冷たい夏の日
落ち込む『演技』は初めてだが、感覚は分かる。実際の体験なら幾度となく味わったのだから、今更間違えてたまるか。そう、落ち込めばいい。いつもの様に。メアリが肯定され、俺だけが否定される世界を想起し、現実と思い込めばいい。それだけで気分は自然と沈んでくる。
「……戻った」
「創太。ナンパの成果はどうだったの?」
「…………俺の顔を見て、分からないお前じゃない筈だ」
「うーん? 落ち込んでるふりしてる?」
「ああ、落ち込んでるふりだよ」
俺は信者御一行から距離を一定の距離を取って、その場に座り込む。隣にメアリも座った。
「なんつーかな。ネガティブ思考が骨の髄まで染み込んでるっていうかさ。ナンパしても心の中ではどうせ失敗するんだろうなあって思っててさ。うん。ナンパ失敗してんのにそれ程落ち込めないのも嫌でさ。だからまあ……フリしてるんだ」
周防メアリを相手に嘘で勝負出来るとは端から考えていない。どうせすぐに見破られる。そんな事は分かっていたから、俺は真実に変える事も出来る言い訳を用意していた。この場合の真実とは文字通りではなく、己の表情に対する理由だ。
ナンパしても失敗するという思いは実際にあるし、そもそもこんなメアリ信者だらけの世界でナンパが失敗しても落ち込めないのも事実。まるっきりの出鱈目ではない。物は言いようだ。メアリと対極の位置で俺の話を聞いていた命様は『大胆じゃのう』と感心していた。
嘘ではない事実ともなれば見破るも何もない。メアリはすっかり俺の言葉を信用していた。
「アハハハハハ!」
笑っていたが。
「笑うんじゃねえ。ぶん殴るぞ」
「いいよぶん殴ってもッ。でもさ、失敗するって分かっててどうしてチャレンジしたの?」
「やってみなきゃ分かんねえだろ」
「でも失敗するって思ってたんでしょ? 自分を信じられなきゃ成功なんてしないよ創太。現に私は信じてる。世界平和は実現出来るって。皆が手を取り合って、笑い合える。争いの無い平和な世界が訪れるって!」
妄言。出鱈目。現実が視えていない。彼女を知らぬ人間はそんな風に嘲笑するだろう。俺だってそうしてやりたい。やりたいが、メアリは基本的に有言実行を通す人間だ。『お前その言葉紛争地帯でも言ってみろよ』などと煽った日には、本当に行きかねない。というか行く。そして本当に争いを終わらせてしまう。
それそのものは大いにしてくれて構わないが―――俺はメアリの支配する世界で生きていたいと思わない。たとえ世界が平和になっても、終日メアリの名を聞く世界になっては意味がない。コイツによって約束された平和など俺にとってはゴミ以下の代物だ。
異常者のエゴと罵られようとも否定はしない。こいつがその気になれば一瞬で全世界を平和にし、ありとあらゆる環境問題を解決出来ると知っていても俺は煽らない。そもそもメアリだってやる気があるとは思えないが。
考えてもみれば、必ず一等が当たる宝くじを買わない理由が『面白くない』に集約されるような奴だ。先程は煽れば行くだろうと言ったが、あれは時と場合による。上手く乗せられるかどうかが重要だし、俺みたいな例外でもない限り全ての人間は彼女の『勝手気まま』を肯定するだけの存在だ。俺に彼女を乗せる自信は無いが、他の人間には出来ない。
今日も世界が平和になっていないのは、そういう事情が絡み合っているからでもある。
「……争いの無い平和な世界ね。生徒を数百人以上自殺させた奴の発言とは思えねえな」
「あれは創太への謝罪だし! ユニークだったでしょ? 掘るの大変だったんだよ~『ごめんなさい』って俯瞰で認識させないといけないからさ!」
謝罪は真面目にするものであって、ユニークさを追及するものではないと小学生でも知っている事実をメアリは知らない。だからコイツは嫌いだ。交通事故で死んでくれないだろうか。
「あ、ごめん!」
「ん?」
「もうお昼だね! ごめんごめん。創太を待ってたらつい忘れちゃったよ! みんな~! そろそろかき氷にするよー!」
「「「「「「「おおおおおおおおおお!」」」」」」」
流石にテンションが高い。ぶっ続けではしゃいでいた奴らの体力はどうなっているのだろう。信者視点で見れば教祖様ことメアリの用意するかき氷はこの世の何よりも欲さねばならないのだろうが、とはいえ己の体力を無視する程だろうか。
「創太はここで待っててね。私と一緒に食べるんだから!」
「あ、やっぱりそういう事になってんだな」
「当然! 創太も他の人とトラブル起こしたくないでしょ? 喧嘩なんてしちゃったらその人も創太も楽しくなくなっちゃうもん」
「俺はお前と一緒に居る時が一番楽しくないんだが」
「もんどーむよー! アハハ! 直ぐ用意するからそれまで暇潰しでもしててよ。じゃあね」
何度も何度も何度も何度もくどいくらい思っているのだが、俺が露骨に嫌悪しているのに、メアリは一向に聞き入れてくれない。まるで俺が離れていく事だけは許容出来ないと言わんばかりだ。人類全員が手を取り合う未来を考えればその思いも納得いくのだが、どうもそういう感じではない。
―――俺の事が好きって訳でもないだろうしなあ。
メアリを幼稚園のころから知る俺に言わせると、彼女は好きな人に対して夜這いを仕掛けるタイプだ。俺の事が好きなら、とっくの昔に俺の童貞は捧げられている……と思う。あいつが消極的だった事なんて見た事がない。ポジティブの塊だ。
自分に対して圧倒的に都合が良いとも言える。
「命様。かき氷って要りますか?」
信者共から口の動きが視えない(何も無い場所に話しかけている風景は不自然だろう)ように身体をずらし、ぽつりと彼女に話を振る。対する命様は普通の人には視えないのを良い事に、目を輝かせて頷いた。
「無論じゃ! 今世のカキ氷が如何なる味を持つのか興味がある!」
「相変わらず食い気だけはある神様ですねー」
「―――信者が神に嫌味を言うとはッ!」
命様は膨れっ面になると、絵に描いたように綺麗な流れでプイっとそっぽを向いた。可愛い。俺の言い方も悪かったが、かなり機嫌を損ねてしまった。肩を叩いても声を掛けても全然こちらを見てくれない。
少々弄りすぎたと後悔しながら、俺は出来るだけ笑顔を作りつつ懇願するように命様の手を握った。
「命様。どうか機嫌を直してはもらえませんか?」
「断る! 妾、傷ついた! 激しく傷ついた! お主と言えども今度ばかりは許せぬ!」
「言葉足らずであったと謝罪します。また、語彙力不足でした。俺は命様が美味しそうに食事をする姿が好きです。いつも命様の笑顔から元気を貰ってるんです。だから機嫌を直してもらえませんか? ね?」
そっぽを向いた顔は戻らないが、彼女の瞳がこちらを一瞥した。それは言葉に違わず刹那の時間だったが、信仰心の賜物か、寸分の狂いもなく俺は無垢な神様を抱きしめた。
「大好きです、命様!」
にわかに倒れ込むその動作、不自然でない筈もなく、幾らかの視線が俺に集中した事だろう。だが俺は少々過敏になり過ぎた。視線とは流動的なものであり、例えば道端の雑草でさえ、風に吹かれるだけでも視線を誘導しうる事もある。信者にとって俺は世界のアレルギーであり、絶対に認められない異物だ。わざわざそんな異物を注視しようと思う物好きが何処に居るだろうか。俺は俺で心地よい世界に浸りたい。彼等は彼等で心地よい世界だけを見ていたい。
境界線が存在する以上、俺の奇行は余程の物でもない限り彼等の視線を集め続ける事は出来ない。当然の理だった。
「…………そ、創太」
「はい」
「さ、流石にこの様な場所で抱擁は……は、恥ずかしいぞ! 顔が噴火してしまいそうじゃ……や、やめぬか。やめぬか愚か者! お主の気持ちは分かったから……は、離れろ! 早う! 早う!」
追い立てる様に命様が繰り返す。言われた通り身体を離して彼女の表情を俯瞰すると、確かに噴火してしまいそうなくらい真っ赤になっていた。何故か少し泣きそうにもなっている。
「お、お主…………そういうのずるいぞ!」
「は……ずるい、ですか?」
「わ、妾を口説くなど数千年早いに決まっておろうが……夫婦ではないのじゃぞ!? お主と妾は信者と神で…………そ、そうじゃ! お主から約束を破るな! この卑怯者がッ!」
いつになくたどたどしい言葉遣いからは、いつもの余裕が失われ、とにかく焦燥が前面に出ている。あまりにも焦り過ぎて言葉に詰まり、詰まった先から別の言葉が出てくるので処理が追い付いていない。言葉がぶつ切りなのは大方そんな理由であろうが。
食事風景を褒められたのがそんなに嬉しかったのか。疑問は尽きない。
「次回からは不意打ち禁止じゃ! 例外は無い!」
「あ、はい……」
疑問は解決した。命様は不意打ちに弱いようだ。あそこまで初心な反応を見られるなら、これからもちょくちょく不意打ちを狙ってみるのもありか。
全く反省の余地がない事など露知らず、命様はソソソっと俺の肩に寄り添い、巫女服の襟を握った。
「……………………そういうのは二人きりの時に、頼む。お主になら妾は―――」
「おっまたあああああああああああああああ――――――っせ!」
不意打ちで愛を囁かれると死ぬ神様、命。
もう一話出すけど深夜になっちゃうねえ。
もう一話が文字数足りないねえ




