0:卒業と旅立ち
(ローファー、走りにくい! 早く追いつきたいのに!)
はぁはぁ、と息を切らし、制服姿の少女が長いポニーテールを揺らしながら走る。
結び目には、銀灰色の細いリボン。
目指すは、今日高校を卒業する、大切な親友の元。
少し先の曲がり角に、黒く艶やかなロングヘアが、シャラリと吸い込まれるのが見えた。
(見つけたっ)
腕を大きく振り、グンっとスピードを上げる。
「那月っ!!」
「……ちょっ……澪里?!」
やっとの思いで親友に追いついた澪里は、振り返ろうとした那月の背にバッと飛びつく。
「那月、卒業、おめでとう!」
「あ、ありがとう」
途切れ途切れに言葉をかける澪里に、……そんなに必死に走って来なくても、と、飛びついてきた身体をそっと離すと、乱れた澪里の髪や制服を自然な手付きで整える。
「……だって。那月、脚、速い、から……」
「……なにも今生の別れでもないでしょうに」
お家はすぐ隣なんだから、いつでも会えるじゃないのと那月は言うが、那月は卒業後に家を出る事が決まっている。
歴史の研究で有名な大学に通うためだ。
学校に通いながら、ある歴史を研究したいと話していた。
「最後の帰り道、くらい……二人で、帰りたかったの」
やっと息が落ち着いてきて、少し拗ねた様子で言う澪里に、那月は苦笑いしながら答える。
「……仕方がないでしょ。あの子達、しつこいのよ」
男女問わず人気者の那月には、ファンが多い。
さっきまでたくさんの卒業生、在校生に囲まれていたのを、やっとの思いで校門まで辿り着き、そこから逃げてきたところだった。
「……那月の一番の親友は、私なのに」
そう言って口を尖らせ、背の高い彼女の顔を見上げる。
那月は、空を見上げていた。
吸い込まれそうなほど晴れ渡った青空。
風は少し冷たさを感じるが、太陽は眩しい。
那月は、眩しさに手をかざしながら、どうして私なんかをそんなに追いかけるのかしらね。とポツリ呟く。
「那月は、素敵だよ? 勉強も、運動もなんでもできて、歌も上手だし、美人で、優しくて、私の憧れのお姉ちゃんで、自慢の親友なんだから」
どうにも自己評価の低い親友に、澪里は思いつく限りの褒め言葉を挙げていく。
那月は困ったような表情で、澪里をチラリと見やり、また空へと視線を戻す。
澪里とは一つしか歳が違わない那月だが、小さな頃からしっかり者で、頼りになるお姉ちゃんだった。
いつでも一緒だったし、保育園も、学校も、一緒に通った。
困ったことがあればいつでも手を差し伸べてくれたし、人より体の小さい澪里がからかわれることがあれば、立ちはだかって追い払ってくれた。
成績優秀な那月と一緒の高校に通いたくて、必死に勉強していた時には、澪里がきちんと理解できるまでずっと付き合ってくれた。
無事合格を果たした時には、泣いて喜んだのを、澪里は鮮明に憶えている。
(どう伝えたら、那月は自分の良いところに気がついてくれるのかな)
昔も今もこれからも、ずっと大切な親友であることをわかってもらいたい。澪里はいつもそう思っていた。
「そういえば那月は、歴史の研究をするって言ってたけど……」
二人で通い慣れた道を並んで歩く那月に、澪里が尋ねる。
「ええ。……今から千年程前の出来事と言われているのだけど、ある地方の民族のいくつかの家が、ごっそりと行方不明になったという記述が見つかったらしいの」
「……ごっそり?」
突然の信じられない話に、澪里は思わず立ち止まる。
信じられないでしょう? と那月は苦笑する。
「理由はいくつか予想されているのだけれど……。私は、どれも違うんじゃあないかと感じていて」
「何か理由があって皆で土地を移ったとか……」
とととっと小走りで那月の隣に再び並ぶと、首を傾げてうーんと唸る。
「そうね、それも一説として言われているわ。でも、それを含めたどの予想も、説明のつかない点があるの」
「だから、那月はそれを調査したいんだね」
気になったことはとことん突き詰めたい那月らしいなぁ、と澪里は思う。
「……というよりは……」
「……違うの?」
予想と違う反応に、澪里は目をぱちぱちとさせる。
「……どう説明していいかわからないのだけれど。なんとなく、それを調べないといけない気がして」
「……? それはどういう……?」
……わからないわよね。と、那月は曖昧な笑みを返す。
――ねぇ澪里。もしも、ここではない世界があるとしたら、行ってみたいと思う?
那月は、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
ずっと、燻っている想いがあった。でも、それを表に出せば、この優しい子は、きっとこころを痛めることがわかっていた。
だから、今は少しだけ距離を保って、何かに打ち込もう。
いつか、自分の中できちんと心の整理がついたら。
澪里の隣で、きちんと笑えるようになったら。
ちゃんとここに戻ってこよう。
そう、決めていた。
それに、気になっていることもある。
那月と澪里がまだ幼い頃、ある事故があった。その時に亡くなった少年の家族が、ある宗教を信仰していたのだが……。
その宗教の名前が、最近判明した行方不明の民族と関わりがあったようなのだ。
那月は、どうしようもない何かに引っ張られるように、その事件について調べ始めた。
調べれば調べるほど、気になることが増え、自分のできる範囲では資料が足りない、と、引き寄せられるように進学先も決めた。
――絶対に、突き止める。
自分でもよくわからない情熱に突き動かされていた。
でも、澪里には全てを話さないつもりだ。
幼いころの事故については、彼女にはあまり思い出してほしくなかった。
きっと澪里も、ずっと心の内にしまっておきたいだろうから、と。
――何より思い出したくなかったのは、那月自身なのかもしれない。
那月は、これ以上話が掘り下げられる前に、と会話を切り替える。
「澪里は、正式に演劇部の部長になるんでしょう?」
「え? う、うん。私がみんなをまとめられるかはわからないけど」
澪里は急な話題転換に戸惑ったようだが、話に乗ってきた。
「大丈夫よ。……澪里は責任感があるし、演技力も素晴らしい。でもそれだけじゃなくて……」
「……?」
那月は澪里の顔を覗き込み、その瞳をひたと見据える。
「澪里には、みんなを引き込む力があるわ。だから、自信を持って」
ずっと頼ってきた那月という存在から離れることを、澪里は不安に感じていた。
それをわかっていて、那月は懸命に励ましてくれているように思えた。
「……たまには帰ってくるわ。うちの高校には、貴重な資料もあるし。だから……いい子にしてるのよ?」
そう言って『お姉ちゃん』の顔を浮かべた那月は、小さな頃よくしたように澪里の髪をスルリと撫でる。
そうして二人はふふふっと笑い合った。
那月が、この街を発ったのは、一週間後。よく晴れた、まだ少し肌寒い三月の終わりの朝。
それから数ヶ月後に起こる事件が、二人の関係を大きく揺るがすことになろうとは、この時の澪里は知るはずもなかった。




