エピローグ
事件は、ひとまず収束した。
フィプリオはディサンに突入した際、迎撃に参加した多くの村人を眠らせた。
彼女が敵だと知らされていた村人たちは、気絶した教司祭パルヴェを伴い戻ってきた彼女たちを警戒したが、幹部のレイクスの説明で矛を収めた。
フィプリオたちは簡単な食事を提供されたのち、ジャオたちと合流してカナイドに戻った。
そして、瞬く間に半月が過ぎる。
教司祭パルヴェは程なくして目を覚まし、邪神に身体を奪われていた間のことを隠して、教派の信徒たちに釈明したらしい。
邪神の憑依によって得ていたであろうカリスマ性が失われた今後、彼の地位がどうなるかは不明だ。
組織としての『大地の同盟』は、邪神を強く擁護する主張を弱めつつ、ほぼ従来通りの活動を続けるようだった。
邪神の影響力が無くなったならば然程の警戒も必要ないだろうが、ジャオは監視を強めるよう指示していた。
レイクスもそれに対して異議はないようで、彼は自室に置いていた地神――つまり邪神に祈る祭壇を撤去していた。無理からぬことだ。
そうした諸々について、必要な点を文書にまとめ、フィプリオは一息をついた。
「ふー……」
八年ぶりに、報告書の形式で文書を作成した。
今の彼女はジャオによって、私邸に匿われている。
部屋は客室ではなく、空き部屋になっていたかつての自室だ。
殺風景な部屋に、倉庫から引っ張り出してきた予備のベッドや余っていた机などを配置して、仮に使っている。
署名を結んでペンを置くと、扉をノックする者がいた。
「お茶持ってきたよー」
「おう、入れ」
カップとポットの乗ったトレイを携えて入ってきたのは、妹のハウカだった。
「報告書は終わったか!」
父親の真似をしているのか、精一杯低くした妙な声音で尋ねてくる。
「終わったよ。面倒かけさせやがって、ったくよぉ」
フィプリオは報告書をどかして机の上を開けながら、彼女が茶を淹れられるようにする。
「はいはい淹れますよー」
「黙ってやれやかましい……」
ハウカも地方長官の娘ということで、それなりの作法を叩き込まれている。
フィプリオとは年が少々離れているが、それでも18歳になる。
縁談が来ていても何の不思議もない年齢だ――
そんなことを考えながら立ち上る湯気を眺めていると、ハウカが言う。
「ところでお兄ちゃん聞いた? お兄ちゃんをうちの養子にするって話」
その言葉に、フィプリオは一瞬、硬直した。
「は?」
その反応に満足したのか、ハウカはにやりと笑って、続けた。
「ほら、お兄ちゃん女になっちゃったじゃない?
それで元に戻る方法も無くなったってことだから、お父さんが。
戻ってくる気があるなら養子としてだな、って」
「いやいやいや……」
「だって、今の帝国法じゃ戸籍の性別を書き換えることなんて出来ないでしょ?
だったらお兄ちゃんは死んだことにして、養子を書き加えるしかないって」
「うーん……遺産の実験でガキに戻った研究官も成人扱いのままだったらしいから、まぁ理屈の上では妥当なのか……?」
彼女としては屋敷での楽な暮らしも悪くないと思い始めていたところで、冷や水を浴びた気分だった。
ハウカが、くねくねと身体を揺らしておどける。
「そしたらお兄ちゃんもどっかにお嫁に行っちゃうのかなぁ~」
「嬉しそうだなお前……」
「だってお兄ちゃん、今25でしょ? 急がないと行き遅れになっちゃうよ?」
「うるせぇ! 俺は絶対元に戻る方法見つけるからな!」
「何年かかるか分かんないじゃない。
その間に女として衰えてくなら、諦めていい人見付けて子供産んだ方がいいんじゃない?」
「産むかボケ!! 出てけ!!!」
「やだよまだ話すことあるもん。ウルスさんのこととかさ」
「僕?」
壁に掛けられていたウルスが人間に変化し、反応する。
フィプリオは軽く悪寒を感じて、ハウカに向かってうめいた。
「……まさかお前、本気でこいつのこと狙ってるんじゃねぇだろうな」
「えー? ウルスさん、男前だしイケてると思うけどなー。
現代の常識なんて、これからうちで覚えていけばいいじゃん?」
「こいつ剣だぞ剣! どんなガキが生まれるか分かったもんじゃねぇ!」
「一体化した結果として剣に変化できるだけで、一応人間だよ僕は……」
ウルスが小声で抗議するのが聞こえたが、フィプリオは無視した。
無自覚に威嚇するような視線になっていた彼女を、ハウカがからかう。
「あ……もしかしてお兄ちゃん、嫉妬してる?」
「し――するかバカ!! 出てけッ!!!」
「きゃーこわーい!
ウルスさん、またねー!」
妹はへらへらと、ウルスに色目を飛ばしながら部屋から出ていった。
フィプリオはため息とともに、毒づく。
「クソガキが……!」
「でも実のところ、僕らの身の振り方っていうのはそろそろ決めないとね。
いつまでもここで暇を持て余しているべきじゃない」
「まぁなぁ……養子入りや嫁入りやらはともかく、実験台人生はご遠慮願いてぇとこだ。
親父が庇ってくれてるみたいだが、帝都相手にはさすがに限界だろうしな」
フィプリオの肉体は、実質的に女神の巫女となっていた。
神託文字を読み、女神の遺産の力を大きく引き出す女神の巫女。
邪神との戦いで彼女がやって見せたように、それは神託鉄を女神の遺産に加工することが出来る、唯一の存在でもあった。
また、巫女の資質は遺伝することがない。
そして『破局』で死に絶えて以後、女神の巫女は久しく生まれてくることがなかった。
それが現代に復活したとあっては、現・帝国を含めた列強が黙ってはいまい。
また、南方の海に浮かび上がった巨大な腕は、列強を含めた世界各国が観測していたことだろう。
それが復活しようとしていた邪神のものであり、邪神が復活を画策して地上で活動していたことが知られるのも時間の問題だ。
女神の巫女の復活と、邪神の策動。
このままではフィプリオは狙われ、奪い合われる存在となるだろう。
帝国は彼女を保護するだろうが、帝国の保有する女神の遺産の威力をどの程度引き出せるか、調べないということも有り得まい。
ウルスが、フィプリオに語りかける。
「君も、このままでいたい訳じゃないんだろう?」
フィプリオは背伸びをしつつ、答えた。
「んー……まぁそうだな。考えちゃいるけど」
「何を?」
「元に戻る手段、まだ残ってるんじゃねぇかってな」
「復原の秘宝のようなものが、他にもあると?」
「まぁな。女神の巫女っていうの、破局の前には何人もいたわけだろ?
分裂前の帝国の、各地にさ」
「そうだね」
「じゃあそいつらも、女神の神託を受けて同じようなものを作ってるかも知れねぇじゃねーか。
んで、地下の遺跡に隠してるとか」
「帝国は分裂して、今は別の国になった地域も多いと聞いた。そこも全部探すのかい?」
「必要ならやるしかねぇ。それにお前のこともさ」
フィプリオは冷め始めた茶を一口啜って、続けた。
「思い知った。神託鉄をあんな風に化工しちまえる女神の巫女は、実際に人間と武器を一体化させて、お前みたいなのを生み出すこともできる。
受け継いだ記憶を辿りつつ試行錯誤すりゃあ、俺にも再現できるんだろうってな。
そうなりゃ帝国は俺に、お前みたいなのを何人も作らせようとするだろ」
フィプリオの懸念は、そこにもあった。
武器、あるいは他の器物の状態で何日も、食料や水の不要な状態で輸送できる。
更には必要に応じて人間に戻り、行動可能。
そうした存在は、軍事作戦や暗殺に多大な効果を示すことだろう。
だがそんなものを作るために拘束されるのは、フィプリオの望むところではない。
倫理ではなく、自由の問題だった。
「つーわけでだ。俺はまた家を出る」
「うん」
頷くウルスの様子は、満足げだった。
「君は自由にしていいと思う。盗掘や犯罪以外なら」
「んぐ……余計なこと言わなくても、もう懲りたっつの!」
「どうかな」
「信用しろよ!?
……てか、お前はどうなんだよ。
何か現代でやりてぇこととかねぇのか」
「うーん……貴族の世襲をやめさせるための活動をする、とか?」
「帝国が敵に回るからやめろ!」
「冗談のつもりだった」
「……ねぇのかよ、やりたいこと」
「それを探す時間が欲しいかな、正直に言えば。
もう剣のまま眠っている必要は無さそうだからね」
「…………」
フィプリオは少し迷って、切り出した。
「お前がいると護身的な意味で助かるんだが……
く……来るか? い、一緒に……」
「そうだな……」
彼は一度、勿体ぶるように間を置いた。
そして、眉根を寄せる彼女の目を見て、告げる。
「目的が達成できるとは限らないけど、それでもいいかい?」
「お、おう……」
肯定の返事を聞いて、フィプリオはわずかにたじろいだ。
だが、すぐに書き置きをするべく、予備の紙を取り出して微笑む。
「やってみなきゃ、始まらねぇからな」
彼女は真新しい紙に、勢いよくペンを走らせた。
お疲れさまでした。これにて本作は完結です。
感想・評価お待ちしております。
続編の構想もなくはないので、しばらくしたら完結扱いを外して続きを書くかも知れませんが……未定なのでブクマ外しちゃっていいよ!
幾多の作品の中から本作を見出していただき、ありがとうございました。




