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14、恩師との再会




 アトランがユハシュの宮殿に足を踏み入れたのは、およそ五年ぶりのことだ。


 跡目を継ぐ前は勉学や父の名代として、ユハシュに赴く機会はそれなりにあった。だが大公になってからは《常闇の森》の守護者として、やみくもに領地を離れるわけにいかなかった。


 アトランは案内役である女官の後を歩きながら、回廊の様子をうかがう。

 

(ずいぶん様変わりしたものだ……)




 少年時代に見たこの宮殿は、先々代の王――この度即位したシトレ王女らの父王が質実剛健を重んじていたため、洗練され荘厳な空気に包まれていた。


 しかし今の宮殿は、跡を継いだ先王ライエス、もしくは王太后ゼネヴィアの趣味なのか、華美な装飾や贅を尽くした調度品が、広間から回廊の端に至るまでこれ見よがしに置かれている。堅実で締まり屋なところがあるマレーテが育った場所とも思えない。

 

 もっとも『マレシカ王女』はあくまで愛妾の子だ。国によっては、妾腹ならば王族扱いされないこともある。現にアトランも公式行事で彼女の姿を見たことは一度もなかった。立場上、この本宮からは離れた場所に住まいがあったのかもしれない。




 アトランは回廊に並ぶ、歴代の王族の肖像画を眺める。ふと、一つの肖像画の前で足を止めた。


 穏やかな笑みをたたえた貴婦人が椅子に座り、その傍らに三つか四つくらいだろうか、幼い少女が寄り添っている。二人とも金髪と深い青の瞳をしていて、血の繋がりを感じさせた。


「こちらの絵はどなたの物で?」


「先々代エイゼン国王陛下の公妾であらせられた、ノラン伯爵夫人キゼーナ様と、ご息女のマレシカ王女殿下にございます」


 妻の面影が確かに絵の中の幼子にはある。髪の色は今のマレーテの方が少し濃い。成長につれ変わったのかもしれない。そんなことを想像しアトランは小さく微笑んだ。


(そしてこの貴婦人が……)


 ユハシュ王室に側室制度はないが、公妾は事実上の第二夫人だ。特に王子王女の母となれば、王族同然の扱いを受ける。キゼーナは下級貴族の出身でありながら、王の寵愛を受け王女を生んだことから、一代限りの女伯爵の称号を得ていた。


(さすが母子だな。マレーテとよく似ている)


 美貌よりも親しみやすい愛嬌が勝る笑みは、マレーテがあと十年ほど年齢を重ねればこうなるのだろうと想像できるものだった。


「大公殿下?」


「ああ、すまない。行こう」


 不思議そうな顔をする女官に先を促し、アトランはその場を後にした。






 やがてたどり着いたのは、小さな談話室だった。そこで待っていたのは細身で背の高い、品の良い口ひげをたくわえた人物だった。


「ご無沙汰しております、トルドー公爵」


「久しいね、アトラン。堅苦しいやり取りはなしと行こうじゃないか」


 懐かしい笑顔に、アトランも大公として取り繕っていた表情を解く。


「先生、お元気そうで何よりです」


「なにせ若い妻とまだ幼い子供がいるからね。耄碌(もうろく)する暇もありゃせんよ」


「シトレ女王陛下がご即位されたのですから、先生はこれからますます忙しくなるでしょう」




 アトランは十代前半の頃から、外国人にも門戸を開くユハシュの学術院に在籍していた。そこで教鞭を取っていた、このトルドー公爵には専門の法学のみならず、為政者として必要なことを多く学ばせてもらった。


 トルドー公爵は最初の奥方を若くして亡くしている。二十年近く独り身のままであったが、アトランがゼトへ帰国する直前に、シトレ王女との再婚を果たしていた。


 公爵とはいえすでに五十近かった男やもめと、二十歳の王女との結婚は様々な憶測を生んだ。幸いにも温厚な人格者として知られるトルドー公爵と、物静かで知的な姫君の夫婦仲は、周囲の下世話な想像とは裏腹に良好らしい。




「君の方こそ、ようやく花嫁を迎えたと聞いて私もほっとしたよ」


 アトランが結婚したことは、二か月ほど前に近隣国に公表している。そしてゼト大公が妃の名や出身を秘匿することは有名な話だ。ユハシュやバルアからも、特に怪しまれている様子はない。


 領内の人間にはこぼせない不安を、信頼できるトルドー公爵には打ち明けたこともある。彼に大公家の秘密すべてを話したわけではないが、薄々察していることもあるだろう。


「君が見初めた方だ。妃殿下はさぞ心映えの優れた女性なのだろうね」

 

「おかげさまで、私にはもったいない人です」


「今後は素晴らしき妻を得た者同士、酒を飲み交わそうじゃないか」


 どこか茶目っ気のあるトルドー公爵の笑みに、アトランは密かに気を引き締めた。それは難題を出し、アトランがどう答えるか面白がっているときの表情と似ていた。


 兄王毒殺の嫌疑を掛けられ、《常闇の森》に逃げ込んだとされるユハシュの第二王女。そして急に妃を迎えたゼト大公。


 少し勘が働く者なら、二つの出来事の関連性を考えるだろう。師であるトルドー公爵の為人(ひととなり)は信頼しているが、今の彼はユハシュ王家の人間だ。うかつな情報は漏らせない。




「……ところでだ、アトラン。君に見てほしい物がある」


「何でしょうか? 良い書物でも手に入りましたか」


 学術院時代のトルドー公爵は、珍しい資料を手に入れると子供のようにはしゃぎ、教え子たちに自慢する癖があった。そんなことを懐かしく思い出す。


「私に着いてきなさい」


 トルドー公爵はただ静かな笑みを浮かべ、アトランと誘い談話室を出た。






 先導するトルドー公爵は回廊を経て、いくつもの角を曲がり、長い階段をスタスタと登っていく。アトランも記憶力が悪い方ではないが、同じような場所を幾度も通ってきたため、今来た道を一人で戻れる自信はなかった。


 やがてトルドー公爵の後を付いて螺旋階段を登り切ると、両開きの扉が現れた。トルドー公爵はノックや声をかけることはせず扉を開いた。




 アトランの視界に入って来たのは、今や絢爛豪華に様変わりしたユハシュ宮殿とは思えない質素な部屋だった。白い壁に、若草色のカーテン。ティーテーブルの上に生けられた深紅の薔薇だけが、場違いなほど華やかだった。


 部屋の最奥には、天蓋付きの大きなベッドが見える。その手前に椅子に腰かけた女がいた。彼女の手元には湯気の立つ椀とスプーンがあった。


 女の横顔にアトランは目を見開く。まるで侍女のような飾り気のないドレスを着ていたせいで、すぐにはわからなかったが、その姿は戴冠式ではっきりと目にしていた。この国の新たな君主シトレ女王だった。








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