04.エンカウント
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《――雪山で遭難するまで、あと一日》
「どうしましょう……まだ夢を見ているみたいですわ」
小刻みに揺れる馬車の中、レティシアは両手を胸の前で組んでうっとりとした表情を浮かべていた。
「冬季休暇のスキーだけでも待ち遠しくて堪らなかったのに、まさかこんなにも早く温泉旅行までお誘いいただけるなんて」
「ホント、ノアのクジ運に感謝よね」
隣に座るルルも、満面の笑顔である。
あの日――ノアは抽選で二等を引き当てた。賞品は『ヴェルデラ温泉・黒鷺亭、四名様一組一泊無料御招待券』だ。
「ヴェルデラ温泉と言えば、この時期は紅葉が見事な渓谷にある名湯ですよね」
「そうそう! 紅葉を眺めながらの露天風呂が最高なんだって。しかもお肌もツルツルになるらしいわよ」
「渓谷には、この辺りには生息しない昆虫が沢山いそうだ。腕が鳴る」
女性陣が温泉に期待を膨らませる一方で、ノアは純金製の虫取り網を握り締め、待ちきれない様子でシャフトを布で磨いていた。
大学は今日から秋の大型連休。招待券には有効期限があったため、急遽この休みに出立することになったのである。
「結局その虫取り網、気に入ってるのね」
「そんなわけあるか」
呆れたようにルルが言ったが、ノアは即座に否定し、不満げに眉を寄せた。
この純金製の虫取り網は、バルドレイン王からノアが賜ったものだが、本人はまったくもって気に入っていない。
「重くて眩しくて使いにくい。普通の虫取り網を買おうにも、どこを探しても売り切れなんだ」
「そんなわけないじゃない」
ルルは小さくため息をつき、まともに取り合わなかった。
「そういえば皆様、本来はご実家へ帰られるご予定だったのですよね?」
穏やかな声でレティシアが問いかける。
ノア、ルル、エヴァンは幼馴染だ。揃って同じ大学に進学し、今は故郷を離れて学生寮で暮らしている。
「ヴェルデラ温泉に行く途中に、僕たちの実家があるリュネの村があるんだ。だから立ち寄るつもりだよ」
エヴァンはちょうど広げていた地図の一点を指し示した。大学のあるアストリアムからヴェルデラ温泉までは、馬車を乗り継いで二日。その中間に、リュネの村がある。
「それはつまり、皆様のご家族様にお目にかかれるということですか?」
「まぁ、そうなるかな」
「ど、どうしましょう……」
頷いたエヴァンに、レティシアは一転、深刻な表情で手を戦慄かせた。
「皆様には大変お世話になっておりますのに、手土産のひとつもご用意できておりませんわ……!」
「必要ないわよ。っていうか、もう十分いただいているらしいし」
ルルは、夏休み明けに母親から届いた手紙の内容を思い起こす。突然バルドレイン城の使者が三人の実家へ現れ、王女救出のお礼と称して山のような高級食材を置いていったのだ、と。
「村で一泊する予定なんだけど、ティア様はノアの家に泊まればいいよね?」
「好きにすればいい」
ルルとノアのやり取りを聞いて、レティシアは目を瞬かせる。
「ノア様のご実家に、ですか?」
「小さな村だから宿屋なんて無いのよ。うちは狭くて弟たちがうるさいし、エヴァンの家は堅苦しいからね。ノアの所が一番気楽だと思うわよ」
さらりと言い切るルル。レティシアは少しだけ躊躇したが、すぐに背筋を伸ばして微笑みを浮かべた。
「では、ノア様。どうぞよろしくお願いいたします」
その時。突然馬が高く嘶き、馬車が急停止した。
「参ったな……」
御者台から小さな呟きが聞こえた。エヴァンは窓から外を覗く。
「……魔物だ」
街道の前方で、真っ白な毛皮を逆立てた大型の狼のような魔物が三頭、たむろしている。出方を伺うように、赤く濁った目でこちらをじっと見据えていた。
「こんな場所に魔物が出るなんて、初めてだなぁ……お客さん、悪いけど引き返すよ」
「あ、待って。僕たちが片付けます。ノア、行くよ」
手綱を握り直そうとした御者を、エヴァンが制した。
「危ないよ。兄ちゃんたち、学生さんだろ? 街に戻って報告すれば、ギルドの連中が……って、おい!」
御者の言葉を聞かず、エヴァンとノアは馬車を降りる。
「お二人とも、大丈夫でしょうか……?」
「ダイジョブ、ダイジョブ! 毎年夏休みにクワガタ探しで山やら森に入るから、魔物には慣れてるのよ」
不安そうにノアたちの背中を見送るレティシアとは対照的に、ルルは心配するどころか温泉のパンフレットをめくりながら笑った。
「でっかいワンコだな」
「初めて遭遇する魔物だね。講義で習った気はするけど……」
魔物たちは目の前にやって来た餌に食らいつこうと、牙を剥き出し低く唸る。
魔法剣学科専攻のノアが右手に魔力を集束させると、闇色の刀身が空間を裂いて具現化した。
――が。
「……長くない?」
それは、剣と呼ぶにはあまりに長すぎた。物干し竿どころか、棒高跳びのポールよりも長い。
ノアは魔物の前脚から覗く、残酷なまでに研ぎ澄まされた爪を睨みながら叫ぶ。
「馬鹿野郎! あんな凶悪そうな魔物と接近戦などできるか! 怖すぎるだろうが!」
「あー……まぁ……そうだね……」
エヴァンは唱えかけていた魔法の詠唱を中断し、五メートルはありそうな剣の間合いの外へと静かに退く。
「相変わらず面白い男だなぁ」
本当は魔法で簡単に倒せるのだが、ノアがその剣でどう戦うのか見てみたくなった。
「俺の行く手を阻んだことを後悔させてやる」
剣の柄を握り直すノア。刀身に重みはない。ただ、黒い瘴気が炎のようにゆらゆらと揺らめいている。
次の瞬間、魔物たちが一斉に大地を蹴った。同時にノアは、剣を真横にフルスイングする。
闇の刃が空気を斬り裂く。先頭を走っていた一頭が闇の刃に触れ、そのまま地面へ転がった。血は流れていない。魔物はただ、静かな寝息を立てている。
ノアの魔法剣の本質は『睡魔』。殺傷能力はなく、刀身に触れた者を深い眠りへと誘うのである。
残る二頭は姿勢を低くし、或いは高く跳躍し、斬撃を回避した。真っ赤に裂けた口から涎を散らし、一直線にノアへと迫る。間合いを詰められると、小回りが効かないこの剣では不利である。
「くそ……っ!」
魔物のやけに冷たい吐息が顔に触れた時、ノアは瞬時に剣を通常のサイズに戻し、斜めに薙いだ。
「――【雷天落】」
そして残りの一頭は、エヴァンの放った蒼白の雷を受け、短い悲鳴を上げて白目を剥いた。




