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13話 光の道標 3



「進路、悩んでるんだね」



参考書の問題が一段落したあたりで彼女が不意に口を開いた。


突然のことではあったが。驚きはしなかった。俺の進路希望調査書が白紙であることは彼女も知っている。



「相変わらずね」



本当に相変わらずだ。まったく変わらない。進歩がない。



「さっきはありがとうね」



俺がそう礼を言うと、彼女はクリっとした目で首を傾げた。



「気を遣ってくれたでしょ?」



とぼけたって分かる。



「だから、ありがとう」



そう言ってもう一度礼を言う。今度は彼女も素直に笑みを浮かべた。



「ヒロキ君のことは少しは分かっているからね。………話してくれたし」


「……うん」



彼女は俺の想いを知っている。



『俺の話を……聞いてもらいたいんだ』



俺が彼女に話したから。


ある夏の夕暮れ時のことだ。



俺の過去のこと、将来のこと、抱えている不安、それらのことを彼女に話した。


自分の弱い部分であり、人に見せたくない、みっともなく思うところではあったが、彼女には話してもいいと、聞いてもらいたいと思った。


だから話した。


話し始めると止まらず、次から次へと言葉が溢れるように出てきて、気がつくとすべて吐き出してしまっていた。


その間彼女は何も語ろうとはせず、相槌を打ちながら俺の話を聞いていた。


普段口数が多い、それこそ会話にならないほどに喋ることすらある彼女が、である。


聞き手と話し手が逆転してしまっていた。いつもではありえないことだ。それはまさに



非日常。



俺の苦手なはずの非日常だ。


なのに


そんな苦手なはずの非日常がこの時ばかりは


嬉しかったのだ。


聞いてもらえたことが嬉しかった。



話し終え、息が上がってしまい、肩で息をしていると、話している間黙って聞くことに徹していた彼女が俺のことを見据え、やがてやわらかく微笑んだ。そして



「ありがとう」



俺に礼を言ってきた。



「話してくれて」



その声色はどこまでも優しくて



「嬉しい」



その表情は本当に嬉しそうだった。


その彼女の笑顔を見て俺は話して良かったと、そう思えた。



「少し喋り過ぎた気がするよ」



思い返しながら俺は苦い顔をする。嫌なわけではないが、単純に恥ずかしかった。



「そんなことないよ。嬉しかったんだから」



彼女は両手で頬杖をつき俺のことをニヤニヤと覗き込んでくる。


俺の想いが正しく伝わったのであればそれは良いことなのだろうが、こうも深くそれも一方的にこちらのことを知られてしまっているというのも落ち着かない。


では彼女に「君のことも教えてくれ」とでも言えばいいのか?



無理



絶対……無理!



そんなこと恥ずかしくて言えない。それにそれをネタに揶揄われるのがオチだ。


まぁ……実際言えば教えてくれそうだし、喜ぶような気もするが……それでもやはり無理だ。



「けど、現実問題としてどうしようかね?提出明日だし。それに……三者面談あるし」


「うわ………そうだった」



一学期中に卒業後の進路に関して保護者、担任そして本人による三者面談が予定されている。仮に万が一、進路希望調査書は適当なことを書いてやり過ごせたとしても、面談では流石にそうはいかない。そんなことをしようものなら親のお叱りを受けることとなる。


せめて最低限進学か就職かぐらいは決めなくてはならない。



さて……本格的にどうしたものか……。




俺が頭を抱え悩んでいると彼女が「あのさぁ……」と口を開いた。



「ヒロキ君やっぱり少し難しく考え過ぎじゃないかな?」



彼女にしては慎重に、言葉を選んで話しているのが分かる。



「進路選択はもちろん大切だよ。今後の自分の人生を決めるんだからね。ちゃんと考えて決めなくちゃいけないんだと思う」



そう、今後の自分の人生を決めるのだ。そんなに簡単に決められるわけがない。



「でも、ヒロキ君はもう少し楽に考えてもいいと思うんだ」


「楽……」


「そう、楽」


「そんなこと……」



そんなこと簡単に言わないでほしい。『楽に』なんて言われたって、それこそ俺にとっては『楽に』出来ることじゃない。



「将来の展望って言うか……やりたいことがないから進路が決められないって言うのは分かるよ。進む方向が分からなかったら、目的地が定まっていなかったら進めないもんね。けどね?時には取り敢えず歩いてみるってことも大事だと思うんだよ」


「目的地を決めないでってこと?」


「そ。例えば大学進学にしてもさ、何々がやりたいからって選ぶことは勿論あると思うけど、それだけじゃないと思うんだ。何か特別やりたいことがあるわけじゃないけど、取り敢えず大学に行って、そこでやりたいことを見つけるって人だっているでしょ。それも一つの『正解』なんじゃないかなって思うんだ」



彼女の言っていることは分かる。というよりその選択が『正解』のひとつであることは俺だってとっくに理解しているのだ。



「私もね?そうなんだよ」


「君も?」


「うん。覚えてるかな?前に話したよね?私も特別将来やりたいことがないって、分からないって。」



覚えている。あの夏の日。俺が彼女に話を聞いてもらった時、彼女自身が俺に語ったことだ。忘れるはずがない。



「あれから少し経ったけどさ、結局未だに私には『きっかけ』は訪れていないんだ。ヒロキ君の言う将来を語る上での動機や指針になるものはなーんにもない。けどそれでも止まってはいられないでしょ?あと何ヶ月かしたら嫌でも卒業することになって、もう現役JKですって言えなくなっちゃうだから。だから思い切って決めたの」


「それが大学進学?」


「うん。大学は頑張れば行けそうなところで、学部は……まぁ、ここかなーってところを選んだよ」


「いいの?そんなんで……?」


「仕方ないじゃん!何もないんだから。けど、立ち止まっちゃうよりずっといいよ」



そう言って彼女はぷぅっと頬を膨らませた。拗ねたような感情がうかがえるがそれだけではない。もっと前向きな感情がそこにはあった。



「きっとね?全然珍しいことじゃないんだよ。私の友達も似たようなもんだし。そりゃあ……まぁ、やりたいことが決まっている娘もいるけどさ。でもそれってすごく幸運なことで、すごく希少なことなんだよ。きっとたくさんの人が同じようなことで悩んで不安になって足踏みしてる。私やヒロキ君だけじゃなくて皆」



皆が悩み不安に思っている。同じところで足踏みしている。


そうなのかもしれない。



けれどそれでもいずれ皆前へ進んで行けるのだろう。


先行きの見えない道を手探りで強引に、無理やりに突き進んでいけるのだろう。



けれど



「俺は前へは進めない」



俺はずっと足踏みだ。



「皆が少しずつでも前へ進んで行く中俺だけは同じところから一歩も前へ進めない。ハッキリしないことは選べない、不確定なことには踏み込めない。皆の背中を見つめながら、その差はどんどん開いていく。俺だけが取り残されていく」



まったく……自分で言っていて情けなくなる。下を向き、どこまでもウジウジとみっともない。こんなことでは彼女にだって愛想をつかされてしまう。


結局俺は――――――



「ヒロキ君」



彼女が俺の名を呼んだので、顔を上げると、彼女が俺のことを見つめていた。



その顔は相変わらずの笑顔。


いつもの彼女の笑顔。


俺が安心する笑顔。



「大丈夫だよ」



そして穏やかで落ち着いた声で囁く。子供をあやす母親のような優しい声。



「道はね?きっと一つだけじゃないから。何か道を選んだとしてさ、もちろんその道をずっと進むこともできるんだろうけど、きっと他の道にとぶこともできるんだよ」



彼女は机の上をなぞっていた指をトーーンと跳ね上げ別のところに置く。



「思ってたのと違うなーと思ってさ、やっぱりこっちがいいなーって思ったら新しい道を選び直すこともできるんだよ。もしくはさ、何か失敗してやり直したいなーって思ったら後ろに引き返してもう一度新たに進み直すことだってできるんだよ」



人差し指と中指を人の足のように動かして机の上をトコトコと歩かせる。



「一度決めてしまったからと言ってその先のことがすべて決まっちゃうわけじゃないよ。やり直したかったら何度だってやり直せるよ。きっとね。……だからね」



彼女が俺の目を見据えた。



「選ぶことを怖がらないで?すっごく大事なことではあるけど、その一度の選択がヒロキ君の人生のすべてを決めてしまうようなことはないから。後からいくらでも選び直すことは出来るから。だから取り敢えず歩いてみようよ。それで道の先を見てみようよ。……………それでも、もしどうしても選ぶことが出来ないって言うなら、不安だって言うなら……」



彼女は机の上に置いていた手を上げるとそのまま俺の前へと差し出した。




「私と一緒に……行こ?」






まったく本当に、つくづく情けないな。



自分の彼女にここまで言わせてしまうなんて。俺が彼女の立場だったらとっくに見限っているかもしれない



けれど彼女は俺に手を差し伸べてくれた。


こんなにも情けない俺に一緒に行こうと言ってくれたのだ。



「それって、進路決める動機としてどうなの?」



だからこんなのは悪あがきだ。


自分自身の不甲斐なさへの羞恥と、差し伸べられた手を掴むことへの照れ。



「え?いいと思うよ?」


「……いいの?」


「うん。いいと思う」



そしてそんなものに大した意味なんてない。


俺には将来の展望なんてない。


やりたいこと、なりたいものなんて一つとしてない。


だからこの選択には自分の意志というものがほとんどない。この道を進むにあたっての大事な部分というものがほとんど欠如してしまっている。


こんな理由でこの選択をしてしまっていいものなのかという疑問はある。


自分の進む道のほとんどのことを彼女に委ねてしまっていいものなのかという戸惑いがある。


本来必要なものがなくて、要らないものばかりがある。


けれど自分にとって必要なもの、大事だと思えるものも一つだけだがある。



俺はこれからも彼女と―――――



それは数少ない俺の意志。


不確かなものだらけの中で唯一確かなもの。


俺はゆっくりと手を伸ばすと彼女のその手をそっと握った。






その後俺たちは再び受験勉強に集中し、下校時刻になったところで図書室を後にし、帰路についた。


いつも一緒に帰る道をいつも通り並んで歩きながら、いつものように何てことない他愛もない話をし、いつもの別れる道で「また明日」と言って別れた。そこからの道をいつもの俺は真っ直ぐ家に帰るのだが、今日に限って俺はいつもならしない寄り道をした。買い物を済ませるとあとはいつも通り家に帰った。



夕食後自室の机の上に『進路希望調査書』をひろげる。


未だ空欄のままのそれを見下ろしながら俺は先程買ったものを鞄から通り出した。


店のロゴの入った紙袋から取り出したものはとある大学名を題した赤い本。


迷い、戸惑い、躊躇い、それらがないわけでは決してない。この選択が正しいものなのかどうかそれは今の俺には分からない。


彼女風に言うのであれば、歩き出してみなければ分からないということか……。


不鮮明で、不確定。俺の苦手なものだ。


それでも俺は彼女の手を取った。


彼女のことを信じてみようと思ったのだ。



「俺はこれからも彼女と……」



俺はシャープペンを取り出すと真っ白な『進路希望調査書』に未知へと踏み込む意志を記した。






ご覧いただきありがとうございました。

何かを感じていただけたら幸いです。


次回の更新は10/16(日)の予定です。

またご覧いただけたら嬉しいです。

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