99:心の現在地
右肩に一房流された銀灰色の毛先を右手で弄びながら、伶夜はフッと笑う。
クレイの手によって整えられた衣服と、何やら変わった形に結われた髪。
(……それにしたって警戒しすぎなんじゃないか? 僕が本気でティアに対して何かすると思ってるんだろうか)
随分とオーケヌスに対しての忠義が厚いのだな、とも思う。
(――そもそも今のティアは、僕が触れること自体が危険かもしれないのに)
初代王の記憶は、伶夜に告げた。
伶夜がそうであるように、ティアの魂にもまた、初代王妃リュティシアの記憶が刻まれている。と。
何がきっかけで、その蓋が開くのかわからない。
(――果たして本当にそうなのだろうか?)
確かに、ティアの魔力のおかげで眠っていた自分が目覚めたのは、そういうことなら説明がつくが……。
(でも、何かが違う気がするんだよね)
特殊なのはティアではなく。
ノクトと、リュティシアの魂だ。
伶夜は、鏡の中の自分の姿を見つめる。かつて日本で暮らしていた自分より、だいぶ大人になっていた。
ティアは伶夜の姿を知っているから、この姿を見れば、すぐに入れ替わったとわかるだろう。
(できることならすぐにでも会いに行きたいし、なにより……この手で、この腕で、彼女の恐怖も、不安も、全て……包み込みたい)
ノクトの記憶が、様々な事実を突きつけてくるせいで、伶夜の感情は複雑なことになってしまっている。
(それでも……できることをしなくては)
自分の中に初代王の記憶があるとしても。その初代王が目的を持っているのだとしても。
ティアの中に、初代王妃であるリュティシアの記憶があるのだとしても。
伶夜自身が、ティア――澪里を大切に想っているという事実だけは、変わらない。
(……宿命なんて、クソ喰らえだ)
沈んだ心を弾くように、肩にかかった髪をピンッと払い、姿勢を正す。
リュティシアの名と、都と魔女サイラの情報。
これらが自分の中に刻まれた、千年前の記憶の蓋を開けてしまった。
その結果、記憶と共に眠っていた本来の魔力も、目覚めてしまった。
伶夜の魂に刻まれた、リュリュイエの初代王、ノクト=アエテルヌス=ネプトゥヌス=メルグリアの、圧倒的な魔力。
今のオーケヌスでは、到底太刀打ちできるものではない。
このまま、オーケヌスが眠ったままになってしまうとしたら。
伶夜はノクトとして、女王とリュリュイエの神に挑まなければならなくなる。
……ノクトの意思が、強すぎる。
(まだだ……まだ、早い)
オーケヌスとティアには、もう少し頑張ってもらわなければならないと、伶夜は考える。
二人が今読み解いている、ミオティアルの研究。
そこに何かヒントがあると睨んでいた。
ティアを元の世界に帰すという伶夜の願いと、ノクトの目的。
伶夜の中で、二つの意思がせめぎ合う。
ギリリ、と奥歯を食いしばる。
(僕は、僕だ。……呑まれるわけには、いかない)
「ティアは、大丈夫そうかな?」
伶夜が使いから戻ったクレイに笑顔で声をかけると、クレイは複雑な表情で答える。
「……侍女のアイリスによると、自分は大丈夫だから、殿下を呼ばないようにと言ったらしい」
「……」
(なんともティアらしいな)
伶夜は顎先に人差し指を当て、しばらく考える。
左右にゆらゆらと動く頭に合わせて、銀の糸が揺れている。
(ティアの大丈夫は、大丈夫じゃないことの方が多そうだからなぁ……それとも、王子様に負担をかけたくないとか……)
「……それと」
「うん?」
「ティア様の想いは、先ほど届けたお茶に、と」
「……ふぅん?」
僅かに灰色の瞳が細められる。
「本当は自らが出向きたかったのだと思うが、殿下の心が落ち着く時間が必要だろうと、一旦距離をおくことにしたのではないかと話していた」
「……まぁ、ティアならありそうな話だ」
(それで結局自分は無理をすると)
伶夜は内心ため息を吐く。
「……じゃあ、その【王子殿下】が会いたいと言えば、来てくれるってことだ?」
ニコリと笑みを浮かべて言う伶夜に、クレイはなんとも言えない表情を浮かべる。
(騙して呼ぶ形になるが……良いのか……?)
「……呼んでもらえるかな。ティアのこと。きっと彼女なら、王子様を救うことができるよ」
そう言って、伶夜は椅子から立ち上がる。
「ところで。一つ聞きたいんだけど」
「……なんだ」
クレイの目が、警戒の色を帯びる。
そんな怖い顔しないでよ、と伶夜は苦笑いすると、綺麗な顔をコテリと傾げる。
「もし、すぐに王子様が目を醒さなかった場合、朝と晩の祈りの儀はどうするの? 僕はついていきたいけど、君、どうにかしてくれるの?」
ああ……とクレイは顔を顰めた。
「そうだな……雰囲気は似ていてもやはり同じではないからな……どうしたものか」
(そういえば、自立したがっていたな……あの発言を皆も聞いていたが……今なら一人でも不自然はないんじゃないか?)
考えを巡らせるクレイを、伶夜はジッと見つめる。
「……君、ティアの安全を最優先に考えているかい? 君の主は、そのように動いてるはずだけど?」
クレイは動きを止め、ギギッと伶夜の方に顔を向けた。
「……あんた、人の頭の中まで覗けるとか言わないよな?」
「それは流石に難しいけど。まぁ、この前の髪飾りの一件はちょっと面白かったけどね」
そう言ってニヤリと口の端をあげる。
「オーケヌスが不憫だ……」
クレイは思わず天を仰ぐ。
先日のティアの発言はもちろん伶夜も聞いている。今のこの状況を誤魔化すには、彼女の自立心を利用するのが有効だともわかっている。
しかし、安全が確保されなければダメだ。
伶夜からしたら、一人で儀式に行かせるなどということは検討にも値しない。
「……まぁ、まずは目の前の問題をどうにかしないといけないかな」
伶夜はそう言って窓の方を見る。
傾きかけた陽の光が、部屋の中に長い影を落とす。
日が沈み、月が昇ると、すぐに夜の儀式の時間だ。
それまでにどうにかしなくてはならないが……。
(まぁ、いざとなったら……)
コンコン
「クレイ様。……先ほどのお話ですが」
扉越しに、アイリスの控えめな声。
クレイは伶夜に少しそのまま待つように言うと、入り口へと向かう。
「ああ、アイリス、丁度良かった。……やはりティア様をこちらへ」
「……すぐ、でしょうか」
アイリスの、戸惑うような空気。
「すまない。これはとても大切な話で……」
クレイの沈んだ声。
「……かしこまりました。ですが……」
「――アイリス!」
「……ティア様? どうしてお一人で……リリアナは……?」
凛とした声が、伶夜の耳にはっきりと届く。
「わたくしは、大丈夫です。殿下がお呼びなのでしょう? ……大切な御用のはずですから」
迷いのない、真っ直ぐな声。
でもどこか、強がっているような。
伶夜の眉間に皺がよる。
(……どこが大丈夫なんだ)
「……ですが」
注意しないとわからない程度に、アイリスの声が震えている。
ティアの具合が心配なのだろう。
「さ、アイリス。……先ほどリリアナに頼み事をしたのですけれど……もしかしたら一人では難しいかもしれません。……お願いできるかしら?」
「ティア様……」
「……ね?」
かしこまりました。と答え、カチャリと扉が閉まる音がした。
(……ティア)
彼女の心が、今、どこにあるのか。
伶夜は一人、深呼吸をした。
いつもありがとうございます。
気丈に振る舞うティアと、
内心の葛藤を抱えながら最善の道を探る伶夜。
眠ってしまったオーケヌスを、
二人は無事に起こすことができるのでしょうか。
次回更新は火曜日昼です。




