第十四話 もう一人の暗殺者[幸利]
「はっ。やっぱぁ、期待外れだったか!」
陽が傾き始めた頃、ある街の一角、廃ビルの五階中央。施工途中で放り投げられた工事の為、完成に至らずそのまま放置されたビル故に、フロア内部はただ開けていて、何も無かった
剥き出しのコンクリートの鉛色は静かにその戦いを、いや、狩りを見つめていた。
そこに存在する血に飢えた獣の笑みは、暴力的で、その場の空気を噛み砕く程の強さを持った物だ。
喋るのと同時に、その手に持つ五十センチ程の鉄パイプを下手より振り上げる。
一瞬の出来事。先に相手が放った、拳銃の弾は体を貫く事、叶わず。
「辞世の句なんて読ませねぇよ」
敵は攻撃方法の時間差のアドバンテージを生かし、更に距離を、そして、間合を変えようと斜め後ろに跳ぶ。が。
腕の延長線上に銀線が生き物の如く伸びる。それは、獲物を追う為に伸びる過程で向きを変え、瞬く間に、間に存在する距離を縮める。
何の変哲もなかった唯の鉄パイプの面影は既に無し。先端を鋭く尖った凶器に変えたそれは標的に辿り着く。
そして導かれるかのように、彼の腕と対する者の心臓を繋いだ。
否、鉄パイプだった物が心臓を、貫いた。
有り得ない軌道を三度描き伸びた線を伝うのは、赤色。
日は未だに地平の底に沈まず、窓より地を照らし続けている。
「弱い、弱い、弱すぎる」
曲がりくねり、伸びたそれを恰もメジャーでも巻き取るかのように腕を引く。
線が心臓より抜けると同時に支えを失い、地に崩れ落ちた獲物、既に背を向けた彼がそれを見る事は最早無かった。
「最近は鬼籍院にくる仕事の質も落ちちまったな」
舌打ちと共に歩きだす。残りカスの始末は自分の仕事ではない。
鬼籍院たる自分の仕事は速やかに、そして誰にも悟られずに標的を葬り去る事。
血に濡れている事以外は、元の形に戻った鉄パイプを虚空へ投げ捨てる。
西日に照らされ、僅かな間だけ鈍く銀光を放ち、後、床に落ちてからんと音をたてた。
ピタリと足が止まる。
「なんだぁ、いつもの命令書じゃないなんてな、どういう風の吹きまわしだ?」
「いや、他の者には普段はきちんと口頭で命令を伝えている。君が、それを嫌うから、君に対しては止むを得ずそういう伝達手段を使っているに過ぎない」
男の周りに人は居ない。
ただ、薄ぼんやりとした影がいつの間にか背後に現れていた。
「それでも、流石にあんたが直接出てきたりはしないだろ。一応は俺たちのボスなんだしな」
影は答えない。男は話を続けた。
「そんなに重要な要件なのかよ。いいぜ、聞こうじゃないの」
にやりと男は笑う。その声は期待するように弾んでいた。
「まずは、君に異動命令を伝えよう。希市に来てもらおうか」
「希市…。九州だな。おいおい、ここは本州だぜ、それも随分と東側の」
男の軽口には沈黙が答えとなって返ってきた。
そんな形の返答に男は舌打ちをして、相変わらず軽い調子で渋々頷いてみせる。
「へいへい。行きますよ、行けばいーんだろ」
だが、顔には笑顔が張り付いたまま。少しも嫌そうな素振りは見せない。
「次に、ある仕事を引き受けてもらう事になる」
「はは、その前に一つ聞いていいか?」
その言葉を聞いた瞬間に待ってましたと言わんばかりの勢いで影の言葉を遮った。
「…よかろう」
「オレは、その仕事を片付けた後はどうするんだ?また他の場所に移動したりするのか、それともその希市に残るのか?」
興奮を隠そうとして、失敗したように感情が漏れ出ていた。
ゆっくりと落ち着いて話そうとしたが、徐々に早口になっていたのが何よりもそれを顕著に表わしている。
「何故、そんな事を聞く。君はどこに居ても文句は無かったんじゃないのか」
「それはあんたらの勝手な思い込みだぜ。だがまぁ、確かにオレは場所でどうこう言ってる訳じゃない。要は、強い奴と戦えるのかってとこにあるんだ」
はっきりと力強いその瞳と言葉はある種の狂気に染まっている。
だが、それもまた信念と言えるのだろうか。
「はっ、それによぉ、そうやって話をぼかさなくても良いだろ」
男にはこの話の背後にある物がほぼ想像出来始めていた。
思わず早口になった先程とは違い、今度は影の反応を見るかのように勿体つけて話を区切る。
「遠くからわざわざオレを呼ぶって事は効率的な話で考えても上策とは言えないなぁ。近くにも他に人はいるだろうからな、例えその標的がある程度手強いとしても、物量作戦を展開したほうが早く片付くだろうし賢明だろ」
影の無反応を確認して更に続ける。
「なのに、そうしないのはあまり大人数を動員してごたごたを大きくしたくないからか」
肩を竦めて少し笑った。
「もしくは、ただの物量作戦じゃあ、標的を排除するどころか、返り討ちに合う可能性があるとか」
無反応は全て肯定。男はそう受け取った。
「それともよ、その両方か?」
影は何も口にはしない。
溢れそうになる笑いを抑えつつ続ける。
「事が大きくなるのはマズイ。その上、その標的は数では殺せない程、強い」
自分の推測を今一度確かめるように反芻する。
それから、笑った。楽しそうに、嬉しそうに、ただ、喜びに満ちた笑いで空間を満たす。
「く、はっ、はは、これらを総合的に考えれば、今現在の『闇』の中枢は希市に在ると言う事になるぜ。そして、本来その周りでこういう類の仕事を行うのは『その位置』に存在する者のハズだ」
後半部分は興奮の余り、あやふやな代名詞で語られた。
「導き出される結論はただ一つ」
その場に狂気が侵食するかのように。
「オレがそいつを殺して、『その位置』を引き継ぐ為に希市に残る」
影の反応など気にもかけなくなっていた。
息を吸い込み、目を開く。彼は確信していた。
「オレの標的はぁ」
何時の間にか、沈みかけた紅色が最後の、そして最も峻烈な輝きで凶悪と歓喜が入り混じる笑顔を真っ赤に染め上げる。
「鬼籍院筆頭、『銀翼』だろぉ!」
「…そうだ、鬼籍院第二位、『穿藍』三国幸利」
男の叫びは、今までの無反応の肯定と違い、はっきりとした言葉で意を得た。