012 一枚の依頼書
〈妖魔師〉とは妖魔を斬り、そしてその斬った妖魔の強さなどにより報酬を得る事が出来る裏の職業である。別名を〈死の仕事〉と呼ぶ人達もいる。案外大博打にも等しいだろう。命を懸けて妖魔を斬ったとしても、その戦闘の傷で亡くなれば金は遺族の物になってしまうのだ。
一攫千金を狙うのならばやはり簡単な仕事であり、尚且つとても報酬が高額な依頼を引き受けるのが一番よいだろう。最も代表的で馴染みのある、どんな妖魔師であろうと一度ぐらいは耳にした事の在る様な仕事。それは、「人魚を捕える」と言う仕事だ。
人魚と言えば近年、色々な事がある。近年で最も表社会で存在するのは人魚の正体はやはりジュゴンと言う海牛目と言えよう。ジュゴンの優雅な泳ぎなどを古代の人々は人魚だと間違えたと言うのが一般的な説だとされる。
しかし、裏の中ではそうは言っていられない。裏の中で〈人魚〉と言えば下半身が魚、上半身が人間と言う妖魔である。最後に人魚が競売にかけられたのは大凡二百年前とされるぐらいに貴重で存在はするが正確な数、生息地などを全く知らないそんな種族であった。獏と同じくらい謎が深い種族であるのだが、なにより人魚が珍しいとされるのはその性質に関係していると言えよう。
人魚の血肉は古代より不老不死の材料とされることが多い。一般的な人魚の寿命は二千年から五千年と言われており、人魚の血肉を喰らえば若々しいまま永久の晴明を手に入れる事が出来るとされている。世の中で言う不老不死と言えよう。もう一つが若々しくはならないのだが、食べた歳、姿のまま永久の寿命を手に入れると言う説。どちらが正しいかは分かっておらず、二百年前に競売にに賭けられた人魚も喰われた訳では無く脱走により行方が分からなくなったと言われている。
人魚の唄は全てを魅了するほど美しい物とされ、別名〈海の歌姫〉と言われるぐらいにその唄は美しいとされる。人魚は度々海の上に気まぐれに上がって来、その美しい唄声を響かせ船乗り、航海士などを魅了させる事もあり、航海士は舵を取る事さえ忘れ、聞き入ってしまうほどだとも言われている。
二百年ほど前に良く目撃された人魚は透き通る様な美しい水色の瞳を持ち、蜂蜜を染め上げた様な美しい黄金色、金色を持っていたとされている。人間が困った様な顔をするのを楽しそうにクスクスッと笑い、危なくなると海の中に去っていくのだと言う。その人魚は実に気まぐれだったらしいのだが、ある日ポツン…と現れる事は無くなったと言う。噂では死んだか、はたまたその唄声自体が空想。空耳だったのかもしれないと言う事であった……。
◆ ◆ ◆
とある日―――。
犬神刹那。妖魔師である彼女は一週間ほど前に妖魔、獏との契約を無事終えその後仕事に軽く励んでいたのだが困った事に一週間前からと言う物、彼女の周りから不機嫌なオーラが漂っているのだ。何者も寄せ付けないような不機嫌マックスなオーラを気にする事も無く出て来る能天気を通り越して馬鹿な奴。
その人物こそ、刹那のイラツキを更に上げている人物であり、地雷を踏めば一発で刹那のある意味本気の殺気を発揮させる事の出来るある意味凄い奴である。
一週間ほど前までは何も変わらぬ風景だったのだ。アイツが来るまでは…平凡な空気、平凡な空、平凡な日常だったハズなのに……。
「ねぇねぇ、せーつなちゃーん。 一緒にお昼食べよーよ」
何故か旧鼠事件以来、あれからしつこいくらいに猫又一生。彼が刹那に毎日の様に話しかけてくるのである。休みに勘になれば光の速さでやって来ると言うか話しかけて来る。席は隣りなので嫌でも押し寄せて来る大波の様な奴だ。
休み時間は刹那にとって寝れる時間であるのだが、隣がこうも五月蠅いと眠れない。刹那からしてみれば安眠妨害の象徴とも言える男で、相手にあまり興味の無い刹那の中ではダントツで今一番死んで貰いたい男に入っている。
「いい加減、私に話しかけるな。そして私はお前と食事を喰うつもりは無いし、お前にそんなに馴れ馴れしい態度を取った覚えもない。消え失せろ、私の視界に入るな、出来ればチリ残さず消えろ」
そこまで言うのか!と言うぐらいまでに相手を拒絶する刹那。ギロリと睨みつけられる右眼の上辺りにはアニメ何かでよくあるデホルト的な怒りのマークがクッキリと浮かんでおり、周りに居る者からすればものスッゴク迷惑な事である。
しかし、へらりと笑い受け流す猫又もある意味只者では無い。
「チリ残さず消えろってさぁ~無理に決まってんじゃん。刹那ちゃんが生きてる限りは無理だって」
チリ残さずと言うのは確かに出来る事である。微生物何かに骨も残さず食われる事を意味するのだが、それにはとても長い時間がかかる為刹那の生きている時間内では叶えられる事としたら死んでくれるとかどっかに行ってくれるぐらいしかない。しかし妖魔が絡めば問題ない事なので刹那は無言でそっぽを向いた。
「あ、刹那ちゃん!」
刹那がそっぽを向いた方は窓辺だったのだが猫又の方向から神崎里美の声が聞こえた。無視するのもいいのだが、一応声は返さないといけないと頭の中では思っている刹那は溜息を小さく吐いて混じらない様に声を返した。
「なに、神崎さん」
静かにそう問えば神崎はぶわっと顔を真っ赤に染めるがそののちに恥ずかしそうにモジモジしつつも喋る。
「あ、あのね……」
彼女の顔を見つつも刹那は何も言わなかった。喋れば彼女の勇気ある発言を無駄にすると分かっているからである。
「私の事、里美って呼んでくれる?」
「…………」
どうやら名字では無く名前を呼んでもらいたいようだ。それぐらい別にどうでもいい刹那は「じゃあ…」と言う様に口を開いた。
「里美。 これでいい?」
今のは試しに呼んだだけなのだが、神崎……里美は嬉しそうに頬を染めて「うん」と笑った。
「うん、ありがと! 刹那ちゃん!!」
パァッと嬉しそうな声を出す里美は嬉しそうな顔をしてその場から去った。これ以上話す事もないし、それに刹那は少しだけ不機嫌な顔をしていた。刹那を陰ながら良く見ている言い方は悪いが観察している里美からすれば刹那に嫌われる事はとても避けたい事である為、言いたい事を伝えたらすぐにその場を離れたのだ。
「ふぅ~ん。 あの子、刹那ちゃんにあれだけ言う為に来たんだ―。人気者だね、刹那ちゃんは」
嫌味の様に聞こえる言い方をする猫又。対する刹那は少し呆れているのか、何も言わずに視線を窓辺にやり外を見た。青々とする空は何時も通りと言えよう。
「早々、刹那ちゃん。僕もちょっと頼みがあるんだけど」
にこやかな胡散臭い笑みを浮かべる猫又を眼の端でとらえた為か刹那はまた不機嫌そうに顔を小さく歪ませた。
「無視かぁ~まぁいいけど。 俺もさ、刹那ちゃんの事刹那って呼んでもいい?」
「………何処が変わるかは知らんが…好きにしろ」
「よっしゃ! 俺の事は“生”って呼んでいいよ」
「………さぁな」
刹那はふいっとまた視線を軽く戻して空を小さく見上げた。そんな刹那にため息交じりに呆れた猫又はじゃあと言う様に笑った。
「ネコでいいよ、俺の名前、猫又だし」
「…………そ」
素っ気無い態度であるが一応ネコと呼ばれるかもしれないと言う変な期待に胸を膨らませた猫又……いいや、ネコ。今の彼の姿を見るのならば何処からか獣耳が見えて居る様に思えた。
「あ、そうだ刹那。 ちょっと妖魔師の事で話したいんだけど…いいかな?」
軽い隠語が使われているが考えれば色んな考えが浮かび上がる事だ。小さく溜息を吐いた刹那は「分かった」と間をかなり開けたのち了承し、立ち上がった。猫又が話しかけて来る事で言えば妖魔師の事でしかないだろうと知っているからだ。
周りからしてみれば軽い告白か、はたまた二人が付き合っているかもと言う妄想を膨らませるのには充分だろう。明日、何かしらの噂が立つことを長年の勘から予知した(誰にもできるだろうが)刹那は溜息交じりに教室から鞄を持って出た。
◆ ◆ ◆
屋上にたどり着けばビュゥッと冷たい風が頬に触れ、吹き荒れた。春先言えども風はまだ肌寒い空気を送り付けていた。刹那は少しだけ肌寒い為か腕に触れ、静かに「アクラ」と言いアクラを呼びつけた。
ぽふんと音を立てて現れるのは大妖魔、犬神と昔は恐れられていた犬神。名を、アクラと言う。本人は案外気に入っているらしい。しかし呼び出された姿は何時も通りの犬と言え無い。むしろ“毛玉”と言う言葉が似合う丸っこい黒い塊だ。
「まぁ、取りあえずこれを見てくれって」
自慢げにへへっと笑ってネコは一枚の紙を取り出した。獏の時とは違い日焼けなどは無く、折り目は在る者の真新しい新品同様の紙だ。折り目が付いている理由は懐に入れていたおかげだろう。
「この依頼、一緒にいかねぇ? 無論報酬は山分けって事で…」
「その前に見せろ、出ないと何も言えん」
刹那も一応依頼書は見る様なのでネコは嬉しそうに笑みを浮かべて刹那の手の平に依頼書を乗っける。刹那は急かされているのに気付いているがため息交じりにそれを受け取り依頼書を見た。一番最初に目に入るのは依頼内容では無く、依頼の報酬額。報酬はとても高額。そして、次にあるのは依頼内容。これもある意味……簡単。そののちにその依頼についての注意事項、傷付けないとか殺すなとかそう言うのが書いてあり、要は妖魔の捕縛と言っても良かった。報酬額、依頼内容、依頼の注意事項、そしてその後に小さく書かれていた文字。それは依頼人の名前だった。本来ならば順序はかなり違うのだろうが、恐らく報酬額により眼を眩ませたいと言う目的があったのかもしれない。
(ふざけるなよ…)
刹那は顔色を変えない様にしつつも、軽く殺気を滲ませた。根っこからの嘘をついているコイツの依頼は実に言葉巧みに相手を惑わし誘導する様に見えた。そして依頼書から顔を上げた刹那が最初に見たのはニコニコと刹那の解答を待つネコの姿。でも、刹那は依頼書を返して少しだけ低い声で言う。
「猫又、これはお前一人で行け。私は往かん」
低い冷ややかな声はまるで脅すような声の様に思えた。本人は脅しているつもりは無いだろうが、脅すような口調に聞こえた猫又は背筋を凍り付かせるがそののちに疑問を刹那に向かって叫びかけた。
「何で? 報酬だって高額だし、依頼内容だってある意味簡単で…」
「………そうだな」
「だったら……!」
刹那からの解答に、ネコは眼を見開き叫ぶ。しかし、刹那は何もわかっていないな、と言う眼でネコを見、そして告げた。
「確かにこの依頼は実に簡単だ。 で、何故私が受けないと言う訳を知りたいんだろ?」
パタパタと軽く依頼書を風に泳がせる刹那。眼は本気だ。
高額の依頼書の多くは妖魔師が喉から手が出てもいいぐらい欲しい物だ。運よくそれを手に入れた猫又は刹那に見せ、一緒に行き、あわよくば仲良くなろうとしていたのだろう。別に仲良くなると言うのは刹那からして見ればどうでもいい事だ。刹那からしてみれば依頼内容、そして依頼主と…最後に、この隠すような書き方が気に入らなかったのだ。
「お前、何も気づいていないだろ? まぁ、言葉巧みに誘導されたら、そうなるか…」
「な、何言ってんだ……?」
訳が分かっていないネコを見て、刹那は溜息を吐いて奴の額にぽんっと依頼書を乗っけて雑に返した。
「良ぉく見ろ、こんな最低な人間の依頼を引き受けようとするとはな…」
依頼主の名前は“闇市光明”表向き大企業の社長だ。裏向きは妖魔師の事を知っており、己のセキュリティポリス、通称SPを任せているのである。だから猫又だって知る人物だから安心だと思っているが…。
「監禁されている人魚を助けて来い、そんな依頼を出す馬鹿は居ない。恐らく奴の目的もまたその人魚だ。裏市場に二百年前に一度だけ出たとされる美しい人魚は恐らく日本に逃げていたのだろう。その居場所を見つけ、捕える為に妖魔師を使うんだ。保護って言う言葉巧みな嘘を使って……な」
「で、でもさ…… 本当に監禁されているなら助けに往かないと…」
こういう所が駄目なのだ。確かに情と言うのはイラナイ物では無いだろうがでも妖魔師の中ではあまり必要ない物と言えよう。監禁されているのならば助けに往かねばならない。これはネコの中の本心でもあった。しかし刹那はその本心を容易く一刀両断にしてしまう。
「依頼内容、依頼者。報酬金額、不自然な言葉の使い方。 それに、闇市光明は表も裏向きも政府にかなり従っている様に見えるがその更に裏、奴の中の限られた者にしか見る事が出来ない最悪の姿は―――… 裏の市場に捉えた保護を名目に捉えた珍しき妖魔を売りさばいて莫大な利益を得ている。恐らくこの依頼書も人魚の血肉が目的だろう。でも、生きて捕えろって事は…生きたまま市場に出して、買った奴が血肉を欲しがればその場で殺し、買った奴が観賞用としたければ生かしたまま引き渡すって奴か…。そんな奴の依頼、私が受けると思うか?」
「…………っ」
ネコの誤算はソコだ。相手の情報を知らなさ過ぎた故にそうなっているのだ。けれど、刹那は一体何処でそんな情報を得ているのだろうか…?ソコも気になる所ではあった。
「人魚についてはあまり良く知られていない。もしかしたら変体科学者何かが実験体のモルモットにするかもしれんな、保護なんかの仕事は確信が取れないと受けない主義なんだ。無論捕縛の仕事は一切受けない。妖魔を狩る、斬るならば請け負うがね」
人魚についてはなにもまだ知られていない。貴重な個体故に大切に扱わねばならないが、それでも実験などをすれば貴重な記録が出てくるだろう。そう言う意味では妖魔を研究する科学者からしても欲しい一品ではあった。
「高額報酬の裏には何かしらの意味がある。それほどまでに強い妖魔が居るかもしれない時と、裏で悪い事をする為に隠す為の保証金として…だが大体…そうだな。十分の九は黒だ。そして十分の一は白だ。下手すればもっと少ないが…今度からは依頼主の事も調べろ。下手な高額依頼に惑わされれば……早死にするぞ」
刹那はそう言って鞄を軽く持ち直してフェンスに背を預けた。力を入れれば落ちる事は出来るだろうにそんなハラハラ感がある中、ネコは一枚の依頼書をただ茫然と見つめ刹那に告げた。
「だったら、最悪だ…」
「……何が?」
言葉は通じるだろうが意味は分からない。相手に伝わっていない言葉だ。主語が抜けている。刹那が思うのも何だが言葉のキャッチボールが出来ていない。しかし、最悪と言う言葉通りである事だけは確かであった。ネコの顔は真っ蒼を通り越して真っ白に近い。まるで死人の肌の様に見えた。
通常、依頼書と言う奴は一枚のみとなっている。それは依頼中に仕事が被ったりするのを防ぐためであり、依頼を受けた者が狩っても狩らなくともその妖魔が死ねば依頼は成功、報酬はその妖魔師に送られるのである。本来ならば多くの妖魔師に送るのもいいだろうがそうなると退治した妖魔師に報酬が送られる為、瀕死までに他の妖魔師が妖魔を追い込んだとしても結果的に殺した妖魔師が妖魔の報酬を得る事が出来、色々と妖魔師の中で争いが頻発するのを防ぐためである。
「この依頼書……依頼書は俺の親戚の妖魔師から貰ったんだ。金になるいい仕事だって言って…配ってるに等しかった…」
「!!」
その言葉に、刹那は眼を見開き驚愕した。最悪のシナリオが思い浮かび刹那は小さく舌打ちを打った。
「この依頼書を見た妖魔師全員がほぼ、この人魚を狙うって事か…」
人魚を守る義理も無いが…流石に伸び伸びと生きている害のない妖魔を同行されるのは気に入らない。刹那は軽く爪を噛み、考えた。




