2:月の魔法
魔法陣の上に力なく崩れ落ちた白銀の聖女を見下ろし、セルレティスはふるふると頭を振った。
先程仕掛けた、魔力に反応して起動する罠をその場で分解し、回収する。後は、誰にも気づかれないうちに処理を終えるだけだ。
彼女は、誰も使えない魔法を扱うことができる。光と闇の両属性を持って生まれた事でもたらされる『月の祝福』。その存在はとても稀有で、長い都の歴史を調べてみても、数例しか記録に残っていない。
その特別な資質を持つものしか習得することの出来ない魔法があり、さらにそれを扱うには、高い魔力をもっている事が条件だった。
彼女はそのどちらも持っており、加えて高い聖属性も持って生まれたことから、次期聖女候補でもあった。
……とある事件により、その資格を失ってしまったのだが。
それも、稀有とされる『月の祝福』を持ったが故に、引き起こされた事件だった。
表向きは、彼女自身が聖女候補を辞退した、という形にはなっているが、実際は聖女となるために必要である聖属性を封印されてしまい、その役割が果たせなくなってしまった事が原因だった。
幼子であった為、恐ろしい体験をした心の傷が深く、暫く誰とも会おうとはせず部屋に篭りきりで過ごしていた。家族からは腫れ物に触る様な扱いをされ、かえって孤独感を強くしてしまっていたが、唯一変わらずに寄り添ってくれた同じく聖女候補で幼馴染のミオティアルの事は信頼していたようだった。
今は、並外れた高い魔力と男性をも凌ぐ身体能力を買われ、都の一の姫であるトゥエリラーテの護衛をしているが、これもまた、次期聖女になる事が決まっていたミオティアルからの提案がきっかけだ。
感謝は、していた。ずっと寄り添っていてくれた事も、後を気にかけていてくれていた事も。
ただある時から、いつの頃の事だったのかは明確に憶えていないが、彼女に向ける感情が変わってしまった。それが一体なぜなのか、何がきっかけであったのかも、セルレティスには分からなかった。
セルレティスは言葉を紡ぐ。
光と闇の間にあるもの 我が身に刻まれし印
我の意に従い 力を解き放て
頭からすっぽりと被ったフード付きの黒いマントをするりと外すと、シャラリと音を立てて金色の髪が溢れ、背中の大きく開いた光沢のある黒いロングドレスと白くしなやかな肌が露わになる。同時に、その背いっぱいに刻まれた複雑な印が、黒と金に輝く。
(後悔なんてないわ。……私は、祝福という名の呪いを受けた子なのだから)
月よ 彼の者の自由を奪い 結界に封印せよ
封印の地は 我が手の中 我の望む所
誰も知らぬ場所 誰にも見えぬ場所で
誰にも邪魔される事なく 永き眠りにつけ
セルレティスとミオティアルを中心に、黒と金の魔力が渦巻く。
「ぐ……っ」
魔力の渦に負けじと、噛み締めたセルレティスの口から、赤い雫が流れる。証拠を残すまいと袖口で拭うと、さらに魔力を込めていく。
倒れたミオティアルの身体が浮かび上がり、渦巻いていた魔力が、その身体を包み始める。
初めは黒と金の混ざったような色だったものが、次第に黒く染まっていき、白い彼女を塗り潰していく。
やがて真っ黒に染まった魔力は、段々と小さくなり、シュッという音を最後に、何も残さず消えた。
彼女が扱う、『月の祝福』の魔法。
その存在すら誰も知らない、禁忌の法。
「はぁ……はぁ……」
手足が震えている。思っていた以上の魔力を消耗したようで、身体から力が抜けていく。その場でがくりと膝をついた。
(だめ、ここで意識を失っては)
そう思うものの、どうやら消耗したのは魔力だけではなく生命力も削られているらしい。
(とりあえず、ここから出なくては)
一か八かでもう一度、魔力を引き出す呪を唱えると、僅かに背中に輝きが灯る。
月よ 闇に紛れて我を運べ 我が帰るべき地へ
セルレティスの身体がゆっくりと浮かぶ。黒い風が吹き、彼女を中心に小さな渦をつくると、音もなくかき消えた。
後に残るのは、白く輝く巨大な魔法陣と、全てを見ていた月のみだった。