柄尻
石突きで弾いた爪が跳ね上がる。暗い炎を宿した金の瞳が僕を睨みつける。
逃げて、と僕はラミルンに言った。
虎獣人の女性マシェリはまっすぐラミルンを目指した。間違いなく兎獣人を殺そうとしている。
だから、ダメだ。彼女がここにいてはダメなのだ。
マシェリは止まらないだろうから。
ヒュ、と鋭く風を切る音がした。虎獣人の爪が僕に迫る。標的が変更された。おそらくは、一呼吸の間もなく倒せると踏んで。
「ダッカ!」
手首強化。槍を回して虎獣人の腕を打擲し、攻撃を撃ち落とす。……小手先の技だ。スピフィの技はあまりこういう動きに向いていない。無理に威力を出したから手首をグネるような痛みが走る。けれど今のはこれくらいしないと受けられなかった。
ラミルンが大きく後ろへ跳ねる。それを目にすると同時、槍の石突きを掬い上げるように繰り出す。
彼女なら一呼吸の間があれば安全圏へ避難できるはず。この攻撃はそのための時間稼ぎ。
僕へ向けられた金色の目が、細められる。
「童」
腹部に衝撃があった。蹴られたのだ、と分かったときには吹っ飛ばされていた。木に背中をしたたかに打ち付ける。
カハ、と息が詰まる。衝撃に背中が傷んだ。
でも大したことはない。これくらいなら訓練で何度も受けてるから分かる。まだ動ける。
「らぁっ!」
「…………」
素早く体勢を立て直したニグが大声と共に跳びかかる。そして、それを隠れ蓑にヒルティースが別方向から低い姿勢で突っ込む。
即席の、けれど息のあった連携。
「あまり侮るでないぞ、童」
空耳かと思った。けれど、マシェリは僕しか見ていなかった。話しかけられたのだ、と分かって、次の瞬間にニグとヒルティースの悲鳴を聞く。
といっても、マシェリは二人を攻撃したのではない。単純に移動したのだ。さっき見せた獣の速さで、僕の前まで。ふたりの悲鳴は勢い余ってぶつかったからにすぎない。
心臓が跳ね上がる。あっさりと目標を変更したのが意外すぎて、嘘としか思えない。
「離れなさい!」
リルエッタが魔力弾を放つ。マシェリは一瞥もせずに、ただ外套を翻した。それだけで魔力弾が消え失せる。
抗魔の外套!
グイ、と喉を掴まれた。そのまま持ち上げられて木に背中を押し当てられる。
「そなたは誇り高き獣人の戦士が、この状況で逃げると思うのか?」
リルエッタが放った魔術をまるでなにもなかったかのように無視して、虎獣人の眼光が僕だけを射貫く。鋭い爪が首筋に当てられているのが分かった。いつでも首の血管を切られる位置だ。けれどゾッとしたのはそこではなかった。
砂色の耳の兎獣人は、逃げてはいなかった。距離をとるために離れはしたけれど、弓を構えてそこにいたのだ。
「ラミルン、なんで!」
「彼を離してくれ、猛虎の女王よ。でなければこの矢を放たねばならない」
「おお、そうでなくばならぬだろうよ。かつて庇護した獣人の同朋を滅ぼし、敵に回し、独り立ちしたのだものな。戦えぬのならば期待外れというもの。友を見捨てて逃げるなどとのたまうでないぞ」
毅然と言い放つラミルンと、獰猛に笑むマシェリ。
獣人にとって、誇りとはよほど大切なものなのか。……敵同士ですらその一点は信頼するほどに。
いや、そもそも僕の判断ミスだ。身のこなしからしてかなり強いマシェリだが、一人なら全員でかかれば勝機はある。それなのにラミルンを逃がすことしか考えなかったのは―――
「ふぅむ。しかし喜んで良いのか悪いのか。……いいや、良いには決まっているのだが、やはり妾は薄いらしい。怨嗟の炎はまだ内に燃えているが、しかして気に食わぬことを捨て置くほどには強くない。まったく、気をそらされたわ」
僕が人質にとられているからだろう。いつでも殺せる体勢だ。だから、誰も動けなかった。ニグもヒルティースも、リルエッタとユーネも、ラミルンも、もう体勢は整えているが迂闊に手出しはできない状況だ。
そして僕と言えば、情けないことに槍を持ってる右手の手首がさっきの痛みで力が入らない。酷い痛みではないけれど、この近距離でこの体勢じゃまともに振れない。どうにも抵抗できそうにない。
ただ……マシェリの方も、すぐに僕を殺す気はなさそうに見えた。逆にだからこそ、みんなが動かずにいるのだけれど。
「まあよい。ここは女王として冷静な判断ができることを喜ぼう。それより童だ。そなただ。槍使いよ」
マシェリの女性にしては低い声が、腹の底から響く。
「なぜ、槍の柄尻を使った?」
なぜって。
「そなたの反応、見事であった。二撃目を防いだのも良い。童と侮ったことを謝罪しよう。そのうえで、問う。わざわざ柄尻を使わず穂先で貫いていれば、腕の一本は持って行けただろうに。敵に対して失礼であると思わぬのか?」
「……そんなのは、知らない」
僕は答える。そんなのは本当に知ったことではない。
反応できたのはマシェリが虎獣人だからだ。必ず兎獣人であるラミルンを狙うと分かっていたから、あの速度に僕だけが割り込めた。
でも、事情を知っているからこそ、傷つけたいとも思わなかったのだ。
滅亡させられた。駆逐された。皆殺しにされた。
大虐殺された。
奴隷の革命だったとしても、たとえ魂の改竄からくる衝動のせいだとしても、やり過ぎだ。正直最初に聞いたときは引いた。
復讐もしたくなるだろう。それは、知ってる僕には否定できないから。
「あなたはきっと、悪くない」
「ふむ」
マシェリは頷く。
「そなたは死罪である」
リルエッタとユーネが魔術を発動する。
ニグとヒルティースが駆ける。
ラミルンが矢を放つ。
頭が真っ白になるほどの衝撃があって。全身が痺れるほどの痛みがあって。脳がブツンと途切れるような感覚があって。
目の前が真っ暗になる。




