初恋と、静かに忍び寄る罠
パーティの夜が明けてから、私の世界は一変した。
レイヴェル王太子からの手紙が、毎日届くようになったのだ。
それは、甘く、優雅で、彼そのものを映した言葉たちだった。
「君のことを考えていた」
「君の瞳の色が、夜になると深い湖のように澄んでいるのを知っているか?」
「またすぐに会いたい。君がいないと、夜が長く感じる」
――そんな愛の言葉が、赤い薔薇とともに届けられる。
封を切るたび、私の心は熱を帯びた。
読み進めるたび、胸が高鳴った。
どの言葉も、私だけに向けられたもので、そこには一片の嘘もないように思えた。
それほどまでに、彼の言葉は真実のように響いていた。
私は彼に惹かれていた。
その思いは、日に日に強くなり、気づけば恋人のような関係になっていた。
私たちは何でも話した。
友人関係のこと、家族のこと、幼少期の思い出、そして――
他の誰にも話したことのない、秘密の話までも。
「君のことをもっと知りたい」
そう言ってくれた彼に、私は心を許した。
初めて「女」として扱われる喜びを、彼が教えてくれた。
私は王族の血を引く身として生まれながらも、
華奢で繊細な姫として育てられることはなかった。
王家の一員として、剣を執り、己の身を守る術を学ぶことこそが私の役目だった。
幼い頃から剣術を叩き込まれ、鍛錬を積んできた私は、
誰よりも強くあることを求められていた。
王族の娘らしい優雅さや、慎ましやかさとは無縁だった。
「お前は色気がないな」
何度も、何度も、そう言われてきた。
それが当然だった。
私に求められるのは、しなやかな微笑みではなく、鋭い剣の腕前なのだから。
だからこそ、彼の甘い言葉は、私にとって新しい世界だった。
「君は強いが、それ以上に美しい」
「剣を握る手も、指先までしなやかで気高い」
「こんなに心惹かれる女性に出会うとは思わなかった」
――まるで、私の存在を丸ごと肯定してくれるかのように。
私の全てを受け入れてくれるのは、この人だけかもしれない。
私は、彼に運命を感じていた。
だからこそ、彼と婚約したいと話したとき、
家族が猛反対したことが信じられなかった。
「レイヴェル王太子だけはやめなさい」
「彼は噂以上に危険な男だ。お前が思っているような人物ではない」
「心を許せば、後悔することになる」
そんな言葉を、毎日のように浴びせられた。
なぜ?
彼の何がいけないの?
なぜみんな、彼のことを悪く言うの?
私は、理解できなかった。
「きっと、彼の美しさに嫉妬した人の出まかせよ」
「彼を知らない人が、勝手な憶測で作り上げた噂に違いない」
そう思うしかなかった。
家族の忠告も、周囲の反対の声も、私には雑音にしか聞こえなかった。
しかし――
ある日を境に、彼からの手紙がぴたりと止んだ。
最初は、何かあったのかと思った。
仕事が忙しいのかもしれない。
体調を崩してしまったのかもしれない。
そう思いながらも、不安は募るばかりだった。
それでも、最初は自分に言い聞かせた。
「大丈夫、すぐにまた手紙が届くわ」
「彼は今、国のことに忙しいだけ」
だが、何日経っても、何週間経っても――
手紙は届かなかった。
焦りと不安が胸を締めつけた。
「どうしたの?」
「何かあったの?」
「私、あなたに何かしてしまった?」
「お願い……嫌いにならないで。あなたを愛してるの」
彼に手紙を書き、返事を催促した。
しかし、それすらも返ってこない。
――どうして?
私、何か彼を怒らせることをした?
もしかして、家族が何かした?
思考はぐるぐると巡り、夜も眠れなくなった。
あんなに熱く私を求め、甘い言葉をくれた彼が、なぜ突然沈黙するの?
何も言わずに、私を置き去りにするなんて――
不安が限界に達したその時、私はついに父である王に呼び出された――この王城の奥、玉座の間へと。
豪奢な大理石の廊下を歩きながら、喉がひどく乾いていることに気づいた。
城の中はいつもと変わらない。
けれど、空気はどこか冷たく、張り詰めているように感じた。
この胸騒ぎは、何?
王城へ足を踏み入れるのは初めてではないのに、今日に限って足が重く感じる。
何か――嫌な予感がする。
私は、確かめなくてはならない。
レイヴェルが、なぜ私を避けるのか。
何が、彼のもとで起こっているのか。
だが、このときの私は、まだ気づいていなかった。
この先に待っているのが、恋の終わりではなく――
私の運命を狂わせる“罠”だということに。