第17話 C級の世界へ
古代遺跡・上層のゲートは、石造りの門だった。
表面に刻まれた紋様が、脈打つように青白く光っている。門の向こうから湿った風が吹いてくる。土と苔の匂い。D級ダンジョンにはなかった、重い空気だ。
C級の銀バッジが胸ポケットの中で冷たい。
(あのとき浅層しか入れなかったこの遺跡——今度は、上層だ)
「準備はいいか」
「いつでも!」
大地が盾を鳴らした。
「……はい」
白鳥さんが杖を握り直す。静かな声だ。だが目は据わっている。
ゲートをくぐった。
視界が切り替わる。石造りの回廊。天井が高い。壁面の紋様が淡く発光して、松明がなくても歩ける程度の明るさがある。足音が反響する。遠くで——何かの咆哮。低くて、長い。
〈空間把握〉を起動した。
頭の中に、構造が流れ込んでくる。通路の幅。分岐の数。壁の向こうの空間。全部が間取り図みたいに見える。
「3つ先に分岐がある。右は行き止まり。左に——何かいる。複数」
白鳥さんと大地が顔を見合わせた。
「便利すぎるだろ、それ」
大地がぼやいた。D級では考えられなかった情報量だ。正直、俺もまだ慣れていない。頭に入ってくるデータが多すぎて、ときどき眩暈がする。
「左の敵、動いてる。こっちに近づいてくる」
「数は」
「5。——デカい」
白鳥さんが杖を前に構えた。大地が盾を左腕に固定する。
分岐の角を曲がった瞬間。
オークの隊列がいた。
D級で見たオークとは別物だ。全員が鉄の胸当てを着けている。先頭の個体は弓を持ち、最後尾の一体——隊長格だろう——は、赤く燃える剣を握っていた。
(嘘だろ。オークが隊列組んでるのか)
「大地、右に寄れ。床に圧力板がある」
「は?」
「罠だ。踏むな」
〈空間把握〉が床の不自然な凹みを捉えていた。大地が慌てて足を引く。板の端を靴底が掠めた。
弓持ちが矢を番えた。矢先が黒い。
「毒矢だ!」
射った。大地の右腕に向かって飛ぶ。
駆けた。モップを振った。矢が大地の腕に届く前に、穂先で弾く。〈浄化〉が起動する。矢に纏わりついていた紫色の液体が、白い光に分解されて消えた。
「助かった!」
「礼は後!」
リュックからおにぎりを2つ取り出した。STR+25%。バフ付き。大地に投げる。
「食え!」
「戦闘中に飯!?」
大地が片手でキャッチして、口に押し込んだ。
「……うめえ。お前のおにぎりだけは状況を選ばねえな」
もう1つは白鳥さんに。鉄壁肉まん。VIT+。
「白鳥さん、これ」
「……肉まんですか」
「食べて。硬くなりにくい」
白鳥さんが片手で受け取って、小さく齧った。飲み込んだ瞬間、魔力の膜が薄く身体を覆う。
隊長オークが吠えた。炎の剣を振りかぶる。大地が盾で受けた。
赤い炎が盾の表面を舐めた。鉄が焼ける匂い。大地の腕が軋む。
「熱い……ッ!」
盾の表面に炎の属性が残留していた。触れるだけで焼ける。
走った。盾に手を当てる。〈属性洗浄〉。火属性を剥がす。赤い光が盾の表面から洗い流されるように消えた。
「……涼しい!?」
「属性だけ落とした。本体は無傷だ」
大地がSTRバフの乗った盾で、弓持ちオークを2体まとめて押し返した。壁に叩きつける。骨が砕ける音。
「〈氷槍・三連〉」
白鳥さんの詠唱。短い。3本の氷の槍が弧を描いて、残りの弓持ちを貫いた。正確だ。3体目は首と胴の隙間——鎧の継ぎ目を狙っている。
残るは隊長だけだ。炎の剣を振り上げる。
「大地!」
「おう!」
バフが効いている。大地の盾打ちが隊長の腹に入った。STR+25%の乗った一撃。隊長オークが壁まで吹き飛ぶ。崩れた壁から石粉が舞った。
白鳥さんが追撃の氷槍を叩き込んだ。静寂が落ちた。
5体、全員だ。
息を整えた。モップの柄を肩に乗せる。
「——全部使った」
5つのスキル。〈空間把握〉で索敵と罠回避。〈錬金術〉でバフ食を用意した。〈浄化〉で毒消し。〈属性洗浄〉で火属性除去。あとは——
大地の肩当てが裂けていた。隊長の一撃で縫い目がほつれている。
「ちょっと待て」
針と糸を出した。走りながら3針。〈縫錬〉の補強が入って、革の強度が元より上がる。
「……お前、戦闘中に裁縫もすんのかよ」
「肩当てが裂けたままだと次の戦闘で困るだろ」
白鳥さんが俺たちを見ていた。
「5つ全てが噛み合っていました」
冷静な声だ。でも目が少し丸い。
「お前、本当に家事してるだけなのか?」
「家事してるだけだよ」
本気でそう思っている。おにぎり作って、掃除して、洗濯して、縫い物して、部屋を片付ける。やっていることは変わらない。場所がダンジョンになっただけだ。
◇◇◇
さらに奥へ進んだ。
〈空間把握〉が異常を検知した。通路の先の空間が——大きすぎる。そして、熱い。
「……この先。何かが違う」
通路の突き当たりに、巨大なゲートがあった。
赤黒い光を放っている。門柱の石材が熱で変色していた。近づくほどに空気が乾いていく。さっきまでの湿った遺跡の空気が、嘘みたいに灼けている。
鼻の奥が焼けた。焦げた空気の匂い。鉄が熱されたときの、あの金属臭。
(怖い、じゃない。足が止まっている。これは——先が見えない、という感覚だ)
ゲートの前に立った。呼吸が重い。肺が熱気を拒んでいる。
ゲート越しに、影が見えた。
巨大だ。フロストサーペントより、さらにデカい。輪郭だけで——全身が見えない。赤い光の中で、ゆっくりと呼吸している。
「なんだこれ……デカい」
大地の声が、珍しく低かった。
「……これは、今のわたしたちでは」
白鳥さんが言い切らなかった。でも、全員わかっていた。
炎獄のベヒモス。C級ダンジョンのボス。
圧倒的だった。ゲート越しなのに足が止まる。D級どころか、C級の枠にも収まらない存在感。
〈空間把握〉がゲートの向こう側を読み取ろうとした。情報が来る——が、途切れる。熱量が干渉している。構造を把握しきれない。
(この熱量は……おかしい。C級のボスで、この圧はありえない)
白鳥さんと大地が、無言で頷いた。
今日は偵察だ。上層の状況を確認して、ギルドに報告する。それが依頼の内容だった。
「——必ず倒す。でも、今日じゃない」
声に出したのは、自分のためだ。足が動かなくなる前に。
踵を返した。3人で、来た道を戻る。
◇◇◇
翌日。ギルドへ報告に向かう。
C級ダンジョン・古代遺跡上層。オーク隊列の殲滅。ベヒモスゲートの確認。報告書は九条さんが受け取って、いつもの無表情で端末に入力していた。
アパートに帰って、シャワーを浴びる。遺跡の湿気と汗を流す。冷蔵庫から麦茶を出して、ソファに座った。
スマホが鳴った。
通知が止まらない。
アドグラ——冒険者専用SNS。画面を開いた。
大地のアカウントが動画を投稿していた。再生数が跳ねている。
再生した。
俺だ。エプロン姿でモップを振って毒矢を弾いている。次のカットではおにぎりを投げ渡した。その次のカットで針と糸を出して大地の肩当てを縫っている。
(……いつ撮った)
「大地……お前……」
電話した。1コールで出た。
「いやだってすげえもん!! みんなに見せたいだろ!!」
「許可取れよ!!」
「ごめんって! でも見てみ、コメント!」
コメント欄を開いた。
『エプロンで戦ってた動画マジ??』
『包丁でバフ料理作りながら指示出してるの草』
『モップで毒矢を弾いたのwww』
『ハズレスキルでC級到達ってマジ?』
『肩当て縫ってるとこで飲み物吹いた』
『家事スキルの戦闘利用、新しすぎる』
#ハズレスキルの星。トレンドに入っていた。
「……勝手にタグまで作りやがって」
白鳥さんからメッセージが来た。
『わたしも映っていますか』
『映ってる。氷槍のところ』
『……』
既読がついて、10秒沈黙。
『消してもらえますか』
『大地に言ってくれ』
『猪狩さんに連絡しました。「バズってるから無理」と返されました』
(あいつ……)
スマホを置いた。頭を抱える。コメント欄がまだ伸びている。再生数が5桁に乗っていた。
◇◇◇
夜。
布団に入る前に、もう一度アドグラを開いた。
コメント欄をスクロールしていく。くだらない感想。応援。冷やかし。「ハズレスキルは所詮ハズレ」という煽りもある。大地が全部に返信している。やめろ。
指が止まった。
一件のコメントが表示された。投稿者のアカウント名の横に、金色のバッジ。
——S級冒険者。
内容を読んだ。
『〈家事全般〉の派生スキル? ……まさかな。あいつの研究が正しかったとすると——』
次の瞬間、コメントが消えた。
画面をリロードした。ない。投稿から数秒で削除されている。
「……今の、見間違いか?」
見間違いじゃない。読んだ。確かに読んだ。
S級冒険者が、〈家事全般〉に反応した。「あいつの研究」。過去に〈家事全般〉の潜在力を調べた人間がいた。そういう意味だ。
ステータスウィンドウの最下部に浮かんでいた、あの一行を思い出した。
隠しスキル。条件未達成。
スマホの画面が暗くなった。俺の顔が、黒い画面に映っている。
しばらく、動けなかった。




