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後日談 セカンダリア大陸編3

 ガルデウス滞在三日目。宿が宿のせいか、国王が俺達の消息つかめずにいたらしく、街に出た瞬間、王の使いという人物から登城して欲しいという旨を伝えられる。

 早速今日も城へと向かうと、本日は謁見が出来ない日だったらしく、あっさりと国王が時間を作ってくれた。


「まさか手の者を巻かれるとは思わなんだ。さすがだ、カイヴォン殿」

「すみません、忘れていました。それで、今日はどういった要件でしょうか?」

「……うむ。実はシェザード卿の御息女、スティリアについての話なのだが」

「スティリアちゃんがどうかしたのかい?」

「そういえば、今も彼女はナオ君と一緒に旅をしているのでしょうか? マッケンジーさんは国に残っているみたいですが」


 どうやら困りごとのようだ。心なしか表情が沈んだ国王が状況を説明しだす。


「実は……スティリアは今心を病んでいてな。彼女をよく知るそなた達に、話し相手になってもらいたいのだ」

「心を……何かの呪術かい? 私ならなんとか出来るかも!」

「いや、そうではなく……ううむ……なんと言えばいいか……」


 どうにも歯切れが悪い。何か思い当たる原因でもあるのだろうか?


「私の口からはこれ以上は言えぬ。が……どうか頼まれてもらえぬか?」

「勿論構いません。スティリアさんは大切な友人ですから。さぁ、行きましょうカイさん」

「あ、ああ。心を病む……何かショックな出来事でもあったのだろうか……」




 彼女の屋敷に辿り着くと、当然のように顔パスで中に案内された。

 応接間に通された俺達の元へ、少ししてから私服姿のスティリアさんが現れた。


「お久しぶりです、リュエ殿、レイス殿、カイヴォン殿」

「お久しぶりです。あれから一年程になりますが……その後、お身体の具合はどうです?」

「はい、もうどこも異常は見当たりませんし、体力も元通りになったと言えます。本日は……ええ、分かっています。ここ一カ月、こもりきりですからね、私は」

「一カ月もかい? 何かあったのなら相談に乗るけど、話せるかい?」

「なんでも言って下さい。お力になれる事でしたら協力は惜しみません」


 以前とは違い、健康そのものな様子ではあるのだが、どこかその表情に陰りを見せるスティリアさん。精神的にショックな出来事があったのだとは思うのだが……。


「いえ、大丈夫です。このように友人達にまでご心配をおかけして……何をしているのでしょうか、私は……いけませんね、そろそろ切り替えませんと……」

「……そういえばケン爺も国に残っていますね。となると、ナオ君は今どこに――」


 次の瞬間、彼女の身体が大きく揺れ、その表情が能面のように固まる。

 ……彼と何かあったな。


「……彼と何があったんですか?」

「なにも……と言っても嘘だと分かってしまいますよね」

「むむ、喧嘩でもしたのかい?」

「……喧嘩ではありませんね? ナオ君も貴女もそれで仲たがいするような関係ではないはずです。もしも話しにくい事でしたら、無理にとは言いませんよ」


 レイスが優しくそう諭すと。彼女は静かに頭を下げ、語りだした。


「私は、彼をいつか元の世界に戻すその時までお守りすると誓いました。今では彼に守られる程、力の差が出来てしまいましたが、それでも仲間として共にありたいと互いに認め合っていたと、自負しています」

「うん、そうだね。スティリアちゃんはナオ君の騎士だよ。私だってそう思う」

「……忠義を尽くしました。ですが……私は畏れ多くも――くっ!」


 ああ、もしかして色恋沙汰だったりするのでしょうか。

 ……ちょっと苦手な分野だ。


「畏れ多くも……私はナオ殿に恋をしてしまっていたのです……!」

「うん」

「ええ」

「それで?」

「んな!? そ、そんなに平然とされると私も困るのですが」


 いや見てて丸わかりというか。そんなのとっくに知っていましたというか。


「そ、それでです。私は、いつかこの世界から去ると分かっていても、彼を思おう、最後まで傍にいたいと、願っていました……ですが……ナオ殿は……!」

「な、なにか酷い事でも言われたのかい? ナオ君に限ってそんな筈は無いと思うけど」

「彼は今、別な大陸にいます。旅をしたいからと……同行を申し出たのですが……拒絶、されてしまいました……『スティリアと一緒じゃ駄目なんだ』と言われ……」


 あー……彼女の気持ちは分からんでもないけれど、ナオ君の気持ちも分かる気がする。

 彼もなんだかんだで年頃の純朴な青年だ。こんな美人さんと二人旅は緊張するだろうし……過保護なところがあるからな、スティリアさん。

 彼も自由に世界を旅したいのなら、確かに一人の方が気が楽なのかもしれない。


「……スティリアさん」

「はい」

「それだけではありませんね?」


 すると、レイスがどこか鋭い眼差しで彼女を見つめる。


「い、いえ……これで全てです」

「……カイさんがいては話しにくいですか?」

「っ! い、いえ! ……何故、そう思うのです」

「……今の貴女と同じ顔をした娘を……何人も見てきましたから」


 すると、レイスが静かに語りだした。

『貴女の顔は、思い人と二度と会えないと覚悟をした女の顔だ』と。


「……私は、彼にとっては姉なのです。ナオ殿には、この世界に残ってでも添い遂げたい相手が、私以外にいるようなのです。迷っている彼は、その人物と会う為に旅に出たのです。自分の心を決める為に」

「そいつは……意外だ。正直な話、俺はナオ君がこの世界に留まるとしたら、それは……スティリアさんの為だろうと考えていました。彼と一番親しいのは貴女でしょう」

「違ったのです。私は偶然聞いてしまったのです。彼が……女性とおぼしき人物に会いに行きたいと話していたのを。その人に会って、自分の今後を決めると言っていたのを」


 あちゃあ、本人の言葉を聞いてしまったのか。それは確かに……辛い。


「ちなみにどういう会話でした?」

「ギルドの通信で会話をしていたのですが、はっきりとは……ただ『会いに行きたい』『僕はその人と話さないといけない』『この世界に留まる』と」

「むむ……流れ的に間違いないのかなぁ……」

「あの、その相手の名前というのは?」

「はい。どうやら『レン』という名前のようでした。確か、この国の宰相の孫娘と同じ名前ですが……」


 ……ん? あれ? それってもしかして――


「なるほど、レンちゃんっていうのが恋敵なんだね……良し! ここはヤクダチ愛だよ!」

「リュエ、それを言うなら略奪愛です」

「んな!? 略奪などと!?」

「ちょいストップ。レイス、リュエ。レンって名前で、ナオ君が興味を持ちそうな相手に心当たりないかい?」


 いやもうこれ確定では? 断片的に聞こえてきた言葉も、これなら……。


「あ! 分かった、レン君だ!」

「ああ、彼ですか! てっきり女の子だとばかり……なるほど、レンは男性の名前でもありますね」

「え、ええと……それは一体どういう?」


 俺は一先ず、エンドレシアで呼ばれた解放者で、ナオ君と同い年の男の子で『レン』という人物がいる事を教える。

 そして同時に彼も旅しているはずであり『この世界に残る』と宣言していた事も。


「たぶん、会って彼の選択について話したいんじゃないかな? それに一人旅だって……こう言ってはなんですが、ナオ君くらいの歳ですと、スティリアさんのような綺麗な女性と二人きりと言うのは気恥ずかしいものです。俺ですらリュエと暮らし始めた当初は緊張していたくらいなんですから」

「そ、そういうものなのですか……それに私が綺麗などとそんな……」

「綺麗ですよ? 俺は正直初めて会った時『絵にかいたような美人女騎士だ』って思いましたし」

「んなぁ!? そんなカイヴォン殿……恥ずかしいです、私はそういう世辞には慣れていない……」

「ねぇねぇ、カイくん緊張していたのかい? ふふ、照れるねぇ」


 こら、そこ蒸し返さない。俺もつい口が滑ってしまったんです。


「とにかく、たぶんスティリアさんが気に病むような事はないと思いますよ? まず間違いなくナオ君はレン君に会いにいったんだと思います。それこそ……この世界に残る決意した、同じ境遇の人間の考えを聞くために。彼も、きっと悩んでいるんだと思います」

「ナオ殿が……では、私は本当にただの勘違いを……?」

「その可能性は高いですね。なんでしたら、ギルドでナオ君の通信相手がどこの誰だったのか聞いてみてもいいかと。記録は残っているはずですし」

「そ、そうなのですか……はは……私はとんだ恥を……はは……寝込みたくなってきました」


 溜め息をついた彼女からは、すかり陰が抜けていたが、代わりに疲労の色が濃く出ていた。

 ……きっと、ずっと胃も苦しく、食事ものどを通らなかったのだろうな。


「はぁ……あの、申し訳ありませんでした三人共。それと……今日話した事は他言無用でお願いします……」

「うん、分かったよ」

「当然です」

「はい、誰にも話さないと誓います」


 そうして、無事にスティリアさんはこの日を境に登城をするようになり、騎士としての活動を再開したのであった。

 ナオ君……罪な男だ。





 滞在五日目。そろそろ出立の事を考え買い出しを行っていると、久々にメールの着信音が脳内に響いた。




From:El

To:Kaivon

件名:今ガルデウスにいるってマジ?


今そっちに仕事で向かってるから、夕方くらいにご飯行こ

ちょっと相談あるからリュエっちとレイスも一緒で。




「エルからメールだ。今日の夕方ここに来るって。相談があるんだとさ」

「エルさんからですか? 分かりました、では……どこかお店でも予約しますか?」

「なんだろうね? もしかして戦闘についてとかかな? 私達に相談ってなると」

「どうだろうな……とりあえず店の予約は必要か聞いておくよ」


 その後、どこか密会が出来そうな良いお店を見つけておいてと言われ、とりあえずこの都市一の高級レストランの個室を押さえておきました。めちゃくちゃ高かったっす。

 しかしメールでなく直接会って相談となると、込み入った話だろうか?

 その後、自分達の買い物を済ませた俺達は、約束の時間を前に、一度着替えに宿へ戻るのだった。……ドレスコードがある店を選んだのは失敗だったか。エルにも連絡しないと。




 約束の店のロビーへと通され、そこでエルの到着を待っていると、もう既に慣れてきつつある貴族の視線にされされる。

 が、さすがにこのグレードの店で、男連れの女性に声を掛けるなんて真似をすることもない。純粋な羨望の視線と言うヤツだろう。後少なからずお兄さんにも向けられていました。照れる。

 とその時、フロントからエルの到着を知らされる。


「もー……なんでこういう店なのよ? おかげで変装出来なかったじゃない、注目されてるわよ私」

「すっかり有名人だな。まぁ皇帝だもんな?」

「店の外に騎士達を待機させるハメになったわ。じゃ、個室に行こう?」


 疲れ顔のエル。どうやら真面目に政務に取り組んでいるようだ。

 しかし……しっかりとドレスを着込んでいる姿は、中々に迫力がある。

 黙っていれば綺麗だしな。中身は半分おばちゃん、半分女子高生のようなちょっとアレではあるが。


「エルの恰好綺麗だね、お姫様みたいだよ」

「リュエっちもお姫様みたいよ? それにレイスもさすがよね、憧れるわ」

「ふふ、ありがとうございます。では行きましょうか」


 案内された部屋は、どう見ても一○人くらいで会食をする為のような大きな部屋。

 少々大きいテーブルに、四人分の食器が用意されていた。

 ふむ、これはレストラン側が気を利かせたと見ていいのだろうか?


「なんでこんなに食器離すかなー……よっと」

「一応皇帝だからだろ? 折角セッティングしてくれたんだ」


 すると、エルが上座にセットされた一式を近くの席に移動させる。

 さすがに不格好というか、テーブルが無駄になり過ぎるのでは?


「さ、じゃあ座って座って。ちょっと前菜が運ばれてくるまで概要だけ説明するから」

「割と真面目な話か? 聞かせてくれ」

「単刀直入に言うと……帝位を叔父に譲渡したいと交渉中でね。それで、交換条件を出されたの」

「早いな、まだ一年ちょっとしか経っていないだろ、即位してから」

「王女様をやめちゃうのかい? エルがやめたら大変なんじゃ?」


 以前から叔父にいつか帝位を譲ると話していたが、それにしたって早すぎやしないか?


「メイルラントは現在、ガルデウスから派遣された宰相と叔父、私の三人で政務を進めているわ。戦後の復興、雇用の幅を広げる為の土地開発、新たに出来た南の港町での事業についてもガルデウスと一丸になって取り組んでいる状況なの」

「国のトップ同士の仲は良好ってとこか。内政に干渉されているのと同義ではあるが、元々メイルラントはガルデウスの傘下に入ったって事だったんだよな?」

「そ。実際それで徐々に生活も安定してきているし、国民同士もそれほど険悪な仲でもない。反発していた連中も今は大人しくしているわ」

「なんにも心配はないように聞こえるが、問題でもあるのか?」


 聞く限りでは順調に国同士歩み寄り、一つにまとまりつつあるように聞こえる。


「国政も安定。荒廃した国土の復旧にも目途がついた。ならもう、後は私よりも長く国を見てきた叔父に任せるのが良いという私の判断も、ある程度は認められた。でも――」

「でも?」

「『帝位を私に譲るのならば、皇帝は姫として、両国の絆を強める為にも、嫁がれてはどうか』だそうよ。至極真っ当な意見ではあるけど……ちょっとそれは勘弁なのよね」

「おお! エル結婚するのかい!? おめでとうって言った方がいいかい?」

「言わない方がいいかな? だって私、自由に旅がしたいんだもの。それに結婚相手だって……ガルデウスの宰相の息子? 結構なおじさんなのよね」


 政略結婚か。まぁ当然と言えば当然の選択肢ではある。しかし……結婚する気なんてコイツには絶対にないだろう。人に『子種だけ頂戴』なんて平然と言うような人間なのだ。


「何か良い案ないかしら? 結婚を回避しつつ、私が国外に出られる方法。逃亡でもいいのだけど、そうすると他の大陸、国に迷惑がかかりそうじゃない? こう……留学、とか?」

「むむむ……逃げるのは駄目なんだ……あ、じゃあファストリアの時みたいに特使として出るのはどうだい?」

「それも考えたんだけれど……行動を制限されるだろうし、結局はどこかで逃亡する事になりそうなのよね」

「それでしたら、オインクさんのところ、冒険者ギルドに出向、国の為に留学するというのはどうでしょう?」

「仮に退位しても元皇帝が他国の組織に入るのは、ちょっと難しいのよね……一応似たような事をオインクにも相談したのだけど、さすがに難しいって」


 地位がありすぎるのも考え物だな、やはり。しかしどうしたものか……。


「正直、問題なく国さえ出られたら、後はどうとでもなるのよね。国を一人で出ても問題のない理由が欲しいのよ。例えば……なにかない?」

「思いつかないな。っと、この話は一旦終わりだ。料理が来る」


 コース料理に舌鼓を打ちながら、エルの話を考える。

 結婚か。もしもそうなれば、それこそ自由はもう得られないだろう。

 だが、それは当然の責務、義務でもあると言える。なにせ皇族なのだから。

 養子とはいえ、一度は国をまかされた身。当然責任だってついてまわる。

 それを譲る事に問題が起きている訳ではなく、最後の責任として国力強化の為に結婚を願われた……やはり当然の話としか思えない。


「あ、これ美味しい。カイさんこれって魚よね? 美味しくない? これ」

「ああ、美味いな。アマダイの一種か……? 鱗が柔らかいから、こんな風に油で表面がサクサクになるんだ。鱗まで食べられる魚なんだと思う」

「これは、どこで釣れるのでしょうかね……興味深いです」

「へぇ……こういう焼き方もあるんだねぇ」


 国力強化というよりも、単純に国にとってメリットになる事を求められている。

 なら、エルが旅立つ事で国にメリットが生まれさえすれば……問題ないのだろう。

 メリット……メリット……なにもガルデウスに限らず、どこかの国と懇意になるきっかけを作る為にエルが動いていると説明出来れば……。


「美味しかった……ってカイさん随分難しい顔をしているわ。もしかしてずっと考えていたりして?」

「まぁな。今、エルの動きがそのまま国のメリットになるって方向で説得できないか考えていた。こうなると、豚ちゃんが冒険者ギルドを国と切り離そうと動いているのが足かせになるなって考えてたところだ」

「あー……オインクは民主主義を目指しているのよね? じゃあそこに所属するのはメリットたりえない、か」

「……結婚させられそう、という話でしたよね? それでしたら……偽装でも、誰かほかの有力者、国外にいる人間と結婚する為に嫁ぐというのは……?」

「えー……そんな知り合いいないわよ。それに相手にも悪いじゃない?」

「そうですよね……」


 なるほど偽装結婚、婚約か! が、そんな相手が引き籠っていたエルにはいない。


「分かった! シュンだよ! シュンと結婚するって嘘をつけばいいんだよ!」

「シュンちゃんと? ……シュンちゃんってそんなに凄い立場なのかしら」

「……どうだっけ? 一応近衛騎士だかなんだかの隊長? よく分からないな」

「それじゃあ難しいわ……それに見た目が子供じゃないの……説得するにも無理があるわ」

「うーん……」

「……おい。なんでこっち見るんだエル」


 エルがこちらを見つめ笑う。おい馬鹿やめろ、冗談でもここでそれを口にするな。


「あー、どこかにエンドレシア国王に認められていて、次期公爵で、この大陸にも強いコネがあって、他の大陸でも名前が響き渡っている大人の男はいないかしらねー」

「知らんな。諦めて逃亡したらどうだ。退位したら速攻で。後の事は知らんと逃げ出すといい」

「あ、そっかぁ……カイくんと結婚するって嘘ついてしまえばいいのかい?」

「それは……少々、複雑ではありますが……」

「冗談よ、冗談。まぁ手がないなら、それっぽい事を匂わせて逃げるのがいいのかしらね」


 どこまで冗談なのやら……。


「ま、お蔭で色々言い訳、逃げる為の口実も思いついたわ。誰かに話せただけでもありがたかった。今日は突然のお誘いだったけど、ありがとうね」

「ああ、悪かったな。具体的な解決案を出せなくて」

「いいのよ。元々これは私の我儘なんだし。私も根気よく説得してみるわ。いざとなったら力づくでも」


 そうして、エルは一足先に店を後にした。騎士を待たせている手前、長居は出来なかったのだろう。

 しかし……案外他人事じゃないな。俺もそろそろ身の振り方を考えるべきなのかね。

 エンドレシアに付いたら……一度国王と謁見するべきだろうか。






 ガルデウスに滞在して六日目。つまり最後の夜。

 国王からは特に頼まれごとこそされなかったが、ゆっくりと話がしたいからと晩餐に招かれ、そこで舌鼓を打ちつつ、腹八分目で宿へと戻って来たのであった。

……この国の料理は異様に美味しいな。文化のレベルが違う。過去に招かれた解放者の数も他国とは比べものにならないのだし、その影響なのかもしれない。

 そして、城から戻って早々、俺達に来客があった。

特殊な宿なので、にその相手は限られるのだが――


「本当に来たのかケン爺。義理堅いというかなんというか」

「当然じゃろうて……あれだけ三人に不快な思いをさせたのじゃ。どうか償わせてくれい」

「私はもうあまり気にしていないよ? 遅かれ早かれ、ああいう術師は暗殺される。ケン君には悪いけれど……根が善人であろうがなかろうか、表面を見て人は判断するんだ」

「……その通りじゃ。ヤツは過去に幾度も狙われておる。あの態度もその裏返し……と言えたらいいのじゃが、あればっかりは元からじゃ。故に、ヤツは同門とはいえ、過去に波紋されかけた事もあるのじゃ」

「そうだったのですか。……忘れましょう。この先、私達と顔を合わせる事はないですから」

「んむ、そうじゃな。それで、以前カイと約束したのじゃが、詫びとしてコレを持ってきたのじゃ。聞けば明日ここを発つそうじゃし、良い土産にもなると思ってのう」


 そう言いながら彼が杖を一振りすると、部屋の外からガラガラと重々しい車輪の音がする。

 扉を開けば、大きな台車が一人でにこちらへとやって来た。


「自信作のワインじゃよ。正確にいうとワインを再現した酒じゃな。わしの研究は植物の持つ力や特性を他の物に受け継がせる事。それを応用し、ブドウに数多の木の実、果物の成分を受け継がせ、かつて自然に酒を生み出したと言われている古木にワイン酵母を生み出す成分を宿らせ、その洞で発酵、熟成させた物じゃ」

「なんだか凄いな……これも錬金術の一種なのか……?」

「どうじゃろうな。儂は勝手に植物生態操作と呼んでおるよ」


 それは、品種改良や遺伝子操作の一環ではないのだろうか……ケン爺、実は戦闘よりも研究分野の方が得意だったりするのだろうか? 事と次第によっちゃ偉人レベルだ。


「よく分からないけど凄いワインなんだね!? ね、ねぇ! こんなに貰っていいのかい!? 荷台に山盛り……これ、凄く貴重な物じゃないのかい!?」

「確かに貴重じゃな。じゃが、それだけ儂も申し訳なく思っておる……自覚はないやもしれんが、儂は……この程度の詫びで国が存続するなら安い物と考えておる。たとえその気がなくても、動かずにはいられなかったのじゃ。それに、個人的な礼でもあるしのう」

「……そっか。分かるよ、その気持ちは。でもお礼って?」

「一年前の一件じゃよ。儂としてはもっと礼をしたかったのじゃよ。聞けばリュエ殿はワイン好きというではないか。じゃから、この一年改良に改良を重ねたのじゃよ」


 そんな彼の気持ちが籠ったワインを、早速頂いてみようとビンを一本取る。

 ……荷台に樽が四つにビンが三ダース。これは暫くワインを買う必要がなくなりそうだ。

 栓を開け、まず最初はリュエにと、彼女がいつのまにか用意したグラスへ傾ける。

 すると、予想とは違い、どこか藍色の、色素の薄い液体が注がれていく。

 そして同時に香る芳香。ベリーのような、柑橘系のような爽やかさのある香り。

 貴腐ワインのような独特の香りも混じるそれは、確かに今まで嗅いだことのない物だ。


「綺麗……じゃ、じゃあ……乾杯を待った方がいいかい!?」

「はは、先に飲んでみなよ」


 もう待ちきれないって顔してますよ。

 するとリュエは静かにグラスを揺らし、解き放たれる香りを鼻で吸い込む。

 しばしの余韻。まるで香りを口で咀嚼するような間を置き、静かに口に運ぶ。


「ん……」

「……レイス、注ぐよ」

「ありがとうございます。では私も」


 互いに注ぐ間も、リュエの言葉はない。ただ静かに目を閉じ、余韻を楽しんでいた。

 やがて、小さく息を吐いた彼女が目を開く。


「……もう、ワインなんて呼べない……神隷期の神酒に匹敵するよ。千年、私は千年いろんなワインを飲んできた。あちこちの、どこの物かも分からない、けれども極上って言えるワインを飲んできた。けれどこれは……そのどれよりも美味しい。これを、君たちはこの間、ガブガブ浴びるように飲んでいたのかい? それこそが一番の罪だよ」

「リュエがそこまで言うなんて……頂きます」

「私も……緊張します」


 その瞬間、一瞬で酒の香りが全身に広がったと錯覚する。

 ほのかな渋味が、喉を通った瞬間コクに代わり、同時に身体の奥から芳醇な香りが立ち昇り、口や鼻を満たしていく。

 驚くほど軽やかに、けれども確かに喉を熱くする酒精。じわりと、顔が温かくなる。

 美味しい……舌がこれ以上味の判別をするのを拒否するような、ただ美味しいという言葉だけで頭を埋め尽くす感覚。初めてだ。ここまで美味しいワインなんて、初めてだ。


「……恐ろしいワインです、マッケンジーさん。世に出すのは控えるべきでしょう……人によっては、争いに発展しかねない味です。これは人を間違いなく狂わせます……」

「確かに……私ももしこれが飲めるなら、どんな依頼だってこなしちゃうよ。それが例え、人の道に反していたとしても……魔性のお酒だよ、これは」

「国宝レベルだ。ケン爺、悪い事は言わない、これは売りに出さないほうが良い」


 あまりの味に、三人の意見が一致する。それ程までに人知を超えているのだ。


「ほっほ、そう言われると嬉しいのう。安心してくれい。これは友人と飲み会う為の物。公にするつもりはない。しかしそうか……神隷期の神酒に匹敵とは……報われるのう」

「うん。ケン君は私たちの時代に追い付いたんだ。誇っていいよ、これは偉業だよ」

「……他の神隷期の友人にも、いつか飲ませてみてもいいかい?」

「構わぬよ。むしろ光栄じゃて。いやはや、ここまで言ってくれるとはのう……」


 そのまま、時間をかけてビンを空にする。一気に飲めないのだ。あまりにも畏れ多くて。

 そしてケン爺も交えて二本目に手をつけ、静かに極上の夜が過ぎて行った。

 ありがとうケン爺。そして、すまなかった。俺達は……自分達の影響力をもう少し自覚するべき、なのかもしれないな。




 翌朝。仰々しい見送りは控えて欲しいという願いを聞き遂げてくれた国王が、お忍びで都市の入口へとやってきた。

 変装をしているようだが、それは一体なんの変装なのだろうか。ヒマワリ柄のエプロンに、木製のリアカー。そして荷台には沢山の苗が積まれていた。

 ……ヒマワリ専門の業者? ちょっと僕には分かりませんね。

 そして職場に復帰したスティリアさんは、いつも通り騎士甲冑を纏っていた。とはいえ、騎士団長となった彼女は以前とは意匠の違う、上等な物を纏っていたのだが。


「カイヴォン殿、リュエ殿、レイス殿。もしまた立ち寄る事があれば是非城を訪ねてください。一○月にははむ子殿も城に訪れるでしょう」

「本当にありがとうございました。お三方とも、どうか旅の無事をお祈りします。それと……もしも旅先でナオ殿に会われたら、伝言を一つお願いしたいのですが」

「ええ、勿論。なんと伝えましょう」


 心なしか顔の赤いスティリアさんは、小さな声でこちらに耳打ちしてきた。


「いつまでもお待ちしています。いつでも帰ってきてください、と」

「了解しました」


 幸せ者め、ナオ君。


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