夏の終わり
前回の毒が強すぎたので、毒抜きになる予定です。
夏休みは素晴らしい。学校に行かなくても良いのなら、俺が山に入り浸るのはある意味必然の道理だった。初日はメアリと過ごし、更にその後もメアリと……あれ?
なんだっけ。
何かとても嫌な事があったと思う。けれど、何があったのかが全然思い出せない。つかささんの言った通り、俺はストレス値が一定以上たまると精神防衛のために記憶を消す傾向がある様だ。思い出せないのは、俺自身が身の危険を感じたから?
…………ああ、思い出した!
そうだそうだ。父親に清華の捜索を頼まれていたんだ。それで確か…………ああ、そう。見つからなくて、どう報告したものかと悩んでいたら茜さんと出会って、駄弁りながら山へ戻ったのだった。家に帰ってないのは、清華捜索の進捗を聞かれたくないからだ。十日程前の事だから不安だったが、正確に思い出せて良かった。
知らない記憶があるという事実は不安を煽る。未知とは恐怖であり、恐怖こそが未知。だから人は知りたがる。未知の正体を。丁度、俺がメアリについて探っている様に。
「あれ、おにーさんは寝ないの?」
夏休みを振り返っていると、空花が背後から声を掛けてきた。この日は肩出しの白いブラウスを着ており、生地が薄いせいで直視すると内側の黒いインナーがモロに見えてしまう。そのインナーもヘソの上を隠すのみなので、ヘソから下は薄い生地を通しただけでほぼ露出している様なものだ。更に言えばブラウスのボタンも胸元で軽く留まっているだけなので、今みたいに四つん這いで来られると、深く豊かな谷間が見ようとせずとも視界に入ってしまう。
『夏だからこそこういうファッションが出来るんだよー』とは本人の弁だが、目の毒なのでやめてもらい…………たくはない。正直な所。この場合の毒とは嬉しい悲鳴みたいなもので、本人にとっては喜ばしいものなのだ。
彼女が中学生という点についてはもうツッコまない。意識するだけ空花に弄られてしまうと最近分かった。
「もしかして、先に水浴びした事怒ってるー?」
「いや、それは怒ってねえわ。落胆はしたけど…………って何言わせるんだよ! 怒ってないし! 落胆もしてない!」
「アハッ。おにーさんって本当に正直者だねー。じゃあ明日は三人で一緒に入ろっかッ!」
「どう見てもアウト! 倫理的にアウト! 命様はともかく、お前中学生だろ!? 中学生と一緒に水浴びは絵面だけで駄目だよ!」
「そういうおにーさんも高校生でしょー? 二歳しか違わないのに犯罪も何もないよー」
「お前みたいな中学生は居ないんだよ! 命様と合わせたら気分は女湯じゃねえかッ」
湯帷子が人数分あったとは考えにくく、空花は俺と同じく全裸になって入った可能性が高い。それ自体は水浴びにしても風呂にしても自然な事だが、そこに俺が入ると絵面が犯罪的だ。というか犯罪だ。覗きよりも直接的な分タチが悪い。
「でも本音は?」
「入りてえよ! お前と命様に挟まれて入りたいよ! これで満足かこの野郎がッ!」
本能に正直になると、後は楽だった。空花が何かを言う事は無かったが、隣まで這ってきた彼女は満足そうに笑っている。その笑顔はとても純粋だった。散々誘惑されたお返しに何かしてやろうかと考えた事は幾度となくあるが、彼女を見ているとそんな気は不思議と起きなくなる。行動に裏を感じない、見たままが行動の動機になっているというか。俺への誘惑も、単純に俺を弄りたいからで……そういう動機の単純性は、年相応かもしれない。
「ねえねえおにーさん。おにーさんは明日何の日か知ってる?」
「明日?」
俺は月を眺めながら、過去の記憶を引き出した。命様と出会うまで俺の記憶はメアリで満たされている。何かにつけてメアリ、メアリ、メアリ。好きでもない女性ばかりが頭に浮かんでくる。彼女の問いに答えを見出すには去年を思い出すのが最適だろう。
「…………?」
月の形を見るに、明日は満月。命様が本来の姿に戻る日だが、それ以外……それ以外…………それ以外? そんなものあるだろうか。俺には皆目見当も付かない。
「……え。なんかあるか?」
「ええッ! おにーさん地元の人だよねッ? それとも地元だからこそどうでもいいのかな……夏祭りだよ夏祭り! あるでしょ?」
「あー」
「ピンと来てないじゃん!」
「来てるよ。来てるけど……あんまり良い思い出が無いんだよなあ」
この手の行事はメアリが好き放題やっているイメージしかない。去年はメアリの顔をイラスト化した上でそれが花火になったり、祭りの時間が三時間伸びたりしたが、同時にポイ捨てが無くなったり、マナーの悪い客も見当たらなかったりと、トータルで見れば良い祭りだったのかもしれない。喧嘩だって起きなかったし、救急車が動くような事態にもならなかった。メアリにべったりくっつかれてたお蔭で、信者達も俺へのリンチが出来なかったのだ。
だから良い思い出が無いのは俺だけで、客観的に見れば去年の祭りは最高だった……と思う。
「何だ、夏祭りに行くのか?」
「勿論行くよー! お祭りと言えば夏の風物詩でしょ? メアリ祭はその……うん。変だったし。ねえおにーさん、一緒に行こッ? 命ちゃんと一緒にさ!」
「誘ってくれるのは嬉しいんだが、メアリと必然的に遭遇するって考えるとあんまり気が進まないんだよな」
「でもメアリさん、私の事彼女って認識してるんでしょ? もし来たら私とデート中だからって言えばいいじゃん!」
「…………あー」
それもそうだ。メアリは紛れもないクソ野郎だが、思い返してみると祭りそのものを台無しにした事はない。俺が乗り気じゃないのは飽くまで本人にくっつかれるからで、それが無いと考えれば…………
「良いなそれ! 行こう!」
「お、乗り気ッ?」
「だってメアリの居ないお祭りだぞ! そりゃ楽しいに決まってるじゃないか!」
「じゃあ決まりだねーッ! ふふ。私もう寝るけど、明日がすっごく楽しみになってきちゃった! お休み、おにーさん♪」
空花は四つん這いになって、再び社の奥へ戻っていった。俺もそろそろ眠った方が良いだろうか。明日に支障が出るのは好ましくない。だがメアリの関わらない夏祭りなど初めての事で、それが味わえるかもしれないと考えたら、緊張して眠れそうにない。修学旅行前日みたいだ。
「茜さんも誘いたいなー。空花には見えないけど、でも茜さんが居たら絶対もっと楽しくなるよな」
しかしそれは俺の願望であり、実際に叶う事は無い。俺にだけはかなり気軽に接してくれるから忘れがちだが、メリーさんとして噂に振り回された彼女は根本的に人間が嫌いだ。その人間が多数集まるお祭りになど行きたくもないだろう。
それにこの町には怪談話やそれに準ずる都市伝説が多々存在する。俺の力が何処まで通用するかは不明だが、あのお祭りに参加してしまうと茜さんの存在に余計なものが付加されかねない。そもそもメアリが只のお祭り(言っちゃあ悪いがねぶた祭りみたいな独自性は何も無い)に毎度毎度参加するのは、この町に伝わる怪談話の真偽を確かめる為―――積極的に遭遇しようとしているとも言う―――だ。俺にべったりくっつくのも、それが理由だったりする。
まあ今まで遭遇した事は無いので、デマだと俺は睨んでいるが。
「茜さんに浴衣を着せてくれるような噂なら大歓迎なんだけどなー」
檜木創太は和服フェチだ。空花の浴衣も見てみたいし、本来の命様の着物も今一度見てみたい。夏祭りは参加者の八割が和服を着てくれるから実に目の保養になる。メアリさえ絡まなければ、俺が一年の間に最もテンションが上がる日と言っても過言ではない。
「茜さんも着てくれたらなあ!」
明後日の方を向きながらそう言ってみる。反応はないし、期待していない。言ってみただけだ。俺の言霊が何らかの変容を茜さんに与えられたら、きっと俺ははしゃいでしまう。空花と命様と茜さんのトリプル和服コンボは俺にのみ即死コンボとして成立する。
別に死んでもいいから、着てくれないかなあ!
着てくれないかなあ!
でもメアリが弾けてるからどうなるか分からない。
ただ俗世で過ごす時間が日に日に短くなっていってるのは確かです。それは本当に良い傾向と言えるのでしょうか。




