77:刻まれる執念
「アイリス、一体何が起きている?」
クレイは部屋を出てすぐに駆け出すアイリスに、情報の共有を求めた。
「わかりません。……端的にいうならば、アクティス様のお部屋で、何かが起きていて……それに、セルレティス様が、関わっているということ……だけ、です」
「……なんだと?」
息を切らしながら述べられた内容からは、不穏な響きが感じられた。
「セルレティス様が……?」
アイリスは続ける。
「わたくしには、何も、わかりませんでしたが、ティア様は……何か良くないものを、感じ取っていらっしゃる、ようでした」
アクティスへの食事の指示をしつつ、『応援を』と一言囁いたのだと説明する。
クレイ達がエントランスホールを抜け廊下に出ると、すでにピリリとした空気が漂っていた。
(……なんだ?)
「こちらです」
アイリスが促し、角を曲がったその直後。
ふわりとした柔らかな空気と、清廉な輝きにも似た何かが、二人を包み込む。
(これは……祝福の衣!)
前方に、人影が見えた。
聖女ティアとその護衛、それと、扉に手を掛けた騎士、セルレティス――
◇◇◇
ガチャリ、と扉を開くと同時に部屋から溢れだした冷気が、ティアの頬をチリチリと撫でていく。
「……貴女はいったい誰?」
ティアの声に、ゆっくりと振り返るセルレティス。
「誰か、とな?」
先ほどまでとは違う口調と、地の底から這い上がってくるような声に、ティアは思わず後ずさる。
(――何?)
両手を口に当て、一歩、二歩。
振り返った顔は、確かにセルレティスのものだ。しかしその顔の左側半分ほどに、黒い紋様が浮かび上がり、僅かに蠢いているようにも見える。
「また会いましょうと告げたはずだが……白き器よ」
そう言った途端、それまで美しく輝いていた金色の髪が、見る間に黒く染まってゆく。
(――っ!)
「月の……魔女……!」
「そう、呼ばれることもあるな」
隣に並んだ護衛が間に入ろうとするが、魔女が無造作に手を振っただけで、弾き飛ばされてしまった。
「!」
思わずティアが手を伸ばすと、魔女が笑う。
「人の心配をしている余裕があるのか?」
そう言って、スッと横に身体をずらす。
今まで見えなかったアクティスの部屋の中が見えるようになる。
「あ……」
黒い、黒い靄。その中に、うっすらと人影があった。
それは、蹲ったまま、小さく呻いている。
「……う……」
「……アクティスっ!?」
思わず駆け寄ろうと足を踏み出したその時、後方から叫び声が聞こえた。
「いけません! ティア様!」
「だめです!」
応援にやってきたアイリスとクレイの声に、ティアはハッとして、振り返る。
「邪魔だ」
ティアの真横を、黒い光が走っていく。
瞬時にクレイがアイリスの前に出るが、バンッという音と共に、二人は廊下に叩きつけられた。
「――やめてっ!」
ティアの悲痛な声が、廊下に響く。
(どうしよう……どうしたらいい?)
「……もう一人、来るか……いや、二人か?」
魔女が呟く。
その視線の先に、丁度廊下の角から銀色の影が現れた。
「これはこれは。……なんと都合のいい」
ティアの顔と、部屋の中のアクティスを見やり、クスリ、と笑みを浮かべた。
「――! クレイ!?」
オーケヌスは、廊下の端にアイリスを庇う形で倒れ込んだクレイを見つけて駆け寄る。
「……ティア様を……」
癒しの術をかけようとしたオーケヌスを制して、アイリスが苦しげに口を開き、アクティスの部屋の方を指差す。
オーケヌスは頷き、アイリスの指した方に顔を向け
、立ち上がる。
一方ティアの方もオーケヌスの様子に気がついていたが、目の前の魔女への恐怖に加え、部屋の中で蹲っているアクティスの様子も気になり動けずにいた。
「……てぃ……あ……」
微かに聞こえたアクティスの声に、ティアはハッとして、部屋の中に視線を移す。
「きちゃ……ダメ、だ……」
「まだ抗うか。……認めてしまえば良いものを」
入り口に立つ魔女の瞳がアクティスに向けられ、嘲笑うかのように細められる。
それから廊下に向けて左手をスッとあげると、魔力の塊をバンバンッと数発、床に向けて打つ。
「殿下っ!」
「……大丈夫だ! 待っていろ、すぐ行く!」
牽制か、目眩しか、放たれた魔力が床を破壊し、オーケヌスの足を止める。
「さて……」
そう呟き、ゆったりとした足取りで部屋の中へ入っていく。
周りに渦巻いていた靄が、その背中に収束していくのが、ティアの目に映った。
蹲るアクティスのすぐそばにかがみ込むと、アクティスの顔に手を掛け、ゆっくりと持ち上げる。
顎のラインで短く切り揃えられた淡い灰色の髪がサラリと流れ、それまで見えなかった顔が露わになる。
青紫の瞳の奥に、暗色が宿っていた。
魔女を拒絶しようとあげられた右手に、黒い何かが這っていることにティアは気付く。
(――!)
ティアは、声にならない悲鳴をあげると、足を一歩引いた。
「さぁ……愛しい聖女様が、貴方を迎えにきてくれましたよ」
「ぐ……っ」
アクティスの昏い瞳が、ティアを捕らえた。
それは熱を孕んだようにゆらゆらと揺れ、いつも見せる少年のような光は、どこにも見当たらない。
(……そうだ、聖なる癒しを……)
震える両手を握り締め、覚えたての癒しの呪を紡ごうと、口を開いた直後。
「――っ!」
アクティスは唐突に立ち上がり床を蹴ると、そのままティアとの間合いを一気に詰めてきた。
ティアは思わず、恐怖にギュッと目を閉じる。
ガッ!
(……?)
衝撃を覚悟したはずが、何も起こらない。
不思議に思ってそうっと目を開けると、目の前に広い背中があった。
「……何が、あった」
広い背中の後ろで、ティアはオーケヌスの声を
聞く。
「……うる……さい」
ギリギリという金属音に紛れて、アクティスの声も聞こえた。
「其方は、彼女の専属護衛ではないのか?」
「……あ……貴方が悪いんだっ!」
アクティスが吠えた。
一度は収束した靄が、再び彼を取り巻く。
「貴方がっ! ……貴方が彼女をっ!」
ギンギンッ!
アクティスに押されたオーケヌスが、半歩下がる。
その時ティアの耳に、声が届いた。
――ティア。よく聞いて。彼を抑える方法が一つだけある
(レイお兄ちゃん)
――ティアの癒しの術に、テティス神の力を載せるんだ……できるね?
(やってみる)
でも先に、とティアは守護の呪を紡ぎ出す。
(……殿下を守らなきゃ)
ティアはそっ、と目の前の広い背中に触れた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回更新は火曜日昼です。




