悩みと、悩みのなさそうな人
人の役に立つ実感が得られるから。
リルエッタは七つの船の船員と交渉し、その内三つの船と契約してきた。
網が痛むから狙いたくないところを、偶然かかったものだけでいいからと交渉して回ったらしい。目標は五匹なので、そのやり方でも十分ではあるのだろう。
それでも半分以上の船に断られたのは、取引をしているところを見られるのが恥ずかしいからだそうだ。やはりスピアフィッシュは外道だから、揚げたというだけで不名誉になるらしい。
「明日、朝市が終わった後に取引することになったわ」
リルエッタはそれだけを言って、それ以上はなにも言わなかった。
けっこう難しい交渉だっただろうに、ぼやきも自慢もせずに冒険者の店へと戻る。僕にもなにも言ってこなかった。
彼女は選択肢をくれているのだと思う。そして、考える時間も。
―――今の状況は、整理すれば単純なことなのだ。
元々僕は商人になるために町へ来ていた。
それを知った彼女は、自分なら職を紹介できると思い至った。
……たったこれだけの話。
もちろん僕が歳を誤魔化していることや、親がいないこともあわせて考えてくれたのだろう。それで危険な冒険者より、商人として安全な場所で働いた方がいいって結論になったのだと思う。
だから、もし僕が冒険者を仕方なくやっているのであれば、どうしても商人になりたいと考えているのであれば、彼女は職を紹介してくれる。
けれど……今の僕はそうではない。
むぅ、と歩きながら腕を組んで考える。
三人で一緒に歩いてるけれど、なんだか気まずくって会話はない。それが考えを整理するためには嬉しい反面、ちょっと寂しい気持ちもある。
読み書き計算ができるなら商人がいい。
そう言われて、自分でもできるかもと町へ出てきたのは事実だ。けれどリルエッタの商人の姿を見ると、本当にできるかどうかはちょっと分からないなって思ってしまう。
僕はリルエッタほど話はうまくないし、難しい交渉を笑顔でこなせないし、一人に断られたらすぐに頭を切り替えて次へは行けないと思う。……まあ、リルエッタは僕は商人に向いていると言っていたから、頑張ればできるようになるかもしれないけれど。
―――いや、違うのか。これはそういうのではなかった。
できるからとか、できないからとか、そうではないのだと思う。
「やあこんにちは、三人とも。今日はもう終わりかな? 今時間はあるかい?」
考え事をしながら冒険者の店の近くまで来て、不意に声をかけられたから驚いてしまった。
振り向くと明るい緑色の髪の、キラキラした鎧を身に纏った戦士が手を振っていた。……けれどなんだろう。後ろに見えるドワーフと神官の姿はいいとして、彼らが引くロープで縛られた強面の五人は。
「ああ、あれかい? ちょっとダルダンの酒蔵に入ったドロボウ退治をね。どうやら以前恨みを買った裏組織の残党だったみたいだけど、まあ嫌がらせくらいしかできない人数と腕だから大したことはなかったさ。ちゃんと穏便に話し合ってお縄についてもらったよ」
「あのー、ドロボウさんたち、顔とかボッコボコに見えるんですがー?」
「? 穏便だろう? ちゃんと生きているし」
おずおずとしたユーネの指摘に、あれ? と首を傾げるペリドット。
さすが海猫の旋風団だ。常識がない。
「まあ彼らについてはもう衛兵が来るのを待つだけサ。すまないね、あんな仕事はさっさと片付けて君たちに会いたかったんだけど、少し手間取ってしまった。……先日はテテニー君が迷惑をかけたらしいじゃないか」
どう見ても取り込み中なのに、わざわざ僕らに声をかけたのはその件らしい。
テテニーから事情を聞いたのだろう。ペリドットは常識はないけどスジは通す人だから、一言謝りたかったのか。
「彼女、人見知りだけどさみしがり屋だろう? つまり気を許せる人が少ないのに、気を許せる人がいないとダメになってしまうんだ。だから仲間のことになるとちょっと見境がなくなるというか、視野が狭くなる性質でね」
そうだね。……うん、そうだね。
あっちで縛られている人たちは、海猫の旋風団の一員であるダルダンの酒蔵に入ったドロボウだったらしい。であるなら、そういう性質のテテニーを彼らを捕まえる作戦に組み込んだら、そりゃあやり過ぎるのは目に見えている。
今でさえボコボコなのに、テテニーがいたらもっと酷いことになっていただろう。
あの満月の夜の兎獣人を思い浮かべれば……うん、きっと殺してたんじゃないか。
ならテテニーは僕らについてきて正解だった。
「僕のためにやってくれたことだから、大丈夫です。大事にもならなかったし」
うっかりネティエペを殺しちゃうところだったけれど、結局は丸く収まったし、僕自身はあの件で嫌な思いはしていない。だからペリドットが謝るならシェイアなのだけれど、それもすでに貸しという形で終わっている。
だから、大丈夫。
あの出来事がなければ、僕はシェイアの事情も知れなかっただろうから。
「とは言ってもぼくには実は、彼女に君たちに構ってもらうよう言い含めた責任があるんだ。ハイそうですかと引っ込むわけにはいかないよ」
「それ聞いてないわ」
「初耳ですねー」
「僕も初めて聞いた」
三人とも知らなかったのだから言われてないのだろう。
僕らが胡乱げな目で見上げると、長身の戦士は長い髪をかき上げてフフンと笑う。
いつもとは違って、ちょっと困ったような笑い方だ。
「交友関係が狭いテテニー君にとって、君たちのそばは海猫の旋風団の次に穏やかに過ごせる場所なのだよ。……いや、穏やかになるのはぼくたちの心の方もだけれどね?」
僕らと一緒なら兎獣人の不安定な部分が出る事態にはならないだろうと、気楽に預けてきた感じだろうか。
普段であればそうだろう。そして、テテニーの性質を知っておきながら一人にしておきたくない理由も分かる。
けれど、それならそれで事情くらい―――話せないか。けっこう重い話だもんな。僕だってあの場にいなかったリルエッタとユーネには、兎獣人の歴史の話なんてする気になれない。
「そういうことだから、彼女がおこした迷惑はぼくも同罪だ。これはまた貸しにしておいてほしい。いずれ必ず返すよ」
「いえ、本当に大丈夫です。気にしないでください」
あの時はたしかに困惑はしていたけれど……ネティエペの魔術、テテニーの戦い方、獣人たちの話、なぜ僕が魔術を学んではいけないか。
そういった収穫はたくさんあった。だから、ここでさらに貸しになんてできない。
ただ正直……あまり押し問答の長話はしたくない。
リルエッタとユーネはたぶんこの話題、強引に島へついてきた話だと思ってるはずだ。そしてペリドットの方はといえば、シェイアの口止めがあった以上、テテニーはかいつまんだ説明しかしていないと思われる。
よし、ボロが出る前に切り上げなきゃ。
「……えっと、でもそういうことなら、聞きたいことがあるので質問していいですか? それでこの話は清算ということで」
「そんなことでいいのかい? もちろん。なんでも答えるとも」
まあこんな話、たぶん貸し借りとか関係なく聞けば教えてくれそうだけれど。
「ペリドットさんはどうして冒険者をやってるんですか?」
僕の質問に、キラキラの戦士は少し驚いたように眉を上げる。そうして、むぅ、と考え込むように口元へ手を当てた。
……なんだろう。即答で返ってくると思ったのに。
「―――普段であれば、理想の自分を追い求めるためと答えるのだけれどね。うん、これは貸し借りの精算なのだし、より正確に答えなければならないな」
「いや、その答えで十分です」
やめてほしい。なんかただならない気配だけれど、この流れで重々しい話にしたくない。というか聞きたくない。いろいろ考えることがありすぎてもうお腹いっぱいだから、この人の深刻な話とか出てきたらお腹が痛くなると思う。
「理想の自分を追い求める、いいじゃないですか。素敵だと思います」
「うん。でも、本当は違うんだ。そう、本当のぼくはね―――」
いらないと言っているのに、ペリドットは少し視線をそらし、遠くを見ながらその続きを口にする。
「ぼく自身の理想を超えるほどカッコよくなりたいのサ!」
ビシィ、とポーズをとって。
「そもそも頭に思い描ける理想止まり、というのが面白くない。もっとこう、今の自分では思いも寄らないような、まさかこうなるとは思わなかった、ってくらいの躍進がほしいところなのサ。まあそりゃあ、悪の親玉に攫われた姫を助けて王様になるとか、凶悪な邪竜を倒して祭り上げられるとか、そういう陳腐な物語も嫌いではないとも。けれどやはり冒険者をしているからには、世界の神秘や幻想に迫るような、未知の驚きや喜びに胸を高鳴らせるような、もっともっと誰にも想像できなかったようなすごい体験をして己の殻を破り、常人では想像もできないほどの高みへと自らを誘うのが―――」
「あ、それ以上はけっこうです。参考になりました。ありがとうございます」
長くなりそうなので途中で遮ると、ペリドットはまた別のポーズをとる。
「フフン。たしかに少し、キリネ君には早い話だったかもしれないね」
あと何年かたったら僕にも分かるようになるのだろうか。
そのときはぜひもう一度話し合いたいけれど、そのときペリドットは今のままでいてくれるのだろうか……。
この人はずっとこのままかもしれないな。
「前に、ぼくはキリネ君に言ったね? 君はぼくを目指すといいと」
「え、あ……はい」
不意にそんなふうに聞かれて、僕は少し面食らいながらも頷いた。
たしかに言われたことがある。初対面の日に言われたのだから、ほぼ二ヶ月前だ。戦闘訓練をしているときは、今でもその言葉が脳裏に浮かぶ。
そして……ペリドットよりも上へと目を向けた、あの夜を思い出すのだ。
「そう言ったのは、君に目的がなさそうだったからサ。目指すものがあれば上を向きやすいだろう?」
……あの時にはもう、僕のことを見通している人がいたわけか。
僕は本当になにもなくて、だからこの人は前に立ってくれた。
「けれどもしキリネ君がぼくではなく、キリネ君自身の理想を追い求めるのなら……そのときは、まず理想を思い描かなければならない。ならできるだけ大きく、高い理想を掲げたまえ」
ペリドットは……太陽の輝き宿すペリドットは、フフンと笑う。
「なぜなら、その方が絶対に楽しいからね」




