辺境巡回神官
「たまに話に出るわよね、神官さん。貴方に文字を教えた人だったかしら。いったいどういう人だったの?」
大通りを歩きながら、リルエッタは興味深そうに聞いてくる。
そういえば僕は、神官さんについてはあまり話していない。
「えっと、厳しいけどやさしい人かな。恐いときは本当に恐いけど、いろんな事を知ってて僕たち兄姉はずいぶんお世話になってた」
親がいなかったからだろうけれど、神官さんは僕たちのことをいつも気にかけてくれていたと思う。
「文字以外にもいろいろ教わったよ。畑仕事の仕方とか、大工のやり方、鳥の締め方と捌き方、燻製の保存食をつくる方法とか、服の繕い方、長く履いても痛くない靴の作り方、食べられる木の実や野草やキノコとかも。あ、姉ちゃんは山羊の毛から織物をつくる方法を教えてもらってたっけ」
「へぇ、ずいぶんいろんなことを知ってる人なのね」
「うーん……そうかな?」
たしかに神官さんはいろんなことに詳しかったけれど、村の大人たちはみんなそういうことをできた気がする。
ヒリエンカの町に来て一番驚いたのは、人の多さとお金があればいろんなものが揃うところだ。一つのことを仕事にして働けばお金が入り、そのお金を使って他のものを買って生活する。神官さんから話には聞いていたけれど、今でもちょっとすごいなって思う。
まあ僕はめったに刃物とか危ないものは触らせてもらえなかったから、全部がちゃんとできるわけじゃないけれど。
「あと、本が好きでよく読んでたし、僕にも読みなさいってよく貸してくれてた。それと薬草茶をいつも淹れてくれたけれど、それは僕はちょっと苦手だったかな」
「あの薬草ね……まあ薬草茶なんてそんなものよ」
ヒシク草を食べたことのあるリルエッタが渋い顔をする。あれはいくら身体にいいと言っても、あまり食べたくない味だろう。
ただ、苦手ではあるけれど懐かしい味だ。たぶんうぇってなると思うけど、こうして神官さんの話をしているとなんだか飲みたくなってしまう。
ちょっと今度、ヒシク草を採ってこようかな。乾燥させて煮るだけなら、僕でも淹れられるし。
「ああ、それと治癒魔術も使えたよ。怪我や病気は薬草と休息で治した方がいいって、あんまり使ってくれなかったけれど……前に村の近くにゴブリンが出たときなんか、村の大人たちと一緒に追い払いに行って治癒魔術でずいぶん活躍したとか」
「ふぅん、ということはちゃんと神官なのね。田舎の村に配属された神官っていかにも左遷って感じだけれど」
「左遷って……言っておくけれどすごい人だよ。村のみんなから尊敬されてた立派な神官さんだもん。けっこう厳しいとこもあったから、ちょっと恐がられてもいたけどさ」
歩いているうちに、だんだんと平屋の家ばかりになってくる。この辺りは下水道が通っていない地区だ。
町の外に続く大通りではあるけれど、この時間のこの通りは町中の方へ向かう人が多い。逆に夕方ごろになると、家に帰るのかその逆になる。
僕たちは人の流れとは逆に進む。もう少し行けば、町の外へ出る北西の門が見えてくる。
「あのー……前から思っていたんですけど、キリ君の村の神官さんってよく村の外へお出かけしたりしませんでしたかー?」
それまで黙って話を聞いていたユーネが、なぜかおずおずと手を挙げて質問してきて、僕はちょっと首を傾げてしまった。
なんだか微妙な顔だ。妙に遠慮がちというか。
「え? ああうん。そういえばしょっちゅう何日かいなくなってたけど」
「やっぱり。キリ君の村って町から歩いて三日くらいですよねー」
「普通に歩けば三日かかると思うよ」
「あー……」
僕が答えると、ユーネは納得した顔でどこか遠くを見ながら頷く。
そして。
「たぶんその人、辺境巡回神官ですねー」
「へんきょうじゅんかいしんかん?」
「はい。辺境と言っても、この場合は田舎って意味でしかないんですけどね。町から遠くにある小さな村をいくつか受け持って、アーマナ神の教えを広めたり祭事などを司る神官です。きっとキリ君の村を拠点にして、周辺の人里を定期的に回っている方ではないでしょうか」
僕は歩きながら顎に手を当てて、視線を空に向ける。
辺境、巡回、神官。なるほど名前の通りの役目らしい。
「教会ってどの村にもあるんじゃないの?」
「うぅ……それが理想ではあるんですけどぉ」
どうやら町から遠い小さな村だと、神さまにもひとくくりにされてしまうようだ。―――神は人を愛しています。ただし平等にではない。
まあ正直、神さまってイマイチ分かんないんだけど。
「……つまり田舎担当ってことでしょう? やっぱり左遷職じゃないの?」
「いえいえまさか。すごく有能な人にしかできない重要なお役目ですよぅ!」
ユーネは慌てた様子で両手を振って、リルエッタの間違いを訂正する。
どうやら神官さんはすごく有能だったらしい
「なにせ、町の教会でやっていることを一人で全部やらなければならないんですからー。しかも受け持ちの村の全部でですよぅ。アーマナ神の教えを正しく理解し、あらゆる祭事に精通し、僻地の人々からも受け入れられるような高潔な人格を持つ方にしか任されない、とても名誉ある職なのです。……まあ、出世コースからは外れちゃうんですけどー」
「……わたし、そういう職場知ってるわ。優秀だし真面目だけど不器用で融通の利かない人が追いやられる、大変なだけで旨味の少ない部署」
「そ、そんなことは……司教さまですら最敬礼する御方たちなんですよぅ!」
「地方へ押し込めて仕事を丸投げしてる負い目があるからでしょ……」
修道女だったユーネの話と、商人の家の子リルエッタの推測。その両方を聞いて、なるほどってなる。
優秀だけど不器用。なんだかあの神官さんらしい気がして、ちょっと笑ってしまう。
「ま、まあとにかく、その辺境巡回神官さんなんですけどー。さっき、キリ君の村の近くでゴブリンが出たとき治癒魔術で活躍したとか、厳しいから恐がられてたとかって言ってたじゃないですかー」
「え? ああうん。そう言ったけど」
「たぶん、それ間違いです」
ユーネはまた微妙な表情になって、人差し指を立てる。
「今言ったとおり辺境巡回神官はすごく優秀な人しかできないんですが、さらにもう一つ条件がありましてぇ。町から離れれば危険な魔物も多くなりますし、村の人たちが独自の規則で生活していることもよくありますから……荒事にも対応できる方じゃないと任命されないはずなんですよねー」
話している間にも歩みは進み、北西の門が見えてくる。この道はもう慣れたものだけれど、人通りが多かったり前とは違う露天が並んでいたり、新しい建物が造られていたり、景色は三ヶ月前とは少しずつ違ってきている。
あの代り映えのない村とは全然違う。
けれど……変化のない小さな村だったけれど、僕はもしかしたら、あの村のことを全部分かっていたわけではないのではないかと……そんなふうに、感じたのだ。
「なのでその方はきっと、凄腕の神官戦士さんではないかとー」
鼓膜をぶっ叩くような、耳を塞ぎたくなるほどの音が轟く。
冗談みたいな軌道でグルンと人の身体が高速回転し、床へ思いっきり叩きつけられた衝撃音……ではない。そう見間違えたが、髪を逆立てた男は鼻先が地面に触れるかどうかの距離で止まっていた。
だから今の轟音は、踏み込んだ脚が響かせた音だ。床を破砕してしまいかねないほどの、およそ常人では不可能なほど強烈な……たったの一歩。
店中に鳴り渡ったその音に、荒事を生業にする冒険者たちですら目を見張る。
気づけば誰も声を発することができず、シン、と静まりかえっていた。
「邪魔をされたくないのであれば、他者の邪魔にならない場所で行うべきです。受付の前など論外でしょう」
黒髪の女は……よく見れば肘と膝の辺りから先が深緑色の生地になっている、少し特徴的な神官服を纏ったその女性は、掴んだ相手の襟を軽く捻って首を絞る。それだけで呼吸もできなくなったのか、髪を逆立てた男は苦しそうに身体を強張らせた。
「わかりましたか?」
汗をダラダラと流しながらコクコクと首だけを動かすゴロツキまがい。
「よろしい。それと、今後わたくしのようなか弱い女性に手を上げないように」
それは冗談で言っているのだろうか。
言われている男を含め店内の全員がそう思ったハズだが、ツッコミを入れる勇者はいなかった。
たしかに細身だし、身長も女性の平均ほどだろう。見た目はか弱いと言っても差し支えはないだろうが……あの踏み込みの音を聞いてそんな言葉をマトモに受け取るヤツはいない。ただの一歩だけで、この女性はこの場にいる全員に恐ろしいほどの実力を示していた。
なにか言いたげに沈黙するも、やはり同じ理由で躊躇ったのだろう。髪を逆立てた男はもう一度だけ黙って頷く。
それに満足したのか、女はゆっくりと男を床へと下ろした。
「よろしい。行っていいですよ」
涼しい顔でそう口にする女を、身を起こしたゴロツキは後ずさりながらも睨み付けようとして……チラリと視線を向けられただけで、青ざめて声も出せずに逃げ出していく。
残りのゴロツキ二人もそれを追っていって、黒髪の女性は何事もなかったかのように受付へと向き直った。
「では、話の続きをしてよろしいでしょうか?」
「あ……は、はい」
おっかねぇ。―――受付のイルゼと話すその横顔を眺め、オレとヒルティースは頬を引きつらせて頷き合う。
神官服を着ていることからして、たぶん神官戦士。それもそうとうな使い手だ。こういう手合いは関わり合いにならない方がいいと、冒険者になる前のどうしようもない悪ガキだったオレたちが言っている。
逃げよう。目をつけられる前に。
ヒルティースと一緒にゆっくり下がる。決して背中を向けず、なるべく刺激しないように、目をつけられないようじりじりと後退していく。熊とかと出会った時はこうするもんだって大部屋の先輩冒険者から教えてもらった。
けれど聞こえてきた話の内容にオレたちは、その判断が間違っていたことを知る。
「依頼内容は人捜し。三ヶ月と少し前にニビトイの村からこの町へ来た、キリという九歳の少年の捜索をお願いしたいのです」
イルゼの視線が、オレたちへ向いたのだ。




