014 友好的関係
ネコが連れて来られた部屋は何と言うか、殺風景。何も置いていない畳が引いてあるだけの部屋であった。布団を入れる為の押入れはあったから、まさかかと思って顔を軽く赤めるネコ。頭の中の妄想は止む事を知らない。あんな事やこんな事、やりたいとかやってみたいとか断じて思ってはいない。
「白黒」
静かに堤時計を弄る様に持ち、聞えない様に呟いた刹那。瞬く間に現れたのは執事服に似ている服を着た、白い髪に黒いメッシュが数本入っている青年、通称ビャクが出て来る。ゆっくりと辺りを見渡し何処で召喚されたのかと言う情報を捕えたビャクは刹那の後ろに得体の知れない男が居るのを見つけ、にこ……っと友好的な笑みを浮かべ微笑んだ。ネコはその微笑に胡散臭さを感じながらも小さく頭を下げた。
「さて、お嬢さん。 今日は私に一体何の御用でしょうか?」
エルフの様に先がとがった耳を持つビャクはあからさまに人間では無い。静かに頭を優雅に下げれば刹那は静かに命令、今回の要件を告げた。
「ビャク、此奴の記憶を改ざんれ」
「!!」
その言葉を聞いて、ネコは大きく眼を見開いた。先程現れた青年、ビャクにそんな能力はあるとは到底思えなかった。人の姿を取っている事から多少強い御妖力を持っているのだとは思うのだが、完全に人間に成り切れていない為まだまだ普通の妖魔だろうと思った。刹那と契約しているとは言え、まさか記憶を弄れるとは思えなかった。
しかし、刹那の言葉の使い方と言えば嘘をついている様には見えなかった。ジリジリと後ろに下がるが、殺風景な部屋での入り口は頑なに閉ざされていた。多分どちらかの力により絞められているのだろう。この部屋に入った瞬間から、逃げ場など何処にも無かったのだ。
「承知いたしました。お嬢さん」
ニッコリと微笑んたビャクは瞬時にネコに近づいた。「ヤバイ!」と感じたネコは血を出そうと親指を噛もうとしたが遅かった。
「おやおや。 何を成さっているのですか?」
「なっ……」
何時の間にか可笑しな空間へ引きづられていたネコ。辺りは何の色も無い、白黒の空間だ。そんな空間で尚色を失わないビャクと言う男、この空間の主人であると示していた。
「この空間の住人は貴方と私の二人だけ。さ、むさ苦しい男を排除して… 私はさっさとお嬢さんの元へ帰ります。あ、安心して下さい。どっかの道端にごろんと捨てて差し上げますから後処理もバッチリです」
怖い事はありません。と笑みを浮かべるビャク。まるで何かを楽しむようなそんな表情を見て、苦味を潰した様な顔をするネコ。すぐにビャクから離れる為、走った。体力には自信がある。そして限られた情報の中で必死に考えた。
(待て待て、なんで俺がこんな目に…!)
自分は刹那に信頼されてこの場に居たハズだ。何故、今頃記憶の改ざんなど…。
(! まさか……)
ネコの中で、嫌な推測が成り立った。そうれあって欲しくないと願うばかりのその推測。
(俺がお前の何か、都合の悪い事にでもなったのか? あの、会話で…)
ビャクから距離を取りつつも懸命に頭を働かせるネコ。記憶を改ざんする妖魔など聞いた事が無いが、刹那があのビャクと言う妖魔に命じたのならばその妖魔は本当に記憶を改ざんできる力を持っているのだろう。
いくら人間の姿を取ろうが髪の間から出ているエルフの様な長い尖った耳は妖魔の証。誤魔化しは効かない。このビャクと言う妖魔は元から刹那の契約妖魔だったのだろうか?しかし、ネコの情報では刹那は契約妖魔を持たないとなっていた。つまり、ここ最近契約した妖魔だと言えた。あの刹那が契約したのであればとても珍しい妖魔であり、この妖魔を味方に付けなければ自分はココから脱出できないと嫌でも分かった。
「っ……」
唇をグッと噛みしめたネコ。契約妖魔を味方につける為には相手に自分の力を思い知らしめるしかないが、そんな事をしても契約妖魔は契約者に縛られたままである為やはり出してくれないのだと思えた。殺してみると言う手もあるのだが、それで殺してしまったら一生この空間から出られないかもしれない。そう言う事も考えて、ネコは無い頭を必死にフル稼働させていたのだ。
(何だよっ… それだけ、あの〈餓鬼〉に深入りしてんのかよッ!!)
古来より、妖魔師には感情が不要だとされる。物語で言う暗殺者や殺し屋、何かを壊す者達は皆、感情はイラナイ物をされている。命令道理に忠実に動く人形こそ、求められている物だと言えた。
妖魔師は妖魔に情けをかければまさに「蛇の生殺し」を自分が追う事になる為である。感情を露わにすれば妖魔に漬け込むすきを態々与えるだけだと言うのに…あの、刹那はどうだ?たった一匹の餓鬼の為に記憶の改ざん、そして感情をある意味露わにした。それほどまでに彼女にってあの餓鬼…いいや、会話の何処かの文字が重要だったのだろうか……?
(えぇいっ! ややこしい事は後だ後! 止めだ止め! 今は――…この状況の回避を考えないと…)
馬鹿な子猫だこと。
状況を回避する事が出来れば、誰だって苦労はしないさ。
ネコは親指を噛みちぎる。そして、今回は少しだけ疲れるのだが略式を使う事とした。略式とは、召喚系の妖魔師が妖魔を呼ぶ為に地面に血を付ける作業を止める事を意味する。つまり、血の臭いと呼びかけだけで妖魔を呼ぶのである。
「主よ! 妖魔師は人の為に在り!」
叫んだネコ。でも、ミズキは現れる事は無い。
「お忘れですか? ココは、私の空間」
「っ!」
「私以外は誰も、お嬢さんでさえ…決定権を有していない…」
その言葉を聞いて、ネコは唇を噛みしめた。ココは何かしらの妖魔が生み出した空間。たかがネコの呼びかけだけではミズキの耳には届かないと言うのだ。
「くっそぉ!」
ネコは唇を噛みしめて叫んで走った。足が千切れんばかりに力を入れて、相手から少しでも距離を取ろうとした。
(ミズキが来ない、どうすれば……!)
真っ蒼にしつつも、ネコは突破口を考えた。でも、考えても、考えても、ネコの頭じゃ何にも浮かんでこない。だからネコは―――考える事を放棄した。
「主よ! 妖魔師は人の為に在り!」
「?」
立ち止まり、地面に手を付けて血を流す。
一か八かの賭けだ―――!
「何をなさっているんです?」
不思議そうな眼で見て来るビャク。まだ、襲ってくる様子は無い。
「来い! 出て来いよミズキ!!!」
「無駄ですよ、ココは私の空間」
「妖魔師は人の為に在り! お前とオレは契約しただろ!? だったら俺の呼びかけに応えろ!」
無駄だと言うのに。ビャクはそんな風に相手を見つつも、ニッタリと笑った。やはり、あの娘の元に下って正解だった。実に自分を楽しませてくれる…。
「くそっ!」
ミズキが現れない事を悟ったネコ。悔しそうにしてビャクから距離を取る。失血するのも忘れたまま…。
「おやおや、逃げるのですか? でも残念。 失血しないと、妖魔の鼻からは逃げられませんよ?」
特に妖魔師の血は良く臭う。特に―――妖魔の文字を背負う者の血は。
「出来れば早々に捕まって頂きたい物ですねぇ…」
それは嘘の言葉だった。ビャクが本気になれば血を流したネコなど簡単にとらえる事が出来る。それが出来るのは彼がこの空間の中では最強であるが故である。獏戦となれば話は別であるがこの空間はビャクが造り出した物。相当の力を持つ妖魔…アクラ並ならば簡単に壊されるだろうがそんな妖魔は早々居ない。事実上、ネコの手持ちではビャクを倒す事は出来ないのである。
彼は面白おかしそうににったりと狂った笑みを浮かべてゆっくりと歩き出した。走るのは勿体無い。そんな悠長な気持ちが何処かであった―――。
◆ ◆ ◆
あの男―――― ビャクはまだ、諦めてくれぬだろうか?そんな空想的、夢物語の様な考えが不意にネコの頭をよぎった。あの狂った笑みは恐ろしく、捕まってはならないと本能は叫んでいた。ただし、その狂った笑みすら美しく思える。妖魔に魅了されるな、妖魔師は幼い頃よりそう叩きつけられるように教えられる。妖魔が人間に化けれはそれはそれは美しい姿となる。人間に化けた妖魔ほど、美しい人間は存在しないと言われるほどだ。
だからこそ、妖魔師は妖魔に魅了されてはならないと教えられる。魅了されれば最期―――――――――― 死、あるのみ―――…。
◇ ◇ ◇
「まだ終わらないか…」
茶色い使い込んである机の上で刹那は温めたお茶を口に含みつつも軽くぼやいた。ビャクがあの空間に入れた時点でネコに勝ち目はないと分かっている刹那。なのに一向に終わらない鬼ごっこに刹那は少しだけ呆れを見せていたのであった。
「なんだ。 心配なのか?」
アクラが不思議そうに問いかけて来る。それおそのハズ。刹那が他人の心配をする事など皆無であったのだから。少し意外だったのだ。
だが、刹那からの解答は何時も通りと言えた。
「嗚呼、心配だな。 ビャクがちゃんと命令通りに記憶を改ざんしてくるか…アイツの性格上、それが一番の心配だな」
(だろうな……)
諦めていたアクラはため息交じりに心で同意した。もとよりそんな答えが返って来るだろうと予測していた為にあまり反論は無い。
刹那が最も心配している事はビャクがしくじる事だ。流石にそれはマズイのである。自分が妖魔との内通している事がバレてしまえば変な話、色々な信用に関わる。
先程の会話でネコが信頼するに値しない人物だと言うのは分かった。まぁ、元々信用しようとは思っては居なかったのだが、使えると思ったから言って見ただけではある。それにしても、あの態度には非常に腹が立った。
ビャクの能力を事前に聞いておいたのがとても良かったのだろう。
◆ ◆ ◆
「ビャク、お前は何が出来るんだ?」
「と、申しますと……?」
ビャクと契約したその日の自宅で刹那はアクラが用意した紅茶を飲みつつもビャクにとある質問をした。しかし、刹那の突然的な意味不明な質問は流石のビャクも困った様に首を傾げている。刹那はそれを見、少し自分を責めた様で「すまない」と軽く謝罪したのち、その話の大切な言葉を入れた。
「お前の能力についてだ。 〈獏〉と言う妖魔についてはあまり知られていない部分が多い。 その点については私も知らないんだ、知っておいて損は無いと思うだろうと言う事だ」
「あぁ、なるほど……」
ビャクは納得した様に頷き、少しだけ考える体制に入った。元々〈獏〉と言う妖魔は希な存在。従える妖魔師も皆皆無に等しい為、現段階で刹那たった独りと言う可能性だって在り得るわけだ。刹那が知りたいと思った事は間違いでは無いだろうし、他の妖魔師も従えれば速攻で聞きたい事に入るだろう。
「そうですねぇ… 私が最も得意としているのはやはり“夢を喰らう”事でしょう」
「それは分かっている。 だが、具体的にはどうなっているんだ?」
具体的には。その言葉を聞き、ビャクは少し困った様な笑顔を浮かべた。しかし、そんな事で引く刹那では無い。目から語られるのは「話せ」と言う命令口調の文。ビャクはお手上げと言う様に苦笑し、静かに刹那の空になった紅茶を継ぎつつも話す。
「“夢”と言うのは本来、一種の記憶なのです。 その為、〈獏〉はその気になれば人の記憶でさえ喰らってしまう事が出来るのです」
ビャクの言葉を聞き、刹那は少しだけ悩む様に眼を細めたのち、口を閉ざした。ビャクの言う“記憶を喰らう”とは簡単に言えば“記憶の改ざん”を意味している。
そう言う事ならば、使えると思われるあの妖魔師…少しウザイが結構才能もあるし、使えるかもしれないと思った猫又に少しだけ自分の秘密を明かし、信頼するに値するのならばそのまま生かし、駄目だった場合はビャクに命じて記憶の改ざんを命じればいいだけだろう。言い方を変えれば、刹那はいい駒だけを手に入れる事が可能になった訳なのだ。
「そうか… 流石はビャクと言う所か…」
「いいえ。 〈獏〉の特徴ですから私、個人の能力などたかが知れておりますし…」
紳士風に爽やかに笑うビャク。個人の能力と言うのも気になるが、そこは聞くのを止めた刹那。聞かない方がいいだろうと言うささやかな配慮だ。しかし、褒められてか少しだけ嬉しそうな顔をしていた。
「と言っても、少しは力を使うんだろ?」
「まぁ、そうですね… ですが―――…」
そこでビャクは一旦口を閉ざした。閉ざしたと言うよりは区切ったに等しいのだが…静かに紅茶のカップを置き、眼だけでビャクを追って来る刹那の顎をクイッと上げ、自分の眼と見合わせる。刹那は無言でされるがままの状態。ビャクの好きにさせた。
「お嬢さんを、下さいませんか?」
「…………………………」
お嬢さんと言うのは刹那の事だ。流石に二言でYESとは言い切れなかった。二人の間に出来た無言の中。それを見かねたと言うよりも殺気を込めて一歩を睨みつけているアクラは拳を握り締め無言で二人の間に入り込み、ビャクの整っている顔を思いっきり飛び蹴りを入れた。同時に「いい加減にしろっ!」と言う怒鳴り声を叩きつけた。飛び蹴りを喰らったビャクは少しだけ痛そうな顔をするが別に大した怪我などは負っていないだろう。
例え狂人的な力を持つ〈犬神〉だろうが、現在の姿は一応人間。成人男性よりもすこ――――し力が強いだけだ。それなりに力を制御してくれているだろうから、そんなに力は込めていないだろう。
「何するんですか、アクラ卿」
「「何するんですか」じゃねーよ! 何人の女に手ェ出そうとしてんだテメーは!」
「何を申されるのですか? お嬢さんはアクラ卿、貴方の私物ではありませんよ。 むしろ、我々がお嬢さんの私物なのですから」
ビャクの言葉にアクラはぐっと押し黙った。別に私物扱いされた事に引いたのではなく、その通りだと言えたから引いたのであり、アクラも実際刹那が自分を道具の様に扱っている事に不満は無い。
歴代の妖魔師が自分を道具の様に扱うのは当然だと思っており、多少感情移入があったとしても刹那ほどにアクラが感情移入して来た妖魔師は存在しない。それぐらい、アクラは刹那の事を――――……。
「ねぇ、ビャク」
「はい? どうかされました?」
静かに椅子に座り何も無かったように紅茶をまた飲む刹那。その姿が実に得に絵になる様に良く似合う。ビャクは何時も通りのにこやかな笑顔を浮かべ、刹那の言葉に対応する。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――?」
「それは… 私はどう、お応えしていいのやら…」
珍しく、ビャクは顔を曇らせ困った様に眼を軽く逸らした。内容が内容だっただけに、断言できなかったのだろう。
「今日、連れて来るかもしれない人間、裏切った場合は完全に記憶を改ざんできる?」
流石のビャクもそればかりは出来るかどうか見て見ないと分からない為、頷きたくとも頷く事が出来なかったのだ―――…。
◆ ◆ ◆
「あんな事があったんだ。 心配して当然だろ?」
当たり前と言う様な顔をしてまた紅茶を飲む刹那。そんな考えを持つ刹那に対して、アクラは溜息を吐いた。
《そんなヤツを一人にしといて、いいのか?》
「嗚呼、問題ないさ。 ビャクはそれなりのけじめをつけて帰って来る」
その言葉を聞き、アクラは無言となった。
刹那の言った言葉、それは、つまり――――…。
(アイツが判断した事に従う… または、ヤツの判断を信じると言う事か…)
我ながら、何とも情けない…… いいや、気持ち悪い感情だった――――。




