第1話 ハズレスキルランキング3位
スキルオーブに触れた瞬間、視界に半透明の文字が浮かんだ。
〈家事全般〉。
隣の受付ブースでは〈火魔法〉を引いた兄ちゃんが拳を突き上げてガッツポーズを決めている。
俺は三度見した。
家事。全般。
(……家事?)
◇◇◇
——30分前に遡る。
コンビニバイトの夜勤明け。俺、水瀬悠斗22歳は冒険者ギルド新都市支部のドアを押した。
ロビーに入った途端、人いきれが頬にぶつかる。壁のモニターにはA級冒険者のランキング番組。列を作った新人たちがソワソワしていた。
これからスキルオーブに触れるのだ。人生が変わるかもしれない。
受付に呼ばれた。紺のスーツの女性職員がタブレットを構えて告げる。
「適格者証を確認しました。水瀬悠斗さん、22歳」
「はい」
「先月の検査で合格済みですね。登録のご動機は」
「えっと……冒険者なら稼げるかなって」
「率直でよろしいですね」
褒めてるのか呆れてるのか読めない。名札には「九条雪乃」。メガネの奥の目がこっちを見ているんだか見ていないんだか。
「では手続きを進めます。スキルオーブをどうぞ。触れてください」
「はい」
カウンターに光る球体が置かれた。手のひらサイズ。隣のブースでも兄ちゃんがオーブに手を伸ばしている。
さすがに指先がこわばった。
——そして、冒頭に戻る。
〈家事全般〉。
ロビーが一瞬、静まった。隣の新人が目を逸らす。後ろから「あー……」という声。
「〈家事全般〉」
九条さんがタブレットに打ち込む。一拍の間。
「……記録しました」
慰めもフォローもなかった。
「あ……ドンマイ」
隣の〈火魔法〉兄ちゃんが申し訳なさそうに声をかけてくる。
「……どうも」
やめてくれ。その同情が一番つらい。
「九条さん、これってハズレですよね」
「冒険者SNS『アドグラ』のランキングでは3位ですね」
「ランキングあるんだ」
「はい。1位〈体温調節〉、2位〈方向音痴治癒〉。〈家事全般〉は3位です」
「……堂々のトップ3」
俺は後頭部を掻いた。
「ちなみに4位は〈園芸〉です。僅差でした」
「僅差って何の勝負だよ」
「事実を述べました」
「フォローじゃないですよね」
「はい」
「……潔いですね」
「どうも」
この人、一切ブレない。
◇◇◇
気を取り直す。心の中で「ステータス」と唱えると、半透明のウィンドウが広がった。
───────────────────
【ステータス】
名前:水瀬悠斗
レベル:1
HP:180/180
MP:200/200
STR:12 AGI:15 INT:28 VIT:14 LUK:31
◆ スキル
・〈家事全般〉Lv.1
├ 料理 ★★★☆☆
├ 掃除 ★★☆☆☆
├ 洗濯 ★★☆☆☆
├ 裁縫 ★☆☆☆☆
└ 整理整頓 ★★☆☆☆
───────────────────
……★?
料理が★3つで裁縫が★1つ。何だこの評価基準。
「九条さん、この★って何ですか」
「各分野の熟練度です。〈家事全般〉保持者に共通の表示ですね」
「熟練度。……料理が★3つなのは、まあ実態どおりか」
「取得時の家事能力がそのまま反映されるようです」
「★が多いほうがいいんですかね」
「ダンジョン攻略では意味がないかと。過去47名の保有者で★を活かした事例はありません」
「……47人もいたんですか。その人たちは今?」
「全員Lv.5以下で引退しています」
「聞くんじゃなかった」
「お力になれず」
顔は一ミリも申し訳なさそうじゃない。
(LUK31って高いのか? STR12はたぶん低い。腕立て3回が限界の男だからな)
「水瀬さん」
「はい」
九条さんがタブレットに目を落としていた。画面を指でなぞって、一瞬だけ動きが止まる。
「……いえ、何でもありません」
メガネを中指で押し上げた。
「登録完了です。こちらが冒険者証になります」
「ありがとうございます」
「ご武運を」
「それ、本心ですか」
「業務上のご挨拶です」
(何だったんだ、今の。何か言いかけてたよな)
深追いする空気じゃない。カードを受け取って席を立った。
ロビーのベンチに腰を下ろす。壁にはダンジョン依頼の掲示板。
スキルの再取得は不可。〈家事全般〉と生きていくしかない。
E級ダンジョン。スライムや大ネズミの初心者向け。報酬は魔石1個で500円から2,000円。
(コンビニの時給以下じゃないか)
隣の列にはB級依頼のコーナーがあった。報酬欄をちらっと見る。「B級ダンジョン:大型ゴーレム討伐。報酬:魔石+100万円」。
「……住む世界が違う」
でも、やらなきゃ始まらない。
「……E級くらいなら、何とかなるか」
帰り道、ずっとそのことを考えていた。
あの〈火魔法〉兄ちゃんの「ドンマイ」が、まだ耳に残っている。
(……本当にダメなのか? 自分で確かめもしないで諦めるのか?)
明日はバイトが休みだ。
◇◇◇
翌朝。
タッパーに作り置きのおかずを詰めて、おにぎりと一緒にリュックに放り込む。水筒も入れた。ダンジョンに自販機はないだろう。
それから台所の包丁を手に取った。武器なんて持ってない。一番マシなのがこれだった。
冒険者の装備じゃない。完全に料理人の持ち物だ。
◇◇◇
新都市のE級ダンジョン「水晶洞」。
公園の芝生のど真ん中に、半透明の円形ゲートがぽっかり浮かんでいた。日曜の公園に突然現れた異世界の入口。犬の散歩をしているおばさんがゲートを避けて通り過ぎていく。
ゲートの横では先輩冒険者が剣や鎧の装備をチェックしている。軽鎧に剣。肩にポーション。いかにも「冒険者」だ。
俺はリュックひとつに包丁と弁当。
(場違い感がすごい)
一歩、踏み入れた。
「……うわ。暗っ」
空気が変わる。薄暗い洞窟。天井からの水滴がぴちゃんと弾ける。苔の匂いが鼻の奥にまとわりつく。湿った岩壁がスマホのライトに照らされて鈍く光った。
「テレビと全然違うな……。なんだよ、この匂い。排水溝かよ」
暗い。臭い。そして寒い。
スマホを確認する。アンテナが1本、消えた。もう1本。圏外。
「Wi-Fiとか飛ばないのかよ、ダンジョン」
独り言が洞窟に反響する。自分の声にびくっとした。情けない。
「……ひとりで来るもんじゃないな、ここ」
1階層を進んだところで足が止まった。
通路の先。緑色の半透明な塊がぷるぷる揺れている。5匹。
「……何あれ。あれがスライム?」
テレビで見るより気持ち悪い。半透明の体がぶよぶよ蠢いて、内側に何か暗い核が浮かんでいる。
武器は台所の包丁だけ。〈家事全般〉の使い方もわからない。
じわじわ近づいてくる。振り返ると後ろにも1匹。
「囲まれてるじゃん」
手元にあるのはリュックの弁当と包丁だけ。
(冷静に考えてほしい。俺はいま、モンスターに囲まれて弁当と包丁で立っている)
1匹が跳ねた。
「うおっ——!」
包丁を引き抜く。武器のつもりで持ってきたのに、構え方が完全に料理人だ。
振り下ろす。刃がスライムの表面に沈み、ずるりと裂けた。手首にぬるい抵抗。半透明の体液が岩壁に飛び散って、生温い飛沫が頬にかかった。
「……っ」
倒せた。
ただの物理攻撃。〈家事全般〉は関係ない。
包丁を握った右手が小刻みに震えている。初めてモンスターを倒した。ゲームじゃない。現実だ。
残り4匹。包丁を振った勢いで、片紐だけ引っかけていたリュックがずり落ちた。地面に叩きつけられてファスナーが開く。タッパーが転がり、フタが外れて、おにぎりが地面に散らばった。
スライムの動きが止まった。
1匹がおにぎりに寄っていく。ぷるぷる震えながら、体全体でおにぎりを包み込んだ。海苔ごとずるずると内側に取り込んでいく。もう1匹がおかずのタッパーに飛びつく。残りの2匹も我先にと弁当に殺到した。
——食べてる。
「……お前ら、米食うのか」
スライムがおにぎりを溶かしている。音もなく。嬉しそうに——いや、嬉しいかどうかはわからないが、震え方が明らかにさっきと違う。
「いや待て。俺の弁当なんだけど」
誰にツッコんでるんだ。
脱力しかけた、そのとき。
視界の端でステータスウィンドウが点滅した。
スキル欄。〈家事全般〉の中の1行が、青白い光を放っている。
〈料理 ★★★〉——点滅。
……料理?
ここで?




