第21話 ハズレスキルの星
「——使用スキル:〈家事全般〉〈氷結魔法〉〈剛体〉」
九条さんが報告書を読み上げている。受付カウンターの向こう側で、端末を操作する指が一瞬止まった。
「討伐方法:料理によるバフ付与、掃除による浄化、洗濯による属性無効化、裁縫による弱点特定、整理整頓による戦術立案」
ロビーが静まり返る。
「……以上」
九条さんが画面から顔を上げた。無表情だったが、口元がわずかに引きつっている。
「……前例がありません」
「ないですよね」
「はい。ありません」
沈黙。
周囲の冒険者たちが、じわじわとこちらを見始めていた。カウンター横の掲示板を見ていた男が二度見する。奥のソファでコーヒーを飲んでいた女性パーティーが、カップを置いたまま固まっている。受付の別の窓口にいた職員が、入力を止めてこちらを見ている。
大地が——我慢できなかった。
「主婦がボス倒したってよ!!」
ロビーに響き渡る声。
「主婦って言うな!!」
「……ふふ、主婦」
白鳥さんが、小さく笑った。
「白鳥さんまで!?」
「……事実です」
「事実じゃない!!」
(エプロンで戦ったのは事実だけど。包丁とモップと針で戦ったのも事実だけど。主婦じゃない。冒険者だ。……たぶん。いや、冒険者だ)
九条さんの肩が、小さく揺れていた。
声が——漏れた。
「……ふ」
短い。でも、確かに声が出ていた。あの九条さんが、口元を手で隠しながら。
「……前例がありませんので、新規カテゴリで登録します」
声が少しだけ上ずっている。でも表情は業務用に戻っていた。
「新規カテゴリって何になるんですか」
「……検討します」
(前例がない、か。最初からそうだった。〈家事全般〉で冒険者になって、全部、前例がない。でも——あった。俺がやったから)
ギルドの外に出ると、大地のスマホが鳴りっぱなしだった。
「やべえ!! 『#ハズレスキルの星』また一位だ!!」
「投稿するなって言ったのに」
「一万いいねだぞ!! 一万!! 黙ってられるか!!」
「……どうせ止められませんでしたね」
白鳥さんが諦めた顔で空を見上げている。五月の空が青い。昨日までダンジョンの天井しか見てなかったから、やけに眩しかった。
大地が自分のスマホを俺に突き出した。コメント欄がすごい速度で流れている。
(……)
指でスクロールする。何気ない動作のふりをしながら、アカウント名を目で追った。S級バッジのアイコンを探していた。
——ない。
冬馬さんのアカウントは見つからなかった。見ているかどうかもわからない。でも——なぜか、見られている気がした。根拠はない。ただの勘だ。
「コメント返すな。変な火がつく」
「えー!!」
「帰ろう」
◇◇◇
アパートに着くと、玄関の前に人が立っていた。
紺のスーツ。革手袋。背筋が真っ直ぐに伸びた長身。
——冬馬さん。
足が止まる。隣で白鳥さんが息を呑んだのが聞こえた。
「……父さん」
「わっ!!」
大地が飛び退く。S級の圧は引退しても消えない。空気の密度が変わった気がした。
冬馬さんの視線が、俺の胸元に落ちた。
「……なぜエプロンをつけているんだ」
——あ。
昨日から着替えてなかった。ベヒモス戦のまま帰ってきて、そのまま寝て、そのまま報告に行った。焦げ跡と汗の染みがついたエプロンを、まだつけていた。
「……昨日から着替えてないので」
「はずせ」
「はい」
エプロンを外す。焦げた布を丁寧に折り畳んで、手に持った。
冬馬さんが俺を見ている。あの日、頭を下げたときと同じ目だ。感情の読めない、冷たい——でも、どこか真剣な目。視線が一瞬だけ白鳥さんに移り、すぐに戻った。
「——認めよう」
空気が変わった。
「C級ボスを三人で倒した。ハズレスキルで。それは事実だ」
白鳥さんが——息を止めていた。指先が白くなるほど、杖を握り締めている。
「千紗を頼む」
短い言葉だった。それだけだった。
「——はい」
声が出た。自分でも驚くほど、はっきりと。
「……はい」
白鳥さんの声は、小さかった。かすかに震えている。聞こえないふりをした。
冬馬さんが踵を返す。去り際に——一度だけ、振り返った。
「……料理は、上手いのか」
(あの人が——最後にそれを聞いた)
「得意です」
「そうか」
背中が遠ざかっていく。革靴の音が規則正しく響いて、紺のスーツが角を曲がって消えた。
しばらく、誰も動けない。五月の風が吹いて、白鳥さんの髪を揺らした。
「……泣いてもいいと思う」
大地が、静かに呟いた。
「泣いてません」
白鳥さんの目は——潤んでいた。
(「認めよう」。その一言が、どれだけの重さか。あの日、冬馬さんの前で「足を引っ張らない努力を続けます」と頭を下げた。あの日から——ここまで来た。白鳥さんの声が震えていた。「……はい」と。聞こえないふりをした。——「料理は、上手いのか」。少しだけ、笑いそうになった)
◇◇◇
「今日は食事会だ」
キッチンに立つ。エプロンを新しいものに替えた。こっちは綺麗だ。
「……わたしも、作ります」
白鳥さんがキッチンの入口に立っていた。
「何作るの」
「……卵焼きを。練習しました」
「わかった。任せる」
俺は肉じゃがを作る。約束だ。じゃがいもの皮を剥く。包丁が食材に入る感触。戦場じゃない台所で、ただの料理をしている。玉ねぎを切る。出汁の香りが部屋に広がっていく。
隣で白鳥さんがフライパンを握っている。卵を割る手が少し震えていた。黄身が崩れかけたけど、ぎりぎり持ちこたえた。火加減を見る目は真剣だ。
(あのとき、黒焦げのおにぎりをくれた人が——卵焼きを焼いている)
じゅう、と卵が焼ける音。白鳥さんが箸で端を折り返す。不器用だけど——焦げていない。
「焦げてない。進歩だ」
「……砂糖、入れすぎました」
「食べられる」
「……どこがですか」
「食べてみないとわからない」
玄関のチャイムが鳴った。
九条さんが立っていた。手にケーキの箱を持っている。
「……データとして興味深かったので」
「今回も業務上ですか」
間。
「……今回は、違います」
小さな声だった。でも——九条さんの耳が、ほんの少し赤い。
四人分の皿を並べた。肉じゃが。白鳥さんの卵焼き——形が歪で、色は少し濃い。そして九条さんのケーキ。見た目のバランスはめちゃくちゃだった。
でも不思議と、このテーブルは収まりがいい。
大地が一口食べて——泣いた。
「お前ら!! 最高のパーティーだ!!!」
「大地さん泣きすぎです」
「いいだろ泣いても!! C級ボス倒したんだぞ!!」
「……ボス倒したときは泣いてなかったのに」
「戦ってるときは必死だったんだよ!! 飯食ったら泣けてきたんだよ!!」
白鳥さんが卵焼きを箸でつまんでいる。一口食べて、少し顔をしかめた。
「……甘すぎますね」
「うん。甘すぎる」
「……正直ですね」
「嘘は言わない」
「……わたしも、もう少し」
白鳥さんが空の皿を差し出した。肉じゃがのおかわりだ。
皿を受け取って、肉じゃがをよそう。湯気が白鳥さんの顔にかかった。
よそいながら——笑っていた。自分でも気づかないうちに。
(大地が泣いている。九条さんが「業務外」だと認めた。白鳥さんがおかわりを求めてくる。「最高のパーティーだ」って、大地は言った。——そうだな、と思った)
◇◇◇
食事会のあと、みんなを送り出した。
大地が「また明日な!!」と叫びながら帰っていく。白鳥さんが小さく手を振った。九条さんが「報告書の続きは明日」と業務連絡を残して去っていった。
一人になる。アパートの部屋に戻ると、テーブルに皿がまだ残っていた。肉じゃがの鍋は空だった。白鳥さんの卵焼きも、一切れも残っていない。
片付けを終えてから、外に出た。夜道を歩く。特に目的はない。少しだけ、外の空気を吸いたかった。風が気持ちいい。昨日まで溶岩の熱の中にいたのが嘘みたいだ。
ステータスを開いた。
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◆ スキル
・〈家事全般〉Lv.1
├ 料理 ★★★★☆
├ 掃除 ★★★☆☆
├ 洗濯 ★★★☆☆
├ 裁縫 ★★★☆☆
└ 整理整頓 ★★★☆☆
派生スキル:全5種解放済み
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いつも通りだ。何も変わらない。
でも——最下部にスクロールして、手が止まった。
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◆ 隠しスキル:〈???〉
条件:B級ダンジョンにて
□□□□□□□□□□を□□せよ
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前は「条件未達成(詳細不明)」としか書かれていなかった。
変わっている。
心臓が一拍、強く打った。B級ダンジョン。場所が——わかった。
ポケットの中でスマホが震えた。ギルドからの通知だ。
『新ダンジョン出現通知:B級ダンジョン「虚空の書庫」——推奨スキル:???』
推奨スキル、不明。
(……笑える)
声には出さなかった。でも口元が緩んでいるのが自分でもわかった。
B級ダンジョン。推奨スキル不明。
〈家事全般〉で行く。また「前例がない」と言われるだろう。九条さんがまた困った顔をするだろう。それでいい。
遠くから声が飛んできた。
「寄り道するなよ!! 明日また三人で報告書書きに行くんだから!!」
大地だ。まだ近くにいたらしい。
「わかってる」
返事をして——でも、足を止めた。
もう少しだけ、ステータスを見ていた。
□□□□□□□□□□を□□せよ。
まだ読めない。でも——次の目標が、そこにある。
——次の冒険が、もう始まっている。
最後までお読みいただきありがとうございました!
本作はこれでいったん完結となります。
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