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ヴァージンロードを一人の女性が歩いていた。
濡羽の黒髪に灰色の瞳。純白のウェディングドレスとの対比が美しい。その両耳と首元を、誰が見ても最高級とわかるサファイヤが飾っている。
だがその光景はどこか異様だった。神秘的なまでに美しい女性は、父親を伴わず、一人でヴァージンロードを進んでいた。
その先には神父はおろか、新郎すらいない。
女性は道を進みきると神の御前に膝をついた。その場に同席することを許された三十人弱の招待客には、彼女が何を思っているかちゃんと分かった。
――――祈っている。
彼女はつい一週間ほど前までまるで抜け殻だった。
話しかけても返事をしない。立ち上がれなくなるまで空腹に気づかない。喜怒哀楽をどこかに置いてきたみたいに、外界の出来事に一切反応しなくなった。
そんな彼女の魂を取り戻したのは貴族の間で有名な少女だ。
平民と公爵令嬢という身分差でありながら、その女性と互いに親友だと言ってはばからなかった少女が、あわや次期王妃から降ろされそうになっていた彼女を救った。
招待客の一部は、今日この場に集うことを躊躇した。
なんたって、その女性が結婚するはずの男は今行方不明。それも生死不明で、この先何百年経とうと帰ってくる保証はない。
しかし国王は彼を王太子から下ろさなかった。自分が健康である限り何も変えないと宣言して、女性の立場も守った。
そして今その女性が、長い祈りを終えて顔を上げた。桜色の唇から言葉がこぼれる。
「結婚、してくださるんでしょう?」
とても小さなその音は、ほんの一部の人間の耳にしか届かなかった。
最前列で女性を見守っていたその兄や父親は悲痛に顔を歪ませた。兄の肩に乗った白蛇も、その円な瞳から一滴の雫を落とした。
女性が一つ息をついて、それでも背筋をピンと伸ばして立ち上がった、そのときだった。
ガラガラガッシャン。
文字にするならそんな音が式場の外から聞こえてきた。無視できない音量かつ場にそぐわないその音に、全員が扉を振り返る。
――――誰かくる。
会場に緊張が走る。この場には国王や王妃もいる。
紺色の髪の兄妹が剣に手をかけた。
だが、続けて扉の向こうから聞こえたのは、全員がよく知る声だった。
「おい! 今日は何月何日だ!」
その瞬間、女性は息を吸うのを忘れた。
「っ、……っ」
覚束ない足取りで段差を降り、体中の水分を目から出すみたいにしゃくり上げながら、力の限り声を張り上げた。
「殿下ぁっ!」
壊れそうな勢いで扉が開く。金髪に群青の瞳を持った男が、いなくなったあの日と全く同じ格好でそこにいた。
彼は正面の女性を目にするなり、無我夢中で叫んだ。
「レベッカッ!」
金髪の男が駆け出す。ウェディングドレスの女性が転びそうになりながら駆け寄る。
ヴァージンロードの真ん中で、二人はぶつかるみたいに互いを抱きしめた。
女性が自分の涙で溺れそうになりながらその体に縋り付く。
「もう、会えないかと、思ったぁ……!」
「ああ悪かった、そんなに泣かないでくれ……。ちゃんと準備をしてくれたんだな。間に合ってよかった、ありがとう」
「間に合ってないっ! 遅刻です、ひどい、末代まで祟ってやる……」
「俺が悪かったから、自分の子孫を祟るのはやめてくれ」
男が女の顔を持ち上げ、壊れ物を扱うみたいに慎重に涙を拭う。そして微笑む。
「レベッカ、すごく綺麗だ」
女がますます声を上げて涙を流し始めたときだ。
男の後を追いかけるようにして、赤い髪の男性が式場に入ってきた。右手で学園の制服を着た青年の首根っこを掴み引きずっている。
未だ涙が止まらないまま、女性が彼に気づく。男はその場に右手の荷物を放り投げてから二人に近づいていった。
女性が男の手を握りしめる。自分の額にくっつけ、涙を流す。
「ありがとう……っ」
「礼なんていい。それより、ウエディングドレス似合ってる。幸せにやれよ。俺はそれだけでいい」
男は女性の頬を一度撫でて、それで去ろうとした。だが女性は彼の手を離さなかった。離せばまた会えなくなってしまうと分かっていた。
女性の肩に手を置き、金髪の男が彼に向き直る。
「俺が戻って来られたのはあなたのおかげだ。その功績で二十年前の罪は限りなくゼロにできる。それこそ、王太子妃と親交があっても問題ないくらい」
赤い髪の男はぱちくりと瞬きした。彼の手を握る女性もその傍らの男も、小さいときから見守ってきた、彼にとっては自分の子どものような存在だ。
そんな二人のこれからを想像して、男は軽く頭を掻いた。
「あー……レベッカもルウェインも危なっかしいし、もう少しここにいるか。二人の子ども見てぇし」
じいちゃんとか呼ばれんのも悪くない、と男が呟けば、女性は咲き誇る大輪のような笑顔を見せた。
今度こそたくさんの人から笑顔で「おめでとう」をもらって、女性はヴァージンロードを歩いた。
隣には実の父、反対の隣にはもう一人の父親代わりの赤髪の男。
招待客の席を見れば、銀髪の親友と濃紫の髪の親友が、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
そしてヴァージンロードの先では金髪の男が、これ以上ないくらい幸せそうに、女性を見つめている。
女性は幸福に頬を染めた。
その日、王国で一番幸せな夫婦が生まれた。
これにて第二部完結です。最後まで読んでくださった皆さまに心からの感謝を申し上げます。
いただいた感想はとても嬉しく全て読んでおります。ちまちま返信させていただきます!
第三部はあるとしてもまたずっと後になってしまいそうなので、ひとまずここで完結です。
このお話で得難い経験をたくさんさせていただきました。本当にありがとうございます。
また別の作品でお会いしましょう!




