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希望を抱いた者。後悔する者。

 奴隷として売られそうになり、逃げて無一文で知らない町をうろついた。

 歳を誤魔化して冒険者になって、生きる術を得た。

 大きなワニを見て、あんなのは絶対倒せないと思った。


 ムジナ爺さんに会えて、本当に良かった。この生き方なら、僕でもできるかもしれない。これなら冒険者としてやっていける。

 そう、安堵したのだ。


 これが僕の運命だと感じるほどに。






「うん、そうだけ……」

「ダメだ」


 僕が全部言い終わる前に、ムジナ爺さんは首を横に振った。それくらい早かった。


「ダメだ、ダメだ。そいつは、ダメだ」


 さらに三回言われた。苦しそうな、悲壮そうな顔で、首を横にブンブン振った。それがまるで何かの発作のようで、初めてムジナ爺さんのことを少し怖いと思った。

 それから急に黙って、下を向いて、立ち尽くすように静かになる。

 ……いったい何事なのだろうか。


「えっと……そんなにダメなの?」

「ああ、ダメだ」


 僕が聞くと、そう答えてくれた。けれど知りたいのは答えじゃなくて、その理由の方だ。

 なぜ、どうして、なにが。ただダメと言われても、何も分からない。


 どうしたらいいのか分からなくて、なんて声をかければいいのかも分からなくて、僕はしかたなく人差し指で頬を掻く。

 ……そういえば、今は採取の最中だった。この話、薬草摘みをしながらではいけないのだろうか。



「―――数年は、それでもいい」



 僕が気を逸らした隙を見計らうようなタイミングで、ムジナ爺さんは話を再開した。


「薬草採取は歩くから体力がつく。周囲を警戒する目も養える。だから、数年はやっててもいい」


 体力。目。

 それが冒険者としてやっていくのに重要であることは、僕でも理解できる。


「だが、背が伸びて力がついて、今よりももっと槍が上手く使えるようになったら……お前さんは、もっとまっとうな冒険者になれ」


 ……まっとうな冒険者。それは、ウェインのような。あるいはシェイアのような。チッカのような。


「いいや、違うな。違う。そうじゃねえ」


 ムジナ爺さんは禿げた頭頂部を手で押さえて、絞り出すみたいに首を横に振る。

 真剣に、なにかとてもとても大事なことを伝えるかのように。


「べつに槍じゃなくても構わねえ。魔術を習ったっていいし、鍵開けや罠外しをやれるようになってもいい。弓を使えるようになったっていい。なんなら神の声ってヤツが聞こえるようになったっていいんだ」


 魔術。鍵と罠。弓。神の声。

 冒険者の技は千差万別だ。そしてその得意分野を十二分に活かせるように組むのがパーティだ。

 今の僕は槍を持っているけれど、それにこだわる必要はない。


「というかだ。そもそも冒険者なんざ辞めちまってもいい」

「え……」


 あまりのことに驚いて、声が出た。

 冒険者を辞めてもいいだなんて。それを……他ならぬムジナ爺さんが言うだなんて思わなかった。


 だって、言っていた。初めてこの場所に案内してくれたとき、たしかに言った。



 ―――まあつまり、オレっちは弟子が欲しかったんじゃねえかな。



 そう、言われて。

 だから僕は、僕がそれになれば、ムジナ爺さんが喜んでくれると思ったのに―――。


「言ったろ。冒険者なんざダメ人間の集まりだ。辞めてまっとうな生き方をした方がよほどいい人生を送れる。できることなら早めに辞めちまえばいい。……薬草採取でも、上手くやればそれなりに稼げる。たまに他の職を探す余裕くらいはあるだろうさ」

「でも……」

「いいか、坊主」


 なにを言えばいいのか分からないまま、それでもなにか言わなくちゃと思って上げた僕の声を、ムジナ爺さんは強い口調で遮った。


「お前さんは頭が良い。字も書ける。んでもって、おまけに若いときた。探せば雇ってくれる商家の一つや二つはある。それどころか今から勉強すれば、本当に学者様になることだって夢じゃねえ」


 その声は、なんだかすごく……すごく真剣で、必死だった。


「冒険者やりたいって言うんなら、オススメはしねえがそれでもいい。お前さんの頭の良さは武器になるだろう。今から身体と技を鍛えればきっと強くもなれる」


 なぜそこまで言ってくれるのだろうか。

 なんでそんなに本気になって説得してくれるのだろうか。



「だから……だから、薬草採取なんか、ずっと続けるのはダメだ」



 なんか、だなんて。そんなふうに言うのは違うと思った。絶対に違うと思った。

 だってそれは、ムジナ爺さんが生涯をかけてやってきたことだ。何十年もやって、それで生きてきて、薬師ギルドで畑をやらないかって言われるくらい薬草に詳しくなって。


 そして僕に、生きていく希望をくれたのだ。


 なんか、じゃない。そんな悲しいことを言わないでほしい。

 けれどムジナ爺さんの声は強くて、真剣で、とてもじゃないけど首を横になんか振れなくて。

 けれど首を縦に振ったらムジナ爺さんの人生を否定してしまうようにも思えて、どうしようもなくって、ただ真っ直ぐにムジナ爺さんの目を見返した。


「……ここの花も、そろそろ採り終いだな」


 やがてムジナ爺さんは目を逸らすように周囲を見回して、ポツリと呟くようにそう口にする。

 そして、どっこいしょ、と声に出してしゃがんで、何事もなかったように採取を再開した。


「明日は坊主だけで来い。そのカゴの分くらいはあんだろ」


 ……納得は、いかなかった。まったく納得できなかった。なにか言いたかった。

 けれど、頭に浮かんだ言葉は全部違う気がした。

 結局、僕は何も言うことができなくて、無言で採取を再開した。


 この日のこの後、僕とムジナ爺さんは最低限の会話しかしないまま冒険者の店まで戻って、そのまま別れた。






 後悔ばかりの人生を歩んで来た。

 くだらねえ生き方をしてきた。


 なんの意味もなく始まって、なんの意味もなく終わるものなのだと、小賢しくなったつもりで自嘲していた。




 朝早く、夜が白み始める前に冒険者の店を出る。


 冒険者の店の厨房は二交代制だ。午前と午後で人が違う。だから夜遅くまでやってるし、これくらい朝早くからでも仕込みしている。

 さまざまな依頼をこなす冒険者に、決まった時間などない。隊商の護衛でこの時間に出発することも珍しくないし、見張り仕事で夜に出て行くことも多い。

 そんなヤツらに対応する冒険者の店は、明け方から深夜まで開いている。


 白み始めた空を見ながら厨房で受け取った野菜を囓り、町の道を歩く。冒険者の店と違い、町の門は開く時間が決まっている。

 日の出から日の入りまで。日が完全に落ちている時間帯は怪物どもの動きが活発だから、その間は門も閉じられるのだ。

 歩きながら野菜を食べ終え、町の外壁に辿り着くと、ちょうど衛兵たちが門を開くところだった。片手を軽く挙げて挨拶し、そのまま外へ出る。


 何十年も通ってきた道だ。どれくらいの時間に出れば待たずに門が通れるのか、もう感覚で分かっている。


「……こいつは、どうかな」


 街道を進みながら、ポツリと呟く。けれど少し考えて、首を横に振った。

 下らない。門が開く時間なんて教える価値などない。日の出と同時に開くことだけ知ってれば十分で、そんなのは誰でも知っている。

 早く着けば待てばいい。門が開いた後に到着したなら、そのまま通ればいい。それだけのことだ。


「他に、ないか。なにか……」


 必死に考えて絞りだそうとしても、頭のデキが悪い自分では大したことを思いつけない。

 なにせ、あんなふうに物を教えるなんて初めての経験だ。それにしたって拙いとは思うが、しょせん自分だからしかたない。世の中の先生とか呼ばれるヤツらなんざ、偉ぶりやがってしゃらくせえなどと思っちゃいたが、あれでなかなか大変な職だったらしい。


「……あいつは、頭が良い」


 そうは思う。そう思わないとやってられない、という気分もあるが、それを抜きにしても頭のデキは普通より上だろう。

 教えたことはしっかり覚える。やれと言ったことはちゃんとやる。できないことは、練習してできるようになろうとする。

 自分にはもったいない教え子だ。正直やりにくい。あの坊主に比べたら、大した腕もないのに態度だけはでかいあの三人組の方が良かった。冒険者ってのはああいう跳ねっ返りの方が正しいってのに、なんだってあんな坊主に当たっちまったのか。


 四日。

 あいつと初めて採取に出かけた日から数えて、たった四日で、もう教えることがなくなってしまった。


 もちろんまだ拙い。しかしそれは経験を重ねれば追いついてくることだ。

 知識面ではもう、教えられることはない。


「……なにが、自慢できることは自慢してから引退しよう、だ」


 奥歯を噛み締めるほど痛感していた。しょせん自分は腰抜けムジナ。何十年もずっと薬草採取しかしてこなかったFランクだ。

 あの坊主の頭が良いのは、たしかにある。だがそもそも、自分の人生で積み重ねたものは、たった四日で伝え切れてしまえるものでしかなかったのだ。


「ちくしょお……」


 悪態を吐いたところでもう遅い。悪いのは自分で、情けないのは自分で、かわいそうなのはあの坊主だ。自分なんかに教えを乞うたところで、大したことは身につかないというのに。


 アレが薬草採取をずっとやるつもりだと聞いて、心底から焦った。なにせ、もう教えることに困ってしまって、冒険者の店の馬鹿野郎どもの話に逃げていたくらいなのだ。

 もっといろんなことをやってくるべきだった。いざって時のために戦いの真似事くらいしてきても良かった。山歩きだって我流じゃなくて、冒険者の野伏にでも聞けば良かったんだ。

 そうすれば、まだまだ教えられることはあっただろう。こんなに後悔することもなかったはずだ。



 こんなバカみたいな後悔をさせてしまうのではないかと、怯えることはなかった。



「いいや、まだだ」


 街道を外れる。丘のふもとから獣道に入る。

 他のマナ溜まりの場所も、地図で大まかにしか教えていないのだ。マナ溜まりの場所は分かりにくい場所にあるから、実際に連れていかないと見逃してしまうかもしれない。

 他にも、考えて絞り出せばいくつかはあるだろう。なにせ自分は頭が悪い。今パッと思い出せないだけで、実はまだまだたくさん教えることがあった……なんてことも十分あり得る。


「慣れないことやってるんだ。先生役にも、一日くらい準備させてくれよな」


 丘を登る。目指すは頂上近くだ。

 最初の日に、ゴブリンの足跡を警戒して引き返した場所。


 あそこのマナ溜まりも、昨日も採ったあの紫の花の薬草が採れる。だが時期的に、そろそろ採らないと価値が下がってしまう頃合いだ。



 この数日間でゴブリンがどこかへ行ってしまっていれば、あそこで採取できるだろう。そしたら、またあの坊主を連れて来てやれるのだが―――


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― 新着の感想 ―
爺さんの気持ちの描写がマジで凄い。楽しく読ませてもらってます
まあ、一つの山での薬草採取の仕事となると経験面で積み重ねることはあっても知識面で積み重ねる場面は少ないだろうな
[一言] 一気見してます。読んでいてとても楽しいです。
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