29.改善点
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冷えたコーヒー牛乳が、乾いた喉を心地よく滑り落ちていく。ノアとレティシアは並んで売店横の椅子に座り、湯上がりの瓶を傾けていた。
「やはり、お風呂上がりのコーヒー牛乳はとても美味しいですね」
にこりと微笑むレティシアに対して、ノアの表情は固い。手の中の牛乳瓶に目線を落としたまま、頭の中でぐるぐると言葉の迷路を彷徨っているようだった。
「ノア様」
レティシアが静かに名前を呼び、ノアの指先にそっと触れる。
「今、何を考えていらっしゃるのか教えていただけませんか? 支離滅裂でも、纏っていなくても構いません。私も一緒に考えたいのです」
そう促されても、声が出ない。これまで彼女とどう接してきていたのか、それすらもわからなくなってしまったかのようだ。
「……では、私からお話ししますね」
慈愛に満ちた聖女のような笑みを浮かべ、レティシアはノアの目をじっと見上げた。
「私はこの旅館に到着してからずっと……ノア様の浴衣姿に興奮がおさまらず、少々困惑しております」
「……は?」
思わずノアの思考も動きも停止する。
「湯上がりの火照った肌が、浴衣の隙間からちらちらと覗く度に――特に首筋から胸元にかけてのラインが、私の理性を激しく揺さぶるのです。……これがいわゆる『萌え』という感情なのだと、初めて理解いたしました」
「一体、何の話をしているんだ?」
「私の頭の中のお話をしています」
レティシアは続ける。
「氷竜様との対決は少し不安でしたが、今こうしてノア様の隣でコーヒー牛乳を飲むことができて、とても幸せです。でも……ノア様に私の膝枕を必要とされないのは、寂しいです。また『必要ない』と拒まれるのが怖くて、先ほどもノア様の元へ駆けつけるのを躊躇ってしまいました……そんな臆病な自分に、がっかりしています」
「……『必要ない』わけがない」
ノアがぽつりと言葉を落とした。
「ただ、それは俺の事情だ。お前を傷付けてまで『枕』にしたいわけじゃない」
「どうして私が傷付くと思われたのですか?」
「昨日も言ったが、俺は言葉を選ぶのが下手だ。一般的に俺の言い方だと、お前は『都合の良い女』になるらしい」
「そう……なのですか?」
レティシアはきょとんとした顔で、少しだけ考え込む仕草をみせた。
「私はノア様の都合が良ければ、それで構いませんけれど……」
「俺も、お前がそう言うならそれでいいと思っていた。だが、この二日間よく考えてみたら、いくつか改善点が見つかった」
「と、言いますと?」
小首を傾げ、言葉の続きを待つレティシア。
「一つ目は、『枕』の定義をはっきりとさせた方が良いということだ。お前にも周囲にも、誤解を与えるのは得策ではない。俺にとっての『枕』とは……ただの寝具ではないことを理解して欲しい」
「はい」
「お前の膝枕はチャッピーよりも快適だ。チャッピーの獣臭さも良かったが、お前の花のような甘い匂いの方が好ましい。お前が時々口ずさむ子守唄も心地良いし、お前が俺の頭に触れるのも――……おい。聞いているのか?」
大真面目に言葉を紡ぐノアの横で、レティシアは顔を真っ赤に染めて震えていた。
「お……お待ちください……心臓が、限界を迎えそうです……!」
何度か大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けるレティシア。それから、まだ赤みの残る顔で微笑んだ。
「ノア様にとって、世界で唯一無二の『枕』であらせられたチャッピー様。その神聖な称号を継承させていただけて、私は本当に嬉しく思っておりますわ」
その返答にノアは少しほっとして、二つ目の『改善点』を提示する。
「次に、対価の問題だ。俺はお前の厚意に甘えて現状を享受していたが、何も還元できていないということに気がついた」
「それについては問題ございません。私はノア様の寝顔を特等席で鑑賞できる特権をいただいておりますので」
「そんなものの何がいいんだ……」
若干引き気味のノアだったが、腕を組んで考える。
「何か欲しいものはないのか? 金とか……膝枕一回につきジュースを奢るとか」
「いえ、そのようなものは……」
レティシアは少し考え、ぱっと顔を輝かせた。
「それでは、時々で良いので『ありがとう』とおっしゃっていただけたら嬉しいです」
「あり……がとう?」
口にしてみて、気がついた。これまで一度も、言葉にして伝えたことがなかったことに。
「わかった。お前がそれでいいのなら」
「改善点は以上ですか?」
レティシアが尋ねると、ノアは表情を翳らせた。
「最後が一番大きな改善点……いや、問題点だ」
「魔族の血、ですね?」
神妙な面持ちで固唾を飲むレティシアに、ノアは苦々しく言い放つ。
「さっきも言ったが、ノブがお前に近づくと俺の破壊衝動が疼く。エヴァンでさえ、ギリギリアウトだ。思い返せば、お前が時々大学で膝に乗せている猫ですら、頭を叩いてやりたくなる……我ながら、制御不能な凶暴性に寒気がする」
「ノア様……」
「だから、その膝に乗せるのは俺だけにして欲しい」
「わかりました。お約束いたします」
レティシアは立ち上がり、そして薄っすらと涙を浮かんだ瞳でノアを抱きしめた。
「先ほどノア様は、言葉を選ぶのが下手だとおっしゃいましたが……私はノア様のお言葉にたくさん救われたのですよ」
「レティ……――ティア……」
レティシアの抱擁に身を任せるノア。――そんな二人を、ルルはものすごく冷めた目で見つめながら、隣の魔王に声を掛けた。
「色々と突っ込みたいことばっかりだけど……ノアも、ノアママに負けないくらい相当面倒臭いわ。どういう育て方したらあれだけズレるの?」
「いやぁ、本当に不思議だねぇ」
魔王は申し訳なさそうに頭を掻く。
「いいわぁ……! 見ているだけで胸がときめいちゃう! まぁ、愛の告白って言うより、何かの契約書を交わしているみたいだったけど」
「ノアに愛の告白だなんて自覚があるとは思えないから、契約で合ってると思いますよ。ティア様もティア様で、言葉通りにしか受け取ってないだろうし」
ルルたちの背後から聞こえてきたのは、相変わらずべったりとくっついたララとエヴァン。
「変わった二人なのねぇ」
「ズレた者同士、お似合いだと思いますけど」
「君たちも十分お似合いだよ、エヴァン君。彼女が出来たなんて、オリヴィアちゃんから聞いてなかったな」
振り返った魔王が、親密な様子の二人を見て目を細めた。
「いや、彼女じゃないよ」
「あらやだ。あたしたち、お似合いだって! どうする? 本当に付き合っちゃう?」
ララは妖艶な微笑を浮かべ、エヴァンに顔を近づける。そんなララに、エヴァンは困ったように眉尻を下げた。
「ララさん……今ここでそんなこと言っても、意味がないですよ? エデンさんは――」
「ねぇ、ルルちゃん。この子、もらっちゃってもいいかしら?」
エヴァンの言葉を退け、ララはルルへと視線を投げる。ルルは一瞬キョトンとして目を丸くしたが、すぐに首を傾げた。
「二人の問題なので、お好きにどうぞ?」
「……あら、そう」
あまりに淡白な、興味のなさそうな返事。それを聞いた途端、ララは急激に興味を失った顔になり、絡めていた腕を解いてエヴァンから離れた。それから、少し見た目にも慣れた様子で魔王を見上げる。
「それよりも、魔族と勇者の話し合いがずっと平行線なのよ。そろそろどうにかしてくれないかしら?」
「なんだ。まだ決着がついていなかったのか」
魔王は大仰に肩をすくめ、深い溜め息を吐き出す。
「しかしなぁ……知らなかったとは言え、氷竜の縄張りを荒らした人間側の分が悪い。なんとか撤退するなり、規模を縮小するなりしてくれねぇかな」
「ノブが納得したとしても、あの社長がすんなりと受け入れるとは思えないわよ。やり手のワンマンだし、本当に私兵を集めて戦争を起こしかねないわね」
他人事のように告げるララの言葉に、魔王は喉の奥で低く唸った。
「かと言って、氷竜にもプライドってもんがある。誇り高い魔族が、人間に棲家を譲る道理もないしなぁ」
結局、ここでの話も堂々巡りである。
「今はエデンさんが間に入って宥めてくれているけど、氷竜もノブさんもイライラし始めていている。もう限界だよ」
「……やっぱり、魔族と人間は上手くいかないものかなぁ」
魔王がそうポツリと、どこか寂しそうに呟いたその時。ノアがゆっくりとした足取りで、こちらへとやって来た。
「――話し合いで解決できないなら、残された道は争いしかないだろう」




