どうかしている
丘の頂上近くには崖面になっているところがあった。垂直というほどではないが、傾斜がかなりキツくて登れないし、崩れやすいのでロープでもなければ降りられないような場所。岩肌が見えてしまって、そんな場所でも生えるようなたくましい雑草がまばらに見えるだけの崖面。
大きく迂回するようにその下へ回り込んで行くと、大きな岩の影が隠すような洞穴がある。
昔からある洞穴だ。自然にできたものか、あるいは大型の獣か魔物が作ったのかは知らないが、そこそこの大きさだった記憶がある。人間が五、六人入っても余裕だろう。
ゴブリンだって雨に降られれば屋根を欲しがる。一昨日はかなり降ったから、仮宿を探したはずだ。
まだこの辺りにいるのであれば……岩陰の洞穴を使った可能性は高いと読んでいた。
「っち……」
その読みが当たって、思わず舌打ちした。できれば外れてほしかった。
崖面の上から覗いて洞穴がある辺りの地面を確認すると、そこにはゴブリンらしき足跡が見えた。遠目だから判別しづらいが、おそらく複数いたはずだ。
この距離で見つけることができたのは、足跡がかなりハッキリと残っているから。つまり雨が上がった後の、まだ地面がぬかるんだ状態の時に移動した証拠。
「まだ近くにいるな」
それは間違いないだろう。少なくとも、ゴブリンは雨が止む昨日の朝方までここにいた。
ふぅ、と息を吐いた。残念だが今年はもう、こちらのマナ溜まりは諦めた方がいい。それが分かっただけでも収穫だと思おう。命は金では買えないのだから。
「……―――おかしいな」
疑問に思ったのは、目をこらしているうちに崖下の様子がもう少し分かったからだ。歳をとると目の力が落ちる。じいっと見つめていないと、遠くや近くは見えにくい。
足跡が多かった。
そりゃ、出入り口なのだから行ったり来たりもするだろう。けれど、それにしたって多い気がする。
前に見つけた時の足跡は三匹分。多くても四匹といったところだ。だがここから見える足跡は、その倍くらいの数がつけたのではないか。
「…………」
無言で、崖上を少し移動する。身を低くし茂みに隠れ、周囲を警戒しながら素早く動く。
足跡が進んでいった方へ。
「別のヤツらと合流したか」
出入り口の辺りから少し離れれば、足跡は一方向へ伸びてより見やすくなった。
やはり多い。少なくとも六匹以上はいるだろう。十はないと思うが、この遠目では断言できない。
あの時の足跡とは別に数匹のゴブリンが近くにいて、同じ場所で雨宿りしたのをきっかけに群れとなった。……そんなところだろうか。
やはり最初に来たとき、引き返したのは正解だった。下手をすれば挟み撃ちになっていたかもしれない。
「しかし、六以上か。結構な数だな」
そう呟くが、数の多寡は自分にとって問題ではない。例え一匹しかいなくたって、戦うという選択肢はないのだから。
ふむ……と顎に手を当て考える。バルクには報告するべきか。ゴブリンは数が増えるとやることが派手になる。この数なら街道に降りて人を襲ってもおかしくない。
まあ報告したところで、冒険者が動くのは依頼が来た後、つまり被害が出てからなのだが。
足跡の先を見てみれば、ゴブリンどもは丘を下っているようだった。どうやら街道へ真っ直ぐ向かう足取りではなさそうで、おそらく森の方向へ進んでいる。
増えた頭数の腹を満たすために、より食い物の多そうな場所へ移動するつもりか。なら、もうこちらへは戻ってこないかもしれない。
そうであれば、マナ溜まりの薬草は採れるのではないか……。
いや、ないな。ない。よぎった馬鹿な考えを振り払うため、慌てて首を横に振る。
そんな読みをハズして戻って来たゴブリンと鉢合わせ、になった時が最悪だ。坊主と爺の二人が、仲良くゴブリンの腹に入るはめになる。
……どうかしているな、と舌打ちし、落ち着くために深呼吸した。
本当に今の自分はどうかしている。いつもであれば、こんな甘っちょろい考えなど浮かびもしない。それどころか、ゴブリンがまだいるかもしれないこんな場所になど近寄りもしなかっただろう。
気を引き締めるべきだ。普段の自分に戻るべきだ。ここはやはり、スパッとここの薬草は諦めて―――
「―――森へ向かってる?」
ゴブリンの足跡は、この辺りにあるもう一つのマナ溜まりの方向……今日、あの坊主が一人で来るはずの場所へ向かっていた。
「はっ、はっ、はっ―――」
どうかしている。どうかしている。本気で、自分はどうにかしてしまった。
ゴブリンどもの足跡を辿る。木々の間を潜るように斜面を駆け下る。
行ってどうするつもりだ。
冷静な自分がそう問いかけるが、答えられない。久しく抱くことのなかった強い感情に突き動かされて、息が切れるほど走る。
「八匹」
足跡を辿るうちに確信する。数は八。特別に大きい足跡はない。足取りからして、食い物を探しながらゆっくり進んでいるようだ。
虫やトカゲなんかを捕まえて口に入れながら、チンタラ歩いているのだろう。
丘を降りきってもまだ足跡は続いている。森の中の地面は柔らかく、木々が陰になるためなかなか乾かない。だから足跡ははっきりと残っていて、見失うことはなかった。
身を低くして駆ける。ゴブリンは小さい自分よりもさらに小さいが、こうして身を低くして進めば、ゴブリンの通れる場所なら問題なく抜けられる。
とにかく速く、しかし静かに。ククリ刀で枝を落とす時間も惜しいし、そのときに出る枝葉の音もたてたくない。
「…………―――!」
茂みに身を隠した。慌てて貫頭衣と同じ色の、ツギハギだらけの頭巾を取り出して被る。口に手を当てて、乱れた息を無理やり押し殺す。
「いやがった……」
視界の先で、車座になって休んでいるゴブリンたちを確認する。
心臓がドクドクと鳴っていた。その音がヤツらに聞こえてバレやしないかと心配になったほどだ。この早鐘のような心音は走ったからだけではない。
指折りしながら数を確認する。ちょうど八匹。内四匹は棍棒や錆びた剣などで武装している。……ただ、どうやら眠っているヤツや、寝ぼけ眼のヤツもいるようだ。
ゴブリンは夜目が利くから、基本的には夜行性と思われている。……が、そんなことはない。ヤツらは朝でも昼でも動く。昼夜関係なく眠くなったら寝て、腹が減ったら行動するというのが正しいと、十年以上前にゴブリン狩りをよくやっていた冒険者が話していた。
一昨日の雨宿りでぐうすか寝て、雨が止んだ朝に起き出して行動したのなら……昨夜はまた夜に眠ったのだろうか。ならばヤツら、そろそろ行動を再開する頃合いなのではないか。
「……近い」
苦々しく呟く。ここからだとマナ溜まりの薬草地はかなり近い。
坊主が歩きやすいよう、獣道はだいぶん枝を切り落とした。昨日も通ったから、足跡も残っているだろう。いくらゴブリンが馬鹿とはいえ、あの道を見つければ人が通ったことくらいは分かる。
足跡を辿られるだろうか。待ち伏せされるだろうか。どちらもあり得そうで、どちらにしても最悪だ。坊主とあの数のゴブリンでは賭けにもならない。
「どうする……」
息をひそめながら必死で頭を回す。
この貫頭衣はツギハギだらけでいかにもボロに見えるだろうが、実はこれは自分の自信作だ。わざと色味の違う当て布で斑模様にした布地は、森に溶け込み姿を隠す。この距離どころか、その半分の距離まで近づいたところでまず見つかりはしない。じっとしてさえいれば、ヤツらがすぐ近くを通ったとしてもやり過ごせる可能性はある。
「そうだ。これは、まだ教えてなかった」
すっかり当たり前になっていて頭から抜けていた。こいつは結構有用だぞ。何度か命を拾ったこともある。
ああ……でもどうだろう。コイツを教えたら、あの坊主はどういう反応をするだろうか。なにせダセェ。嫌がるかもしれない。
そしたら―――笑って、馬鹿にしてやろう。
命あっての物種だって、教えてやれる。
ゴブリンが一匹、立ち上がった。




