一章『そして、彼は語り始める(3)』
「いただきます」
つい数日前までは誰かと一緒にいることが当たり前だと思っていた。さっきまでもひなたがいてくれた。
でも、今は1人……。
無論、ハム吉とは一緒だ。けれど、それは慰めにはならない。彼女は人のぬくもりを欲していたのだ。
ユキナにとってひとりぼっちでの食事は、彼女の記憶にある限りでは初めてのことだった。美味しいはずの料理も無機質な味に感じてしまう。機械的に食物を噛み砕き、嚥下し、胃に落としていく。
テーブルに運ばれた1人分の料理に手をつけながら、ユキナは暗い表情を浮かべたままだった。意識していないと思わず涙が零れそうで、彼女は必死に目の前の料理に集中した。
「ごちそうさま……」
並んだ料理をものの数分で食べ終えたユキナはそそくさと勘定を済ませる。お金を払って店を出ようとしたときに、ふと壁に貼られた1枚の手配書に視線が釘付けになった。
「どうかされましたか?」
それに気づいた店員がお釣りを手渡しながらユキナに訊ねる。ユキナは指をふるふると動かして、その手配書を指すと顔はそれを見たままで店員に聞いた。
「こ、この人のこと、何か知りませんか?」
「え?」
店員はユキナの視線を追い、そこにとある人物の手配書があることを認めると、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「私はこの人が“大悪党”である、ということくらいしか存じませんが……」
「そうですか」
ユキナは小さく頭を下げて店を出た。やや冷たい風が吹き、ユキナの頬をなでていった。
「大悪党……」
ユキナは足早に宿に戻ると、ベッドに文字通り倒れこんだ。ユキナの頭にあのときの映像が思い起こされる。彼女が信じたくなくて押し込めてきた出来事が、事実として彼女に降りかかる。
そして、ごちゃまぜになった思いを詰め込んで、ぽつりと一言漏らすのだった。
「お兄ちゃん……」
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「……」
ユキナが食事をとった場所。彼女は気づかなかったが、実は、そこに彼もいたのである。ひなたはユキナが“あの男”の手配書に興味を示したことに懸念を抱き、そっと彼女の後をつけた。
宿屋の前、ひなたは彼女の泊まる部屋をじっとにらみつけ、しばらくその場にたたずんでいた。彼には確信があった。自分がユキナをつけていたことが、きっと気づかれているであろう、ということについて。
行き交う人々が怪訝そうに彼に視線を向け、しかし“他人”とは関わり合いになりたくないのか、何の行動も起こさずに通り過ぎてゆく。大きな街になればなるほど、その傾向は顕著だった。小さな村では旅人は大歓迎されることがしばしばある。しかし、大都市で旅人が良い待遇を受けたなどという話は滅多に聞かない。
皮肉なもので、人が多ければ多いほど、他人との関係は薄っぺらくなるようだった。
それから、何十分という時間が過ぎた。
そのままの姿勢でユキナの泊まる部屋の窓を睨み付けていたひなたは、部屋の電気が消えたのを確認すると、一息ついた。それから手ごろな小石を拾い上げると、それを窓に向かって投げつけた。
小さな音がして小石が窓にぶつかる。彼の予感が正しければ、気づくはずだ。
彼女が、ではない。彼が、だ。
何やら小さな影が幾度か失敗を繰り返しながら、どうにか窓の鍵を開け、それから身体全体を使って窓を押し開けた。
ハム吉がひなたをじっと見下ろした。
ひなたはそれを確認すると、すっと両手を広げた。飛び降りろ、という指示だ。ハム吉はこくりと頷くと、そこから飛び降りる。
ひなたは見事にハム吉を受け取ると、両手に乗せたまま口を開いた。単刀直入な問いであった。
「彼女はいったい何者なんですか?」
「……」
ハム吉は、ふん、と鼻を鳴らすと、彼の手のひらの上に仁王立ちし、腕(前足)を組んだ。
「それを知ってどうする?」
「では、質問を変えます」
「……」
「あなたはいったい何者なんですか?」
ひなたは挑戦的な視線を向けた。喋るだけでも異常ではあったが、そこらの人間に比べて遥かに莫大な情報をその頭に秘めているらしい小動物に疑念を抱いたのであった。自分の正体を知り、さらに尾行をも察したであろうところから見て、只者ではないことは確かだった。
「俺は、元政府の諜報部隊0230だ」
「それはいったい?」
「簡単に言えば、情報収集のための作られた機械ってとこだな」
「……」
「お前も噂くらいは聞いたことがあんだろ?」
ひなたは小さく頷いた。事実、彼はそれについて幾らか聞いたことがあったのだ。
「はい、あります。政府はそういうものを大量に作って世界中に散らばらせているとかいないとか」
「そうだ。つまり、俺はこの世に溢れる賞金首や悪人の情報を集めたり、あるいは国の中心地から離れた街や村の状況を中枢に伝えたりするために、各地に派遣された類のうちの1つってことだな」
それでひなたは合点がいった。自分の正体にすぐさま気づいたことも、やけに旅慣れしているのも、それで説明がつく。
彼の目の前にいる小動物は政府によって生み出された高性能な存在なのだ。
「……そんなあなたが、なぜ彼女と共にいたのですか?」
「拾われたんだよ」
ハム吉は苦しそうに顔を歪めると、ユキナの眠る部屋に視線を向けた。
「元、っていっただろ? 俺は機械にはあるまじきものを持ってしまったから政府から切り離されたんだ」
「あるまじきもの?」
「ま、端的に言えば感情ってやつだな」
「感情、ですか?」
「そうだ。正確な情報を得るためには、一切の私情を挟んではいけない。それが政府のお偉いさんたちの意見だ。だからこそ、こんな諜報活動を俺みたいな機械にやらせている。それなのに俺は感情を持ってしまった。だから満場一致で廃棄処分に決まったよ。失敗作だって言われてな。まぁ最初は壊されるのも仕方ねぇか、とも思ったんだが、俺だって一応“生きてる”わけだ。そう思うと、ここで大人しく処分を待つのは嫌だな、って思ってな。それで脱走して、彷徨っていたところを運良く拾われたんだよ」
「そうでしたか」
ひなたはさらりと過去を語ったハム吉の頭を指の腹で軽くなでた。
「俺はユキナに拾われた。ユキナは帰る場所のない俺を拾ってくれた恩人だ。だから、先のお前の質問に答えることで、万に一つ、億に一つ、兆に一つでもあいつが危険な目に遭う可能性が出てくるならば、俺は答えたくない」
ハム吉はそんなひなたの指を払うと、憮然とした態度で言い放った。ひなたは眉ひとつ動かさずに静かに微笑んだ。
「よく分かりました。ありがとうございました」
ひなたはもう一度ハム吉をなでると、彼を地面に下ろした。それから、背を向けて歩き始める。
「ひなた」
「何でしょう?」
振り返らずに、ひなたは足を止めた。
「俺がもし、他の機械の奴らと同じならば、お前を見た時点で確実にユキナとお前を近づけようとはしなかったはずだ。だが、俺には感情がある。自分で判断することができる。俺にはお前が言われていたほどに――」
「罪は消えませんよ」
ひなたはゆっくりと振り返る。電灯に照らされた彼の顔は笑ってはいたがハム吉には淋しそうにみえた。
「今の僕も過去の僕も、全部ひなたであることに変わりはありません」
ひなたはそれだけ言って頭を下げると、そのまま夜の街に消えていった。
ハム吉は彼の背中を見つめ、わずかな可能性に賭ける。今また話をしてみても、彼にはやはり目の前にいる男が世間の一般認識とは違う気がしてならなかったのだ。




