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一章『そして、彼は語り始める(2)』

 しばらく歩いたひなたは寂れた喫茶店らしき店に入った。店主が彼にちらりと視線を向け、それから再び読んでいた新聞に視線を落とす。

 彼がここに入ったのは別に休憩するためではない。旅をしていると情報を得る手段は限られてくる。道中では、たまに新聞屋がバイクに乗ってやってくることがあるので、そこから情報を得るのがほとんどだが、町や村といった共同体内では別の方法を選ぶのが普通だ。

 それは大きく分けて2種類。情報屋と呼ばれる、情報の売買を商売としているものから情報を買うか、あるいは、ここのように一見、ただの不良のたまり場のような場所にいる個人の情報屋から情報を得るか、の2つである。端的に言えば、表の世界のやり方をとるか、裏の世界のやり方をとるか、である。

 そして、ひなたはとある事情から表のやり方はとりづらく、必然的に後者を選ぶことになっているわけだ。

「うかがいたいことがあるのですが……」

 ひなたは早速店主の前に立つと彼とは対照的に愛想の良い笑みを浮かべた。店主はうさんくさそうにひなたを見ると、新聞を閉じることなく小さく頷いた。

「この人たちについて、知りたいのです」

 ひなたが荷物から取り出したのは2枚の手配書だった。1枚には、燃えるような紅い髪の男が映っており、もう1枚には、闇のような漆黒の髪をもつ男が映っていた。

「……」

 店主は無言のまま、2枚の手配書とひなたの顔を見比べた。

「何か知りませんか?」

「聞いてどうする?」

 店主はここで初めて口を開いた。低くて重い声だった。

「それに答える必要がありますか?」

「……いや」

 店主は新聞を無造作に折りたたむと、後ろの棚から何かを取り出し、次いで湯を沸かし始めた。

「紅髪の方は数ヶ月前にここに来た」

「……それで?」

 店主が棚から取り出したのはコーヒー豆のようだった。彼はそれを適当に挽くと、ペーパーに無造作に乗せた。

「その黒髪と、それから蒼い髪の男について、知っていることを聞きたいと言ってきた」

「……」

 湯が沸いたのか、店主はやかんを手に取ると、それでコーヒーを淹れ始める。手順も何もない、ただ淹れられれば良いというやり方だったが、それによってコーヒー独特の香りが店内に充満した。

「ここは、ご覧のとおりでかい街だ。それなりに悪党の情報は入ってくる。だが、その黒髪と、お前が訊ねる紅髪、それから蒼髪についての情報は不思議なくらいにほとんど入ってこない。まるで政府側が意図的に何かを隠しているんじゃないか、と思うくらいにな」

 出されたコーヒーをひなたは口に含んだ。熱すぎるし、何より雑味がひどい。

 そもそもコーヒーの抽出に最適の温度は82度から83度辺りと言われている。沸騰したお湯でそのまま抽出するなど素人でもやらない。それに、あの豆の保存状態はどうだ。ただ棚に放り込んでおいただけではないのか。それから挽き方はあれで良いのか。それぞれの豆に適した挽き方があるのを、この男は知らないのか。

 ひなたは様々な文句をつけたい衝動に駆られたが、それを何とか抑えて、淹れてもらったコーヒーを申し訳程度飲み込み、それをすっと脇に寄せた。

「だから何も知らない、とそのときは答えた。今も、同じだ。蒼が紅に変わっただけで、俺は何も知らない」

「そうですか……」

 ひなたは残念そうに頭を垂れると、手配書を荷物に戻した。店主は、そんなひなたの顔をぐっと覗き込むと、にやりと笑った。

「お前、蒼髪だな。いったいお前ら何を企んでやがる?」

 そう言われて、ひなたは隠す必要がないと察したのかすっと帽子を外した。帽子できちんと隠しきっていた蒼い髪がその姿を表す。

「カゲ……みかげにも同じことを聞いたんじゃないんですか?」

「紅髪は、この黒髪をぶっ殺すとほざいてたぞ」

 ひなたは、そうですか、とつぶやくと、脇に寄せたコーヒーをぐいと飲み干した。

「似たようなものですかね」

 口いっぱいに苦味よりも酸味が広がった。そのせいでひなたは、この豆は随分古いな、などと余計なことを考えた。

 というよりも、もしやこの店主はわざとこのようなコーヒーを出したのではなかろうか、という思いの方が強かったといえる。

 自分の正体を見破っていた店主は、このお世辞にも美味しいとは言えないコーヒーを出すことで、自分を試していたのではなかろうか。

 裏の世界の情報屋においては、売買だけが情報を得る手段ではない。力ずくで情報を奪う輩さえいるらしいが、ひなたはできればそんなことはしたくない。個人的な信頼関係の上に、両者の合意の上で、好意で情報を譲ってもらうのが最適だと思っていた。

 だからこそ、彼はコーヒーを飲み干した。店主がわざとこれを淹れたのなら、これで明らかにこちら側に抱く印象は変わっただろう。さらに言えば、こんなにも美味しくないコーヒーを飲んだのだから、自分がここに来たということは黙っておいて欲しい、ということを暗に匂わせる行為のつもりだった。

 そんなひなたの思惑を察してか知らずか、店主はこれまでと変わらず素っ気ない態度で口を開いた。

「……そうか。ま、こっちに火の粉が降りかからないようにしてくれよ。せっかく、こちとらのんびり生きてんだ」

「分かりました」

 ひなたはポケットから数枚の小銭を取り出すと、それを机の上に置いて店主に背を向けた。その金額は、コーヒー代にしてはやや高く、ひなたにしてみれば、自分がここに来たことを秘密にしておいて欲しい、ということを暗に含ませた額だった。

「お前」

 そのまま店を出ようとして、店主に呼び止められた。

「何でしょう?」

 店主はじっとひなたを見つめ、それから頭を指差した。

「帽子、忘れてるぞ」

「あ、どうも」

 ひなたはすっと帽子を被ると、またきちんと髪の毛を隠した。

「それでは失礼します」

「ああ」

 ひなたが店を出たのを確認してから、店主は再び新聞を広げた。それから、誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやいた。

「生きていたのか……。どっちにしろ、あんなくそまずいもんを残さず飲み干されちゃ、下手に言いふらすわけにゃいかねぇな」

 かくして、ひなたの思惑通り、コーヒー1杯で彼らの間に小さな信頼関係――信頼というのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも当初よりは良好な関係――が築き上げられたのだった。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




 部屋中に鳴り響いたのは彼女のお腹の音だった。

「何か食いにいこうぜ」

 ハム吉が呆れたように言うがユキナは寝返りを打つばかり。明らかに彼女は気落ちしていた。

「腹、減ってんだろ?」

 そんな彼女に気を遣うようにハム吉は声をかけるが、ユキナの元気の無さは変わらない。

「そうだけど……」

「何だよ、お前」

「……」

 ユキナはむくりと身体を起こすと、どこを見るでもなく視線を宙に向け、ぽつりとつぶやいた。

「……ひとりぼっちて寂しいね」

 ハム吉は何も言わずにユキナのポケットに滑り込んだ。自分の言葉では彼女を元気付けることはできなそうだ、と思うと歯がゆかった。しかし、それを言葉に出すことはしない。

 ハム吉は思う。ユキナを元気付けられそうな人物には心当たりがある、と。しかも、つい最近知り合った男だ。ただ、彼にそれを頼もうと決断するのはあまりにも早計な気がした。もう少し時間と情報が欲しい。よくよく吟味した上で、最終的に決断するべきだ。

 多分まだ同じ街にいるはずだから、もし、何らかの“縁”があれば、彼とまた会うこともあるだろう。そのときは――。

「行こうぜ、ユキナ」

 ハム吉は思考を一旦中断してユキナを外へ促したのだった。


 陽は落ちても街の喧騒は消えない。街中には、やはり多くの人が溢れていた。数多の電灯が光り、夜とは思えないほどに明るい。あまりの灯の多さに、本来はあるはずの星はほとんど見えない。人工的な灯は、とても明るいが、だからこそ淋しい。

 ユキナは小さくため息をはくと重い足取りで部屋を出た。ぱたんと扉が閉じ、電気が消える。ユキナの形にくぼんだベッドが、ゆるりと元の形に戻っていく。かすかに残った彼女のぬくもりが無人の部屋に少しだけ人間味を残した。

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