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落ちた先は

私が目を覚ましたのは、アルバイトの時間が近付いていたからだった。

いつもの通りお風呂に入って、制服に着替えて、家から三十分の距離にある喫茶店へと向かう途中、マンホールに吸い込まれてどこかに落ちた。

私はてっきりまだ夢の中なんだろうと思っていたのに、どうやらそこは現実だったようだ。


「…いったあい」


いきなり開けたところに落っことされて、私は身体中を地面にベタンッと打つ。

顔も痛いし体も痛い、これは夢ではないのだろう。

ズキズキと痛む体をさすっていると、足元に緑色の草が生えているのが目に入った。

そしてゆっくりと顔を上げると、そこは草原で…大きな虎が二匹私の方を警戒するように見ていた。

ぴくぴくと黄色と黒の縞を持つ耳が揺れている。


「…ごめんね、驚いた?私も何事かちょっと分からないんだけど…」


ゆっくりと手を振って、敵じゃないよアピールをしてみる。

虎達は私を一瞥すると揃ってふんと鼻から息を吐き出しその場に腰掛けた。


どうやら敵じゃないよアピールは成功したらしい。

虎はもっと獰猛なイメージがあっただけに、少し微笑んだ。


「ねえ、ここどこだろうね?」


「アトレイア国の近くの平原だ」


「……わあ、話しが出来るんだ」


「我らの言葉を解すのか、人間!」


仰々しい話し方の虎に、私はもう一匹の虎にも視線を返して「分かるよ」と答えた。

この場所を教えてくれた虎さんと、驚いた風に口を大きく開く虎さん。

どちらがどちらかは少し分からないから、手前に座る左目に傷のある虎さんを勝手に「傷さん」と呼び分けた。


「…それは俺の事を言っているのか?」


「ごめんなさい、どっちがどっちだか分からないから。

…それで傷さん、アトレイアってどこ?」


「この草原を真っ直ぐ半日程走った場所にある栄えた国だ。

自然も、海も、山をも持つ、大きなな」


「へえ…うーん…?」


夢の続きでもないのに、なんでこんな事になっているのか。

私は少し考えてみたがあまり頭が良くないので納得のいく答えは思いつかなかった。

むしろ虎さんの話しを聞いて人間の言葉に脳内で勝手に変換されている辺り夢だと捉えても間違いないと思うのだが。


「国…かあ、私バイトの最中だったのになあ…あーあ、今月のバイト代減っちゃったら困るかも」


「その前に今の状況に驚いたり、我らを怖がったりはせぬのか」


「ええ?だって私、虎なんて幼稚園の時に動物園で見て以来だもん。

話せるんなら話してみたいし、驚いたりは…別に」


「人間甲斐の無い人間だな…」


傷さんの声に、私は首を傾げた。


「人間、こっちに寄れ」


「ん?」


そう言いつつも傷さんは私の近くにやって来ると、血の流れていた膝のところを大きな舌でべろりと舐めた。


「いたっ」


「それくらい我慢しろ、全く…どこから来たかは知らないが傷だらけではないか」


べろべろと容赦無く舐められながら、私はくすぐったくて身をよじる。


「へへっ、くすぐったい」


「我慢しろ」


「えへへー」


近付いてふわふわの毛に埋もれる。

さっきまで居た場所では到底出来ない事に少し心の中だけで驚きながらも、目の前の黄色と黒の縞模様に釘付けだ。


「そっちの虎さんは?構ってくれないの?」


「…ふん、バライラズが人間を構うなんてな…あり得ん」


さっきと同じように鼻から息を噴き出して、虎さんは視線を向こう側に向けた。

その視線の向こうには、高い山の上に一つ大きな塔が建っているのがかろうじて見える。


私の頬を舐めていた傷さんが「あの塔のふもとがアトレイア国だ」と呟いた。

ふわふわの毛に体を埋めながら、私はぼんやりとそのアトレイア国とやらの方を見た。

さっきまで居た自分の部屋よりも落ち着く傷さんの体毛。

これから私はどこに行くんだろうかと首を傾げていると、傷さんが首を私の背中の方へとぐいぐい押して来る。


「えっ、なに?なに?」


「背中に乗れ、国まで送ろう」


「ええっ?」


「何を言ってるんだ!?バライラズ、こいつはただの人間だろう!?」


もう一匹の虎さんが叫ぶが、傷さんは私を背中に乗せると振り返って言った。


「俺の前に落ちて来た奴が人間だろうがそうでなかろうが関係無い。

とにかく一度人間の国に連れて行った方がこいつの為になるだろう、奴に言えばそれくらい造作も無い事だろうしな」


「もしかして…ギアスの奴か?」


「ギアス?」


首を傾げるが、それには答えてくれなかった。


「少し用があるからな、ついでだ」


「そう言う風には見えないがな…まあいい、それなら私も行くとしよう」


そう言って深く息を吐き出すと、虎さんは私を見てふんと息を噴き出した。


「勘違いするなよ人間の娘、私はバライラズが行くと言うからそれに従うだけだ」


「……そう、なの?ええと…ありがとう」


にっこりと微笑んで虎さんの頭をわしわしとすると、牙を剥いて怒られた。


「…しっかり掴まっていろ」


そう言うや否や、ものすごいスピードで大地を掛ける。

景色と言う景色が後ろに流れて行って、地面との距離が近いので酔いそうになる。

驚きで声も上げる事が出来ない私は結局、傷さんと虎さんが止まってくれるまでただ無言でもっふもふの体毛に顔を埋めていた。


半日と言われていたからもっと掛かると思って居たけれど、眠ってしまっていたので全然周りの景色を見る余裕も無かった。


「ここからあと少し行った場所に国へと入る為の関所がある、お前はまずその場所を突破しなくてはならない」


「突破かあ」


暗くなって来た為、傷さんの指示に従って火を起こしながら私はあくびを噛み殺した。

いまいち現状を理解出来て居ない私は、もうすぐ目の前に迫ったそびえ立つ高い塔を見上げた。

山の頂上に立つのは大きな大きな白いお城。

傷さん曰くこの国の王様達が住んでいると言う。

アトレイア国は基本的に他国民の交流の地としても有名なので、旅の途中に立ち寄る冒険者も多い為門前払いは無いだろうとの事だ。

しかし私は今バイトの制服のままで、虎に乗ってやって来た意味不明な女。

さすがにこのまま国に入るのはまずいんじゃないかと問うと、傷さんはふっと口角を上げた。

……笑ったらしい。


「安心しろ、その為に今ワイズの奴が駆けている」


「ワイズって、あのもう一匹の虎さん?」


「そうだ」


傷さんは頷くと、先程話していたギアスさんと言う人の話しをし始める。


「この国の王族に連なるそれなりな身分の人間の知り合いが居るのでな、お前をそいつに預ける事にした」


「え?」


単純に意味が分からなくて首を傾げると「人間として、あの国に住まう事が出来るんだ」と噛み砕いて説明してくれた。


「えっと…うん、あのね傷さん。

私この国の人間じゃ無いんだよ?」


「ああ、知っている」


「それに…私が生まれた場所は、多分ここじゃないんだよ?」


「ああ、そうだな」


ただ首を振って肯定されて、私は漠然と怖くなった。

朝起きてからバイトに行くまでのあの三十分で、一体何がどうなってこうなったのか。

私はあの傷さんたちが眠っていた草原に上から落ちて来て、今傷さんの口利きであの大きな国に住まわせてもらえるようにしてくれているらしい。

だけど私には私の家も、部屋もあって…帰るべき場所はあそこなはずなのに…。


「…えっと、私、帰れないのかな」


私の声に、傷さんはしばらく黙り込むと私の頬を舐めた。


「恐らくそうだろう」


「っ、」


帰れない、と言う事は…私はこの場所で一人と言う事だろうか?

こんな…何も知らない場所で生きて行く事なんて、出来ない。


「案ずるな、人間の娘」


「へ?」


不安に押し潰されようとしていたいた私に、優しい声がかかる。

傷さんはまた私の頬を舐めて擦り寄って来た。


「お前は俺の目の前に落ちて来たんだ、責任を持ってお前を救おう」


「だって…私、」


溢れる涙もそのままに、私は傷さんの首に抱き着いた。

温かくて、少しだけ心が落ち着いた。


「先程言っただろう?アトレイア国のそれなりな身分の知り合いが居ると。

お前が人間の国で暮らして行くのになんの不自由も無いよう、手筈は整える」


「……虎さんなのに?」


「ある意味は、虎だからだな」


言われたことに頭の整理が追い付かない。

首を傾げていると「朝一でワイズがギアスを連れて来る、それまで眠れ」と言って頬に擦り寄って来た。

傷さんの言葉に安心して、私は少し疲れていたのかすんなりと眠る事が出来た。


これからどうなるんだろうと漠然とした不安が広がるけれど、これはもう運を天に任せるしかない。

起きたら夢だったとか言う事なら嬉しいけれど。


そしてそのまま傷さんに起こして貰うまで、私はぐっすりと眠っていた。




私がいつも起きるのは、朝の十時くらいだ。

日も登り切って温かくて、お布団から一番早く出る事の出来る時間帯だと思っている。

なので高校を卒業して以来、こんなに早く起きたのは初めてだった。


「…おい、起きろ」


「……んー」


「ワイズとギアスが来たぞ、朝だ」


べろりと頬を舐められて、私は不思議な感触に首を傾げた。

昔おばあちゃんの家で飼っていたペットが死んで以来、生き物は飼っていないはずの私の家に、なぜ朝起きて顔を舐める生物が?

そう首を傾げているとだんだんと覚醒して来て、私は目を開けた。


「おはよう」


「……傷さん、おはよう」


目が覚めたのは良いが、まだ目を開いたくらいで完全な覚醒にはなっていない。

傷さんの首元に抱き着いて「おはよう」を繰り返していると、後ろから他の男の人の声が掛かった。


「バライラズ、そろそろ僕の事も紹介してくれない?」


「ん?」


振り返ると、青の混じる銀の髪に同じく銀の瞳を持つ顔立ちの整った男の子が立っていた。

白いローブのような物を羽織り、くるぶしまでの長さのズボンを履いている。

見た目を言うと、垂れ目なので少し幼い僧侶と言う感じの男の子だ。


「初めまして、ギアスと申します」


「…初めまして、シズクです」


「ワイズの言っていた黒髪の女の子と言うのは、君の事で良いのかな?」


物腰穏やかなその仕草に、私は「多分?」と曖昧に答える。


「バライラズ、ワイズが怒ってたよ?

いきなり変なものを拾ったから、揃える物が増えただろうって」


ギアスさんは苦笑しながら私の後ろで座っている傷さんに声を掛けた。

その気安い雰囲気に、仲良しなんだろうなと思っていると「ふん」と傷さんは溜め息を吐き出す。


「そう言って、俺より構おうとしているのがワイズの奴の特徴よ」


「まあ…間違いはないだろうけど」


ギアスさんも微笑んで、今度は私の前へとしゃがみ込む。


「シズクさん、では行きましょうか。アトレイア国にて歓迎の準備は出来ています」


「かん、げい?」


歓迎されるような事はしていないのに?


私の心の声を読んだのか、ギアスさんはにこりと微笑んで答えてくれた。


「何を隠そう、その貴女の後ろに居る虎の姿をしている方こそアトレイア国の第一王子ですから。

そのお友達である貴女を我が国に迎え入れる事に何の問題もありませんよ」


「……王子?」


振り返って傷さんを見ると、くるりと反対方向に視線を逸らす。


「傷さん、王子って何?」


「……王位を継ぐ、陛下の嫡子またはその兄弟の事を言う」


「私聞いてない」


「今まで聞かなかったろう、それに俺もお前の名前を聞いていなかった」


そう言われると確かにそうだけど。

私は傷さんを見て首を傾げた。


「あの、ギアスさんギアスさん」


「何でございましょう?」


にこりと微笑むギアスさんに、私は疑問をぶつけてみる。


「じゃあじゃあ、皆さん虎さんの言葉が分かるって事ですよね?

どうなってるんですか?」


「ええーと」


困ったように頬をかいているギアスさんに助け舟を出したのは、私の後ろで座ってた傷さんだった。


「皆の前に出る時、俺はこの姿を取っていない」


「へ?別の姿なんてあるの?」


「むしろ…こっちの姿の方が自然だな」


そう言って前足を立てながら立ち上がる。

私は首を傾げながら成り行きを見守っていると、瞬間光が弾けて目の前が真っ白になった。

ぎゅっと目をつむっていると「おい」と言う声が聞こえて目を開けた。


「……えぇー?」


「なんだその情けない声は」


先程までの黄色と黒の縞模様の毛はそこにはなく、あるのは薄く日に焼けた肌と海色の瞳、そして短い銀の髪を持つ精悍な顔立ちをした男の人だった。

私は思わず目の前の彼の手を取った。


「…肉球、ない…」


「それは…人の姿を取ったからある訳ないだろう」


呆れたように言われ、私はさっきまで後ろに居た虎姿の傷さんを思い浮かべる。


「…あ、目の傷は残るんですね」


虎姿の時にもあった左目にある傷を見て言うと「ああ」と頷いた。


「俺の名はヴァンデローダ、よろしくなシズク」


「……う、うん…よろしくおねがいしま…す?」


敬語を使い慣れていないので、私は難しい顔で言葉を返す。

すると瞬間ムッとして、傷さんは私の頭を叩いた。


「さっきまでの気安い態度で良い、今更敬われても敬われている気がしない」


「でも…王子様で……」


「それはただの生まれた順番だ、それに王位はとうの昔に弟に譲った。

お前はさっきのように間抜けな面を晒していればいい」


「むっ」


さっきの虎姿の時よりも口が悪い。

私がムッとしていると、後ろから「ではこちらへどうぞ」と笑いながら私を呼んでいた。

それに慌てて付いて行くと、立派な立派な馬車があって、私は声を上げながら馬車に近付いた。


「わあ…っ!馬車?馬車だ、本物?」


「当たり前だ、騒いでないで早く乗れ」


「う、はい…」


傷さんの言う事が正しいので、私は傷さんに手を借りながら馬車の中に入った。

それなりに広くて、傷さんなら四人は座れそう。


「…何故向かいに座らない?」


「な、なんとなく…」


虎姿の傷さんならむしろ自分から抱き着きに行くけれど、さすがに王子様で人間の男の人には抱き着きに行けない。

それに、それはとっても恥ずかしい。


「わっ」


「おっと」


急に走り出した馬車に驚いて、私は座った形のままに前の座席…傷さんの隣の席の方へ飛んだ。

それに反応して抱き留めてくれた傷さんに「すみません」と謝ると「気にするな」と言って笑ってくれた。


「…傷さん?」


「なんだ」


「なんでこんな事になってるの?」


私は今、おでこでお茶を沸かせるかもしれない。

そう言う風に思うのは、傷さんが私をまるで子供を膝の上に乗せているような感覚で抱っこしているからだ。


「さっきまでお前は虎姿の俺に遠慮無く抱き着いていただろうが」


不思議そうな声音に、私も答えられないでいる。


耳元で聞こえる声にどきどきしたり、腰に回っている手が恥ずかしかったりで私は、もう…どうとでもしてくださいと言いたいくらいに恥ずかしくて何も言えなかった。


「どうした、シズク」


「そ…その、虎さんの時に抱き着いたりしてごめんなさい…」


ひとまず謝っておこうとしたのは間違いだったらしい。


「謝ったからと言って俺の態度が変わる訳じゃないぞ」


「ううぅ」


先手を打たれて、私はひたすらに縮こまる。

それにふと口角を上げて、傷さんは笑った。


「虎の姿を取っていた時にあんなに無遠慮に撫でまわされたのも、人を背に乗せて走ったのもシズクが初めてだ」


「そうなの?…ですか?」


「無理はしなくて良い、変な気を遣うな、今更」


「うっ」


確かに今更と言えば今更なのだが。


「人の姿を取っていても、虎の姿を取っていても…人は態度を変えて来る。

それならば同等の態度で接して欲しいものだ」


「そう言うものなの?」


「ああ、そう言うものだ」


頭を撫でられて、私は恥ずかしいけれど傷さんがそうして欲しいならそれで良いかと納得した。


「国に入るまでこれで行くの?」


「ああ、このまま屋敷に向かう」


「屋鋪?」


首を傾げると「さっき言っただろう?」と苦笑され、なんだっけと少しだけ考える。


「俺は第一王子ではあるが、王位は弟に譲っている。

今の国王陛下は弟で、俺はただの爵位持ちの貴族だ」


「貴族…爵位?」


貴族は分かる、たくさんお金を持っている人。

爵位も…確か、高校生の世界史か何かで習った気がするけれどあまり覚えていない。


「この国は様々な種族が暮らしている、その中には獣人と呼ばれるさっきの俺のように人の姿から虎の姿へと変われる者達も居るし、人と獣とがミックスされたような外見の獣人も存在する。

追々教えてやるさ、今はとにかく落ち着け」


考えよう考えようとすればする程に泥沼化しそうで、私は傷さんの言葉に大人しく「はい」と答えた。

獣人云々の話しは世界史で聞かなかった気がする事だけは思い出したけれど。


馬車に揺られてどれくらいの時間だっただろうか、ふと窓の外に視線を向けると大きな赤いレンガが積まれた門が見えて、私は傷さんの膝の上から飛び降りた。


「傷さん見て見て、おっきな門ー!」


「いちいちはしゃぐな!大人しく座っていろ、怪我をする」


どこか慌てたような表情の傷さんに捕獲されて、私は大人しく傷さんの隣に腰を下ろした。

窓から外を伺っていると、ギアスさんが誰かと話していた。

その周りにも荷台付きの馬車があって、ギアスさんはどうやその荷馬車の人と話しているようだ。


「…何かあったのか?」


「うーん、聞こえないから何を話してるのか分からな…あ、ギアスさん戻って来た」


「何があった?」


傷さんの声に、ギアスさんは「旅商人のようで」と前置いて話し始めた。


「陛下の許可を得ていると言うので問い合わせた結果、陛下はそんな許可を出していないらしく、兵士も困っていたようで。

品物は小瓶に入った薬が一箱、日用品が二箱。

食料品は積んでいないようなのですが」


「……ルリアナは居ないのか?」


「今向かっているようです」


知らない人の名前に、私はひたすらに首を傾げる。


「ひとまずは馬車を屋敷に、それから私がもう一度こちらに来て詳細を聞いて、貴方にお話しします。

今はシズク様の方が優先でしょう?」


「……それもそうだな、頼む」


二人して穏やかに微笑むので、私の頭はやっぱりついて行けなかった。

結局何があったのか分からないままに門を潜り、石垣や古民家が立ち並ぶ通りを過ぎて行く。

広い道で、同じくらいに大きな馬車が横に並んで通り過ぎて行った。

それを傷さんの膝の上で大人しく見送りながら、次は人の多い道を行く。

さっきの門のところにあった赤いレンガを積み上げた家々に、私は素直に感激した。

可愛らしい鉢植えやカラフルな花が植わっている広い街道、道行く人々の顔には笑顔が溢れている。


「ここが大通り、このまま真っ直ぐ進んで行くと王城へと行ける」


「おお…」


「そしてこの大通りを左へ曲がると」


ちょうど傷さんの言葉通りに馬車は左へと曲がる。


「少し行けば、私の持つ屋敷に着く。

明日は大通りを歩いてみるか、シズクの私物を揃えんとな」


「うぅ」


面倒を見られる、しかも傷さん…人間バージョンに。

王子様で虎さんの傷さんに。

どうやってこの恩を返せば良いんだろう。


難しく考えている私に苦笑しながら、傷さんは私の頬を撫でる。


「何を考えているんだ?」


「私…何も、恩返し出来るものが無くて」


「恩返し?」


「うん」


不思議そうに聞き返す傷さんに「だって」と言い募る。


「だって!私、この国の人じゃないし!

お金だって、何も持って無くて…ただ、傷さんが寝てた場所に落ちて来ただけなのに、こんな…優しくしてくれて、私…何も、返せなくて」


どんどん溢れて来る涙をこすって、こすって止めようとするけれど止まらない。

優しい傷さんに、私は甘えてばかりで、情けないなと思うとまたどんどんと涙が溢れる。


「…シズク」


ぺろりと舐められて、私は目を開ける。

そこには優しく笑う傷さんが居て、またぺろりと舐められた。


「俺はお前が落ちて来て、助けたいと思った。

だから俺は今お前を養おうとしているが…迷惑か?」


「そんな事無い!!嬉しいけど、でも、私なにも返せなくて…」


「何故、返そうと思うんだ?」


「へ?」


言われて、少し考える。


「だって、受けた恩は返さないとだめなんだよ」


「だめなのか?」


「うん、おばあちゃんが言ってたの。

受けた恩は二倍にして返さなきゃだめだよって」


「それは…素敵な考え方をするお祖母様だな」


「…えへへ」


おばあちゃんを褒められて、私は自然と微笑んだ。


「急がなくても良いと思う」


「え?」


ぽつりと呟いた言葉に、私は首を傾げる。


「お前には、何もかもこの世界の事は初めてだろう?

目の前に起こっている事を一つずつ、ゆっくりと理解して行けば良い。

なにも今すぐ答えを出せなどと、俺は急かしていない」


ぽんぽんと頭を撫でられて、それもそうかと納得する。


「それにこちらの世界とは勝手が違うだろうし、慣れるまで時間が掛かるだろう?

それまではゆっくりこちらの事を学んで行けば良い、恩を返すと言うのはそれからでも良いのでは無いか?」


「………傷さんは、」


それでも良いの?

そう聞くと、微笑んで私の頬を撫でた。


「お前が俺の前に落ちて来た時から、私はお前を気に入っている。

元よりギアスに預ける気も無かったし、私の手の届く範囲に置くつもりだった」


「………なんで?」


「一緒に居て心地良いと思ったからだ」


「うん?」


よく分からないと首を傾げると、隣から腕がくるりと回って来て私を抱き込んだ。

突然の事に驚いて声を上げると「そう言う反応も出来るのか」と言って私の頬を噛んだ。


「ぴっ」


「まあ、ゆっくり慣れれば良い。

それまでは俺も楽しませてもらうとしよう」


にやりと口角を上げて笑う傷さんに、私はせめて虎の姿を取って欲しいと心の中で呟いた。

虎姿より人間の男の人にドキドキするのは、色んな意味で心臓に悪いと思った。


ちょうどのタイミングで開いた扉の外には、驚きの顔で固まっているギアスさんが居て、私は慌ててギアスさんの後ろに隠れた。


「…バライラズ、屋敷まで我慢したらどうです?」


「我慢とはなんだ我慢とは、俺は頬を噛んだだけだぞ」


「それを我慢なさいと言ったんですよ。

…大丈夫ですか?シズクさん、怖かったでしょう」


よしよしと頭を撫でてくれるギアスさんに隠れて傷さんを見上げると、とても怒っているようで少し怖い。


「ほら、お二人共中へ。

せっかく準備をしてくれている使用人達を待たせてどうするんですか?

特にバライラズに至っては屋敷を三週間も開けて…全く、心配していましたよ?」


にこりと微笑まれ、傷さんはうっと唸る。

傷さんが虎さんである事は多分この屋敷の人は知ってるんだろうけど、三週間も行方知らずと言うのはさすがに心配するだろう。


唖然としたまま傷さんを見上げていると「早く行くぞ」と言って私の手を引いた。

恐らく気まずかったのだろう、ギアスさんに対して。

私はにこりと笑って返事をすると、手を引かれるままに屋敷の玄関へと入った。



外観から中々広そうだなと思っていた私の想像は大当たりだった。

玄関ロビーには入ると、恐ろしいまでに広いポーチに六人のお仕着せを着た男女がぺこりと首を垂れている。


「おかえりなさいませ、旦那様」


「うむ」


それに一つ頷くと、傷さんはスタスタと中央へと続く廊下を進む。

その間にも私の視線は上に行ったり右に行ったり左に行ったりと忙しなく動く。

ギアスさんや傷さんの銀の髪とは違う、見事な白髪の老紳士が近付いて来て傷さんに声を掛けた。


「ヴァンデローダ様、主人不在時に承った件で少しお話しがあるのですが」


「夕食の後でも良いか?まずは客人を部屋へと通したい」


「かしこまりました。…アーシャ」


「はい」


「お客様をお部屋へお通しして下さい」


「その必要は無い、俺が連れて行く」


「…左様でございますか、かしこまりました」


ロマンスグレーのおじさまと綺麗なお姉さんが頭を下げると、傷さんは歩き出す。

私はそれに慌てて付いて行きながらぺこりと二人に頭を下げた。

それににっこりと微笑んで返されて、私はようやく前を向いて歩き出す。


廊下は赤い絨毯が敷いてあって、スニーカーで汚してしまって良いものか少し気になる。

後ろを振り返るとギアスさんが笑顔で手を振っていたが、ふと角を曲がると見えなくなってしまった。

角にあった階段を上ると、東西南北に廊下が伸びている。

傷さんは迷う事無く右に曲がって歩き出す。

廊下を突き当たりまで歩くと、一つの部屋の前へと辿り着いた。

部屋のプレートには薔薇の意匠が彫られており、可愛らしい。


「ここがお前の部屋だ」


そう言いつつ、傷さんがドアを開けてくれて部屋に入るよう促される。

そこには大きなガラステーブルに蔦模様が描かれている二人掛けのソファー、壁際にはこれまた大きなクローゼットがある。

…その物の大きさと質に、私はただただ驚愕した。


「こちらが寝室だ」


「えっ、ここで十分寝れますよ!?」


「まあ、来てみろ」


そう言われ、私は頭が混乱しながらも傷さんの後に続いた。

入った先は確かに寝室で、天蓋付きのベッドにサイドテーブル、大きな窓には綺麗なクリーム色のカーテンが掛かっていて、その手前にはドレッサーらしき物まで置いてある。

ベッドを挟んでサイドテーブルとは反対側に一人掛けのソファーまで置いてある。

サイドテーブルとは違う、きちんとした机も。


「……す、すごい」


私の部屋とは大違いだ。


「…帰って来たようだな」


ニヤリと口角を上げる傷さんに首を傾げていると、どたばたと言う足音と共に誰かが続き部屋の寝室へと入って来た。


「なんだ、戻って来てたのか!」


「……誰?」


「ワイズだ!」


「ええ!」


私は驚きで声を上げる。

そうか、傷さんも人間の姿をしているんだから、虎さんも人間になっていても不思議じゃない。

私は一つ深呼吸をしながらもう一度ワイズさんを見上げた。

オレンジ色の髪にブラウンの瞳、傷さんとはまた違う…ギアスさんとも違う顔立ちの…若い男の人だ。


「あー、本人が来たなら本人に選んでもらった方が良いな。

おい人間の娘、ウサギとクマならどっちが良い?」


「え?あー…ウサギさん」


「ならこれな」


そう言ってぽいと投げられたのは、私の背丈程もある大きな大きなウサギのぬいぐるみだった。

ピンク色のウサギさんは、黒いつぶらな瞳で私を見ている。


「やっぱ女の子と言えばぬいぐるみだよなー、さっすが俺!」


「…?」


昨日会ったワイズさんの話し方と全然違う…?

不思議に思って首を傾げていると、傷さんが噴き出した。


「ぶはっ」


「なっ、笑うんじゃねえよバライラズ!!

それもこれも、お前がこいつの身の回りの物を揃えろって言ったから揃えて来たんだぞ!!」


顔を赤くして抗議するワイズさんに、そうなんだと私は小さく呟いて納得した。


「悪い悪い、いや…やはりお前に頼んで正解だった、こいつらしい可愛らしい部屋だ」


「そ…そうだろう?へへっ、俺に任せればこんなもんだ」


得意そうに笑うと、すぐに切り替えて「じゃあ俺は行くからな」と言って部屋を出ようとする。

私は慌てて廊下に出ると「ありがとうございました!」とお礼を言った。

するとくるりと振り向いて「おう!」と笑って去って行った。


「人の姿を取ると若返った気がするらしい、なので人の姿の時にうまく乗せてやるのがあいつの本来の使い方だ」


笑いをひとまず飲み込んだらしい傷さんはそう言うと「他に必要なものはあるか?」と聞いて来た。

お家にお部屋に…これ以上何も要らないだろうと心の中で突っ込んでいると、傷さんはおもむろにクローゼットの方へと向かい取っ手を掴んで手前に引く。


「わっ!何ですかこれ!?」


その中には真っ白な服やレースの付いたブラウス、リボンがたくさん付いたドレスなどがクローゼットの中にこれでもかと言うくらいに入っていた。

無言で手招きされて付いて行くと、寝室とは正反対の場所に扉があって傷さんはその扉を開いて体を引くと部屋の中を私に見るよう指差した。


「こ、これは…」


そこには靴、帽子、髪留めやアクセサリーとさらに溢れるワンピースやドレス。

カジュアルな物からどこに着て行くんだって突っ込みたくなるくらいに豪奢な物まで勢揃いしていた。


「やはりあいつに選ばせて良かったな」


「良いんですか!?この量を!?」


「ああ、どうせ金は有り余っているし自分の事と言っても特に使うような趣味も無い。

屋敷に帰って来るのも月に数日だけだったから、使う場所も無かった。

お前が喜んでくれるのなら、言ってくれればなんでも揃えるが?」


にこりと微笑まれ、やっぱりお金持ちは考え方からして違うんだなと理解した。


「十分です…もうこれ以上は止めて下さい…」


「なぜ泣きそうなんだ?」


「私は慎ましく生活出来れば十分ですから…それに、傷さんが居てくれればもうそれで私にとっては十分です」


あのふわふわの体毛さえあれば私は生きて行ける気がする。

そう心の中で呟いていると、目の前で俯き出した傷さんに驚いて声を掛けた。


「…傷さん?どうしたんですか、なんで俯いてるんですか?」


「不意打ちとは卑怯な…」


「何に対しての!?ええと、大丈夫ですか?」


卑怯とは何事だろうかとは思ったが、私はあえてそれに突っ込まずに傷さんの背中をさすった。

もし、傷さんがしんどくなったとしても自分の家だし、なんとかなるだろうかと心の中で楽観視する。


その後数分で立ち直った傷さんに屋敷の中を案内してもらいながら、私はたくさんの小さな驚きにいちいち驚いたのであった。

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