カイ
9. カイ
最後の王子
今まで衣食住の心配はしたことはない。王宮に生まれたおかげで、生きるための苦労はなかった。それどころか、かなり恵まれた生活を送れていたのだとは思う。
贅沢を言えば親の愛情は知らない。ただ乳母や世話人がいてくれたおかげで愛に飢えて過ごしたわけでもない。幼いころは体が弱く、おかげで父からは将来を期待されず、年に数回顔を合わす程度だった。
母は愛情表現を知らない人だったのか、それとも父と同様、私に興味がなかったのか、事務的な会話をしたことしか、記憶にはない。
外に出ることが少なかったせいか、幼き頃より体を動かすよりも、自らの知識を増やすことに興味が振れてしまった。外には出られずともこの世界のことは何でも知りたかった。幸い知識欲を満たしてくれる先生もいたし、読み物もあった。
希望すれば遥か西の国から旅してきた商隊の隊長から直接話しを聞き、知らない土地、知らない動植物、知らない民族のことを細かく知ることも出来た。ただ、自分はこのまま王宮から出ることもなく、知識の中でだけ、実体験することもなく、見知らぬものを理解した気になって、一生を王宮の中で終えるものだと思っていた。
天の仕える者になったのは体を動かすのが得意ではなかったから。それも理由だったが、成人を迎える前、母から命令されたからが本当の理由だ。特になりたいものもなかったし、命令に逆らえる根拠が私の中にはなかった。
きっかけは消極的ではあったが、決してこの仕事は嫌いではない。むしろ私には向いていたのだと思う。正直儀式の内容、手順には何の興味もなかったが、自然の中で天の存在を感じること、自らの中にもその存在を感じることは、とても心地がよかった。
心が許せる友がいなかった訳でもない。幼き頃より、遊び相手として一緒に育った、貴族の三男ハオユー。そして私とは違って、体も強く、機転が利く妹のリンシン。二人には何でも話せたし、相談も出来た。
毎日はそれなりに楽しかったし、充実していたのだと思う。将来についても、自分に王位が回ってくるとも思っていなかったし、このままの生活がずっと続くと思っていた。
そんな安寧な日々を壊す者が現れた、現王である父だ。もともと神経質な性格ではあったが、昨今の国内事情、飢饉や水害、異民族からの襲撃と問題が重なり、とうとう快楽に逃げてしまった。女と酒におぼれ、その快楽を感じたまま、死にたかったのだろう。
ただ、簡単に国が亡ぶわけでもなく、父が快楽に溺れ、遊んでいる間、国は徐々に亡びの道を下って行った。私はその状態を見ていることしか出来なかった。王位継承権もない私の意見では、誰も耳を貸さないし、何の力もなかった。
この状態では、王に繋がる一族は絶えてしかるべきだが、それに巻き込まれ、命を奪われるかも知れない者達、特に、何の罪もない力のない貧民層の子供達のことは気がかりだった。
何も出来ずとも時は経ってしまうもので、いよいよ、死を覚悟した時、母に呼ばれた。母はこんな状況でもいつもと変わらず、感情が感じられない、表情と声で話しだした。
「カイ、あなたは国を出なければなりません。そこにいるリュウ、そしてもう一人、明日この地に現れる召喚人と共に西へ旅立ちなさい。
あなたは常々西の国へ行ってみたいとおっしゃっていましたね。西の地方や民族、言語についても詳しいと聞いています。あなたが詳しい西の地であれば、命を繋ぎ、いずれこの国に戻ってくることも出来るでしょう。
この国は持って後3日です。一度国は滅びますが、あなたが生きて、そして力を蓄え、この国へ戻ってくれば再興の道は開かれるはずです。頼みましたよ。」
母はそういって、話しは終わったとばかりに、下がってよろしい、と冷たく言った。
いくつかの疑問と反論があるが、母がまともに返答してくれるとは思えない。しかし、こんな重要な話しをこんな簡単に済ませるのか、一方的に命令して終わりなのか。親子の情を求めている訳ではないが、さすがに話を続けさせてもらおうと思った。
「母上、いくら何でも説明が簡潔すぎではありませんか。理不尽に感じます。もう少し、お話しをさせてください。」
母はこちらに視線を向けたが、今の話しが何故分からないのか、と不思議そうな瞳でこちら見つめるだけで、何も言わなかった。
「答えて頂けるのかは分かりませんが、一つだけ教えてください。召喚人とは何ですか。その疑問に明確にお答え頂けるのであれば、他は何も聞きません。黙って言う事を聞きます。」
そう強い口調で問いかけてみた。その問いに母は思ったよりも優しい口調で答えてくれた。
「あなたの疑問は分かりました。そうですね、正直に言ってしまえば、私にも召喚人とは何なのかはわかりません。ただ、天からのお告げがあったのです。
天からのお告げによると、召喚人とは異なる世界からこの世界にやってきた存在です。この世界の理からは外れているため、食べることも、眠ることも、必要とはしません。また疲れることも、老いることもない存在です。ただ、人格は普通の人間とのことです。
人格を持った超自然的な存在が、この世界に来て、この世界で何を成すのかわかりませんが、その者が道に迷わないように手助けをするようにお告げを受けました。」
あぁ、母は感情の無い人だと思っていたが、いよいよ自らの最後を悟り、正常ではいられなくなってしまったのだと思った。異世界とはなんだ、超自然的とはなんだ、とてもではないが話しを続ける気が無くなった。
そんな態度が見て取れたのか、変わらぬ優しい口調で母は話しを続けた。
「信じられないのも無理はありません、私も半信半疑なのです。ですが、間違いなく、天からのお告げをはっきりと聞いたのです。お告げの通りであれば、一両日中にも召喚人は、この部屋、この場所に現れるでしょう。その場にあなたも立会い、召喚人とは何なのか、その眼で確認するのが良いでしょう。」
そう言うと、母は今度こそ下がりなさい、と言った。
退出すると、直ぐにハオユーを探しに行った。ハオユーは可愛がっている馬がいる厩舎にいた。馬を優しくなでながら、馬に話し掛けているハオユーを見ると、本当に心が優しい、自慢の友だと思った。ハオユーに声を掛け、母との会話を聞かせた。
「ハオユー、先ほど母に呼ばれて会いに行ってきた。親衛隊のリュウと西に逃げろと言われたよ。あと一人、素性の分からない者も同行するみたいだ。なぁ、一緒に来てくれないか。お前も一緒に西に逃げよう。」
そういうとハオユーは顔を輝かせてこう答えた。
「カイ様、それは良かったです。あなたの身が少しでも安全な場所に移せるのなら、こんな喜ばしいことはありません。それに親衛隊のリュウ氏と言えば、国内一の強者ではありませんか、いや、なおさら安心ですね。」
ハオユーは嬉しそうに、それでも馬を撫でながら笑っていた。その態度から答えは分かったが、もう一度だけ聞いてみる。
「なぁ、ハオユー、一緒に行こう西へ。西にはお前が見たこともない食べ物や酒があるぞ、きっと。それから美人も多いに違いない。どうだ、興味あるだろ。」
ハオユーは変わらず、馬を撫でながら笑っていた。そして首を横に振り、言った。
「カイ様、私は同行するわけには参りません。今、あなたの父君を殺そうとしている男の一派に、私の父がおります。私がカイ様と逃げたと知れれば、父の立場も悪くなるでしょう。」
自然と涙が溢れてきた、分かってはいる、それでもハオユーと別れるのは嫌だ。無駄だと思っていても、すがるしかない。
「頼む、ハオユー、お願いだ。お前の立場も分かるが、私はお前と別れたくはない、このままお前を死なせる訳にはいかない。」
するとハオユーはそっと私の肩に手をかけ、優しい声でこう言った。
「カイ様、顔を上げてください。私はなんと言われようとも、一緒に行くことは出来ません。カイ様はそれでも生きて、いつの日か、この地に戻り、国を取り戻してください。それがカイ様の役目です。私の役目は、カイ様の旅立ちを見届け、ここに残ることです。いいですね。」
ハオユーは泣き止むまでそばにいてくれた。幼き頃より、いつも私が泣いた時は、ハオユーがそばにいてくれた。
西に行くのは構わない。それは自身が望み続けたことでもある。しかし、国が亡び、周りの者達が無残に殺されるのが分かっていながら、一人逃げ出すのは嫌だ。それに、逃げ落ちてまで、いつの日か国を再興する必要があるのだろうか。そんな疑問で頭がいっぱいだった。
別れ
次の日の夕方、母にまた呼ばれた。部屋にはリュウもいた。そういえば召喚人とか何とか、母の妄想の産物が、今日現れると言っていたことを思い出した。母は、入り口の近くで見ていなさいと言い、いつも立っている場所へ戻った。
リュウは、不測の事態に備えてか、母を守れるように緊張して見守っている様だった。あの、カの国一の強者と呼ばれたリュウが、母の妄想に付き合っていることに、可笑しさを覚え、笑いを堪えるのに必死だった。
国は亡びかけ、命の危険が迫っているというのに何という茶番だろう。明日、ハオユーにこのことを面白可笑しく語ってやろう、そして二人で大きな声で笑ってやろうと思った。
そろそろ母の気も済んだかと思い、退出する旨を伝えようとした時、それは突然起こった。母が立っているその前の空間が歪み、真っ黒な空間が現れた。それは形を留めていないようで、常に形状を変化させていた、やがて、何かがそこに現れると、一瞬でそれは無くなっていた。
あまりの出来事に、夢でも見ているのかと思ったが、間違いがなく現実だ。母が言う通り、一人の人間が何もない空間から現れたのだった。現れたそれは成人男性の様に見える、不思議な、ゆったりとした衣服を纏い、奇妙な仮面を着けていた。
リュウが男に駆け寄り、助けようとしている。母はこちらを見て、見たならもう下がって良いと言った。一秒でも早く、今見たことをハオユーに話したくなり、慌てて部屋を出て、ハオユーの自室に向かった。
ハオユーは自室で座りながら、ぼんやりと外を眺めていた。慌てて、早口で、母が言う通り、何もない空間から怪しげな男が出てきたことを興奮しながら伝えた。ハオユーは笑顔で話しを聞いてくれた。話し終え、どう思うか聞いてみる。するとハオユーはのんびりとした声で言った。
「世の中には不思議なことがあるのですね、いやびっくりしました。」
あまりのあっさりした態度に、拍子抜けしたが、この興奮をどうしても共有して欲しく、さらにその不思議さを伝える。
「ハオユー、それだけか、感想はそれだけなのか。何もない空間から人が一人現れたのだぞ、これを不思議と言わず、何が不思議か。」
それでもハオユーは落ち着いた声で、本当に不思議ですね、とだけ言った。ハオユーの落ち着いた態度で、興奮しているのが馬鹿らしくなった。ハオユーは変わらない笑顔のままでこちらを見ているだけだった。
確かにハオユーは驚くことが少ない、何事にも動じない。それにしても今日の態度は、いつものような感じではない。少し不機嫌になって、なぜこちらを見て笑っているだけなのを聞いてみた。するとハオユーは、申し訳なさそうな顔になってこう言った。
「失礼しました。もうカイ様の命はないと諦めていたところ、まだ諦めなくても良いことがわかり、それがうれしくて。カイ様が生きてこの国を出ることが出来ると思うと、それだけで幸せな気分になっていたのです。決してカイ様の話しをないがしろに聞いていたわけではありません。」
そういうとハオユーはまた笑顔でこちらを見てきた。ハオユーにしてみれば、私が生き残る可能性が高まったことは嬉しいだろう。でも私はハオユーを、その他の人たちを置いて行かなければならない、一人逃げなければならない。それは辛いことだった。
翌朝、リンシンが部屋を訪ねてきた。昨日、召喚人に私は会いました、普通の人でしたよ。今日も召喚人と話しをし、異世界のことを聞いてみるのだと、と楽しく話しをしていた。
リンシンにも西へ一緒に行かないかと誘った。リンシンは母上を置いては行けません。何より女の私では足手まといになるでしょう。兄上が私のせいで捕まってしまうのは絶対に嫌です。といつもの笑い声で断られた。
リンシンはまだ14歳だ。この出来の良い、そして可愛い妹も見殺しにしなければならないのか、そう思うと、また心が痛んだ。だが、リンシンは一度自分で決めたことは変えない、説得は無駄だろうと思った。
その日はリュウと話しをする機会を設けた。ここからの脱出方法や、旅についての確認がしたかったからだ。リュウは評判通り、実直な男だった、十分に信用できるだろう。リュウも人づてに聞いた話だそうだが、脱出に際しての護衛役をリュウに決めたのは父だったそうだ。私に興味を示さなかった父が、なぜそうしたのか。何故一番有能な男を着けてくれたのか、不思議だったが、その幸運に感謝した。
脱出の決行は明日の夜、門番の衛兵には金を渡して、一定の時間、不在にしてもらっているそうだ。敵が王宮に入り、焼き討ちを掛けた場合、首実検は困難になる。私の生死は当面不明になるだろうから、4日、せめて5日以内には、国の勢力圏外へ出たいと言っていた。
その後の旅の工程に関しては、地理に詳しいカイ様にお願いしますと言われた。リュウにはこの国を出てから身分を知られるのは得策ではない、今後カイと呼び捨てするようにと厳命した。私もリュウのことを、さん付けで、呼ぶことにした。
リュウからは、逃亡は厳しいものになる、少しの油断も命取りになる。出来るだけ自分が守るようにするが、出来ることは自分でやっていただき、あの男と三人で助け合って旅をしましょう。と言われた。
脱出決行日の朝、目覚めは悪くなかった。いつものように起き、顔を洗い、食事をとった。ハオユーと話しをしたら、また泣いてしまいそうで、何となくハオユーが立ち寄りそうな場所には近づかなかった。
落ち着かなくうろついていたようで、いつの間にか昼が過ぎていた。慌てて、旅の支度を始める。しかし、何も持って行って良いのか、何が必要なのか良く分からなかった。とりあえず、用意されていた背負子に着物を入れてみた。
背負子から荷物を出し入れしていると、ハオユーが部屋に訪ねてきた。それを見たハオユーはいつものように笑いながら、旅に必要な物はこういうものですよ、と優しく教えながら、背負子に奇麗に荷物を収めてくれた。
しばらくは、他愛もない話しをしていたが、意を決したようにハオユーは立ち上がり、それではカイ王子、旅の無事をお祈りしております。と短く言い、部屋を出て行った。追いかけてまだ話がしたい、とハオユーに言いたかったが、何も言えず、立ち上がることも出来なかった。
ハオユーとのさっぱりした別れの余韻に浸っているまもなく、今度はリンシンが部屋を訪ねてきた。今日は一日、召喚人と過ごしたと楽しそうに話しをしていた。召喚人はとても気さくで優しい男だと言った。兄上ともリュウともうまくやれるだろうとも言っていた。
それから、召喚人の能力について詳しく説明してくれた。なるほど、とんでもない力だった。それに加えて身体能力も獣なみで、あんなに早く動ける人は見たことがないと言っていた。リンシンはふざけて誇張したり、嘘をついたりはしないので、事実なのだろう。
優しい男であれば文句はない。何とか上手くやって行けるだろう。少し安心しながらリンシンと話しをしていると、リュウが迎えに来た。そして、短く時間です、とだけ言った。
立ち上がり背負子を持つ、リンシンも立ち上がり、真っすぐこちらを見て、ハオユーと同じく、旅の無事をお祈りします、と言った。そして深々と頭を下げ、兄上、お世話になりました。と言った。
リンシンに触れたり、話しをしたりしてしまえば、決心が揺らいでしまう。頭を下げ続ける妹に声もかけられず、部屋を出て母の部屋に向かった。
召喚人
はじめは慣れない旅で体調を整えるのに必死だったが、月日が経てば不思議なもので体は慣れて行った。一日歩いて移動すること、外で寝ることが、それほど苦にはならなくなってきた。疲労が溜まると、寝込んでしまうこともあるが、それでも王宮で暮らしていたころの自分を思うと、随分逞しくなったと思う。
召喚人はとても好感が持てる人物だった。いつでも人に対して優しかった。最初に訪れた集落でも、無邪気に子供達と遊び、老人には優しく接し、進んで力仕事を引き受けていた。出来るだけ人のためにと行動するその心は、とても尊敬できた。
その集落での別れの際にも、集落の人々の行く末を思い悩んでいたのが印象的だった。そして、いつしか心を開き、何でも話せる間柄になっていった。リュウは相変わらず無口だが、三人での旅はとても楽しかった。本当は逃亡の旅であったとしても。
旅が始まると荷物の中に、布に書かれた母からの手紙を見つけた。リンシンが忍ばせた物だろう。その手紙には、召喚人を正しく導いて欲しいと、願いが書かれていた。
召喚人は、この世界では無敵だが、その能力の代償に、食べる事も、寝ることも、人に触れることも出来ない体だ。さらに言うなら不老、どれだけ心を通わせる人たちが出来たとしても、必ずその人たちを見送らなければならない。私も例外ではなく、必ず召喚人より先に死ぬのだ。
そんな、人が本能的に欲する欲求を、何一つ叶えることが出来ない男、それでいながら人として苦悩し、悲しむ男をどうやって導けば良いのだ。どう考えても答えなど見つかるはずも無かった。
ただ、母の言う通り、召喚人は正しくあらねば、この世界を亡ぼしかねない。それだけの力を持っているのだ。召喚人が欲する、世界を平和にする力は、残念ながら彼にはない。だが、世界を破滅に追いやる力は持っている。彼が悪に染まれば、あっという間に人類は滅びることになるだろう。
旅を続けるうちに、召喚人は悪に染まるような男ではないことが良く分かった。しかし、彼を絶望に落とすようなこと、例えば目の前で子供が惨殺されるようなことが起きた時、彼はまともでいられるだろうか。この世界の住人に悪意を向けないだろうか。
そうならないように、誰かがそばにいて、召喚人の心を癒し続けなければならない。誰かが支えにならなければならない。その役目を私は負えるだろうか。きっとハオユーやリンシンならば出来るだろう、私を救ってくれたように。
巨人の技術
召喚人のことは気になっていたが、不安を吹き飛ばすぐらいに彼はお人よしだった、腹立たしいくらいに。いつしか、召喚人が闇に落ちる懸念も薄れ、3人での旅が益々楽しくなってきたころ、密林の奥で巨人たちに出会った。
彼らの技術は独特で、昔この世界にあった進んだ文明が、何らかの原因で滅んでしまい、技術も失われてしまった。しかし、生き残った僅かな者達の手で、その技術の一端を受け継いできたらしい。滅んだ原因は、巨人たちが造り続けている神殿に、何らかの手がかりがあるのだろうが、それほど興味がない。それよりも、残された技術にはとても興味が引かれた。
密林の魔物退治も終わったが、しばらくは集落に残り、技術の一端を解明したかった。リュウと召喚人は快く了承してくれ、集落の人々もよそ者にも関わらず、惜しげもなく技術を見せてくれた。おかげでこの集落では様々な技術を学ぶことが出来た。
その中技術の中でも、石の加工技術については驚く成果を手に入れることが出来た。石を加工する為に、道具を工夫するのではなく、石自体を薬剤の作用によって、一時的に柔らかくするのだ。この薬剤についても惜しげもなく教えてもらうことが出来た。
しかし、この薬剤を調整するために必要な植物は、巨人の集落でしか栽培されていないものだ。簡単に手に入る物ではない。いずれこの地に戻り、その栽培方法についても教えてもらおうと思った。石の他にも砂鉄から鉄を造り、それを鍛える術も学んだ。これは武器として応用が出来そうだと思った。
この頃だろうか、色々な事を学ぶにつれ、それを戦争の、人殺しの道具や方法に結び付けて考えるようになっていた。それほど真面目に考えてはいなかったのだが、国の再興について、意識し考えるようになっていった。
巨人の集落で技術を学んだ後、港湾都市に入った。ここにはカの国とも取引をしていたチャンドラ商会がある。今後のことを考え、代表のチャンドラ氏と繋がりを持っておく必要があると考えていた。
珍しい宝石や、巨人の集落で得た知識を使って加工した石を、いくつかチャンドラ商会に売った。しばらくすると、反応があり、チャンドラ氏と接触が出来ることになった。すぐに直接の面談とはいかなかったが、チャンドラ氏が邪魔だと思っている、弟の排除を餌に、カの国再興への協力の交渉に漕ぎつけるつもりだった。
チャンドラ氏から持たされた情報により、チャンドラ氏の弟の息子が根城にしている屋敷の場所が分かった。ちょうど貧民街の子供達を住まわせる家を探していたので、そこを買い、リュウには、たむろしている者達を挑発し、痛めつけ、その後、報復にチャンドラ氏の弟が現れるはずだから、報復を受けている最中に、始末するように指示を出した。
相手が、思った通りの行動をしてくれる単純な者達で良かった、難なく、目的を達し、チャンドラ氏には大きな恩を売り、太い繋がりを作ることに成功した。
リュウには考案した貫通力を高めた矢を使用し、性能を確かめるように、指示も出していた。こちらについても、とても満足の行く結果が得られた。十分に実戦へ投入できると、確信が持てた。生産と品質管理についてはチャンドラ商会の協力を取り付けてある。いずれ、時が来た時には大量生産を行い、他国を圧倒するつもりだ。
ただ、召喚人には詳細も話せず、黙っているしかなかった。とぼけてはいるが、聡明な彼のことだ、薄々は勘づいてはいるだろう。でも、聞かれるまでは黙っておこう、まだ、彼に自分の暗黒面を見せる訳にはいかないと思った。いや、今後も見せてはならない、彼まで同じ暗黒面に落ちないように。
その後、山麓の村では楽しい時間を過ごすことが出来た。召喚人は相変わらず、お人よしが過ぎるが、それが彼の色だ。その色が黒く染まらない様に気を付ければ良い。
村の孤児たちを集め、教育実験にも取り組むことが出来た。国造りを学ぶためにも、この村はとても良い実験環境だった。村人たちの欲するものを理解し、提供し、村人達には気付かれることなく、実質的な村の運営権を奪う。とてもうまくいった。
村の孤児たちは名前が無かった。そこで年が上の二人にはハオとリンの名前をつけた。リュウには感傷的だと言われたが、ハオユーとリンシンを忘れない為にも、いや、忘れることはないが、二人の名前からつけることにした。今思えば、確かにリュウが言う通り、感傷的過ぎた。
一通りの実験が終われば、心から村の生活を楽しんだ。子供達には自立して欲しいし、村も発展して欲しいと願った。そんな平穏な日々もマハーナ氏の来訪で崩れ去った。村の生活にも慣れ、後数年はここで暮らしてもいいと思っていた矢先だった。
マハーナ氏からの依頼は、チャンドラ氏からの手紙を見るまでは断るつもりだった。その手紙には、マハーナ氏からの依頼を達成した暁には、チャンドラ商会、マハーナ商会から望むままの兵士を貸与すると書かれていた。
流石はチャンドラ氏、私が望むものを提示してきた。依頼を受けるとなれば、早速試したい兵器があった。訓練しなくとも使える弓と、相手の動きを封じる網だ。この二つは兵力が不足すことを補うために考えた策だ。
運用に成功すれば、農民でも少しの訓練で熟練の兵を簡単に殺すことが出来るだろう。これで他国との兵士の数、戦力差は埋めることが可能だ。
城塞都市での作戦は、季節外れの雨を味方につけることが出来て幸運だった。石弓と網の性能も満足出来る内容だった。ただ、リュウが早まって、弓兵隊を殺そうとしたのは計算外だった。そんなことをしたら、召喚人が暴走する危険がある。直ぐに始末せず、後から召喚人に気付かれず、始末すればいいだけの話なのだ。
何とか苦肉の策で、弓兵隊を山麓の村へ連れて行くことで話しを通したが、機密漏洩の危険性は孕んだままだ。後からチャンドラ氏と連絡を取り、不測の事態の際には、山麓の村全員を始末する手はずを整える必要があった。
その後、召喚人と繋がりがあった少女が亡くなった。召喚人は闇に飲まれることなく、また立ち上がってくれるだろう。もう、今後も召喚人が暴走することはないと思っていた。
ザラス
砂漠ではザラスに出会った。どことなくハオユーを思い出させる理知的な青年だった。彼の知識に、しばらく忘れていた知への欲望が目を覚ました。彼と話しをしているときは、国の再興、その為の謀略、策略を忘れることが出来た。
知らないことを知るのはいい、とても満たされる気持ちになる。このまま、国のことを忘れ、ザラスを加えた4人で、西に向かって行けるところまで旅をしたいと思った。旅した先で今まで見たことのない、技術や建築物を思うがまま見て、触れて、体験したかった。
ザラスには目的があった、野望と言っても良いものかも知れない。自分の考えを教えとして広め、自分と同じ考え方を持った人を大量に生産したいのだ。根底にあるのは承認欲求なのかも知れない。
それでもザラスに無条件で協力をしてあげたいと思った。弟は持ったことは無かったが、本当に弟の様に可愛いやつだ。ただ、ザラスの望みは難問だった、とても叶えてやることは出来ないだろう。そんな時ザラスが持ってきた闘技会の話は、確かに良い方向に変えられる好機かもしれないと思えた。だからリュウの参加を許可した。
闘技会の決勝戦、リュウとアルム国の騎士団長の一戦は、生きた心地がしなかった。リュウが負けるとは思っていなかったが、あそこまで苦しめられるとも思ってはいなかった。試合が止められた時は本当に安心した。
この好機を生かし、何とかザラスの望みに一歩でも近づけてやろうと、シンに面談したが、やはりそんなに甘いものではなかった。逆に、この行動で、我々は追い詰められてしまったことに、気付かされた。ザラスの思いに応えたいばかりに、思慮の浅い行動に出てしまったようだ。
アルムの国王は招待と言っているが、間違いなく暗殺に来るだろう。私が王なら、そうする。場所は王宮の王の間、完全に逃げられない形を取って行動を起こすだろう。そして私は、生き残ることが出来ないと悟った。
今、このハルタミから砂漠を渡り、港湾都市まで戻れば生き残れる。でもそれでは、ザラスの望みが二度と叶えられない可能性に繋がる。また、ザラスを連れて逃げれば、ザラスは生きている間、砂漠には戻れない。かと言って、ザラスを一人残せば、簡単に殺されてしまうだろう。
自分のこと、自分が成さねばならぬことを考えれば、自ずと結論は出る。港湾都市に戻るのだ、ザラスに恨まれようと、どう思われようとも、港湾都市まで戻り、二度と砂漠には戻らなければいい、そうしよう。
アルムの国からの使者が訪れる前に、ザラスに告げよう。そう思っていたが、ザラスがアルムの国王との面会を楽しみにしている姿を見ると、どうしても言い出せなかった。
ザラスに言い出せぬまま、アルムからの使者を受け入れ、とうとう馬車に乗ってしまった。今後、私が居なくなった後、リュウはどうするのか、召喚人は大丈夫だろうか、そんな心配もする。
でも、そんな心配は無用だ。旅をして知った、リュウという冷静で、誰よりも強く、そして不屈の男。召喚人という自分を犠牲にしてまでも人を救いたい気持ちで溢れた、どこまでも優しい男。彼らは私みたいな凡人ではない。弱く、何も出来ず、自分の目的の為なら人の命を奪うことに抵抗が無いような、屑ではないのだ。
だから安心して天に還ればいいのだ、肉体も地に還せばいい。母や、ひょっとした父の期待を裏切り、国の再興を果たせなかったが、それも仕方がないことだ。そんな事よりも、ザラスの期待を裏切らないことの方が大事だと思えた。
最後にアルムにあると言う巨大な塔の見学をどうしても叶えたく、アルムの使者へ無理にお願いをした。召喚人は、アルムからの帰りで良いのでは、と言っていたが、残念ながら帰りはないのだ。
その塔は期待通り、素晴らしいものだった。人の業で、これほどまでに壮大で立派な建築が出来ること、その技術もさることながら、その労働力にも、感心させられた。これが国力の表れなのだろう。
最上階では天の近さに驚かされた。ここで天の声を聴くのだろう。汚れてしまった今の私に天の声は聴こえるだろうか。カの国いたころ、あのころの私であれば、天の声を聴くことが出来ただろうか。心を澄ませ、耳を澄ます。
見学をしている間中、ことあるごとにザラスが建築技術や、装飾、儀式についても熱心に説明をしてくれた。そして、砂漠の国や海の国にあるという、この塔よりも立派な建築物を一緒に見に行こうと言ってくれた。
リュウ、召喚人、ザラスの4人で砂漠の国、海の国を旅する姿を一瞬見た。叶うはずもない、その夢を、見たこともない景色を、現実に、この目で見たように、頭に浮かべることが出来た。あぁ、なぜ行けないのだ、どうしても行きたいのに。
結局私は、父と同じだったのだろうか。難問に直面し、生きることを諦めてしまった。いや、私は周りを巻き込むような事はしてはいない。私だけが、難問から逃げ出すために、死を選択したのだ。決して軽蔑した父とは違う、そう思いたい。
塔の見学も終わり、いよいよ宮殿に到着した。想定の通り、頑丈な扉で守られた王の間に通された。衛兵と騎士団、弓兵も配置された部屋で、逃れる術は見当たらない。最初の一撃さえ、躱すことが出来れば、リュウは生き残れるだろう。後は召喚人が何とかしてくれる。
ザラスも別室に連れて行かれたことを考えれば、拷問でも受けているのだろう。すぐに殺されることはあるまい。
床に跪き、顔を伏せる。今まで生きてこられたことへの感謝、旅の仲間2人への感謝、慕ってくれたザラスや子供達への感謝を口にする。そして、ハオユー、リンシン、母、父へ、今会いに行くことを伝え、ゆっくりと目を閉じた。