一章『そして、彼は語り始める(7)』
――それは数年前の話になる。
その町の名前がまだ地図上にあったころ。1人の旅人がふらりとそこにやってきた。
「こんにちは」
まるで墨で染めたかのように真っ黒の髪の毛を有し、お世辞にも綺麗とはいえない格好で現れた旅人は屈託のない笑顔を浮かべてぺこりと頭を下げた。
旅人はまだ少年だった。年齢は10代の半ばといったところで、顔にはあどけなさが残っていた。そして、それが功を奏したのか、彼はすぐに町の人々に受け入れられた。
特に同年代の2人の少年と彼は急激に仲良くなっていった。
「旅をするのってどんな感じだ?」
燃えるような紅髪の少年が活発そうな笑みを浮かべて旅の少年に訊ねた。
「う〜ん。やっぱり自分の知らない世界をこの目で直に見ることができるってのは、おもしろいかな」
「そっかぁ。やっぱ俺も早く町を出たいぜ」
「出ればいいじゃん」
「簡単に言うなよ。それなりの決意ってのが要るだろ」
「まぁ……そうかもな」
旅の少年は小さく笑うと、もう1人の蒼髪の少年に視線を向けた。
「ひなたも旅に出ようって考えてんの?」
「ん〜……そうだね。僕たちはその日に向けて鍛えてるからね」
「その木刀か」
「うん。カゲは銃を使ってるんだ」
カゲと呼ばれた紅髪の少年は自慢の銃を取り出すと誇らしげに掲げて見せた。
「ふ〜ん。じゃ、ちょっとだけ稽古をつけてやるよ」
そんな旅の少年の挑戦的な瞳にカゲの中にある何かに火が点いた。
「偉そうに。返り討ちにしてやるよ、フブキ」
勝負はあっさりとついた。
カゲが発した銃弾はフブキに掠ることさえなかった。腹部に強烈な打撃を受けたカゲは、うめき声を上げて地面に倒れこんだ。
「すっげー!」
感嘆の声を上げたのはひなただった。フブキは片手を挙げてそれに応えると、倒れたカゲの頭を軽く叩いた。
「その程度じゃ、旅に出たところでどうしようもないんじゃない?」
「うるせぇよ」
咳き込みながら身体を起こしたカゲは、フブキをひと睨みして服についた汚れをはたく。
「次は僕の番だね」
ひなたが2人に近づいて木刀を構えた。フブキは小さく笑って、そんな彼と対峙する。
「いいよ」
少年が倒れるのに2秒とかからなかった。
フブキに手も足も出なかった2人の少年は、それから数日の間、彼から旅の話を聞いたり、武器の扱い方を習ったりして過ごすことになった。
初めて知る外の世界の出来事に彼らは興奮を隠せなかった。それと同時に、これまで以上に旅に出たい気持ちが強まっていった。もし、その後に“何も起こらなければ”住み慣れた町で、旅に出るか否かと迷いに迷っていた彼らの背中を押したのは間違いなくフブキとなっただろう。
さて、そういうこともあって、フブキの滞在期間はわずか3,4日というところであったにも関わらず、彼ら3人は希有の友人となったのである。
フブキの旅立ちの夜はすぐに訪れた。その日、3人はいつもの場所で談笑していた。
「もう行っちゃうんだな」
「ま、一つの場所に長居すると、世界を見て回りたいという旅に出た意味が失われちゃうからな」
フブキは荷物をまとめると、それを脇に置いた。ひなたはそんな様子を見ながら、彼のコップにコーヒーを注いだ。
「本来なら、ここらで酒でも飲んで別れたいところだが、後でばれると厄介だからな」
カゲは不服そうに唇を尖らせて、ひなたに自分のコップにもコーヒーを注ぐように促した。
「随分と厳しい家庭で育ったようだな」
「カゲんところの親は政府の役人だからね」
「うっわ。そんなお堅いとこの息子が放浪家になろうっていうのか」
「うるせぇな。あんな家で育ったからこそ、出て行きたくなるもんなんだよ」
カゲは悪態をついて苦々しい顔を浮かべる。
「それは少し、分かる気がする」
ひなたが最後に自分のコップにコーヒーを注ぐ姿を見つめながら、フブキはぽつりとつぶやいた。
「うちもさ、故郷はど田舎だったけど、うっとうしいくらいに過保護に育てられたからな。思い切って旅に出たのも、ある意味、そういう環境で育ったっていう反動だったような気がする。家庭の環境って、なんだかんだで自分の未来に結構影響あるのかもな」
「ふ〜ん……」
故郷のことを思い出してわずかに表情に淋しさを滲ませたフブキに気を遣ったのか、カゲは敢えて興味なさそうにそう言うと、わざとらしいほどに明るい声でコップを掲げた。
「ま、とにかく、これでお別れだ。最後は景気よく乾杯といこうぜ!」
その声に続いて、フブキがコップを掲げた。そして、最後にひなたがコップを掲げ、コン、という小さな音が鳴った。
「乾杯っ!」
別れの日、3人は笑顔だった。またいつか、笑顔で再会できると信じていた。
このときは。
3人とも――。




