035 理不尽な嫉妬
◇ ◇ ◇
たかが、三分だ。
されど、三分だ。
運命の分かれ道と言うのは何時もそうだ。
何時の間にか現れて、何時の間にか消え失せる。
大体の者達は、その分かれ道を知らず知らずのうちに選択している。
嫌、それは少し違った。
全ての者達が全てに対して選択をしているのだ。
無意識のうちに全てを選択し、選択するからこそ。
この世界は、普通にめぐっているのだろう。
◇ ◇ ◇
辺りに居る者達は、全てにおいて、雑魚では無かった。
軽い舌打ちを打ったアルフは、多少回復した妖力を出来る限り消費しない様に闘うしか無かった。
アルフの闘い方は、アルフから見ても、低燃費では無い。むしろ、派手に眼晦ましをし、そのスキに逃げると言う、ある意味人魚本来の闘い方を無意識の内に行っていた。
(たった、三分よ…。耐えなきゃ……!)
三分と言う時間は人によって様々だ。
アルフの様に、「たった」と捉えるのか。はたまた、「されど」と捉えるのか。
捉え方の違いによって、時間の速度と言う物が非常に違う。
普段の三分ならば、非常に早いモノのハズなのに、今の三分は非常に遅く感じた。
一秒が長く感じる中で、アルフはふと、誰かの声を聞いた様な気がした。
ただ、その声はまるで風にかき消される様に消えてしまい、アルフは首を横に振った。
今はそれどころでは無いのだ。忘れろ、忘れろ。と、自分に暗示をかけ、アルフは相手を見た。
ニタニタと笑う豚の様な奴等に対して手こずるなんて…と、自分の弱さに苛立ってくる。
「ははっ、こんぐれ―弱ぇ―なら、問題ねーな」
そう告げて斬りかかって来る独りの妖魔師。
他の者たちはどういう訳か、拳銃を構えている。
アルフはそれを見た瞬間舌打ちを打ったが、即座に水で即席の刀の様な棒を作り上げ、そして流れに沿って水を回した。
水は勢いよく出せば、鉄でさえ切り裂ける力を持つ。その為、自分の手を傷つけないようにしながらも相手の刀や武器、骨などを一瞬で断つ事が出来る武器を作り上げたのだ。
これならば、妖力の消費も想像以上に少ない。何方かと言えば、水を大振りに吹き荒れる方が妖力の消費が意外にも大きいのだ。どんな技でも、大きな外見の技ほど体力消費が激しい…。覚えて置いて、損は無いだろう。
金属音が嫌に耳に触り、アルフは顔を多少歪めた。
「どうした?人魚の姉ちゃん」
「どうしたって…」
アルフの声に、男は意外そうに眼を動かした。
どうやら、声を返してくれるとは思ってみなかったらしい。
「どうしようも無く、馬鹿らしくなって来ただけよ」
そう告げて、アルフは男の脇腹を斬り付けた。
血が勢いよく吹き出し、アルフは男が呻き声を上げた瞬間を狙って腹の傷口部分を狙って蹴り飛ばす。性格が悪いとか、今はそんな事はどうでもいい。これは戦闘だ。綺麗事を言っていれば即座に自分の首が飛ぶ。
男が倒れた瞬間を狙ったようにアルフに飛んでくる銃弾の雨。その雨から逃れる為に、アルフは地面から足を放した。が、それも奴等の狙いだったのだろう。
予測していた様に打ったまま銃を上に向けてまた発砲を続けた。よくよく見れば、かなり小型化されていた機関銃だった様で、段数が結構あった。アルフはそれを見て、腕の良さそうな妖魔師に少量の水の弾丸を送り付け、それを少しだけ蛇の様に回した。
多少倒れてくれただろうか?チラリを横を見れば、全く数が減っていない。
「ちっ…」
思わずまた、舌打ちを打ったアルフ。
妖力を思わず無駄遣いしてしまった。ここは、一人一人、確実に再起不能にする事が望ましい。それに気づいたアルフは相手の方に突っ込もうとした瞬間に、思わず体を止めた。
「動くな」
体を止めたとほぼ同時に、声が聞こえる。
その方向を見れば、二人が拘束されている。
大方、此方が戦力を削げなかった事が原因だろう。
ライは捉えられ、鋭い刃を付きつけられており、相手が刃を揺らせば動脈を切れる位置に存在していた。
(ウソ…なんで……!)
分かっている。
自分の行いのせいで、ライが危険な眼に会っている事ぐらい。
だが、ライを守っていたのはあの犬神の纏っていた影だ。いくらなんでも、破られるには早すぎる…。
「動くなよ、人魚」
誰が動くか。
動ける訳がないだろう。
「動けば、このババァは死ぬぞ」
顔を上に向かせ、刃を良く見せて来る敵。
相手を脅す事の上手さ、アルフは改めて実感した。
(どうする…。どうしよう…!)
アルフの中で恐怖症が芽生える。
目の前で誰かが死ぬのは嫌だ、しかも、今回死ぬのは赤の他人では無い。
あの男が死んでくれた方がずっとマシだ、だって、ライは…。
「―――アルフ」
「!」
そして、聞こえた声。
か細いライの声が、アルフの耳に届く。
「喋るな!殺すぞ!!」
だが、その脅しにライは屈しなかった。
殺せば、アルフがどうなる事ぐらい想像していたのか。
自分を殺せば、アルフは全てを失った様に躊躇なく戦える。もしかしたらライは、それを見こしたうえで言葉を放っていたのかもしれない。
「私は大丈夫」
にっこり。と、ライが笑ってくれたような気がした。
その言葉を聞いて、アルフはようやく、体の硬直が解けたような気がした。
何を怖れるのか。ライを失う事は確かに恐ろしい。だが、屈した時点で自分の敗けだ。例え大切な何かを失う事になろうが…屈するな、とライが望むのであれば。
「わたしは―――…」
アルフが何かを言いかけたその時。
綺麗に太陽が昇り、青い青い青空から。雨が降り注いだ。
その雨は、凶器の雨で。全てを―――飲み込んだ。
「悪いけど、殺させないよ」
空から聞こえた声。
その先を見て、アルフは笑った。
大振りの弓矢を構えて何本もの矢を出現させ、一瞬で放ってくる姿。
「刹那!」
アルフは思わず歓喜を上げた。
矢は次々と敵を射抜き、そして倒して行った。
たんっ。と、軽い音を立てて地面に立ち、刹那はアクラの方へ向かう。
《遅い》
そう告げるアクラの顔はかなり不機嫌だった。
刹那は「そう」とだけ告げ、軽く受け流してしまった。
「応急処置は…少しだけか……。すぐに治す、アクラ」
《分かってる》
刹那の腕に影の様な黒い妖力が纏わりつく。
意図的にその妖力を帯びていたとしても、実に異様な光景だった。
アルフは急いでライの元に近づき、傷が無いかを聞いて探していた。
だが、無傷である事にほっとし、ネコの方へ二人そろって歩いて行った。
「治る…?刹那」
アルフのその問いかけに、刹那は言い切る。
「治るか、じゃ無くて。治す」
その言葉を聞いてアルフは笑った。
少しの言い方の違いで、こんなにも感情が変化する。
相手に与える感情の変化を、アルフはこれまでもしかしたら知らなかったのかもしれない。
「けど…まだ、終わってないな…」
ちらりと刹那が辺りを見渡す。
矢で大方敵を負傷させたが、まだ戦える者達が多い。
動けないを見越してか、剣などを構える彼等の姿が何だか憐れにさえ見えた。
「アクラ、全部倒してきて」
《いいのか?》
刹那の言葉に、アクラは思わず聞き返した。
自分はそれでも構わないのだが、刹那の体に負荷がかかり過ぎる。
「構わない。けど、速くして」
そう告げた刹那。
その瞬間、アクラの中に何かが返って来た。
アクラの中に何かが返って来た。
溢れ出す妖力に、アクラは思わず笑みを浮かべる。
自分の姿を、そこらの大型犬と同じような姿に変える。
自分の元々の姿なんて忘れてしまった。とにかく敵を倒せれば、それでいい。
《お前達は…運が悪いな》
ゆっくりと、歩き、そう告げたアクラ。
身体には影の様な黒い黒い禍々しい妖力を纏わせ、相手に近づいて行く。
《去れ、去れば命だけは奪わん》
この忠告は、一度きりだ。
心の中でアクラはそう決めていた。
二度目の忠告は無い。従わなければ、殺すだけだ。
「い、犬神…!」
怯えた様に此方を見て来る妖魔師。
刹那よりも年上のハズなのに、存在感の無さと言うか。
覇気の無さに、アクラは心の中で呆れた。
(これが現在の〈妖魔師〉と言う存在か…。呆れてものも言えん)
弱い、弱すぎる。
多少腕の立つ者も居るかもしれない。
だが、自分のこの纏っただけの妖力で、
腰を抜かしている奴等は、お世辞にも決して強いとは言えなかった。
「何人も人を殺してきた人柱の分際で…!」
その言葉を放った妖魔師。
怯えているが、相手を怒らせる言葉を放つ能力だけはまだ残っているらしい。
アクラは一瞬でその者の背後に回り込み、相手の頭を自らの前足で踏みつける。長い爪に妖力を纏わせ、そして口を軽く開いて相手に話しかけた。
《その人柱を作ったのは、誰だ》
「ひっ…!」
人を何人も殺してきた。
その事実は揺るがないし、変わらない。
刹那の手は、黒い血と、赤い血、両方の血で穢れている。
だが、それがどうしたと言うのだ!
《所詮、それだけの事。刹那がどれだけ人を殺そうが、貴様等に何の関係も無い》
だから、アクラは嫌いなのだ。
何もできない癖に。タダの弱い雑魚の癖に。
強者だが、何も言わない人形の様な者に降りかかる暴言を吐く人間が。
《今ココで、貴様を殺してやろうか。なに、簡単だ。一瞬で終わる。なんなら、動脈を軽く傷つけてやろうか?そうすれば、ある意味生き地獄を味わいながら苦しんで死んで行けるぞ…?》
何て性格の悪い妖魔だ。
そんな事は言わせない、タダの気分だ。
「ソイツから離れろ!犬神!!」
そう告げて、一人の男が銃を構える。
アクラは軽い笑みを浮かべて、告げた。
《撃って見ろ。撃った瞬間に、此奴を、お前の銃弾で殺してやる》
軽く自分が押さえつけている人間を見る。
銃弾の速度は、昔よりかは速いし、命中率もある。
だが、それでも妖力を多少解放したアクラの敵では無い。
自分と相手の位置を入れ替える事ぐらい、簡単に出来る。
「卑怯だ!!」
《卑怯…?》
相手が咄嗟に放った言葉に、アクラは笑う。
「卑怯」…嗚呼、此奴等はそんな言葉も知っていたのか…。
《卑怯か…。貴様等は、良くも悪くも、面白い言葉を使うな》
アクラは震えた手で拳銃を持つ男を軽く貶した。
《先程貴様等の取った行動も、ある意味卑怯だろ…?》
「そ、それは…!俺達はいいんだよ!」
何て理不尽な返答だ。
だからこそ、此奴等はある意味嫌いにはなれないんだが…。
「血で穢れた人柱の分際で…!」
その言葉を放った人間を。
アクラは躊躇なく、その鋭利な爪で引き裂いた。
自分が足蹴にしていた人間は、逃げられない様に骨を砕いた。
《虫唾が走る…!貴様等、今すぐ俺がこの場で処刑してやってもいいんだぞ》
その言葉に嘘は無い。
別にこんなゴミ共の命、いくら消えたって誰も困らない。
ゴミの様な家族なんて居るかもしれないが、別に構わないだろう。
この仕事をしている者は、必ずと言っていいほど命を賭けている。この仕事は、そういう仕事だ。命を賭けないクズは、とっとと死んだ方が身の為だ。
《所詮、貴様等の命など軽いもの。変わりなどいくらでもいる、貴様等の変えなどいくらでもな!》
刹那の変わりはいない。
けれど、こんな雑魚の妖魔師の変わりはいくらでもいる。
大金に飛びつき、そして死んでいく…。まるで、燃える街灯に自ら飛びつく羽虫の様な奴等…。
《例え貴様等が〈四精霊〉を指揮下に置けたとしても、それは貴様等の一族総出でようやく指揮下に置けたのだろうな。一族総出でようやく指揮下に置いた〈四精霊〉の一種は上手く扱えているか?》
相手を嘲笑う様にアクラは問いかけた。
出来る訳がないと絶対思っているが、事実、その通りだ。
指揮下に置けたとしても、命令を聞いて貰えるかどうかは全く違う。あの時は倒せたけれども、一人の時は言う事を聞かない精霊が多すぎるのだ。
「う、うるさい!お前達犬神家の人間には分からないだろう!俺達が、どれだけ大変な思いをし妖魔師になれたのかを!!」
犬神家の人間は、代々妖魔師を言う仕事を受け継ぐ。
妖魔を体内に飼っている為に、その様な心配は一切せずに。アクラが放った言葉だったが、あの言葉は間違いなく刹那に向かって放たれた言葉だ。
何も知らない奴等の戯言ほど――イラツクものは無いのかもしれない。
《だったら貴様、今すぐそのナカに妖魔を飼ってみるか?》
「な…」
何を言いだすかと思えば、そんな事。
アクラは、にぃっ…と笑った。
《妖魔を飼ってみれば分かる。妖魔を飼う物が、どれだけ疎まれるか、妖魔師と言うある意味仕事仲間の様な奴等からの殺気、憎悪の眼、貴様は耐えられるか…?》
耐えられるか、否、耐えられる訳が無い。
今まで自分に向けられてきたのは優しい眼差しだ。
「頑張れば大丈夫だ」「もう少しで出来るぞ」優しい声しか、かけられなかった。
《貴様等に刹那のナニがわかる。子宮に居た頃は生を望まれ、産声を上げた瞬間に死を求められる刹那の何が理解る!?》
良く知っていた。
幸子がその腹に赤子を宿した時。
どれだけ嬉しそうな顔をして、赤子の誕生を待ち望んだか。
そして産声を聞いた瞬間に、どれだけ憎しみや憎悪の眼で我が子を見たのか。
《そんなに強い妖魔師になりたければ、何故禁忌を犯さない!?何故、体内に妖魔を封じ込もうとしない!?その理由は何故だ!?強くなれる方法など眼の前に転がっているのに、なぜ貴様等はそれを取らず、唯一、祖先が生み出したその方法を受け継ぐ刹那だけに殺意を向ける!》
理解できない。
人間とは、理解できない生き物だ。
嫉妬、憎悪、嫌悪、本当に――――醜い。
「アクラ―――」
アクラの怒声の中。
涼んだ声が、響き渡った。
「それ以上は言わなくていい。どうせ、此奴等には禁忌を犯す覚悟が無い。強さがどうのこうの言ったって、努力する頭も無い。生まれついた時からの、弱者だ。何処かに消えないんなら、とっとと消せ。目障りだ」
治療を続けながらも、刹那は顔色一つ変えずに言い切った。
アクラはその言葉を聞いて、静かに頷いた。
《そうだな…。じゃあ、殺すか》
何のためらいなんて無い。
殺してきたのだ、相手は殺す気で居たのだろう。
別に、殺しが罪な訳がない。無差別の殺し合いが罪な訳では無い。
ただ単に、人との共存の中で、殺し合いはしてはいけない事なのだと。自分達の中でそう言う約束事をし、何時しかそれを法律などと告げているだけだ。
そんな法律は、自分達が造り上げた、タダの約束事でしか無い。守るか守らないかは、人の自由だが…。守っていれば、大方、人からの恨みを買う事は無いだろう。
だが、妖魔師は裏の世界を生きる人間だ。ヤクザ何かにも似ているが、それは少し違う…。
「殺せ、目障りだ」
その声は実に冷ややかだった。
その言葉に、アクラはニッタリと笑う。
大弓の形をしていたビャクは何時の間にか刹那達の間に結界を張っていた。
これならば、多少暴れても問題ない…。
アクラは瞬く間に人の姿を取り、そして自らの爪に妖力を込めた。
「お前等全員、皆殺しだ」
俺を怒らせた罰だ。
お前達に、何が分かる。
俺だって、刹那の事は何もわからない。
だが、知っている事が一つだけ存在する。
刹那は…凄く、綺麗だと言う事を。
微塵も汚れてなどいない。血で穢れていようが、血の池を幾多と作ろうが、奴は―――清流に住まう魚の様に美しい。過去に囚われない未来を向き続ける真っ直ぐな奴だと。
「ま、まて…!話せばわかる!!」
「分かるか、死ねよ」
サクッと、アクラは人を殺した。
ドッと辺りから人間が逃げて、森の中に散らばっていった。
だが、アクラはそれよりも早く動き、視界に入る全ての人間を殺していった。
その光景は、まさに地獄絵図。
ポタポタと大地を汚す赤色が、嫌に眼に飛び込んできた。
「酷い光景…」
ぽつり。と、見ていたライが呟いた。
丁度その時、ネコの治療を終えた刹那が立ち上がり、ライの傍に立った。
「そうですね」
その光景を生み出した張本人と言えよう。
その彼女が冷たい声で、淡々とそう返した。
「こんな光景を生み出した私でも。貴方はまだ、あの時の依頼を続行しますか?」
その言葉は、今ならまだ間に合うと告げている様だった。
だが、ライの意思は何故か硬く、揺るがないものだった。
「いいえ。貴方に任せます」
ふるり。と、首を横に振るライ。
一体彼女は何がしたいのか…。刹那には、到底理解できなかった。
「ビャク、戻れ」
「はい。お嬢さん」
大弓の姿では無いビャクが笑う。
何時の間にか人型に戻っていた様だ。
堤時計を見せればビャクは素直にその中に戻っていく。戻ったのを見、刹那は堤時計をポケットの中に突っ込み、そしてアクラの方を見る。
「アクラ」
呼べば、此方も人型だったアクラが獣型に戻る。大型犬よりも少し大きい程度の真っ黒い獣が近寄って来る。
刹那は「ん」と告げ、ネコを指させばアクラは察した様に溜息を吐き出しながらも、ネコに近寄り、そして器用に自分の背に乗せた。
「死体は…」
ふと、呟いた刹那。
だが、心配無用だった。
上を見上げれば夥しい数の烏やら鳥類が飛んでいる。
辺りを見渡せば、野生動物たちが寄ってきているのが分かる。
大方、血のニオイにつられてきたのだろう。ならば、ココから速く離れるのが妥当だ。
「アクラ、行くよ」
「ライ…」
刹那の言葉にアクラは頷く。
アルフもライの手を取り、その場を後にした。
悲惨な地獄絵図から背を向ける刹那たち。
その中で誰一人。後ろを振り向こうとする者はいなかった…。




