音浜映画館7番シアターの記録 0円+DVD
すごい映画だった。たった1時間36分。役は12人。それぞれ異なるバックボーンをもち、それぞれの信念を演出しながらも、物語はちゃんと放物線を描くように綺麗に収束した。
適当に見繕った中で一番のあたりだった。僕が再生を終えたディスクを取り出そうとテレビに向かった時、ひんやりとした声が突き刺すように飛んできた。
「何してるの」
「おはよう、ユミネ。 この映画すごい面白かったよ。ユミネもみる?」
目の前のテレビ画面を指さして僕は聞いた。ユミネは僕を無視して、冷蔵庫に向かうと炭酸水を取り出す。何も変わらないいつも通りの光景。
「あっ、そうだ。ユミネのおすすめの映画とか無い?いまマイブームなんだ」
とぷとぷ。シュワシュワ。軽快な音が僕らの間に落ちる。飲み終わり、カウンターに叩きつけるようにコップを置いたユミネは僕のそばの机を指差す。
「どうしてまだやってないの?」
ユミネが言わんとしてることはわかっている。でも今回は、僕もただ忘れていたわけじゃない。
「なにか大切なものを忘れてない?」
疑問に疑問で返せば、その眉間の皺がさらに深くなる。それでもこれは引き下がれない問題だった。
「ポップコーン、ジュース」
一瞬、なんのことを言っているのか、僕は理解できなかった。ぽかんと口を開けた僕を、伝えるべきことは伝えた、とでもいうように黙ってにらみつけるユミネ。
しばしの沈黙のち、僕はようやく映画館で僕が何を買ったのか思い出した。正確には、僕がユミネの財布で、だが。
「えっ、ユミネも食べたよね?ええ……あー、なるほどね……」
ユミネの言わんとしていることはわかった。でも急な心変わりだ。僕が知る限り、ユミネは自分の財布がどう使われようとも無視していた。そうされることは少しも痛手でないのか。僕の見立てでは、そんなことを理由に他人と関わるくらいなら好きに使えば良いという考えなのだと。いままではそう思っていた。
困った。ユミネなのに、正論じみてて、反論が思いつかない。
しかしせめて、半額でも引き出せないだろうか。僕の不躾な視線が気に食わなかったのか、ユミネは追撃の一言を放った。
「叔父さんに言う」
ユミネは本気だ。スマホをゆっくりと掲げる。
僕は持ちうる中で最高の笑みを浮かべて頭を下げた。それだけは勘弁願いたい。
「今から取り掛かるところだったんだよ。ちょうど映画も見終わったしね」
僕は仕事に取り掛かるために、テレビの前から離れるとユミネは入れ替わるようにいつもの位置に座った。ユミネはテレビの前に移動して取り込まれたままの映画を再生し始めた。
「えっ!! ……ほんとうに、今日はどうしたの?熱とかあるのかな」
僕の驚きの言葉に、眉間の皺を深くすると、スマホ電話を触りだす。タップの指運びで嫌でもわかってしまう。
「あっ、まってまって、本当にいまから取り掛かるから!」
瞬間、顔面にスマホが飛んできた。硬い。流石最新機種だ。
らしくないユミネは心配だが、思えば僕はそれほどユミネのことを知らない。社長の姪。お金には困ってない。あとは……僕はユミネの何をしっているんだろう。
まあ、なんでもいいか。人には人の事情があるのだ。僕にお金が沢山必要なように。
紙の見出しには『音浜映画館7番シアター』と書いた。
映画館で会ったおじさんを思い出すことはそう難しくはない。ちゃんと顔を見ていたし、結構会話したから。僕にしては珍しい。あのおじさんにはどことなく話しかけやすい雰囲気をもっていたせいだろう。
服装は普通に会社で働く人って感じで、そう、映画館だったけどスーツだった。レイトショーだったら違和感もないような出で立ち。グレーのスーツ。
色鉛筆の黒色をとり、ノートに僕はスーツを描く。
映画好きのおじさんが、映画館に漂っていられたのはラッキーなことだ。誰もが望む場所でたなびいていられるわけじゃない。何の所以で、どんなメカニズムによってかはわからないが、僕の今までの統計から思うにたいていが好きでいる場所でもなさそうだ。
なにか規則性があるのかもしれないが、それは僕の興味の範疇ではなかった。まあおじさんは幸運なほうだったけど、結局おじさんが求めていたのは映画をみることだけじゃなかった。求めていたのは、その感想を語るというコミュニケーションだった。だから、帰れなかったんだろう。
よくできたシステムだ。終わりの先に望みが手にはいるなら、そっちのほうが楽だが、結局望むものは得られないようになっている、少なくとも僕の見てきた範囲ではそう結論づけられてしまう。
だからこそ、僕との会話で望みを思い出したおじさんは、もう手に入らないことを理解して、終わったことを理解して、迷わないで自らの足で帰っていったんだ。
どうしようもないことなんだ。どんな人も、結局は……。
帰らなくてはならないのだ。
映画館の暗闇の中、出口に一人で向かうおじさんの背を描き上げた。
すっかり頭から抜けていたユミネがソファで身じろぐ音で、僕は今に戻ってきた。ユミネの頭からも、僕の存在は消えているようで、すっかり映画に集中している。
同じものを、一緒に見たとしても想起されることは異なる。
僕はおじさんに感化されて、映画をいくつかみてみると、ふと懐かしいような気持ちになった。
映画それ自体への懐かしさじゃない。
僕が鑑賞した、干渉することのできない四角い世界。あの窓枠からみる景色だった。僕を世界中の悪意から守ろうとして、閉ざされた扉。母さんと僕と兄ちゃんだけの世界。
滑稽な話だった。
母さんは外の世界は危険だといったが、外を知らない僕にとっては閉じられたあの家こそが世界だったのに。いや、今もまだ、僕の世界はあの場所だ。
だから僕はあの場所へ帰ろうとしている。母さんはもういないけど、兄ちゃんはまだいるかもしれない。いや、きっとまだいるんだ。僕に残された最後の家族。
まだまだお金は必要だ。
決して見ることを許されなかった母さんの顔。イチヤに似てない僕が悪い。でもおかしな話だ。僕はイチヤのはずなのに。じゃあ、そこで僕をみている子はだれ? イチヤと呼ぶたびに、どうしてその子が顔をあげるの。どうして母さん。僕はイチヤじゃないの。
少しずつ、蛆が這い回って崩れていく顔。いつになったら、その目をみてもいいのだろうか。
兄ちゃんと僕だけ。たしか、最後に、兄ちゃんが扉を開けたんだ。でもどうして? ダメだって言われていたのに。
わからないことだらけだ。母さんの行動、兄ちゃんの行動。何もわからない。もうわかる日が来ることはない。
でも、あの家には答えがあるかもしれない。
いつのまにか僕は寝ていたらしい。テレビに映る映画は僕がレンタルしてきたどの映画でもなかった。ソファで丸まるユミネの前に積まれたDVDをみるに、ユミネのものなんだろう。
テレビの中の女性は幸せそうに笑っていた。目も、耳もかけていなかった。蛆も這っていない。僕の知らない女性。
すぐに画面から意識を逸らして、停止させる。キュルキュルと高音がなると、画面はすぐに真っ暗になった。
書き上がった紙によだれも皺もないことを確認すると、僕は眠るユミネのそばに置いた。
カシャンと内部のロックが外れてディスクが出てくる。
何も無いよりはいいだろうと、僕はそれを持って帰ることにした。




