置いてけぼりの二人
レーマーおじさんは行商人だ。焦げ茶色に白が混じった髪の中年男性で、中肉中背といった感じ。顎髭を生やした少し猫背気味の、いつも目を細めて笑ってる人。
村の人たちはみんな、いい人だと思っていた。神官さんもそう思っていたはずだ。
実際、レーマーおじさんはいい人として振る舞っていたと思う。
笑顔を絶やさない人だった。挨拶をする人だった。村に必要な塩や鉄製品を届けてくれて、麦や毛皮を買っていってくれる人だった。
ヒリエンカは壁に囲まれた港町だから、農業はあまり盛んではない。なので作物の多くは周辺の村から仕入れるのだけど、ニビトイ村の麦は質が良いから高く売れると毎回褒めてくれていた。
村人たちは彼の人柄を信じていて、だから酷く裏切られたと感じたのだろう。
その気持ちは分かる気がする。あの村は町みたいに、顔も名前も知らない人がたくさんいるような場所じゃない。住民がみんな知り合いなくらい小さく、よそから来る人は本当に少ないから、裏切る人というのがいないのだ。
警戒は強いけれど、一度信じたら疑わない人たち。……僕もその一員だったから、裏切られたときは本当にショックだった。
彼はこのままでは村の人たちに殺されてしまい、けれど町へ連れて行けば軽い罪しか受けないという。極端な二択だ。
そんな二つの未来を前にして、ただ時が来るのを待つというのはどんな気分なのだろうか。
僕は山道の先を眺める。この道は記憶にない。レーマーおじさんと町に行くとき、ここは通らなかった。
この道を行くとニビトイ村があり、そこにあの行商人はいるのだ。
みんなの視線がユーネに集まっていた。僕も見ていた。
リルエッタは許したくない。ニグとヒルティースは興味が薄い。ではこのフワフワな髪の少女はどんな意見を言うのか、ちょっと気になる。
「……そのー」
ユーネがこっちを向いて、目が合った。けれどすぐに彼女は目を逸らして、下を向く。
「もしそのレーマーさんが罪を償って、しっかりと反省するのであればー……できれば、また元通りにニビトイ村でも行商ができるようになればいいなと、思うんですがー……」
ああ、それは僕がいる前では言いにくいだろう。なにせ、騙されて奴隷にされそうになったのだから。
でもすごいなユーネ。レーマーおじさんはもう行商を続けることはできない、ってリルエッタは見限っていたから、そういう結末はちょっと考えもしなかった。
そっか。可能性はすごく低いだろうけれど、レーマーおじさんがちゃんと謝って、村の人たちがそれを赦して、また商人と村人として付き合うって結果もあるにはあるのか。
「ユーネ、貴女……」
「で、でもお嬢様! もしそうできなかったら、その方はどうやって生きていけばいいんですかー?」
それは、先を見据えた危惧だった。レーマーおじさんを町に連れて行って罰を受けさせた、その後の話。
犯罪者だって生きている。そして生きている以上お金は必要で、だから働かないといけない。
けれどずっと行商をやっていたレーマーおじさんは、行商ができなくなったらどう食べていけばいいのだろうか。
「まっとうに生きていけないならー……また罪を犯すしかないじゃないですか」
働いて稼ぐことができないなら、ドロボウでもなんでもやって生きるしかない。今度は詐欺じゃなくて誘拐で奴隷を売ろうとするかもしれない。それではまた新たな罪と不幸が生まれるだけである。
だから罪は償わなければならないのは当然として、償われた罪は許されなければならないのだ。
―――そう、基本教典の三冊目に書いてあった。
ユーネの答えは、アーマナ教の聖職者にとって模範解答である。
ただ責め続けるのは易く、赦して再度受け入れるのは難しい。ゆえに罪とは、双方に課される試練なのである……と諭す一節があるのだ。
まあ、その教えを悪用して罪を犯し続ける者の話もあって、そういう人は必ず天罰を受けるのだけれど。
「もちろんキリ君とはパーティの仲間ですし友人ですからー、キリ君を奴隷商に売ろうとした人なんてユーネだって赦せないですし、村人たちの憤りも分かりますけどー……赦せないからと言って責め続けていいわけでもありません。キリ君はこうして生きていることですし、もしその人と村が仲直りできるのなら、それは決して悪いことではないのかとー……」
一度リルエッタの方へ向いたユーネの視線は、いつのまにかまた下を向いている。
神さまの教えではそれが一番いいとされているが、感情ではユーネ自身も納得はできていないみたいだ。
責めるのは易く、赦すのは難しい。ユーネですらこうなのだから、レーマーおじさんが村の信用を取り戻すのはすごく大変だと思う。それこそ、別の職に就いた方が楽なんじゃないかって思うくらいに。
……というか、別の職に就けばいいんじゃないかな。赦すとか赦されるのが難しいのなら、これ以上関わらないようにするのも決して悪い事じゃないと思うのだけれど。
「それは……そうだけどよ。ユーネさん、それってそいつが反省したらだろ?」
「人はそんなに簡単には変わらないし、一度裏切ったよそ者を簡単に赦すほど、村は生ぬるくない」
レーマーおじさんには興味ないはずの二人も首を横に振る。
二人はたまにヒリエンカの町周辺の村へ出向いて依頼をこなしているから、田舎の実体についても理解があるのだろう。
「いいえ、悪くないわ」
意外なことに、そう同意したのはチェリーレッドの髪の少女だった。
彼女は唇に人差し指の背を当て、瞼を伏せて真剣に思考する。
「つまり他の職に就くのではなく、村人に赦されるまで悪罵と石を投げられながら働けということでしょう? 一番困難で苦しい道だわ。神さまも意外と嗜虐的なことを言うのね。いいえ、神さまってけっこうそういうものなのかもしれないわ」
「い……いえお嬢様、そういうことではー……」
「マグナーンの教育方針には少し歪みが見えますね」
リルエッタの問題発言に、教会関係者が揃ってドン引きする。
「そうね。この辺りの行商ルートを丸ごと乗っ取るにしても、実際に行商を行う人員は必要だもの。それならそのレーマーとかいうのをマグナーンの下請けにして監視下に置いてしまえば手っ取り早いじゃない。いいわね。ワクワクしてきたわ。罪人なんて、悪い事をする暇がないくらいこき使ってあげればいいのよ」
―――フフフ、と陰惨に笑うリルエッタ。
どうやら、彼女はようやくこの依頼に対してやる気が出てきたようだ。なんだかちょっと違う方向のような気がするけれど。
「まあ……それも選びうる未来の一つでしょうか」
神官さんはわずかに気まずそうな顔をして、商人の少女の考えを肯定する。
……言いたいことはあるだろうけれど、悪いのはレーマーおじさんだし結果的には悪くなさそうだもんね。言葉を飲み込んだんだろうなぁ。
「レーマーは悪事を働き、村を裏切りました。ですがキリは奴隷にならず逃げだし、こうして生きていたのですから、ギリギリですが取り返しのつかない事態は避けられています。……後はレーマーと村人たちしだいですね。その選択をとるのであれば神の教えどおり、この件は双方にとっての試練となるでしょう」
もっとも、それもまだレーマーおじさんが生きていたらの話だし、ちゃんと村を説得してレーマーおじさんを引き渡してもらえたらの話で……―――ああ、そうか。神官さんがなんでこのタイミングで、こんなことをみんなに聞いたか分かった。
村に入ったら、ゆっくり話し合う機会があるかどうかは怪しい。そのまますぐに村人たちと交渉になるかもしれない。
そしてレーマーおじさんを連れて町へ向かう道中は、当然だけれどレーマーおじさんがそこにいるのだ。
この六人でこうやって話し合うなら、今のうちである。
「では、キリ。あなたは、どう考えていますか?」
神官さんの問いが、最後に僕へと投げかけられる。村に入る前に僕の心の内を確認するために。
けれど……残念だけれど、僕はまだその答えを見つけていなかった。
当事者なのに、なのか、当事者だからこそなのか。実のところ僕はまだ、いまいちこの件に関して考えがまとまっていない。
村の人たちは感情的にレーマーおじさんを殺そうとしていて、神官さんは町で正しく裁きたいと言い、リルエッタは商人として赦せないと言って、ユーネは仲直りできたらいいと祈る。
なんというか、僕が置いてけぼりな気がしてならないのだ。そういう意味ではニグとヒルティースの意見が一番好きかもしれない。この二人はちゃんと他人事として無関心でいてくれているのだから。
そう。本当ならば、この件は僕とレーマーおじさんの問題なのだ。……そこまで考えて、僕はなるほどと自分自身で納得した。
そうだ。そういう意味では、肝心な人を置いてけぼりにしているじゃないか。
「レーマーおじさんに会ってみたい、って思うかな」
僕は神官さんにそう答える。
この道の先には故郷のニビトイ村があり、僕を騙して奴隷商に売ろうとした人がいる。
あの白髪まじりの商人は、今の僕を見てどう反応するのだろうか。




