けられることに多少の抵抗もあった。だが、その理由がはっきりわかった今はもう平気だ。自分はもともとこの場所にいてはならない人間、誰もがそう思っている。

 だから、一刻も早く見つけなければならないのだ。あの男の能力とやらを開花させるための「方法」はきっとどこかにある。皆が言うとおり、自分が「呼ばれた」のだとしたら、その手だてを知ることが必ずできるはずだ。たとえそれが千に一つの確率であるとしても、他の者たちよりは近い場所にいるはず。

 そんな決意を胸に半日書庫に詰めたが、やはり芳しい成果は上がらなかった。

 この土地の歴史を紐解こうにも、そのための資料は数えきれぬほどあり、しかもどれもが少しずつ違っている。様々な立場から綴られているのだからそれも当然のことだが、いったいどれを信じたらいいものか見当も付かない。まあ史実などというものは、いつの時代もそんなものだろう。沙弓の暮らしていた世界でも不都合な部分は伏せられたりねじ曲げられたりした歴史が、そこここに存在していた。

 なにより重要なことは、自分が「天からの使者」と呼ばれる理由。そこに一番の鍵があると考えられる。そして、この場所を司る「竜王」の一族の歴史にも深く関わっているはずだ。

 だが、歴代の「竜王」と呼ばれる者や彼にかかわる一族についての文書はあまりに少なく、そのどれもが表面的な記述に留まっている。時系列に沿って整然と並んだ年表や系図だけでは、真実は見えてこない。

 毎回探し物を頼んでしまう文官に訊ねても、芳しい答えは戻ってこなかった。どうも竜王家の情報の詳細は公にはされていないらしい。「竜王」は神にも近い神聖な存在として崇め奉られ、庶民に至ってはその名を口にすることすら禁じられてるようだ。

 二十一世紀の現代を生きる沙弓にとっては、不可思議極まりない話である。そうはいっても「理解できないから」という理由だけで投げ出すわけにはいかない。とりあえずは手元にある資料だけでも頭に叩き込み、どこかに解決の糸口を見つけなければ。

「……あ、竜王も今は一夫一妻制が基本なのか。でもそれは百年前くらいからのこと――」

 地上の歴史を紐解いてもわかるように、ある一定以上の権力を持つ者は複数の妻を娶ることが当然とされていた時代がある。そう古い話ではないはずだ。

 あの男の話によれば「竜王」は世襲制であり、代々血縁者が引き継ぐことになっていた。となれば世継ぎの候補となる者はひとりでも多い方が安全ではないか。もしも現代にまで一夫多妻制が続いていれば、あの者もここまで苦しむ必要はなかったはずだ。

 となると、百年前になにかがあったということになる。しかし、その部分については有力な情報は見つけ出せない。これではお手上げだ。

 ――もしかすると、あの男ならなにかを知っているのかも……

 必要以上にふたりきりの時間を取ることは好ましくないとわかっている。それならば、鈴を同席させてもいい。そのための理由はいくらでも探すことができる。

 今日は一日、東所に留まっていると聞いていた。その場所はこの書庫のすぐ表に当たる。直接訪ねてみるのもいいだろう。

 沙弓は文官に断って、席を立った。未だに着慣れない衣が身体にまとわりついて動きにくい。様々な髪の色をした者たちに紛れ、彼女は書庫をあとにした。

 昨日とは別の出口を選ぶ。やはり昨日の今日で、あの娘とは出会いたくないと思った。彼女のなにが悪いわけではない、愛する人と添い遂げることができる日が来ることを静かにひたすらに待ち続けているだけ。その想いは短い語らいでも痛いほどよくわかった。

 約束どおりに文を届けたのだから、堂々と胸を張って会えばいい。そう思っても、気持ちがどうしてもそちらに向かなかった。

 ――なにから逃げているというの。こんな態度じゃ駄目、きちんと前を見据えて進んで行かなくては。

 がむしゃらに頑張らなくてはという強く思うのに、また次の瞬間には挫けそうになる。どんなに期待されたところで、なんの手だてもなければ始まらない。自分だって、こんな場所にたどり着きたかったわけじゃない。あれは不可抗力というものだ。

 ゆるゆると自分の周りを包む重い空気が、気持ちをさらに落ち込ませる。考えすぎるとこめかみのあたりが痛くなる。自分がどんどん追い詰められていく。

「……あれ、ここはどこ?」

 暗い通路を進んでいるうちに、自分がどこに向かっているのかわからなくなっていた。自分が戻るべき南所へはほとんど一本道だと思っていたが、建物の内部は想像していたよりも複雑な間取りになっているようだ。誰かに道を訊ねようにも、どこにも人影は見当たらない。

 それだけではない、先ほどよりも空気が緊張しているように感じられた。なにかが強く張り詰めている、どんどん研ぎ澄まされていくような感覚。

 沙弓も無意識のうちに耳をすましていた。すると、どこかで小さな物音が聞こえる。普段だったら聞き逃してしまうほどにか細いものが、でも確かに。

 音のした方に振り返ると、そこには美しい織り文様の布地で塞がれた入り口があった。布は上から吊られていて、手で自由にめくり上げることができそうである。沙弓はしっとりした手触りの布にそっと触れた。

「……あの」

 すると、部屋の奥からコトリとまた音がする。その場所の空気は痛いほど澄み渡っていた。

「――どなたかな?」

 凛としたまっすぐな声であった。そう大きくはないが、呼びかけられれば応じずにはいられないほどの気迫がある。

「え、ええと、私……」

 沙弓は恐る恐る部屋の中を覗く。狭い間口に比べ、奥は深く、手前の部屋の向こうにはまだ次の間が続いていた。

 そして、その中央に、白髪の老人が座っている。髪の長さは腰のあたりまで、肌の色も透けるように白い。だが、その眼差しは漆黒の闇をたたえ、この世のものとは思えぬほどに深く輝いていた。彼を支える椅子は背もたれが高く肘置きもついていて、そのすべてに細かな彫刻が施されている。一目でとても高価な品に思われた。

「すみません、私、道に迷ってしまって――」

 近づきがたいほど高貴な雰囲気が漂っていた。これ以上その人に近寄ることは憚られる。沙弓の声は自分でも滑稽に思えるほど震えていた。

「……ほう」

 彼がそっと白い眉を動かすと、艶やかな濃紺の衣がさらさらと流れた。

「どうりで、今朝から宝珠が強く光るはずだ。お前がすぐそばまで来ていたのだな」

「……え?」

「誰かに聞いてはいなかったかな、東所の外れには時代に遅れた老いぼれが住んでいる、と。そう、私は少しばかり長く生き過ぎた。だが、未だにお迎えが訪れない」

 訊きようによっては悲嘆に暮れているとも思える言葉、だが彼の口調はとても快活であった。不似合いなほど愉快な話をしているようにも感じられる。

「私は皆から竜王と呼ばれている者だ。以前は別の名であったが、気がついたらここにたどり着いていた。運命とは誠に不思議なものだ」

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