いろんな偶然がありまして
眼下のケルピーを、僕たちだけで仕留める。
レイミィはたしかにそう言って、僕は考える。
できるだろうか? ケルピーってけっこう強いと聞くけれど。
「魅了はどうするの?」
「おそらくですが、ケルピーの魅了は任意行使です。つまり気づかれない限りは使われませんし、とっさに使って効くものでもないでしょう。ここから急降下して一撃を加える分には問題ありません」
おそらくとか、でしょうとか、なんだか推測が多い気がするけれど。
「仕留め損なったら? 水の魔法を操るって話だけれど」
「ペガサスライダーの戦いは一撃離脱が基本です。パカパカちゃんの速度なら、相手が魔法を使う前に範囲外ですよ」
一撃離脱。つまりペガサスが最初に飛び出すときに見せたすごい速度で、一気に強襲してそのまま逃げる作戦か。
たしかにそれで不意打ちだったら、反撃の心配はないだろう。
「警戒心が強い魔物だって言ってたし、倒せず逃がしちゃったらどうするの?」
「狩りなんてそんなものでしょう? みんなで行ったところで、確実に仕留められる保証はありません」
それはまあ、そう。
狩人の小さい兄ちゃんだって、毎回獲物を狩ってこれるわけではなかった。店の壁に貼られる畑を荒らす猪や熊を狩る依頼書だって、何日かかかることが前提のものが多い。
狩りの成功率はよく分からないけれど、そう高くはないはず。ならケルピーがこちらに気づいていなくて、上をとれている今はまさに絶好かもしれない。
―――なにより。ペガサスに騎乗して魔物を倒すだなんて、そんな物語みたいなの、ワクワクしてしまう。
僕はペガサスの首から右手を離した。
背中から槍を抜き、片手で構える。チッカに紹介してもらった鍛冶屋に作ってもらった槍は、前のものより少し長いけれどしっかりと手に馴染んでいる。
さっきレイミィは、うちたちだけで、と言った。つまり僕にも役割があるし、そして彼女は武器を持っていない。
仕留めるのは僕だ。
右手で槍を構えてみる。レイミィに後ろから支えてもらっているし、片手でもとりあえず問題はない。……ただ、これでケルピーにちゃんと槍を突き刺せるかはちょっと分からない。魔物の皮は通常の獣より硬いことも多いから、片手だと難しいのではないか。
しかし、ペガサスの飛翔速度で一撃離脱するのに、突き刺した槍をどう抜くのだろう。普通の馬上槍だとどうするものなのか、ペリドットに聞いておけばよかった。
「……考えるのは攻撃だけでいい」
馬上では動ける箇所が少ない。槍で突くなら、腰を回して、肩を回して、肘を伸ばすくらい。脚は使えない。
だから馬上で武器を扱うならば、高さと速度を利用して威力を上乗せするのだろう。これは天馬でも一緒のはずだ。
なら腕だろうか。僕は小さく、リビと唱える。
リビ。魔術言語において、肘を示す呪言。おそらくそこが最も稼働域が大きく、まっすぐ伸ばすだけだから失敗が少ないはず。……腰とか肩に使ったら最悪、ペガサスの頭を刺すかもしれないし。
スピフィの技で肘を強化して威力を出し、槍でケルピーを突き刺す。そうしたら槍は手放してしまっていい。槍に引っ張られてペガサスから落ちるなんてことになったら、それこそ自分が死んでしまう。
なんなら投げてしまってもいいかもしれない。もともと槍は投擲しても使えるものだから、少しだけ練習したこともある。
外れたらどうせケルピーは川底に逃げてしまうのだ。二度も三度もチャンスはない。武器を手離してしまって問題ない。
つまり、一撃だ。練習なしのたった一撃で、あのケルピーを仕留める。これはそういう冒険。
僕は空から獲物を見下ろす。美しい水棲馬を視界に収める。
「よし、やろう」
自然と笑みが漏れた。気分が高揚していた。きっとペガサスに乗っているからだと思う。
抑えきれないほどに試したくなった。
一撃と言えば、二つ思い出す。
ペリドットに試合を申し込まれたときの、目の前で放たれてなお反応すらできなかった、目の奥に灼き付くような閃光の突き。
そして神官さんが村の大樹を揺るがせた、ゆっくりなのにまったくブレも淀みもなく、日々繰り返される祈りのように放たれた拳。
戦闘訓練をする日に、脳裏に浮かばないことなどない。
「……一気に雰囲気が変わりましたね」
後ろから声がして、けれどなにを驚かれているのか分からなかった。
僕の知ってる冒険者たちならここは、行け、やってやれ、とはやし立てて笑い飛ばしてくるところだ。……ああいや、ズルいと羨ましがる人はいそうだな。ペリドットとか。
よし、狩れたら自慢しよう。
「空から死角である背後を強襲し、掠めるようにして通り抜けます。言うまでもありませんが、チャンスは一度きり。突撃の勢いを利用しつつ攻撃して下さい」
「了解!」
「行きますよ!」
レイミィが手綱を繰る。ペガサスが空中を駆るように蹄で宙を蹴る。
急降下する。
落ちる。落ちる。落ちる。―――否、下へ向けて飛翔する。
あるいは、駆け降りる。
天馬の蹄は空を蹴り、その翼は風を操り、覚悟していた速度をあっさりと超越する。
体験したことのない速さ。油断したら身体が持っていかれるに違いない風圧。大地に激突するのではないかという恐怖。
それでも、眼は開けたまま槍を構える。さすが勇者伝説にも詠われるペガサスだと、胸が高鳴るのが分かった。
地面との距離が一気に縮まっていく。豆粒のようだった水棲馬の姿がぐんぐんと大きくなっていく。
生物は致命傷を与えてもしばらくは動く。だから狩りは即死させなければならない。あるいは、動けなくしてやらなければならない。
狙いは頭部。頸椎。心臓。
「いや」
危うく忘れるところだった。ギリギリだけど思い出せてよかった。
あれはバルクとイルゼの結婚式のために用意する獲物だ。調理方法がもし丸焼きだったら、頭は綺麗に残したい。
心臓か頸椎。―――首は動くから、より確実なのは心臓か。
狙いを定める。槍の切っ先を向ける。視界がより鮮明になる。
ペガサスに騎乗しているからだろうか。その魔力が操る風の流れすら、見えるようだ。
馬上で槍を振りかぶる。
水棲馬がこちらに気づく。まだ。
天馬の翼が広がる。まだ。
水棲馬が前脚に力を込める。まだ。
天馬が空を蹄で蹴り軌道を変える。まだ。
水棲馬と、眼が合う。
「リビ!」
その一撃は、運命を切り拓くが如く。
呪言と共に放った槍は狙い過たず逃げようと跳躍しかけたケルピーの背を穿ち、心臓を抜き、胴を抜いて、地面までも縫い付けた。
「お見事です!」
ペガサスが翼を広げて上昇する。僕はその首にしがみつくようにして急上昇に耐える。輝くようなたてがみが鼻や頬をくすぐった。
一度高度を上げてから減速するのだろう。あまりに速度がありすぎてそのまま着地するわけにはいかないのだ。
上空で旋回する。その間に速度が落ちる。風圧が落ち着いて、下を見ると槍で川縁に縫い付けられたケルピーが倒れていた。
「素晴らしいですね、キリネ君。水棲馬狩猟おめでとうございます!」
「レイミィのおかげだよ。これで結婚式の食材が揃いそう。本当にありがとう!」
「いえいえ。うちもお仕事ですので」
狩猟の成功に喜んでいるのだろう、レイミィの声が明るい。
彼女は手綱を操り、仕留めたケルピーの近くへペガサスをゆっくり着地させる。そして先に地面へと降りると、僕に手を差し出した。
丸眼鏡の奥の紫色の瞳がニコリと微笑む。―――その眼鏡の蔓に白い羽の意匠が拵えてあるのを、僕はこのときに気づいた。
「改めて自己紹介を。ノルントラシア王国冒険者ギルド本部監査課所属、次期勇者候補選抜人。レイミィ・パディピーター・ノルントラシアです。どうぞよろしく、キリネ君」




