怪我と物置と兎獣人と
ホコリっぽくて、かび臭くて、土の香りがして、あまり使われていない物置のような匂いがした。眉をしかめて、自分が眠っていることを自覚した。
鼻をくすぐる不快感を頼りに意識をたぐり寄せる。
「ぐ、ぅ……」
動こうとして、激痛にうめき声が漏れた。胸とお腹の間、つまりみぞおちと、その後ろ側の背中に痛みがはしる。うまく呼吸もできなくって、しばらく寝たまま動かずにじっと耐えた。
やっと痛みが和らいでから、おそるおそる薄くだけ瞼を開く。薄暗い場所だった。
物置のような匂いだと思ったが、まさしくその通りなのだろう。古い木造の小さな建物で、壁の隙間から細く明かりが漏れていて、長く使用してなさそうな大工道具やら農具やらが見えた。
床は土。兎人族の里でよく見た形式だけど、こういう物置ならニビトイ村や、冒険者の店の厩にもあった。
なんでこんなところにいるのだろう。そう疑問に思って、ゾワッと背筋の毛が逆立つ。
―――そなたは死罪である。
そう、言われたのを覚えていた。そして、その後に衝撃と痛みを丁度、今もズキズキと軋みを訴えるみぞおちに受けた。
手で触れてみる。硬革鎧のその部分がベコリとヘコんでいた。しかも痛む場所を圧迫して苦しくって、痛みに脂汗を浮かべながら脇の留め紐を緩める。鎧と胸の間に余裕ができてやっと、プハ、と息ができた。
死んではいない……と思う。いやどうだろう。不安になって、自分の左手首に右手の指を添えてみる。トクントクンとちゃんと脈打っているのが分かった。不死族になっているわけでもなさそうだ。良かった。とりあえず生きている。
きっとそれは僥倖なのだろう。
僕は殴られて気絶していた。それは分かる。ではここはどこなのだろうか。
兎人族の里でこんな場所は見たことがないが、いくら狭い里とはいえあそこの全部を知っているわけではない。こんな物置があってもおかしくはないけれど……。
「違う、よなぁ」
声に出す。それだけでみぞおちが痛んだけれど、鎧の圧迫感がないから少しマシ。
視線を動かす。思った通り槍は近くにない。農具や大工道具なら一応武器になるだろうか。それでどうにかなるとも思えないが、気休めにはなる。
とはいえ、この身体ではどうすることもできないか。戦うことどころか、逃げるのも難しいだろう。
ここは兎人族の里ではない。それは少し考えたら分かった。
仮にあの場でみんながマシェリを倒し、僕を連れ帰ってくれたのなら、物置には寝かされることはない。治癒魔術をかけてくれるだろうし、鎧も外してくれるはず。こんなふうにそのまま転がされたりはしない。
つまり、ここは兎人族の里ではなくて、けれども物置ということは人里で、だから……。
ギィ、と音がした。立て付けの悪い扉が開く音。起き上がることもまだできなくて、視線だけ向ける。
そこには。
「あ、お、お、お、お気づきになられましたか……えへ、えへへ」
兎獣人がいた。
「……んん?」
黒の耳と体毛の兎獣人だった。瞳がつぶらで、猫背っぽく背筋が丸まってて、なんだか妙に卑屈な笑みを浮かべている。
なんだろ。てっきりマシェリが住んでる場所に連れてこられたのだろうかと思ったけれど、やっぱりここは兎人族の里だったのだろうか。知らない顔だけれど、さすがに住民全員を知ってるわけじゃないし。
「あ、あ、あ、起きなくて大丈夫。大丈夫。け、け、怪我が痛むでしょうからね」
よく顔を見たかったけれど、動こうとしたら痛みが襲ってくる。思わず顔をしかめたらその兎人族が駆け寄ってきた。どうやら気遣ってくれるようだ。
「えっと……君は?」
「わ、わ、わ、え、お、おい……おいらは、く、クンク、です。えへへ」
吃音がすごくてちょっと聞き取りにくい。最初はククンクかと思ったけれど、たぶんクンクという名前だろう。
小さい。兎人族って基本的に小柄だけども、この体格だと子供だろうか。僕とそんなに変わらない歳かもしれない彼は、猫背も相まって小さく見える。
「あの、あの、あ、あ、あなたのお名前は」
「……キリ、だけど」
「おお、おお、キリさま、ですね。お、おいらはクンク、です」
名前はさっき聞いたんだけど。
なんだろう。この子のことがよく分からない。この状況もよく分からない。けどなんとなくだけど、この子はあまり人としゃべるのに慣れていないのではないか、と感じた。こうして話すだけでちょっと嬉しそうにしている。
「そ、その、お、お、お腹は空きませんか? 木の実、食べれますか?」
「えっと……ありがとう。でも大丈夫」
木の実は断る。もう陽が出ているし、いつもならなにかお腹に入れる時間だろうけれど、今は食べたら痛みで吐く自信がある。
それに、どうにも腑に落ちない。やっぱりおかしい。
僕の名前、たぶん兎人族の間だとけっこう有名だと思うのだ。以前小さい子を助けたし、今回はいろいろ頑張ったし、神官さんが僕を見て人間と歩み寄ることを決めた人が多いって言ってたし。
なのにクンクは、僕の名前を聞いてきた。そしてまるで初めて知ったような反応をしたのだ。
「ねえクンク。ここはどこ?」
「あ、あ、あ、すすす、すみません。さ、先に説明しなければでした」
彼はビクッと跳ね上がって、地面に伏せる。流れるような動作。
「こ、ここは女王マシェリさまが治める、虎獣人の国」
兎獣人のはずの少年は、ここを虎獣人の国と言った。
「ま、ま、マシェリさまから、お、お世話するよう言われてます。し、死なせるな、と」




