密偵
「こんにちは! 驚かせようとしたら噂されてたから、逆に驚いたよ!」
目が覚めるような金髪のエルノはニカッと笑うと、馬車の屋根からピョンっと跳び下りて身軽に着地した。
軍用の馬車は幌じゃなくて木と鉄でできている。十歳の子供が乗ったところでビクともしないのだけれど、それはそれとして怒られないのだろうか。
「こんにちは、エルノ。今日もご機嫌ね」
「うん! リルエッタもごきげんよう!」
半分瞼を伏せての挨拶に、元気いっぱいに返す少年。
馬車に登ったり高いところから跳んだり、大きな声で挨拶したり、どうやら元気いっぱいだ。両腕をブンブン振っているところを見ると、昨日の試合で痛めたはずの腕も回復したらしい。
「えっと……こんにちは」
挨拶をされたのだから、挨拶を返さなければならない。
昨日できなかったそれをやると、彼はパァッと表情を輝かせた。
「わあ、やった! こんにちはキリネ君! 昨日はありがとう、すっごい楽しかった!」
やった、ってなんだ。そんなに喜ぶことじゃないでしょ。というか近い近い近い。なんで握手するの? なんでその手をブンブン振るの?
本当は昨日の試合について、始まりの挨拶をしなかったことを謝らなければならないのだけれど、勢いに押されて何も言えない。元気すぎる。明るすぎる。なんだこの子。
少なくとも村には、こんな子いなかったんだけど。
「ニャハハ! アタシもいるぜチビ若ちゃん! 今日もワンコみたいに可愛いな!」
「ゲェ、スピフィ! なんでここにいるのさっ」
「ひーまーつーぶーしー。馬の世話とか水の補給とか全部兵の仕事だから、冒険者はわりと暇なんでーす!」
今までスピフィに気づいていなかったのか、エルノが似合わない悲鳴を上げて僕の後ろに回って隠れる。
待って待って盾にしないで。この二人に挟まれると元気と元気で気持ちが押しつぶされそうになるからやめて。
というか、なんでこんな目立つ人に気づいてなかったんだこの子。髪の毛黄色と紫だよ?
「キリが困ってるからやめなさい。……それでエルノ、なにしに来たの? 貴方は後学のために連れてきてもらったんでしょう。兵士たちの仕事を手伝ったりしなくていいの?」
リルエッタが止めてくれて、盾から解放された僕はすぐにユーネとグミさんの側に逃げる。……うん、こっちの方が数段落ち着く。
「ああ、べつに遊びに来たワケじゃないよ。ちゃんと用はあるんだ。……フフン! 実はおれは、密偵に来たのです!」
みってい。
「密偵ってなに?」
「正体を隠して敵方の集団に紛れ込んだり、誰にも見つからず重要な場所に忍び込んで情報を得る斥候だね。とても危険で重要な仕事だとも」
僕の疑問に、グミさんがスープを飲みながら説明してくれる。どうやら作業を進めるのは諦めたらしい。間に合うかなこれ。
「父上にまたリルエッタとキリネ君たちのところに行きたいって言ったら、じゃあ冒険者さんたちの情報を仕入れて来てくれって言われたんだ。一緒に戦う仲間のことを知っておくのって大事だよね!」
「それって密偵なんですかねー?」
たぶん違うよ。
「というか、それって言ってよかったの? こっそりやるべきなんじゃないの?」
「あれ? なにか知られちゃダメなことある?」
ああうん、ないね。
エルノが聞きたいことはゴブリンロード討伐に関して役立つことだろう。だったら、冒険者の個々の能力とかパーティごとの得意分野とかではないか。
それくらいなら誰も隠していない。冒険者は得意不得意でやれる仕事が違ってくるから、むしろ自分たちで宣伝してるほどだ。
「というわけで、話を聞きたいんだけどいいかな?」
「ふむ。まあ用兵に関わることなら嫌とは言えないが、こちらも作業中だからね。繊細な作業も多いから、あまり賑やかだと支障が出る」
グミさんは眼鏡の位置を直しながら、少し考えるように目をつむる。……そういえば昨日はクマが酷かったけれど、移動中に眠っているからか今日はいくぶんマシになっている。この人は家にいない方が健康になれるんじゃないか。
彼女は一つ頷くと、眼鏡の奥の目を僕へ向けた。
「キリ君、彼についていって、兵士たちの様子を見学させてもらいたまえ」
それは邪魔だから離れた場所へ連れて行けってこと?
まあたしかにスピフィと彼がいると収拾つかなそうだけれど。
「そこはリルエッタじゃないの?」
「君が不要というわけではないが、魔術を使えるリルエッタ君の方がこっちにいてもらいたいのでね。それに二人の関係は非常に難しい。気の回し過ぎかもしれないが、兵たちの前では二人だけで行動しない方がいいだろう」
魔術の件はともかく、二人の関係に関してはなんだかいまいちピンとこなかった。とにかくグミさんにとっては考えた人選らしい。
「妥当な人選ね。この中では冒険者たちに一番詳しいのはキリだもの」
「キリ君、大部屋に泊まってますしねー」
いや、Cランク以上の人たちで大部屋に泊まる人はほぼいないんだけど。
冒険者はランクが上がるごとに収入も増えるのが普通だ。だいたいDランクにもなれば宿を選ぶ余裕くらいは出るようなので、高ランクの冒険者で大部屋にいるのはウェインくらいである。今回集まっている冒険者たちだと、Cランクパーティの人たちでちゃんと話したことがある人はほとんどいない
……とはいえ大部屋に寝起きしていれば冒険者たちの噂は自然と耳に入ってくるから、そういう意味ではリルエッタとユーネの二人より詳しいのも事実か。
「アタシはそれ、役に立てないねー。東のメンツなら新人まで全員把握してるんだけどさ、ニャハハ!」
暴れケルピーの尾びれ亭所属ではないスピフィは当然、冒険者たちの詳しい情報なんて持っていない。東の人たちなら全部知ってるっていうのはなんだかすごいけれど、ここにいる冒険者の大半は西側の所属だ。
……ううむ、僕か。まあ僕かもしれない。
正直、なんかこの子苦手なんだけど。明るすぎるというか、近すぎるというか、グイグイ来る感じにちょっと戸惑ってしまう。
「グミさんがそう言うなら……でも作業の方は大丈夫?」
「それはまあ、大丈夫だろう。ちょうど助っ人の都合がついたところだからね」
助っ人?
誰のことだろうと首を傾げると、グミさんはガシッとスピフィの腕を掴んだ。
「やあ、どこかで聞いた名だとは思っていたけれど、君の二つ名をやっと思い出したよ。魔剣士スピフィ、剣士であり魔術士の高名な冒険者だね? お噂はかねがね。そしてようこそあたたかくて笑顔の絶えない楽しい職場へ!」
「すげー不穏な文句だなそれ! 待て待て待て。なんでアタシがそんなのやらなきゃならねーのさ。こっちは東の冒険者のパーティリーダーとしていろいろ忙しいっていうか……」
「暇つぶしでここに来たのだろう? 兵たちが全部やるから暇だと言っていたのに、そんなごまかしが通る相手だと舐められるのは悲しいね。どうせやることないんだったら、せっかくだから手伝っていくといい」
「聞いてやがった……! いやいやいや、アタシ実戦派で式とか陣は全然なんだけど……」
「基礎くらいなら理解しているだろう? 大丈夫、キリ君はまだ着火も使えない魔術士見習いだが、ちゃんと役に立ってくれているよ」
魔剣士って魔剣を持ってるってことじゃなくて、魔術も使える剣士ってことなのか。なら助っ人としては申し分ない。錬金術と魔術は共通点が多いというか、基本は同じものだ。
……暇そうだからってBランク冒険者を捕まえて手伝わせるのはちょっとどうかと思うけれど。
「よかった。それならこっちは大丈夫そうだね! おれからも頼むよスピフィ、ここを手伝ってあげて! 行こうキリネ君!」
エルノがダメ押しのように頼んで、スピフィが渋い顔になる。
領主様の息子の頼みとあっては、特別な理由がない限り断れないだろう。そして暇な彼女に特別な理由なんかない。
手を掴まれて引っ張られる。向かうのは川がある方。兵士たちがたくさんいる、隊列の前方。




